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Attack on Titan 138 reactionが興味深い。 [メディアまわり]

タキチャンネルを拝見して日本の反応も見つつ、海外の反応が気になって、このビデオをみたんだが、コメント欄がなかなか面白い。


もともと、蛍の墓の海外の反応をけっこう見て面白かったこともあり、、別に狙ったわけでもないが、、いや内心ちょっと「外国人がアニメを見て凹む様子を見る」のが好きかも。

いやあでも、彼らも同時代的に、この大作を見続けながら大人になったことを思うと、世界は狭いなと思う。

この彼も2013年から7年間にわたってこのシリーズを読んできたといってるし。


しかし今回は彼の反応より、コメント欄のほうが面白かった。




特に私的になるほど一理ありそうと、興味深かったのが以下の三つのコメント。


I think Ymir might do something to revive Eren by sacrificing herself. Eren helped Ymir get her freedom but what Eren didn’t know was what type of freedom did Ymir want, I think Ymir just wanted to see the love and care that people have for each other to the point they will leave their peace’s for someone else’s so that person can be happy. By seeing this Ymir smiled and finally got her freedom and in return for Eren doing that, Ymir will resurrect Eren.

ユミルがエレンを復活させる説。ユミルはエレンによって解放されたから、エレンもまた解放されたのを見て喜んでいるというのは思ったけど、それでエレンを復活までさせるとは考えなかった。

まあでもジークだってよみがえらせたことあるんだし、ここでエレンを復活させるのもなくはないな。

あと、ユミルは何で成仏するんだろう、何にせよやっぱり王家との因縁だしヒストリア登場でしょ?ヒストリアとの対話によって成仏でしょ、と私は思ってたけど、愛し合って手助けしあう人々を見て成仏する説を唱えている人は日本でもいたし、まあなくもないかなと。

まあでも赤ん坊産んだヒストリアどうなったん?という伏線は必ず回収されるので、どうせヒストリア登場するのら、ユミル絡めるだろうと思うし、結局は己の業は己の直接対決でなくちゃ溶けないよな、ただ人の行いを傍観するだけで溶けるほどの遺恨とは思えないとは思う。

が、生き返らせるはありかも。といっても、大虐殺野郎をただ生き返らせて目出度しめでたしは絶対にないので、、、やっぱり生き返るというより、無垢な赤ん坊として生まれ変わらせるとかだろうか。

あとはもしエレン復活するなら、巨人の力はこの世の中から完璧に失われ、最後に無垢の巨人にされた人々は人間に戻る必要はあるだろう。

CHAPTER 137 Armin: Farewell, eren Chapter 138 Mikasa: Farewell, eren CHAPTER 139 eren: Farewell Armin and Mikasa

最近は、エレンのアルミンやミカサへの内面が描かれていなかったので、それが描かれるのは必須だろうなとは思う。

 

Ymir finally saw humanity in Mikasa and Eren's relationship. Thats the only time she ever smiled. By that, Ymir's curse might end and bring everyone back from Ymir's curse. Just a theory.

ユミル微笑んでるから、やっぱり人間愛を見て、ユミル成仏で呪いとけるという意見。


私はユミルが嬉しそうなのは、人間愛とかいうより、むしろ、エレンも呪縛から解き放たれたから、自由になれたからではないかと思ってるけど、ただまあ白雪姫が眠りから覚めるのに王子様のキスが必要だったみたいに、呪いというのは人にといてもらう必要があるものなんだよね。

そういう意味だと、呪いをわざわざときにきてくれる、というのは愛にほかならない。


ちなみに誰かが考察で、ユミルも三人娘がいて、娘たちには愛されていたはずだから、ただの愛、家族愛ではなくて、男女の愛が必要だったのでは?説を唱えてたけど、私はそれは違うと思う。

やっぱり愛がどうこうというよりも、「呪いをといて解放してくれる」ことが必要なんだと思う、

まあそういう意味でいうと、ユミルはエレンによって既に自由になって、最後はただエレンにつきあってただけ、ともいえるか。

それなら、エレンが解放されたんだったら、ユミルももう晴れて、エレン元気でねバイバイ!と晴れやかに成仏だろう。

ただ親切なユミルだから、人々の記憶改ざんとか含めて、ちゃんと世の中の後始末はしてくれそう。


とここまで書いて、いやヒストリアが少女時代に読んだ本の中で「愛される存在でいるべき」という呪縛があったのを思い出した。

だから愛されるために従順でいるより、最後、マフラーを巻いてエレンを殺し、自分からキスという、自由意思で行動して自ら愛を示す行動をとったミカサがアンチテーゼで、それを見て、ユミルの呪縛とれた?

れはヒストリアがいい子でいないと、と思ってた呪縛が、エレンによって悪い子でもいいやっていうように解放されたのにも似てる。


でもユミルは元もと豚を逃がしたんだから、家畜を自由にさせたいっていう、つまり自由への気持ちがあったはずだし、ちょっと悪い子だったんだよな。


さてでも一つ思うんだけど、エレンはミカサが俺に盲目的に付き従う奴隷、みたいな言い方をしてたけど、実はミカサは最初からエレンの言うことに従ってもなくて、ミカサが自由意思でエレンにつきまとってるだけだし、エレンが調査兵団に入りたいらしいってお母さんにチクったり、ジャンと喧嘩してたら、エレンを抱えて、床にぶん投げたりもしているんだよな。


確かにエレンに執着していて、そういう意味では精神的にエレンに依存していたとはいえる。

だけど、ミカサがその執着から自由になって解放された、というより、やっぱり自由を求めた挙句に、醜悪な怪物となり果てて、人類虐殺に突っ走ってた状態は、不自由極まりなく、そこから解放されたのはエレンのほうだと思う。


そういえば、ジークとアルミンの対話で、繁殖して増えることが生きる目的なんだというジークに対して、アルミンがそうじゃない、ただ何気ない、好きな人たちと時間を過ごして幸せを感じること、それこそが生きる目的だ、というような回答を提示し、ジークはキャッチボールしてた時の幸せな瞬間を思い出して、納得する。

そこから察すると、平凡な日常が一番よいっていうところに落ち着くんだけど、エレンの本質が根っからのまだ見ぬものを求めて外に出たがる男の子、自由を求めて進み続ける男の子、ということを考えると、相容れないようにも思う。


けど、、冒険に出てある程度年取ったら落ち着いて家庭をもって地に足つけて暮らす、というのが人間の生き方として普通だと考えると、、自由を見つけにいった男の子は死んだけど、その結果疲れて、でも何が幸せかを理解もして、結果として地に足つけて暮らす大人の男が残るのか。


あとは、平凡で静かな暮らしといっても、鳥かごの中の鳥とか、家畜、と形容されるような、囚われている状態とか、本来為すべきことに疲れ果てて逃避としての静かな暮らし、というのは違うよな。

 

でも、為すべき正しいことをした、というのは、思い込みであって、何が正しいかは本当のところはわからない。

さらに、壁の外に出た、自由だ!と思ってたけど、全然自由ではないことを知ることもあり、自分が自由か不自由かなんて、本当のところはわからない、というか、自分と同じように自由意思を持って生きている他人がいる以上、完璧に自由なんてありえない。


何が正しいかわからないけど、とにかく進み続けるんだ、戦うんだ、というのは調査兵団でもよく出てきたポイント。

ただ進み続けることがエレンの場合は、人類大虐殺の暴走だったわけであり、それは圧倒的に正しくない。

 

そしてこの作品が、戦争の不毛さを描いているとして、その不毛さがどこから来るかといえば、お互い信じた正義のために突き進むことにある。

大義も、突き進むことも正しいかはわからない。
虐殺も、自殺も正しくない。

そして、囚われているものから解放されること、というのこそ正しい。


とすると、意外と、すべてを棚上げして逃避して二人きりの静かな生活的な態度も悪くないという話になるのかねえ、とすら思う。まあでも逃避が正しい姿勢ってそりゃあないとは思う。


やっぱり戦えないと勝てない!戦え!戦え!というのは、ある意味正しくて、犠牲を払って戦いぬいたゆえに、ユミルが成仏して世界が救われるのかも?だしな。


そのあたりをうまくまとめてほしいわ。

家畜にならず、意志をもって、戦うことの大切さ。

奴隷にならず、神とかいい子とか愛され女子とか偶像に縛られず、自由でいることの大切さ。

だけども、お前の正しさが、本当に正しいとは限らないこと。

自由を求めた正義の戦いが、化け物による人類大虐殺にもなるわけ。



以上、色々考えたけど、どういう感じで最終話をまとめてくるのでしょうか。

無能な私はさっぱり結論を導き出せず。

楽しみです。



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外見と自信と受容。Mattとローランドとミシェルオバマ(2) [メディアまわり]

(前の続き)
あと男性が女装する場合も、外見はきれいごとではない。
綺麗でなくても、女性に見えればいい。
女性にみえなくても、綺麗だったらいい。
そういう生理的な感性を多くの人は持ち合わせている気がする。というか、私の場合はそうだ。
それはあまりにも似合わない服を着ている人に対する気持ちと同じか。
似合うか、似合わないか、というのは、社会的な影響も受けているし、生理的なものでもある。
とにかく、残念ながら、整形手術をしてでも外見を変えることが、社会的に受容されることとダイレクトに関係するケースがあるんだな、ということを、Mattのケースは突き付けてくる。
ちなみにTikTokを使ってみても、うわーっと思った。
10代にとっては、外見ってものすごい価値なんだった、ということを改めて痛感し、動物的、と思った。
10代利用者の多いTikTokは、ただ外見がものすごくきれいな子がウィンクするだけ、みたいな動画が人気だ。くだらん。つまらん。でも昔は紙媒体でグラビアとか写真集という形として存在してた需要が、TikTokで素人相手に満たされていると思えば、そんなもんだ人間。
もちろんVine王者のブライアンみたいに、センスや面白さが、結局は外見を凌駕するんだけど。
さてそこでローランド。
私はホストクラブに行ったことがない。想像しただけで虫唾が走るからである。
なんで?と言われると、まずホストの装束が野暮ったくてゾッとするし、仮に顔が綺麗だったとしても私が男の外見に価値を見出さないからじゃないだろうか。さらに仮にきれいな顔だと思っても、だからなんだ?である。
イケメンと話をしたいとか、イケメンの横に座りたい、みたいな需要が自分に一切ない。
さらに、一番虫唾が走るのが、ホストが接客する意図は「金づるにしてやろう」「金づるにするために惚れさせよう」というところであることである。
なんでそんなヤツの野心のために、自分の貴重な時間を、彼らに費やさなくてはいけないのか。
無料だとしても、うんざりである。
そこに、真実の会話なんて何もないじゃん。
ただ耳に優しい虚言を振りまいてくるだけでしょ?と、思うからである。
それだったらまだ、同僚とか後輩とかと飲みにいって、彼らの仕事や家庭の愚痴を聞くほうが、よほど対人間として意味があると思うし、場末の居酒屋で知らないオッサンと世間話をするほうがより温かみがある。
そう思ってしまうんだよな。
もちろんローランドくらい、成功した一流ホストだったら、きっと話も面白いし、何かインスピレーションを得るものがあるのかもしれない。
でも、ふつうにただホストクラブに行ってみました、で、出会えるのは、ただの雑魚ホストでしょ?
それに別にホストに行かなくてよくない?
一流の接客術なら、私はたまに美容室で味わえる。
美容室に行けばいいじゃん。
美容師さんのほうが、よっぽどオシャレでカッコいいし、髪の毛を綺麗にしてもらいつつ、悩みを聞いてくれて、けっこう真っ当なアドバイスをくれたり、インスピレーションを与えてくれたりするよ?
そして、そこには変な下心がない。
もちろんお客さんだから、ひどく厳しいことを言われたり、バカにされたりすることはない。
美容師さんにも色んな人がいるけど、接客が上手な人は多い印象。
さてホストは、話術と接客のカリスマだとする。
キャバクラもホストクラブも、ナンバーワンの人は、外見がいい人よりも、話が面白い人らしい。
外見も、ある程度は大事だけど、あくまである程度であって、とびぬけて綺麗である必要はないんだとか。
なのに彼はどうして整形を繰り返す?
調べてみたところ、「あと顔さえ綺麗なら、ナンバーワンをとれる」と思ったからであり、結果としてナンバーワンをとれて、「外見を変えることで、自信を持て、社交的になれ、毎日が楽しくなる。結果的に、中身を変えられる」という持論があるらしい。
ローランドに関していうと、整形前を見ても、整形後を見ても、はたしてこの外見が、世間からの受容度に影響力があったか、私にはわからない。
ホストとしての価値は変わらなかったんじゃないか、私の場合はそう思う。まあ面食いじゃないからかもしれない。まああれか、強いて言うなら、高い金を払って豪華客船に乗る、というのが、ホストクラブだとしたら、客室係が、用務員さんみたいなヨレヨレな服を着た人よりも、ビシッと小奇麗な服装をしているほうがいい、そういう感じの問題か。
ただどちらかといえば、話題性、メディア戦略なんじゃないかと思う。
振り切った、派手な外見は、ほかの凡百のホストと差別化できる。
そして成功したホストのイメージを打ち立てて、印象を残す。覚えられやすい。
そういう意味だと、彼の整形戦略は成功したんだろうな。
浮世離れした目立つ外見を手に入れる、という意味で。
でも結果論かな。目立つだけなら、金髪ロングだけで十分だったかもしれない。
さて、しかも彼の場合は、ホストだから「整形で派手な外見」という戦略がマッチした。
ちょっとギャンブル臭がする業界だったらいいのかも。エンタメ業界に振り切ってるとか、投資家とか。。
以上、長くなってしまったので終わる。

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外見と自信と受容。Mattとローランドとミシェルオバマ(1) [メディアまわり]

ミシェルオバマのドキュメンタリー「マイストーリー」をNetFlixで見た。

私はもともと彼女のファンである。

が、ぼんやりファンであって、すべてをフォローしているわけではないので、今回久しぶりに彼女の動く姿を見たのだが、改めて、なんてはっきりくっきり発音してくれるのだろうと思った。

速すぎないスピード、大きく明瞭な声、発音。私のような外国人が聞き取りやすい英語というのは、おそらくネイティブにとってもスピーチなどで伝わりやすいお手本的な英語なんではないかと思う。


そして、やっぱり素晴らしいのは、頭の回転。

何を質問されても、ウィットにとんだ、感心させる回答をする。

ちょっと笑わせ、そして、感心させたり、感動させたりした上で、きちんと質問の答えになっている。

あふれる自信。でもそんなに嫌みになっていないのは、やっぱりこの回答手腕からして鮮やかで、彼女が有能であり、魅力的に振舞えることは一目瞭然だし、実績にも自信があるからだろう。


そして美しいなあと思うんだけど、彼女は美人とか美人じゃないとか、そういう土俵に乗せられてないと思う。

いや、外見を揶揄されることもあったか。そういえば。

でも、彼女は自己表現をたくさんし、自分はどんな人間であるか開示していったから、そちらに人々が興味関心を抱き、世界中からも中身を見てもらえる人になっていったんじゃないかと思う。


さて、ふとMattとローランドの整形について対比的に思い出した。

まずMattを初めてテレビで見た時、私は気持ち悪いと思った。世間もそういう反応だったと思う。

今は気持ち悪さは私の中でもだいぶ薄らぎ、世間からもだいぶ受け入れられている。

でもこれって、都合の悪い真実だなと思う。

なぜそう変わったかは、私の中では結構はっきりした感覚があって、それはマットが整形完了して、人々が美しいと感じざるを得ない容姿になったからである。

美しいものは美しい。そりゃ認めざるを負えない。そして、なるほど、じゃあこういう在り方もありだね、という流れな気がする。彼は結局、美しさによって世間を認めさせた気がするんだよね。

キャラクターが面白いとか、話術が面白いとか、自分の姿勢を貫く姿がオリジナルで強いとか、、そういうのはもいろんあるけど、そこで認めさせたわけじゃないと思う。

テレビで始めの頃のような、化粧が異常に濃い、中途半端な整形顔は、人々に生理的な嫌悪を感じさせた。

あの顔で芸能界でやっていくならば、やはり芸人として面白さで売っていく方法か、素晴らしい本業の実績で認められる方法か、どちらかがないと、厳しかったと思う。

ただ今の美しさならば、今の話術くらいでも、タレント性がある。

哀しいけど、整形してでも外見がものをいうことがあるんだよな。

そして、それは生理的に受け入れられるかどうか、という時。

そしてその感覚が最も発動するシーンは、やはり「美人」として自分を売ろうとしている人に対してだろう。


ミシェルオバマは美人のように、好きなファッションを楽しみ、堂々と振舞う。
決して、自分の外見を卑下するような言動には出ないだろう。
別に不美人なわけではないし、美人なほうだと思うし。
だが、美人として自分を売っているわけではない。彼女は自分がやるべき仕事をバリバリこなしているだけであり、それは美人かどうかとか関係ない。
でもMattは、綺麗な自分を魅せること、に命をかけている感じがある。
命がけで化粧して、加工して、インスタにその写真をあげること、それが彼の一番の仕事である。
というような売り出し方だったのだから、それが綺麗でないか、本当に綺麗か、は仕事の価値そのものだもんな。



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LULUPANの動画がいい。KPOPの光と影。 [メディアまわり]



おもえば2020年は、冬眠してたかのように、あっという間に終わったが、しいてタイトルをつけるとすると、韓国に始まり、韓国に終わった一年だったように思う。

というのも、私はコロナ禍が始まる直前、最後の海外渡航は韓国。

といってもその当時はまだ、韓国料理が好きで、韓国ファッションとか韓国美容にも興味あるよ!っていうくらいであり、韓国コンテンツには全然興味なかった。


が、思えば、徐々にきてたよな。

パラサイトはみたいなー、くらいに思ってたはずである。

まあ実際見たのは、結構最近、11月だったんだけど、最後、インディアンの羽をつけた父が刺した時の壮大なカタルシスは忘れがたい。

うわーっと、泣き叫ぶように、吠えるように私は泣いた。少なくともそういう気持ちになった。

一瞬であそこまで、私の気持ちを吐き出させる、その演出はすごいなあと、色々韓国コンテンツ見てみてもいいなという気にさせたのは確かである。


で、年末に来て、おひさしぶりのクリスペプラーHOT100でBTSに出会い、、、まあHOT100をほぼ高校生ぶりに聞く気になったのも、それだけ時間があったからというか退屈してたからともいえて、コロナ禍のせいともいえる。ま、在宅勤務のおかげっていうふうにも思える。


あとまあ日本にいてRADIKOが使えるってのが大きいよね!海外在住だと基本はRADIKO使えないから。


前置きが長くなったが、そんなこんなで、韓国コンテンツのクオリティの高さに気づいたところで、LULUPANという人のこの動画に今日出会った。

クオリティがめちゃ高い。現代美術みたいな示唆に富んだ作品。短編小説みたいかも。


日本語が上手だし、オーストラリア在住?らしいが、韓国人のクリエイターみたいだ。

そんな韓国人クリエイターが発信するこの動画。

原作的なものをアレンジしてこの動画を作成した、フィクションだ、というのはもちろんわかるのだが、韓国人が作成したとなると、リアリティがある。

というか、ものすごいリアリティを持たせている。

手術シーン、化粧シーンの気合の入り方が本気である。

昔の少女漫画みたいに、すごくアレな子が、整形手術で美女に生まれかわるー、、というSF的なざっくりしたものではなくて、ごくごく一般的な普通の容姿の子が、どこをどう変える整形をして、どこをどう強調した化粧をすれば、絶世の美形アイドルになれてしまう、そのすべてが超リアル。

涙袋メイクから、整形手術後の腫れた目までリアル。

肩の脂肪吸引で肩回りスッキリして、でも首にまで赤あざがっつりなのをファンデで隠すとかもリアル。

KPOPスターって、やたら顎が細くとがっていて、唇ぷっくりがお約束だけど、ああいう手術をするのが一般的なのか、という知見も得た。

さらに派手で人工的な髪色というのは、整形で人工的になった顔や、濃いメイク、カラコン、白めに塗り込んだ肌などを人工的に見せない、という意味で重要なんだなと改めて理解した。

さらに髪色が変わることで、一気にスター感が出る。


デビュー前の朴訥とした一重に眼鏡の素朴な女の子は、本当に韓国にものすごくたくさんいそうな顔であり、さらにデビュー後の顔も、もうまんま韓国アイドルにいる感じの顔。


でも本当に泣けちゃうの。

アイドルに憧れる素朴な女の子が、歌とダンスのレッスンと、整形による完璧な容姿を、事務所の教育と援助で手に入れて、いざデビュー!という頃には、もう後戻りできない。

ここまで投資して育てた分、今やめたらペナルティ。でもスターになるなら、わかってるだろ?

そしてマスカラがにじんだ黒い涙。ここもまたリアリティ。

女子のリアルな涙は黒い涙。

この子はデビューできただろう。売れたら幸せになれるかな。

その前に精神がまいるのだろうか。


KPOPを楽しむということは、こういうことでもあるという後ろ暗さが私にはある。

なんというか、いたいけなティーンエイジャーの、アイドルになりたいという可愛い夢の影に、

こういう話は何百も転がっていることは想像できる。


もはやYOUTUBEで、ビフォーアフターを山ほど見ている私たち。

ものすごい落差のあるすっぴんをさらす人、整形をカミングアウトする人にあふれた現代。

完璧な顔の美少女も、化粧をとればただの人。整形前はただの人。スターだって例外じゃない。

顔なんてその程度の問題だということをすでに知っているのに、それでも最大限盛ろうとするタレントを、当たり前に消費する。



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NHK ドキュメント72時間 千里浜 なぎさドライブウェイ [メディアまわり]

なんとなく見ていたことは何度もあるのだが、今日初めて番組名を認識。

テレビの底力よね、やっぱりYoutubeとか個人には出せないハイクオリティだなあと思う。

すごく良質なドキュメンタリー映画を見た気持ちになる。

というか、実際それに近いもんね。


毎回、場所を決めて72時間定点観測して、そこを訪れた人にインタビューするっていうものなんだけど、

今日の回は千鳥浜なぎさドライブウェイ。

砂浜が硬く固まるので、自動車で波打ち際をロングドライブできる珍しいビーチらしく、車好きの間では知名度があるらしいのだが、空いていて、とてもいいところ。


いつもそれなりに印象に残ったりするのだが、今回は私的にかなり刺さったので、覚書。


まず番組がすばらしいのは、30分番組と思えない密度の高さ。

おそらく10組以上の人のインタビューしているのだが、今日は何しに来たの?という切り口だけなのに、

なぜだが彼らの人生を感じさせるのは、場所選びがうまいからか。

こだわりがある、通好みっぽい場所には、やっぱりこだわりのある人がこだわりを持って訪れるからか。


そして、それぞれみんな興味深いのだが、さらっと次に行くところがいい。

意図的な感じ、説教くさい感じがしない。


さらに老いも若きも、一人で来ている人も、二人連れも、カップルも取りあげる。

そこがまた中立的な感じでいいのだ。


カップルの男性が、相手の女性を喜ばせるためにふたりで訪れるなど、誰かが誰かを喜ばせようとして

連れてくる感じとか、忙しい日常の中でゆっくりとした二人の時間をもとうとやってくる感じはとてもいい。


さらに一人でくる人もとてもよくて、忙しいであろう仕事の合間をぬって、またはその休日に、

極上の瞬間をもとうとする、その心意気をもてる余裕と行動力がいいし、愛車と海と最高じゃん、と思える趣味人の人生観みたいなものもいい。


そして本当にいろんな人生があって、若い人も、老いた人も、中年も、みんな人生頑張ってるなあ、と思えるのがすばらしいところよね。


だけどまあ一番自分に刺さったなあと思ったのは、以下の場面。


バタフライで海を泳ぐ80歳。その時点でただモノじゃない感じ。

石川プラントだったか?おそらく海外に色んなプラントを建設する会社?で働いてきた人で30カ国で働いてきて、現地のいろんな海で泳いできたという。ここはいい、海外を思い出す、ロサンゼルスの海っぽいという。


カメラをセットして星の撮影を試みている建設会社を経営する50代くらいの男性。

中学生の時に自転車でこの海に来て、夕陽のきれいさに感動して泣いた。

足を運ばないとわからないことがある。無駄足かもしれなくても行ってみるべきだ、と。


すっぴん眼鏡部屋着で海辺の片隅でスマホをいじってた20代前半の女性。

焼き菓子のパティシェだが、腱鞘炎で手が動かなくなりやむを得ず休職して、実家に戻ってきているという。

見れば腕には焼けどが治った後もある。仕事中のケガだったという。

仕事はとても好き。お菓子作りも好きだが、あげた人の喜ぶ顔を見るのが好き。

でも手が動かないから、ままならない。


BBQする50代のカップル。

交際歴は17年だが、結婚歴は1年。性格的に合わないところもあるし、お互いに仕事優先。

今まで何度も別れそうになったこともあるが、なんだかんだいって結局ずっと一緒にいるので、

昨年入籍することにしたという。


さて、でも一番心に刺さったのは、80歳バタフライの人。

ハードコア日本人、という言葉がふと浮かんだ。

私の思うハードコア日本人といえば、まずムツゴロウさん。

最近メディアに露出しないのでふと心配してググったら、去年くらいのインタビュー記事が

出てきて、まだ頭も体も達者なようで、安心した。

私は結構人生の初期でムツゴロウスピリッツを注入されているし、今彼のインタビューを読んでもまだまだ全然おもしろい。

頭がすこぶるいい人が、自由な考えと、行動力を持っていると、本当に面白いよな。


ホリエモンの話とか聞いていてここのところ思っているが、東大生は体力にも優れているケースが多いと思う。

もちろん頭も飛びぬけていいので、教科書を読んでそれを理解する速度がとびぬけて早く、しかも一度読んだら記憶できてしまう、というタイプの人もいるだろう。

だが、もちろん頭もいいが、それに加えてテスト勉強を計画通りに迷いなくぬかりなく遂行する力が高い、という要素が高い人も多いようだ。

そしてそれは、意志が強い、集中力が高い、などが言えそうだけど、それって結構フィジカルの問題でもある。


と、話は飛んだが、80歳の人みたいな人生に憧れる。

まだまだ海外旅行が一般的でなかったような昔のアメリカ駐在員とかは、今よりもっとかなりのエリートだったらしいが、それが80歳になった時の行動力にも表れているのがすばらしい。

海で一人で海パン一丁でバタフライ、というスピリット。

一流企業のサラリーマン、だけど、プラント建設という、どこかしら夢があって現場感満載な感じが、サラリーマンでありながらも、開拓者的な強さにつながるのか。


あと、最後に、もうひとり80歳くらいの読経している人が出てきて、50年間海外で修行していたが、コロナでやむなく帰国したという人だった。


老人をひとくくりにすんなよ、と本当に思う。

それと同時に、普通のおばさん、とか、普通の女の子、とか、そういうステレオタイプも本当崩されることを祈ってる。

もちろん、みんな属性どおりの一面は持っている。

誰だって、孫大好きな普通のじいさんの顔とか、オシャレ大好きな普通の女子の顔とかいった顔を持っているだろうが、それで「あああの人も普通の〇〇なんだ」ってわかった気になるのが早すぎるのは、自分や自分の同世代の人間と同じだということだなあ。


が、とにもかくにも、老いも若きも、日本人、いいねえと思えるのはいいよな。

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BTSジミンと若乃花が似てる!? [メディアまわり]

BTSが米billboard1位の快挙は本当にすごくて、日本の夜のニュース番組でも、所属事務所の上場や株価なんかと同時に、BTSの何がすごい?どこが魅力?という解説付きで、dynamiteのPVがかなり長いこと流れたりするぐらいの取り上げられ方である。


だが本当にすごいことだ。

特に、サイとかピコ太郎みたいな、アジアの面白いおじさん枠ではなく、マジモンにアイドルとしてカッコいい!と世界中に思わせた功績は大きい。

私も、初めてdynamiteを聞いた時は、アメリカの王道ポップとしてキャッチ―だと思って、韓国アイドルの曲!?とびっくりしたくらいなので、曲のキャッチ―さ、出来の良さというのがもちろんあるのだが、それ以上にアイドルとしての魅力が確固たるものとしてあって、人気のようなので、それが気になって仕方がなく、色々調べているうちに、私もBTSの魅力がわかってきた。


あと、いくらBTSが世界的人気といってもアメリカの世界でもっとも美しい顔ランキングで、BTSのテテが1位というのも、すごい快挙だ。

そして、どうなってるの!?アメリカの美的感覚??というのもよくわからなくなった。


そこも、そんなに彼は美しい顔だろうか?と気になってチェックしてしまったポイントである。

どうせ韓国だし、全員整形なんじゃないかとも思った。


が、チェックしていくと、そうでもないのだ。

いや整形はある程度はしているだろうが、そこまででもないのである。


そして韓国の美的感覚、アメリカとか西洋的な美的感覚、日本人としての平均的な美的感覚のズレはかなり興味深くてかなり考えこんでしまった。


しかしまあ、本当に快挙だと思うのは、BTSが化粧をしてることも、世界で受け入れられていることである。

BTSの魅力の打ち出し方だが、きれきれのダンスとか、腹筋とか、マスキュリンな魅力も打ち出しているが、化粧してたり色白で細かったり、意外と女性的な魅力もある、そしてメンバーのけっこう多くが一重だったりして、うまいこと東洋美をアピールできているとことが、本当に同じアジア人、東アジア人として、人種差別のアピールとして細い目を侮辱されたりする立場の人種の人間としては、本当に素晴らしい快挙。


特に本場韓国では一番人気、米国でも1、2を争う人気のメンバーであるジミンなんて、化粧でかなりカバーやファッションでかなり底上げされていたり、歌って踊れてスタイルがいいとかを置いておいても、よく見たらあの腫れぼったい目はどこかがで見たことがある・・と、よーく考えてみたら若乃花だったりして、日本ではけっして美しい顔認定されないような顔であるにも関わらず、世界で美しいと認定され憧れられるとうのは本当に素晴らしいことである。


もちろん、一重の目には魅力がある。

日本でも、塩顔とか醤油顔とかいって、昔から、西洋的なくっきり二重と人気を二分してくるほど、それはそれで魅力的なのだが、ともすれば今なんて多くの一重女子が二重整形することがかなり一般的になってしまっている日本。。

そんな中、私たちの生まれ持った美を再確認させてくれる存在としてジミンは素晴らしい。


しかし韓国。

もともと日本よりも、人種の幅がせまくて、国民全員わりと似たような顔をしているということはあるけど、

メンバーの顔が見分けがつかなくて困った。

が、だいたいわかるようになってきたが、、、しかしながら、アイドルグループの人選として、

顔は二の次、歌とダンスと表現力、プラス、、なんといってもスタイルを重視してるんだなーと思った。

メンバーの中で一番身長が低いジミンで175㎝とさ。

やっぱりステージパフォーマンスをする上で、ちんちくりんでは頂けない、ということか。

顔はあとからでもいくらでもお直しできる、という発想も韓国アイドル業界ではあるときいた。

そう考えると、整形大国ゆえに逆に顔重視ではなく能力重視というのは、なんだか逆説的だがすばらしいかもしれない。

なんてことをつらつら考えてしまった。


が、本当に一重の復権!と思いたい。

大阪なおみも、雑誌で表紙やったりしてるし、アメリカでは東洋美といえば切れ長の一重だということが逆輸入されて、日本でも認識があらたまるといいね。

まあ私は生まれつき二重なんだけどもさ、とくに西洋人が東洋美をもっと理解してくれるというのはうれしいし、日本人やアジア人が生まれ持っての美にもっと自信をもてるようになったらうれしい。

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ムツゴロウさんとフェフねえさん。 [メディアまわり]

ふとムツゴロウさんのことを思い出す。

たぶん、何かの関連で彼の話題が出たのかも。

最近メディアで見ないけど、死んだか?





と思ったら、以下のインタビュー記事を見つけた!

良かった、少なくとも去年の時点では元気。

でももう85歳オーバーか。


彼には死ぬまで面白い本を書いてもらいたい。

ムツゴロウさんは引き出しがいっぱいあるから、彼なら出来るはず。


このインタビュー記事も面白かったな。

天才でバイタリティがすごい偉人。


勇気とヒントをくれる人であり続けている。


さて、あとフェフ姉さんはやっぱりすごい。

みんなに勇気と感動を与えてくれる人という意味では、先日の月曜から夜更かしでキックボクシングで

戦う姉さんは、私が人生で一番泣いた映画、百円の恋をリアルでいくような素晴らしさ。


身体も引き締まってたし。

今後が楽しみだな。

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ジェーン・スーの就職面接へのアドバイスが秀逸だった件。 [メディアまわり]

ジェーンスーの生活は踊る、というラジオ番組を聞いていたら、今日面接があるという女子からの相談があり、それへのジェーンスーのアドバイスが最高だった。


 


有村架純を憑依させろ!


彼女が面接に来て、とらない会社なんてないでしょ?と。


 


ズームなら画角を注意しろ!


血行を良くしておけ。


能力なんてわからないのだから、なんでも一生懸命やってくれそうな人、という印象は大事。


 


割り当てられた役をちゃんとやってくれる人。


めんどくさくない、楽しそう、一緒に働きたい人。


 


一生懸命、けなげ、まとも。


 


面接官もプロではない。


ただ一緒に働きたい人を求めている。


 


あとは、対等である。ということ。


意味もなく笑わないし、ニコニコしないこと。


それはへらへらしてると思われ、自信がなく見える。


へらへらせず、自信をもってプレゼンする。


 


すごく一緒に働きやすそうな人の役を演じるのが得意!


スーさん。


 


二階のベランダから自分を見るくらいの距離で自分を見ると、自分をうまく操ることができる。


 


満員電車の隣の人くらいの見る距離で見ると、焦るばかりで毛穴みたいな欠点しか見えてこない。


 


アシスタントの男は、同じこと言われた―、愛想笑いしてると指摘されて、今は克服したというけど、じゃあどうやって?ということに対して、えー、自然にできるようになった、というだけで、なんのアドバイスにもならない発言。


なんて使えない男!


 


それにたいして、スーさんのアドバイスは120点!


 


ここまでのアドバイスができる人はなかなかいないでしょ。


しかも、今日面接という、心構えがとにかく大事、という人に対して、とても適格。


 


しかもやっぱり、頭がいい。自分についても冷静で客観的になれてるんだなとおもった。


 


実はくしくも私も面接だったのだ、その日。


それはそれは身に染みる、実践的に役立つ面接直前アドバイス。


 


私の場合は個人的に、アレンジを加えよう。


有村架純は、若い女子向け。私はふと、高橋尚子あたりを憑依されるのがいいなと思った。


彼女は素晴らしいと常々思っていたから。


謙虚だが、快活で、自信もあふれており、話も明快で分かりやすい。


 


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完璧な青年の自死-助けてということも勇気 [メディアまわり]

三浦春馬さんが、自宅のクローゼットで首つり自殺をしたという昨日のニュースには、私も息をのんだ。


息をのみながらも、なんとなくテレビをつけていて、竹内結子と長澤まさみが出ている映画なのかドラマなのかわからない面白くなりそうな、面白くならなそうな番組を見ていたら、華麗に三浦春馬が登場して、またもやなんとも不思議な気持ちになった。


つい最近もNHKでJUJUと三浦春馬がマルタ島のデザインなどを紹介しているのをボーっと見ていたばかりである。


木村花さんの硫化水素自殺に皆がショックを受けたのはついこの間のことである。


もちろん木村花さんの自殺も痛ましく、ショックを受けたが、今回はなんかもっと衝撃を受けた。


というのも私はテラスハウスを一度も観たことがなく、木村花さんのことも、知らなかった。

ただテラスハウスが超人気番組で、なんなら蒼井優はテラスハウスの大ファンで、テラスハウスのコメンテータをしていた山ちゃんがそれをネタに交際にこぎつけたというくらいで、そこに出演している人が時の人であることは理解していたくらいであり、そこでおそらく強要されたであろう演技が、本人の人格だとして日本中の視聴者から、憎しみを向けられ、SNSで攻撃された。


リアリティ番組でヒール役に仕立てられた駆け出し、売り出し中のタレントが自殺する。

そんな世界中で起きている社会問題が、ついに日本でも起きた。

SNSによる人殺し。

編集次第で、いくらでも都合よく仕立て上げられる真実。



そういう文脈のショックもある。

彼女の個人的資質に起因するものではなく、誰でも同じ立場に追い込まれれば危うかったのではないかという気がする。

救えた命だった気がするし、群衆が彼女を殺したという恐ろしさがある。


ただ三浦春馬の場合は、色々な不条理や無理を強いられても売れるためには飲むしかないかもしれない、弱い立場の駆け出しタレントではない。


ふつうによくテレビで見る、つまり芸能界の第一線で安定的に活躍している真っ最中であり、

鵜の目鷹の目の芸能界においても、安定感をもって神々しいようなポジションにいた印象がある。


頑張ってしがみついているという感じではなく、当然のごとく席を与えらえていた感じ。


それはただルックスがいい、ということではなくて、何かしら非凡な人を惹きつける透明感や存在感があったからだろう。

さらに年を重ねて、30歳になって、NHKのトーク番組で進行役を務めている姿を見ても、知的で謙虚で、安定感があった。


なんの素振りもないまま、鮮やかにいってしまったからこそ、衝撃なのだが、そういうことか、と思ったりする。


それこそが彼が逝ってしまった原因のように感じる。


村上春樹の小説にもよくあったと思うが、ほかの誰かの体験談でも聞いたことがあるように思う。


優等生で、人望も篤く、将来が約束されていた、朗らかに人生を謳歌しているように見えた眩しかった同級生がある日突然なんの前触れもなく、自殺を遂げたという話。


つまり、完璧すぎるじゃないか、よく考えてみたら。


子役上がりで、今の今まで一度もぐれる素振りも見せず、スランプの素振りも見せず、キラキラ輝き続けたまま、まじめに誠実に謙虚に、大量の仕事を笑顔でこなし続けてきた。


もちろん19歳頃に「俳優をやめて農業をやりたいと思ったことがある」とか、「助けてと誰かに言うことも勇気で、それができたらまた一つ大きくなれると感じた。やっと20代後半になってからだけど。」とか、もちろん苦しかったんだろうなということを多少は表現してるけど、結局はみっともない姿を世間にさらすことない範囲で、乱痴気騒ぎをするでもなく、わがままを言ってみるでもなく、出来すぎた子役の謙虚さで自制して、自分で乗り越えてきたんだろうと思わせる。


立ち居振る舞いにスキがなく、360度完璧に見えるということは、つまりそれだけ常に他人に求められる自分であろうと、張り詰めたストレス度の高い生き方だったのではないか。





誰でも、忙しさやいろいろなものに負けそうになって落ち込んで「よくわからなくなった、逃げたい!」となるかもしれません。でもそこからさらに頑張る、というところまでいかないとだめなんだと、僕は思っています。



これは2013年の彼の弁ですね。

かなり頑張ってる生き方だと思う。


「助けて、というのも勇気、それを言えたら」というのが、2020年4月の彼の言葉ですね。


なんとなくですけど、もう「助けて」と言わないと自分自身もたない、やばいというのは感じてるけど、結局言えなかったのかなと感じてしまいます。


ブラック企業勤めで、ある日、電車に飛び込もうとして危なかったという人のTwitter漫画を読んだことがありますが、逃げたい、辛い、でもまだ頑張れる、、、を繰り返してるうちに、だんだん視野狭窄がおこってくる。


逃げ道はどこにもない、自分には茨の道を歩き続けるしか選択肢がなく、でももう無理だ、もう歩けない、楽になりたいと思った時に、選択肢は「死」しか思いつかないところまで来てしまう。


わかりません。


ただあともう一つショックを受けたのは、「自宅のクローゼットで首つり」という具体的な報道。


自宅で死亡が確認されました、遺書のようなものが見つかっている。


だと確かに人気者であればあるほど、病死か、事故死か、暗殺か、など疑惑を呼ぶだろうから、きちんと疑念の余地がない形で報道するのは、いいことにも思うが、一方で自殺願望を持ってる人たちにインスピレーションを与えてしまうのでないか、、青少年に強烈なインパクトを与えすぎではないかと危惧してしまう。



ただ逆に、苦しい、辛い、と今現在思っている人たちに、逆のインパクトを与えたかもしれない。

つまり、どんなに人生に成功していて、若さも健康も仕事も名声も金も美も能力も、すべてを持っているように見える人だって、他人からはうかがい知ることができない苦悩がある。

首吊り自殺のほうを選ぶくらいの苦しさがあった。


自分ばっかりが苦しいように感じて、近視眼的になってた人は、誰しもが己の地獄を抱えていることに気づいて、人にやさしくなれるかもしれない。


そして、あまりにも勿体ない彼の選択に、逃げたってよかったのに、無責任と思われようが、人格を疑われようが、甘えてると思われようが、居場所がなくなろうが、どこかでひっそり生きてさえいれば、また生きたいとおもえたり、やりたいと思えることが見つかったり、やれると思う道が見つかったりしただろうに、とだれもが思うだろう。

それをきっと、己に当てはめることもできるんじゃないかね。


期待を一身に背負っている人であっても、もちろん、期待を全然背負ってない、誰からもたいしたことを期待されてない人だったら余計にハードル低く逃げられるんだよ。


みんな逃げよう。

それが、逃げるハードルを低くする日本社会の構築につながる。


東南アジアを見てみろよ。

みんな、嫌だと思ったらいとも簡単に仕事を辞める。


そうやってみんながさっさと辞めるから、ジョブホッピングなんて当たり前だし、

逆に次に人を雇う時だって、「この人、前の会社をすぐ辞めた」とかは日本ほど厳しくマイナスにならない。


さらには、出戻りさんにも寛容だったよ。

つまり一旦やめて、また同じ会社に戻ってくるとかに対しても、寛容。


あとは、バッシング耐性をつけよう。

昔のように土地に縛り付けられる生き方をしていたら、村八分になったらかなり苦しかったかもしれないけど、

今はもっと軽やかに生きていけるはずだ。



NOというようになったら、逃げたら、誰からも好かれるということはなくなるだろう。

そして悪口も言われるかもしれない。

悪口を言われる自分を許容する。

それでもNOといえた自分を好きでいる。

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信長役は窪塚洋介かカズレーザーか小藪。 [メディアまわり]

信長役は窪塚洋介かカズレーザーか小藪だな。


という私なりの結論。


染谷将太の信長は見てないんだけど、見たくない。


やっぱり信長はあまりにも肖像画の印象が強いから、せめて面長の俳優に演じてほしい。


と思ったけど、面長であって馬面ではない俳優というのはなかなかいないもんなんだね。


さらに面長でも、骨ばってたり、目が大きかったり、唇が厚かったりするとなんか違う。


さらに好青年感とか、いいひと感、まぬけ感があるとなんか違う。


一筋縄ではいかない、という感じがないといけない。


顔や存在感的には、窪塚洋介一択なのだが、NHK的にありなのかとか考えたり、年齢的にもっと若いキャストが必要だとすると、なんとかカズレーザーかなという結論。


という無駄なことを考えることに時間を使っちまったよ!


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