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黒澤明 映画「七人の侍」感想 [気になるもの]


七人の侍(2枚組)[東宝DVD名作セレクション]

七人の侍(2枚組)[東宝DVD名作セレクション]

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2015/02/18
  • メディア: DVD


私的には黒澤明といえば羅生門か七人の侍が代表作なイメージだけど、実際、どの作品で認められたんだろうか?と調べてみる。


wikiによると以下とのことで、ぜひ酔いどれ天使と野良犬を見なければ・・と思わせるほど、さすがの七人の侍だた。つまり、50年代にこれやってたら、そりゃあ黒澤明すごいってなるよねー、ハマるよねー、という面白さだった。


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1943年に『姿三四郎』で監督デビューした。『醉いどれ天使』(1948年)と『野良犬』(1949年)で日本映画の旗手として注目されたあと、『羅生門』(1950年)でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞し、日本映画が国際的に認知されるきっかけを作った。その後『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)、『用心棒』(1961年)などが高い評価を受け、海外では黒澤作品のリメイクが作られた。

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最初のほうは、百姓が集まっている感じとかは暗く怖い感じで、なんだか・・なのだが、百姓の集団が、じさまに会いに行って、「腹すかせた侍やとうべよ」ってなった途端に、そういうことか、カッコイイーーー!!!と、一気にハマる。


まあDVD2枚組で長いし、昔の映画だからテンポがちょっと悪いような気もするので、2倍速とか1.5倍速とかで観たんだが、いや面白かった。


三船敏郎が、偽侍なんだが、存在感がさすが。

最後、ふんどし一丁に甲冑という珍妙な格好で奮闘しているのも笑える。

 

そして、百姓の悲哀をわーっと語らせた時が圧巻、あれはよかった。

それに本物の武士たちのうち、一人はめっちゃルパン三世の小五郎みたいな人で、めちゃ強い剣士なのだがあとは、気は優しくて力持ちみたいな感じで、あんまり武士っぽいごつごつ感がない、優し気な感じがまたいい。

それに戦が、本当に戦って感じの、生生しさがまた良かった。

本当に江戸時代はあんな感じで、やりでついたり、弓を放ったりしながら泥臭く戦ったんだろうというのが伝わってくる臨場感。

それに、ちゃんとイロコイもあったりして、ワクワクドキドキもさせ、ほろりとさせ、せつなくもさせ、でもテンポよく、エンターテインメントコンテンツとしての完成度がめちゃ高い。



ちなみに何に似てる感じかといえば、この高揚感、やっぱりタランティーノかな。

タランティーノが、直接的にか、間接的にか、黒澤明の影響を受けているんだろうけど。


それに、最後があっさりしていて余韻を残す感じがいいんだな。

7人のうち、まさか4人死んでしまって、3人しか残らないとはね。

あの存在感抜群の三船敏郎も死んでしまうし、小次郎っぽい剣士も死んでしまう。

でも、村は救われる。

ハッピーエンドといえばハッピーエンドなんだけど、哀愁も漂う感じは、先日みた天国と地獄に似てる。


あと、若い侍が純情でかわいい。

恋に、っというよりも、侍を慕って、かっこいい、あの人みたいになりたい、とか、弟子にしてください、とかいって、憧れたりするところがかわいい。

いつの時代にも、かわいい純真な若いやつというのはいたのだろう、若いって素晴らしいなと思わせられた。


というわけで、ハラハラドキドキさせる感じは天国と地獄も共通しているし、黒澤明ってエンターテインメントの人だったんだなー。

あんまりよくわかってなかった。

 

七人の侍は、よりその要素が強いんだろうが、ただエンタメでありつつも甘くないのがいい。

ヒーローもので、7人のうち4人死んでしまうって、ところが、大人。

しかもメソメソしない。

空っ風に吹かれて次のたびに出る的な、ブラックジャック的な感じ。

そしてあっさり死んでしまったからこそ、いんちきくさい、でも、人情に厚く、可愛らしいところもあった三船敏郎演じる偽侍の生きた姿みたいなものが印象強く残る。


年貢とか身分制度とかに苦しめられつつも、しぶとく生き抜く百姓の生命力。

立身出世を夢見て戦いに明け暮れているうちに年を取って、生き残ってさてとって感じの侍の哀愁。

しかし、「侍を雇う百姓」っていう、その発想だけで、これはもうカッコいいし面白いに決まっている感じ。

いや、よかった。




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Quoraがブンガクだ! [気になるもの]

何か知りたい回答があったので、登録しないと回答を読めないので、まあいいやとなんだかよくわからないまま「Quora」という媒体に登録した。


ただもうその回答が読めたので、もう用はない、退会しようと思ったんだが、気になる質問を表題にしたメールがよく届くので、ついつい見にいってしまう。

そして回答のクオリティが高いことに気づいた。いや実に面白い。

特に今日読んだ2つは文学を感じた。


ところでQuoraってなんなん?と調べたら、実名制中高年向けSNSみたい?




アスキーで2019年に取り上げられているし、それなりに評価が高い媒体みたいだ。


そういえば昔、ヤフー知恵袋とかにハマったことがあった。知恵袋の他人の恋愛相談とか家庭の相談に対する人々の回答はとても面白かったもんだ。

でも、釣りが増えたのか、受け狙いの回答を見ることも増えたせいか、あんまり見てないな。

最近は「凍った卵は食べられるか」「ナスは生で食べられるか」みたいな、実用的な調べものばっかり参照している。


さて文学を感じた2つの回答を以下に引用したい。

東南アジア、ノマド生活、ほぼ不労所得生活を通じて、私も不労所得で悠々と生きる人々やヤクザを見てきて、私自身思うところがたくさんあったせいか、この人たちの答え、なんか人生の哀愁を感じるし、真理も感じるしとてもいいなと思った。


実は似たような人生を送っている人が、この社会には割とたくさんおりまして。

要は、月の不労収入が20-30万円くらいあり。贅沢しなければ生活費に困ることはなく、さりとて特に特殊な技能や資格があるわけでもなく。

かと言って、ホンモノのアッパー層の社会からは下の下に位置するので、そっちの優雅で煌びやかな生活とは無縁で。

見栄もなく。慎ましく社会の片隅で、ストレスにならない程度のアルバイトをしたりしなかったりで生活しています。


ほんの少し縁があって、そういう人たちを何人か知りましたが。

やはり、1番の問題は「情報と人脈から切り離されてしまいがち」というところでしょうか。

彼らの生活は、孤独なんですね。


同じ年間数百万円程度の庶民的な収入を得ている人でも。会社で働いたり、フリーランスで働いたり、自分の店を苦労して切り盛りしたり。そういう人は良くも悪くも、人間関係の複雑な網の中にいます。

それは往々にしてストレスと気苦労の原因ではあるのですが。しかし、一方ではある程度の運命共同体であり、そこそこ利害が一致しており。

間違えたり道を踏み外そうとするなら、寄ってたかって止めたりするんですね。挑戦の足を引っ張ったりしますけど。


ところが、不労所得組には、そういう人間関係はありません。気楽で自由なのは本当に羨ましいですよね。

しかし。

同時に、情報がなかなか入ってこないのです。

情報というのは、入れる側にも利害関係があり。利益共同体だから情報を流すのであって。他人に価値のある情報をタダで流す人はいないのです。


結果。

酷い不動産を掴まされてケツの毛までむしられかけているとか、婚活詐欺から変なマルチの商品買わされたりとか。

そういう被害者になりやすい、という傾向は如実にあると思います。

アレはどうとかアレはヤバいとか、彼らには誰も教えてくれないんですね。なので、何かの拍子に変なのに引っかかるんですね。なんでしょうねあれは。

個人的に言えるのはそのくらいですね。

それさえなければ、いい人生で羨ましいと思いますね。それさえなければ。



もう20年くらい前になりますが、私は新宿の歌舞伎町で裏カジノのディーラーとして働いていました。

その頃は本当に毎日スリリングでした。

風林会館ってビルがあったのですが、そこで銃でヤクザが撃たれたとかもありました。

また別の時では職質に来た警察をヤクザが囲んで『今日の所はお前らは帰れ』と警察を追い払ったりしてました。

もちろん私のお客さんや店の関係者もヤクザが多かったです。

その頃の歌舞伎町はいつもピリッとした空気を持っていました。

あの頃も今と変わらず客引きのにーちゃん達はいましたが、こちらに声を掛けようと来ても、顔を見てほんの少し会釈をすれば向こうも会釈で返し声を掛けてくることはありませんでした。

万が一、声を掛けてきても『大丈夫』と言えば2度声を掛けてくる事はなかったです。

しつこく2度声を掛ければそれはもう喧嘩を売っているのと同じでした。

そういった暗黙のルールがありました。

なので下手な喧嘩は見ませんし、下手に騒げばヤクザが駆けつけてそのまま両方ともどこかに連れて行っていました。

それから月日は経って。

石原さんが都知事になり歌舞伎町はすっかり浄化されました。

沢山のヤクザが姿を消しました。

少しの中国マフィアは残りました。

久しぶりに行った歌舞伎町は大学生達が楽しそうに歩いている街になっていました。

あの風林会館が待ち合わせスポットになっていました。

客引きが声を掛けてきて、『大丈夫』と言っても「そんな事言わないでよ」って言われました。

『そんな事言わないでよ』?となり、それについては軽くシメておきました。

ヤクザが居なくなり現れたのはただの田舎のチンピラ崩れか、ホスト崩れです。

誰が同業者か見分ける目も持っていません。

2回歌舞伎町に行って2回路上でシメました。

それ以来、もう行っていません。

ヤクザが居た頃はそこにはそこの世界がありました。そこでしか生きられない人達が必死に生きていました。

今は弱い者が更に弱い者で食っているただの繁華街になりました。

ヤクザがいる事で一定の秩序が保たられるという事もあると思います。




ーーー


ちなみに私個人としては完全に同意するわけではない。

ファイヤーを目指したい気持ちもあるし、ヤクザだって弱い者を食い物にしている、その食物連鎖の最たるものに思う部分もあるけど、でもこの人たちの言っていることにも本当に真理があるよね。

特に最低限暮らせるだけの不労所得はあるので働いてない人のケースね。

結局孤独だから、そういう人を利用したいという意図で漬け込んでくる人の相手をしてしまい、変なことになる。

東南アジアあるあるよね。


まあそういうおじさん同士が友達になって仲良くやっていればそれもいいんだけど、結局年金暮らしみたいな感じになってしまって、まだ若い人にはつまらない暮らしじゃない?だし、結局は、数年はそういう生活もいいかもしれないけど、不労所得をもとでに、何か自分の好きなビジネスを始めて、それを工夫して育てていく方が楽しいよって話だと思う。


そう、俺もそれを目指してるんだなー。

会社員って、信用を得たり、友達を得たり、情報を得たりするにはとてもいいところだ。

今、会社員に戻ってそう思う。

でも、その心の余裕を持ち続けらるか、巻き取られるか。

ともすれば、その余裕を持てなくなりがち。

会社は社交場と、社会貢献の場として、定期収入の場として、自分のビジネスはやっぱり本業、というような感じでうまく育てていく、うまくバランスとっていけたらいいな!

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Netflix[Sweet Tooth]の感想。 [気になるもの]

Netflixといえば、ビッグバンセオリーに盛大にハマったのも、かれこれ2か月くらい前になるのだろうか。


進撃の巨人からのビッグバンセオリー、と、次があって良かった感じだったが、その次がまだ見つからず。

そんななか、まあまあ良かったのが、Sweet Tooth!


ただこれはseason1までしかまだないので、あっという間に1晩か2晩で見終わってしまった。

けっこう襲われるシーンが多くて、間一髪で逃げたり、戦ったり、ハラハラさせられるんだが、その要素は別にもとめてない私がいることはいるんだけど、世界観が美しい。


Netflixといえば、ムーミンシリーズにもプチハマりしているが、それに通じるものが少しある。

ターミネーター2感もある。


私がNetflixのシリーズに求めているものは、生々しい話より、現実とはすこしずらした世界観なんだろう。

あ、いっそのこと、スタートレックとか、スターウォーズみたいなものが、今の私にはいいかもしれない。

あんまりエピソード通じて全部見てないから今こそ見ようかなあ。


ぜんらかんと


それはさておき、Sweet Toothのseason2を楽しみにしている。

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本当はもっと悲惨な現実の「火垂るの墓」。 [気になるもの]

最近、割と見てしまうのが、リアクション動画。


もちろん、曲へのリアクションが多いんだけど、映画もあるんだな。

しかも外国人にどこまで伝わるのかっていうが興味深いのもあってみてしまう。

今回、「火垂るの墓」のリアクション動画を見ているうちに、色々と気になってしまった。


さらに「火垂るの墓」は、もうずっと昔に見たっきりで、詳細を忘れていたこともあり、全編見直してしまった。


さて、大人になってみると、見えてくるものが違うというのもなるほどだった。

まあ子どもの頃にどういう視点で見たかも今となっては思い出せないんだけど。


で、野坂昭如の原作だということは知ってたし、自伝的要素があることは知ってたけど、

この度、野坂昭如のエッセイを読んでより大人としてはかみしめた。


これは、「誰も知らない」と近い要素がある。

子どもが子どもの養育を一手に引き受けざるを得ない状況に追い込まれ、結局小さい弟や妹が死んでしまうという。

そして「誰も知らない」も、実際の事件をもとにしていて、だけど実際は子供の年齢がもっと低かったこともあって、もっと悲惨だっただろうなと思われたんだけど、野坂昭如の場合もそうだった。


火垂るの墓を見て、アニキのせいで妹が死んだ、とズバッとコメントする人はそう多くないが、中にはいた。

そして、実際に野坂昭如は「自分が妹を殺した」と、発言してたんだね。


自分は実際はそんなにやさしくなかった、せめてもっと優しくあれたらよかった、という贖罪の気持ちで小説を書いたというのは、本当にリアルだなと思う。


しかも彼はエッセイで、もっと告白をしている。

彼は14歳、妹は1歳半とかそれくらい。

いや、4歳ならまだしも、1歳半の子を14歳の少年が、食料がない中で育てる知恵があったかといえば、もう本当に仕方がないレベルだとは思うが、野坂昭如は自分の罪を告白する。


食べ盛りの彼は、飢え続ける中で、食欲を抑えられなかった。

妹にもっと食べさせてあげないと、食べさせてあげたいと思いながらも、いざ食べ物を目にすると、餓鬼に転じて自分が奪って食べてしまう。

米と重湯に粥が分離してたら、米を自分が食べて、重湯の部分を妹にあげてしまう。

食欲と生存欲に愛は勝てない、と。

でも確かに、勝てるのは、腹を痛めて産んで、苦労して育て上げた子どもに対する親の愛くらいだろう。

14歳の少年にそれを求めるのは難しい。


さらにアニメのように、夜泣きを近所のおばさんに責められるので、夜中は背負って外に出て歩いていたが、自分も眠いし、妹の頭を殴っていたと。殴ると静かになってコツンと眠るから、と。

だが、後年、それは赤ん坊は脳震盪を起こしやすく、ささいな打撃で脳震盪を起こすと知り、それは脳震盪を起こして気絶していたのだと悟って、愕然とする。


結局アニメ同様、妹は栄養失調で、終戦の1週間後に死亡する。


しかもアニメだけだとわからないけど、納得するのは、実は野坂昭如も養子であり、妹も養子。

だから年の差が大きく、間に子どもがいないのも納得。

さらに、やはり金はあったけど、金があったからといって物が買える情勢ではなく、その金をうまくつかって物を調達する能力が14歳の少年にはなかったと。

それも映画を見た人の疑問ポイントになりがちだが、納得。


というわけで、原作の小説も機会があったら読んでみたい。

が、この野坂昭如のエッセイにより、このアニメの意義が自分の中で高まった気がする。


中にはどうして、こんな、暗い救いのない話、たしかに反戦映画としては優れているけれど、と感じる人もいたかもしれないけど、これは救済の話なんだとわかるとすごく納得する。

つまり、妹を死なせてしまって、自分だけ生き残った野坂昭如の鎮魂の話だと思えば、「これくらい妹に尽くして、一緒に死ねたらよかったのに」という心残りと現実の間の話だと、そういう風に思えば、戦争当時や災害やらを生き残ったほかの人たちにとっても、すこし気持ちの慰めになることもある作品かと思う。


この作品は、ただ悲惨なだけはなくて、必死に支えあって生きようとするいじらしい兄弟の、兄弟愛を見せてくれる話でもある。


もちろん、この映画を見た戦争経験者の感想としては、「こんな子はまったく特別ではなくて、当時くさるほどたくさんいた」という風にリアルにまあこんなもんだったよ、という意見をいう人もいれば、「ファンタジーだ。現実はこんなもんじゃなかった」という意見をいう人もいるらしい。

そして、実際どちらもそうなんだろうと思う。

こんなことが現実でたくさん起きていて、でも本当はもっと綺麗ごとではなかった。

野坂昭如の身におきた現実でありつつ、少しやさしい話にしている、まさにその通りなんだろう。

だって、本当に本当のことを書いたら、万人が見られるアニメ、ジブリ作品にはならないもんね。


でもなんというか、これが野坂昭如自身がが必要としていた救済の話だとわかると、それは文学としての意義であり、本物の文学で、嘘のない、本物の話だなと思う。

嘘っぱち、ただの甘やかな都合のいい作り話、それでもフィクションに意義があるのは、それが魂を慰めることができるからだ。

やさしい兄の話を、彼自身が必要としたんだから、優しい兄の話が文学として正しい、というような。


さて、戦争孤児になった人たちの、今までずっと辛い経験すぎて口にすることもできなかったけど、ようやく口を開いた、というような思い出の話をNHKで先日見た。

確かにかわいそうだった。たしか兄弟別々のところに引き取られたが、小学生の妹は、傷口からうじが沸いていて、それを気味悪がられて学校でイジメにあって、それを苦にして列車に飛び込み自殺した、姉である私はもう少し精神的に図太かったから差別されてもいじめられても平気だったけど、、まあそういうことがあった、という話。

誰しもが余裕がない時期だからこそ、そんな中での人の優しさは身に染みるし、逆に弱い者から奪う、みたいな醜いこともたくさん起きたんだろうと思う。

そういう意味で言うと、この映画は、戦争からは多くを奪われて、理不尽を被ってるけど、ひどく人間から虐められたり強奪されてりしているわけではないだけでもまだいいかもしれない。


想像でしかないとしても、豊かな時代に運よく生まれた私個人としては、やっぱり王道の見方として、こういう風に犠牲になった子供たちがかつての日本にはたくさんいて、世界中には今もいて、その犠牲の上で生きているということを忘れてはいけない、忘れずに世界をよくしていく努力をしないとけない、ということだなと思う。



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成毛 眞「2040年の未来予測」読書メモ [気になるもの]

2040年の未来予測

2040年の未来予測

  • 作者: 成毛 眞
  • 出版社/メーカー: 日経BP
  • 発売日: 2021/01/01
  • メディア: Kindle版

先日テレビを見ていて、100リットル(だったかな)の水で100人がシャワーを浴びれるシャワーテントだったかな、と開発した日本人の起業家の発明を見て、驚いた。


あ、あってた、この人だ。



もはや実用化されていて、被災地などで活躍しているらしいが、汚れた水をそのまま回収して、濾過装置で98%の水をクリーンにして再利用できるから可能な技術はすばらしく、本当に世界を変える技術だなと感動した。

すでに世界から商談が来ているらしく、砂漠地帯とか、清潔な生活水が不足している貧困地帯など、いくらでも需要があるだろう。


さて、それはいいとして、この本はそういう感じの、私が全然追い付いていっていない話をちらほらと知ることができた。

といっても興味のあるトピックを拾い読みしただけだけど。


核融合による発電というのが、まさにそんな感じで、これはまだまだ研究中の段階のようだけど、もしも実現できれば、環境フレンドリーな上に、燃料枯渇の恐れもなく、天候にも左右されず、危険度も低く、取り扱いに困る廃棄物も出ず、そして莫大な発電量を生み出せる、夢のエネルギーらしい。


しかもこの技術は、日本が1960年代から研究しており、欧日が中心となって進めており、iter計画といい、2020年からフランスで核融合炉の組み立てが開始されていて、2025年から実験開始予定なんだと。


興味深い。

日進月歩な世の中、2040年頃には実用のめどが立っている可能性は十分にある。


あとは、肉は、そのうち幹細胞を人工的に増殖させた培養肉を食べることになる可能性があると。

培養肉ならと殺する必要もないし、なんといっても世界的にみた人口増加による将来の食糧問題の解決手段のひとつになり得るんだと。


魚に関しては、遺伝子編集魚を食べていかないと、やはり需要に見合わなくなるという。


ちなみに遺伝子組み換え食品が現状嫌われているけど、結局のところ、自然ではないけど、それに害があるのかどうか、わからないというのが現状らしい。


培養肉か・・・。

だったらテンペとかの代用肉のほうが食欲がわくかな、私の場合。

ま、食生活なんていうのは、子どものころからの刷り込みだったりするから、離乳の頃からこれが食べ物よ!と言われて与えられて食べていればそういうもんだ、というだけなんだろうけど。。


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築50年のマンションを購入する意味。 [気になるもの]

築50年のマンションを購入する意味について考える。





わたしは将来的に今賃貸で借りている部屋の近隣でマンションを買いたいなあと思っており、

眺望命なこともあって、眺望がよさそうで、しかもそんなにものすごく高そうでない物件で、雰囲気があって、いいな!住みたいな!!と目を付けた物件が3つくらいあって、それをすべて今日調べてみたところ。


すべて築50年ものだった!!!!

築48年、築50年、築51年・・ときたもんだ。


どうやらその時代に建てられたマンションのレトロ感に惹かれているようだ。。

ああいう7階建てとか10階建てくらいのマンションのできれば最上階、できればルーフバルコニー付きの部屋に酢みたいよなあ。

しかし、築50年のくせに3000マン、4000マンするんだよな。

マンションの資産価値は20年くらいでなくなる、資産価値は新築時の30%程度ということだけど、ほんと?


フルリノベーション済だから?

それとも立地がいいからか。


それにしても、よく考えないとだよなあ。



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10年連続赤字で負債10臆の旅館と自分がかぶった。 [気になるもの]

人生が好転しているようには感じない。

その点において、崖っぷち、倒産寸前の企業と同じ感じがする自分。


10年連続赤字で負債10臆の老舗旅館を再生した若おかみの話をテレビで見たのだが、ゾッとした。


義母がおかみだったのだが、その経営実態は義母しか知らず、旅館を継ぐ気もなかった息子とその嫁。

ある日突然、義母に打ち明けられ、蓋を開けたら10臆の借金。

継ぐ気はなかったが、負債を相続してしまっている以上、再生に乗り出す。

そこで気づくのだ。

週末は満室で、お客の入りが悪いわけではないのに10年もずっと赤字の理由に。

やたら数が多い従業員数。さらに収入を得ようとするばかりに、大幅値下げした安い宿泊料。

経営すればするほど赤字額が膨らんでいく負のスパイラル。


ぞーっとしたのは、「どうしていいかわからない」から「現状維持」して赤字経営を10年も続け、負債を10臆円にまで膨らませてきたことだ。ホラーである。

いざとなったら売ればいいと思っていた旅館の査定価格はなんと1万円。

しかも負債ごとではなく、負債は手元にのこる。


でも、私という人間もそうなのかもしれないと思った。

稼ぎの話ではなく、人生を豊かにしていくという人生計画、人生運営の意味では、もう10年くらい赤字経営を続けているような気がしてきた。

赤字経営なことに何となく気づいてはいるのだが、どうしていいかわからないから、まともに向き合わず、どんどん負債を膨らませ続けてきて、年老いて、人生やり直せなくて、取り返しがつかなくなっていく自分のイメージ。

現状というのが、赤字経営の場合、現状維持=衰退であり、どんどん手遅れになり、負債が膨らんでいく状態なのである。

ぞっとする。

だめだよなー。


うまくいってない、なんでかわからない。

だとしても、仮説を立てて、検証して、どんどん策を立てていかないと。

誰かに相談しないと。

もしくは、いよいよどうにもならなくなるまで引っ張らないで、清算しないとだよな。。

と己のこととして、戒めを感じました。


もちろん、経済状態もまあ普通だし、健康状態も通常程度の加齢による劣化レベルだし、すごく太ってしまったとかそういうんでもない。

それでも、人生がドンづまっていっているのは感じる。

喪われていく若さのスピードに、人生が豊かになっていくスピードがついていっていないからだ。

稼ぎや地位だけじゃなくて、社会的役割、精神的豊かさ、などなどいいスパイラルには乗ってない気がする。



頑張ってほしい、そう自分にいってみるも、そんな情緒的なことはどうでもよくって、具体的な作戦と行動だよなあ。

何も具体的に行動を起こさずに、がんばって!と自分に言ってみたところで何も事態は好転しないのだ。

自分に同情している暇があったら、手数を増やせ。

情報収集量を増やし、人への相談を増やし、とにかく色々これかもしれない、と思うことを、やってみるのだ。

しかも、あさっての方向に走るのではなく、ある程度の量と継続が必要だから、ちゃんと有効な方法にあたりをつける必要はある。


とはいえ、よくわからない時には、立ち止まってしまうよりかは、魂を信じて何かしたほうがよい。

魂が反応することを選択すること。

どんなに世間的に正しいとされることだって、どんどん魂が死んでいく気がするなら、それは自分にとっての正しい道ではないのだから。

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5年前、「週4時間だけ働く」に出会って人生が狂った!? [気になるもの]


「週4時間」だけ働く。

「週4時間」だけ働く。

  • 出版社/メーカー: 青志社
  • 発売日: 2011/02/03
  • メディア: 単行本

私の野望の原点はここにある。

なぜこのブログに感想がないのか不思議だが、まあ、基本的に放置ブログなので、そんなもんか。


出会いは5年前か、もっと前だろう。7,8年前かもしれない。


一時期は、本当にノマドなアフィリエイターとして週4時間だけ働くような生活をしていた私だが、

さて今はまたPDCAを高速にまわさないといけない時がきた。

PDCAはもう古い説もあるみたいだけどw


なぜなら会社を辞めたからだ。

転職する、、の??

ということに関しては考え中である。

本音としては、個人事業主として開業したい。

が、まだまだ模索中である。


さて、まあ週4時間というのは、さすがに舐め腐ってるとしても、1日4時間、週5日くらいで生きていくことは現実的に可能な気がする。


たとえばだ。

時給2000円の家庭教師をするとしよう。

一日4時間で8000円×月20日間=月収16万円。


東京在住、賃貸暮らしの私にとって、月収16万といえば、かつかつといったところだろう。

昔、自分の支出を計算したことがあったが、平均的にそんなもんだった気がする。


ただ、会社員じゃないと、そこに健康保険料とか国民年金、住民税などを自分で支払う考えると、プラス数万円の支出になる。

上記の支出は、娯楽費とか洋服代とかも入ってるので、そういうのを絞り込めば、もちろんもっと抑え込むことはできる。

が、それは危険思想である。

稼いで、使って、のほうがまだ健康的である。


もちろん費用を抑えられるなら、それに越したことはないのだが、費用を抑えることが一義の生活になってしまうと人生が小さく小さく緊縮していってしまう危険が高い。


さて、起業準備は別として、純然たる労働、それはそれで継続することが大事な気がしてきた。

なんだこのクソ人生、と思わないでいられる、純粋にお仕事を与えてくださってありがとうございます、精一杯がんばります、と思える範囲で。

それって、たぶん今の私にとって1日4時間くらいなんじゃないだろうか。

そして目安として月15万円くらい。


それぐらいの最低限の食い扶持は自分で稼ぐことは、大人としてのプライドや生活感覚や社会との関わり、生活のリズム、色んな面で大事な気がする。


それが直接的に起業や開業につながらなくてもいい。

日本語教師か、英語教師かな。。

在住外国人を支援するようなこととかもいいけど、それだとビジネスというより、ボランティアでやったほうがいいもんな。



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私はゲイに憧れるクエスチョニングあるいはジェンダー。 [気になるもの]

私はゲイに憧れるクエスチョニングあるいはジェンダーなんだと思う。


思えば10年くらい前、NYの焼き肉レストランTAKASHIのオーナーのたか子に憧れていた。




まだこのお店あるのかな、と思ってググってみたら、なんとコロナの煽りをうけて閉店してしまったみたい。

残念だ。

いつか行ってみたかったのに。


渡辺直美の友人としてインスタによく登場するジョージ・ルートに猛烈に嫉妬を感じたのは、彼が成功者であるアメリカ人と同性結婚して、NY郊外の素敵なお屋敷に住んでいるからである。


そして、この感情に既視感があって、たか子のことを思い出した。

たか子はまさにジョージと同じパターン?で、クリエイティブでアーティスティックでインテリジェントで社会的に成功もしてるアメリカ人旦那とNYで暮らしているから、すごく素敵なインテリアの部屋に住んでいて、焼き肉レストランTAKASHIを開業準備している間、その暮らしをブログに綴っていて、私は憧れの暮らしだなーと思っていたのである。


おそらく開業して、お店が成功してからは多忙でブログは更新してないんでは?

いつの間にか私もたか子のことを忘れていたが、ジョージで思い出した。


私にとって、彼らはシンデレラみたいに映る。

クリエイティブでインテリジェントで社会的に成功もしてるアメリカ人旦那とNYの超素敵な家に住む。

クッソー!!うらやましい。


無意識のうちに私の夢や願望の一つになっていた。


それゲイである必要ある?

別にヘテロでもいいのでは?と言われれば、まあそうなのであり、ヘテロカップルでも国際結婚して海外に住んでいる人のブログはウオッチしてた記憶がないわけではない。


だが圧倒的に憧れるのはゲイカップルのほうであり、なぜかといえば、私の願望に一番近い、望むべくは、女性という性的役割なく愛し愛されたい、という願望が投影されてるからじゃないかと思う。


あとは、金持ちでアーティスティックな知的ゲイカップルというのは、インテリアとか旅行先とか、暮らしのオシャレっぷりが、各段にハイレベルで、そんな暮らしに憧れるからというのはある。


さて最近は便利な言葉が世の中に定着し始めた。

Xジェンダー、クエスチョニング。

知ってはいたけど、その言葉の社会的認度が低すぎるし、なんだか自分に都合がよすぎる気がして、私はそんなたぐい、という認識がありつつ、はっきりと認めてはこなかったけど、私はそんなたぐい。


一応、エクスキューズとして、ここ10年くらいは、「私は恋愛対象は男でも女でもどっちでもいい」と、付き合う男性には必ずといっていいほど言っている。

だが、あまり重く受け止められてきてはいなかったように思う。


私はずっと悩んできた。

3歳の時点で、ピンク色の歯ブラシやタオルを自動的に割り当てられることに抵抗を感じていた私である。

小学校2年生くらいですでに、私は好きな男子に女子として扱われたいんじゃない、男子の親友になりたいのに、と嫉妬をしてた記憶がある。

他方、私はいつだってドレスとかワンピースとか、着飾るのは大好きだったわけである。

が一方で、高校時代は密かに、そしてかなり猛烈に、自分が女性であることが受け入れがたくて悩んだこともある。

おそらく人生で最も愛した相手は、小学生の時、ほぼ一心同体か、という感じで常に一緒にいた親友だった女の子だし。

だけどまあ、そういう愛が、どういう種類の愛かというのは、今となっては判定不能。

強い友情は、愛情に勝るかもしれないし。


人とどうしても調和しない違和感の源はこれだけじゃない。

おそらくちょっとADHDとか発達障害よりでもあると思う。


だけどそれだけでもなくて、やっぱり性別や性役割に対する違和感もあるんだと思う。

だからずっと、FTMとかゲイとかレズビアンとかの人のブログやYoutubeをウオッチしてきたのである。


性志向でいったら、私はパンセクシャルになるんだと思う。

人を好きになるのに性別は関係がなく、その人の人格が多くを占める。

だから老若男女、素敵な人柄だったら愛することができると思うし、それはたぶん好きなミュージシャンとか小説家の性別にこだわらないのと同じ。

おそらく性的な魅力から人を好きなるというのがよく理解できない性質なんだと思う

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日景忠男のことを想い、世界は良くなっていると確信する。 [気になるもの]

最近の私のメンタルは特に落ちてるわけではないのだが、三浦春馬のことがあってから、自殺に関するようなことをすごく考えるようになった。

といっても、どうやったら、自殺するくらい追いつめられる人が少ない社会にできるのか、とか、追いつめられている人を少しでもいい方に救う方法はないのか、とかがメインだが。


その中で、ふと沖雅也という俳優さんが昔いて、その人もキャリアが順風満帆のところで31歳で自殺を遂げたところが三浦春馬と似てる、という話題をネットで読み、自動的に日景忠男という人のことを知った。


日景忠男という人は、沖雅也と養子縁組をして義父になった人でもあり、沖雅也を売りだすために芸能プロダクションを立上げその社長をやっていた人でもあるそうな。


ただの大パトロンだったのか、本当にカップルだったのか、その間のような関係だったのか、本当のところは私が知る由もないけど、沖雅也の遺書の内容が本当だとすると、日景忠男に対しての15年間におよぶ温かい思いやりを大変に感謝しています、とつづられており、けっしてどちらかがどちらかを利用しているような、下衆な関係ではなかったのではないかと思う。


また日景忠男が「沖雅也は本質的にはゲイではなくて、それどころか大の女好き」と書いているところを見ると、”本質的には”というからには、それでも日景忠男とはそれなりに結ばれていたのかもしれない。


さてそんな日景忠男が、沖雅也が自殺したあとに会見でボロボロ泣いている映像に、笑い声がかぶさっているものをYouTubeで見た。


なんて悪趣味な編集?と意味がわからなくて愕然とした。

が、動画のコメント欄を見ると、これはYoutube動画として編集されたものではなく、当時から笑い声とともに放映されていたことを記憶していた人が複数いた。

当時は、気持ち悪いホモがボロボロ泣いている=笑っていい、という構図になっていたそうだ。


なんてひどい。

日景忠男も、けっこうめちゃくちゃな人で晩年は、横領したり逮捕されたりしてたみたいだけど、親しい人が自殺してショックを受けて泣いているのを笑う、とか今では考えられない話だ。


私は世界はよくなっているんだな、と感じた。


人間の本質はそうそう変わらないから、今だって異質なものを気味悪がって排除しようとしたり、弱いものをいじめてうっぷんを晴らしたり、ジョークってことで人を笑いものにして貶めたりする。


それでも、インターネットやSNSというツールを得て、弱いもの同士が連帯したり、告発したりしやすい世の中になってきたし、以前よりずっとましになっているんだと思った。


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