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映画「オッペンハイマー」感想。

びっくり、映画館に2人だけだよ。
本当に経営が心配になるわ。
しかも、公開されてまだ日が浅いよね?
やる気はすごい感じられるのよ、そんなやる??ていうくらいの上映回数。
なんと1日5回。
私が普段観に行く映画なんて、多くても1日2回とかだったので衝撃。
でもいいの?採算取れるの?不安になるわ。

さて難しいねー。しかも3時間。お尻痛くなるスレスレ。
集中力は全然途中で途切れる。

まず基本おっさんばっかりが出てくる。
女性達も出てくるには出てくるけど、恋人、妻、浮気相手なので、事変的なところとの関わりは副次的だし、女性キャラは覚えやすい。
だがしかしおっさん達はなあ。
軍服着てる人はわかりやすいし、テラーは覚えた。水爆研究したい君。
あと太って恰幅のいい人、親友の学者、、、啓示を与えてくれるっぽい引退した研究者。
それくらいまでなんだよな。
あとは一緒に研究してた人が5、6人はいるんだけど、もう誰が誰だか。
さらに会話が難しいじゃないか。
一生懸命目で字幕を追っていても内容が頭に入ってこない。
よって耳も総動員して、英語の勉強のつもりで字幕を見ながら英語を聴いてく作業をするとまだ良かったけど、まあでもさ、早口でどんどん会話していくから、私の脳みそと前提知識のなさでは、内容を咀嚼できる前に次のセリフが来てしまうんだよなあ。

さらに、時代が行ったり来たりするのも、微妙にわかりづらいのよね。
白黒か、カラーかで、その行き来を表現してるのはわかる。
でもオッペンハイマーもずっとおっさんだしさ。
ちょっと若いおっさんか、ザ・中年のおっさんか、白髪混じりの初老か、、という微妙な違いはあるにせよ、ぱっと見はそんなに変わりませんからね。

なので、完全には理解してないので、もう1回見たいくらい。
ただもちろん大筋は理解できたし、あの原爆実験成功するシーンを見るのは痛みを伴いますよ。
これは日本人だからなのだろうか。
それとも、人の痛みがわかる人は、世界中の人みんなだろうか。
そこは気になりましたね。

原爆実験が成功して、三年かけた大ブロジェクトが成功したことに、歓喜する研究者たち。
彼らが歓喜する描写は、本当に胸に刺さった。
原爆のドドドドカーンっていう、凄まじい熱風と音、それからその後に訪れる彼らの成功の喜び、、その描写を見ながら、私は静かに泣いたよね。
なんかこう、悔しいというか、痛いというか、辛いというか。

なかなかこう難しい、普段そんなに映画を見ても感じないような、行き場のない、圧倒的なやるせなさというか。

あとみものなのは、オッペンハイマーが大統領と会談して、「手が血塗られているように感じる」と発言して、大統領に、「広島や長崎が原爆の開発者を憎むと思うか?違う、原爆を落としたやつを憎むだろう。この俺だ」と言った後、「泣き虫やろう、2度と会いたくない」と、保tんど追い払われて悪口まで言われること。

ここは実話らしく、全然知らなかったので良いものを見たと思った。

まあでも日本人としては、映画に不満があるかな。
確かにオッペンハイマーが罪の意識で、祝福をピカドンに感じる、という描写はある。
聴衆が、眩い光に照らされて被爆した人々のように見え、足元には瓦礫、という幻影の表現がある。
でもね、少しマイルドすぎるなと思った。
広島、長崎の被爆者の写真をスライドで見せながら解説されるのを、後日研究者達が見るシーンもあるけど、そこでも被爆者の実際の姿は映らない。
私はね、もう少し、その幻影の描写に、グロさというか、悲惨さをもっとこめて欲しかったかな。
少し淡すぎる気がした。
目玉が垂れている人たちの行列、はだしのゲン、あれこそが原爆というイメージがある私からすると、ね。

まあでもこれを元に改めてオッペンハイマー事件とは何か、勉強したので良いきっかけになった。
あと理解力を試され、頭の体操になる。
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資産5000万円達成おめでとう!一瞬だったけど。

歯切れが悪い。
だって一瞬だったから。
一瞬の達成の後はくすぶってますねえ。
まあでもいいんです。
達成したとき、あんまり実感なくて、それゆえにあんまり喜びもなくてバブル感あったから。
こうやってまた焦らされれば、上がったり下がったりしながら再度ジリジリ上がっていって5000達成した時に、より手堅い感じがするからいいの!調整局面ってことで。
あと20万円とかだし、ま、そのうちな。
N様のご機嫌次第かな。

そんなことより私は最近、新しい趣味が増えて、人生をなかなか楽しんでいる。
楽しい。
まあ人から見たら何それ・・・って話かもしれないが、割と夢に近づいている。
ちょっと飯島レンジとかマサルの影響を受けている・・
それ食えるのか?という、野で拾ってきたもの食うところですが・・・
最近はね、かなりのチャレンジをしまして、満足感高いね。

思えば幼児の頃から裏山の探検が大好きだった、そこでいろんな野の草を採取したりだとか、花を積んで帰ったりだとか、、趣味と言っても良かった。
なので、今やってることは割と自分らしさ発揮してる感あって充実感あるわ。
まあ、大人の女としては、何やってんの?変なおばさん?というのが、世間の目かもしれないが、いやいや、おばあちゃん蓬積んで蓬もち作ってたもんね。
そういう春の味覚を楽しむ系の大人の楽しみにも繋がってるのよ。

最近の満足感高いチャレンジの中でも、つくしを初めて調理して食べたんだが、これなかなか良かったもんね。
これも大人だからこそかもしれない。
子どもだったら、果たしてつくしを美味しいと思えたかどうか。
子どもの頃は、裏山でタラの芽が採れてな。あれは子ども的にも大変美味しかった。
タラの芽もどきもあってな、子供ながらにタラの芽の見分け方がわかるようになってたけど、もう忘れちゃったかな・・・・。
たけのこ掘り、潮干狩りも行きたいな。
そういや昔同僚と言った潮干狩りも、大満足イベントだったが、あれもかれこれ随分前になるか・・。
まあいずれにしろ、これらの新しい趣味は、引っ越してこなければ始めようと思わなかったことだと思う。
東京だって、別に自然が全くないわけではないんだけど、、なんだろうね?
こういうことをやろうという気にはなってなかった気がするし、やっぱり海は偉大だなと思う。
自然は、季節によっていろいろな顔を見せるのは、どこも一緒で、特に桜の開花なんかはその最たるものではあるのだが・・海は1日でも姿を変える。
しかも遠いどこかと繋がっている。
だから、海の漂着物はロマンがあるんだよな。恐怖もあるけど。
そう、死も身近だ。死んだ魚、死んだ蟹、死んだヒトデ、、、死んだ鳥、死んだイルカ。
いやあれはイルカだったのだろうか、スナメリとか、クジラの赤ちゃんとか、何か違う海洋哺乳類、海獣だったのか。。
どうして、胸の上だけ切り取られるようにすっぱりと切断されて、上半身だけがあったのか。
人の仕業だとしたら、その人たちは下半身だけを持ち帰ったということなのか。
なぜだろう。食べたのか。
謎は尽きない。

でも今日自転車漕ぎながら、田舎暮らしといってもこれぐらいが限度っすよ、と思った。
それでも慣れた。越してきた頃は、正直、人口密度の低さが、ゴーストタウンみたいで怖かった。おそらく都心と比較すると、人っこひとり歩いてないだけではなくて、街灯も暗いんだろう。ゾンビに全員喰われた街、みたいな気になってくる。
あ、でも、そこまでのことを思わずに、平然としてられるようになったな、とは思ったの今日。
それでもさ、まあでもこの程度が限度かな、となんか思いましたね。
限度というか、ちょうどいいんじゃないかなと。

これから宅急便とかが不便になっていく。
店だって、24時間あける必要あるの?という時代になり、バスや電車やタクシーも以前より不便になっていく予感。だって働く人が減るんだもんね。
一回手に入れた便利さが、どんどん便利になっていくんではなく、また不便な方に戻っていくって切ないけど、思えばそういうことってあるのとカンボジアで教えてもらった。
カンボジアには鉄道があった。
今は動いていない。戦争で設備が壊されたか、国力が衰退してメンテナンスする費用がないからか、そんなような理由で。貯水池だったかな、そういうインフラも前はあったものが機能していない。戦争や、政権のせいで。
切ないな、と思ったけど、あるんだなあ、しみじみ。

昔は栄えてた炭鉱町、みたいなものは沢山あるんだから、街単位で言えば常にある話なんだけどさ・・
まあでもさ、死ぬ直前まで生きることを考えていくのがいいなと最近思う。
いかに死ぬかとか、いかに人生を軟着陸させるか、みたいなこたあどうでもいいかもと。
前のめりに死んだ方がいいなと。
もちろん自分でそろそろだなと思えてきたり、余命宣告されたりしたら、その時に考え始めるだろうけど、その時からでいいんじゃない?と。
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