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映画「君たちはどう生きるか」感想。

水曜日、家から自転車で10分の映画館で1300円。
ガラガラ、観客は7人。

さて町山さんが褒めてたので見にきたんだよね。
老害化したといわれる宮崎駿だけど、まだまだ創造力は衰えていないと。

で、観たのだが。
うーん。。。
途中までは楽しかったけど、途中からだんだん飽きてきた。
どんどん次から次へと場面展開して、新しい登場人物が現れるけど、結局いろんな意図がわからないまま、最後までいくじゃん。
途中までは、ワクワクが引っ張られてたけど、全然回答がないまま、移り変わっていくから。
「君たちはどう生きるか」を読んだことがある人であれば、意味がわかるのかな。

私は読んでないこともあって、そもそも何で夏子さんが森に入って行ったのかがわからないし、お産を異世界でしようとしてるかもわからないし、積み木が積み木じゃなくて悪意に満ちた?(忘れた)の石だ、とか言っても、全然ピンとこなかった。

そもそも私の作り上げた世界に後継者を、それは血縁者でなければならない、とか言ってるのも、血縁者じゃなきゃならない理屈が不明。
ただのいかにもな因習的なそれっぽさでしかないなと思ったわ。古くさい。

まあ終わってみれば、意味がわかる部分も多少ある。
結局、主人公は、お母さんの死を受け入れていなくて、突然、父親が後妻を連れてきて、お腹に赤ちゃんがいて新しいお母さんだと言われても受け入れられない。
そりゃそうだ。思春期前期。12歳くらいの子。
その子が、お母さんの死と、新しいお母さん、弟の誕生、つまり生と死を受け入れるための冒険譚なんだよね。
お母さんは自分を産んだことで、自分の生に意味があったと言ってくれる。
後妻は、お母さんにとっては可愛い妹。
その後妻がまた命をとして自分の弟を産もうとしている。
そういうことから、感覚的に、命の移り変わりや、命の尊さを受け入れて、強く生きていこうとするんだな。
その主題は素晴らしいようにも思った。
だけどその主題を伝えるために映画として完成度が高い、うまく構築されているかというと、うーん・・・と感じたし、素晴らしい映画だった!という感覚は全く覚えなかった。
「微妙」と「まあ良かった」の間くらい。「まあいいんじゃない」って感じか。
「良かった!」とか「すごく良かった!」「素晴らしい!」とかの感想はとてもとても。

例えば、「どう生きるか」と言われて、「友達をつくります」って突然答え出すのもよくわからない。
あと下世話っぽくてある種見下してた使用人の婆さんたちが、実は凄くタフで勇敢で心が広くて、自分を見守ってくれている友達のような存在だと気づく、という流れなんだと思うけど、その流れもよくわからない。
あとお母さんの少女時代と恋をする・・わけではないんだろうけど、まあ友達になるということなんだろうけど、まああの感じも、マザコン的でちょっとした気持ち悪さ、都合の良さはある。
誰だって、死んだお母さんが出てきて、「お母さんはあんたを産んで幸せだったのよ!」と言ってくれたら、嬉しいけど、だいぶ都合がいい。
さらにその上、美少女の姿で現れるまでくっつくと、ちょっとなあ。

あと、夏子さんが「あんたなんか嫌い」と叫ぶのに、「夏子母さん」と呼んであげてまでこっちに引き戻そうとするのも、なんか子供の方に気を遣わせすぎている設定だなと思う。

子供は生きていくために、自分の境遇を受け入れなければならないところはある。
それはそうだけど、母さんが戦争3年目で死んで、4年目には父さんに後妻、お腹には赤ちゃん、しかも母さんの妹って、だいぶ気持ち悪いわけで。

君たちはどう生きるか、というのは、結局、現状を受け入れて強く生きろということなのかな。
でも夏子さんの気持ちや状況は一切語られないし、表現されてないよね、この映画。
ただ自分の世界に闖入してきた綺麗な異物、無理やりおもんぱかれと周囲に強制される存在としてしか表現されてない気がする。
主人公に受け入れられていないことを気に病んで家出したんだとしたら凄くこどもっぽいし、それを主人公の方が大人になって「母さんってよんであげる」ってことが解決なのだとしたら、そうなのだろうか。
そんなのはまやかしで、その場ではおさまったとしても、表面的なもので、大人になってもどこか遠慮した関係性が残ると思う。

理想は、ちゃんと夏子と主人公の間で、一緒になにか作業したり、その中で何か作業の知恵を教えてもらったり、苦難を乗り越えて支えあったりすることで、友情なり、なんらかの信頼関係が芽生えることだ。
それこそ、キリコさんだっけ?との間に芽生えたようなものが。
またはぶつかり合ってもいい。
でも、この映画のぶつかり合いは、なんか抽象的すぎて意味がわからないし、一方的に主人公が大人になってあげるだけど、夏子の方に理解や成長が見られない。
夏子は、突然、思春期の子の母親になるわけだから、本当はそこでもっと精神的にタフに、心が広くならないといけない。

その辺は気に食わない。
まあ宮崎駿にありがちだ。
女性を美化し、女性を客体化し、女性の心理を無視しきちんと描けない。
男の側の思い込みによって物語を完結させる。
やっぱり感性が昔の人だから古いんだよな。
男の側の自己満足で終わってる点について、女性が鑑賞すると、一抹の不満が残る。
ただまあ、宮崎駿のいいところは、それでも男勝りの強くてカッコいい女がいつも登場するので、そういう女に対する憧れとリスペクトがあるところだ。
いつもとは言わないけど、高い確率で一番カッコいいヒーロー的ポジションは女が持っていくことが多い。
今回だって、一番のヒーローはきりこさんだし。
お父さんも、節穴のぼんくらとして描かれるし、大叔父様もなんか時代錯誤なボンクラ感。

まあでも強い女、主人公を助けてくれる少女、という宮崎アニメあるある登場人物でもあるけどな。
あと大したきっかけがあるわけでもなく偶然のように、どんどんよくわからない異世界に連れて行かれて、というのも千と千尋の神隠し的な感じか。
不思議の国のアリスの宮崎版みたいな。
あと思春期前期の子が、とにかく訳もわからず働かされるが、働く中で世の摂理を学ぶというところも千と千尋に似てるな。
まあそれは確かにあっていいと思うけど。
だって、生きるということは何か、結局、食わないと生きていけないわけで、食うためには汗水垂らして働かないと食えない。それから自分では左右できない自然条件とか、他者の存在とか、そういうものの機微を察知して戦ったり逃げたりして民は生きてるわけで、でもその中で思いやったり助け合ったりして生きてる、そういうのを、坊っちゃん嬢ちゃんがその状況に入り込むことで身をもって感じる、学ぶというのはとても大事だし、観客のこどもたちにも擬似体験してほしいんだろうね、それは古いとかじゃなくて間違ってないと思う。
生きることの本質は古今東西変わらないものね。

あと1つ擁護するなら、やっぱり男としては「女は不可思議な理解できないもの」な訳で、それを理解できないながらに、それでも生命を命をかけて産んでくれるすごい仕事をしてくれるものとして、丸ごと受け入れよう、という努力、姿勢を映画にしてるのかも知れないと思った。
まあその時点で、宮崎駿は全然女性を理解できてないし、女性を話が通じる「人間」として見てないし、女性=話が通じない異次元の生命体、と思っているのが明らかだ。
だけど一方で憧れ崇拝してる面もあり、、まあこういうタイプの男というのはいるし、そういうタイプの男、宮崎駿の同族のための映画という側面が結構強いんだろうな、この映画。

まあでもよ、夏子さんが、そういう「得体がしれないが、崇高で守るべき存在」として丸ごと受け入れるべき女という存在を体得しているとするならば。
結局無理に「夏子母さん」と呼んであげるけど、母としてではなく、「女」として主人公は受け入れるということになり。なんかそれもな。
そういえばきりこさんが、「坊ちゃんはお嬢様が邪魔なはず、いなくなればいいと本心では思っている。それなのに何故探しにいくのだ」と尋ねるシーンがあったな。
それに彼は正面切って答えてはないと思うけど、多分主人公の気持ちを代弁させてるわけじゃん。きりこさんに。
それに何度も、「夏子さんはお前のなんだ」みたいな問いがあり、そのたびに「お父さんが好きな人」と答えるよね。
自分は好きじゃないけど、お父さんが好きだから、仕方なしに自分も受け入れないといけない存在。なのになんで探しにいくのかといえば、自分のひっそりとした悪意が通じてしまったのでは?という恐れみたいなものだと思うんだよな。
「お母さんなんて死ねばいい」と思ったら、本当にお母さんが死んでしまった。
そんなつもりじゃなかったのに、、みたいな。
自分の悪意に対する良心の呵責。
思春期であれば、そういうものに対して一番敏感になる時期な気がする。
まあでもなあ、良心の呵責に苦しんで、だから受け入れるって、やっぱり一人相撲だな。
その過程が合理的ならいいんだけど、なんか今ひとつ弱いような。「お産は大変」で全てを説明しようとしてるかのようだけど、産屋のシーンがお産の大変さを表現してるようには今ひとつ思えなくて、ただの理不尽なシーンに見えちゃうからなあ。

いやまあでもよ、子供を子供扱いしてないのかもしれないな。
12、13歳くらいとなれば、甘えを捨てて世の摂理を知って、守り育てて貰ってきたことも自覚し、しっかり自分の足で立っていけよ!という子供時代との訣別して青年として自立せよという意図もあるのかな。

あと大叔父様が作り上げてる世界。
ほとんどインコに支配されてる世界。
あの世界に何の意味があるかも謎。
別にとりわけ平和な世界というわけでもなく、とりわけ残酷な世界というわけでもなく。

大叔父様の、カビも生えるし・・・で、世界は永遠に完成しない、ずっとメンテし続けないといけない、でももう少し安定させることはできるはず、という言葉は印象的だったけど、ただの趣味なんかな?よりより世界を作り上げる、天下統一的なゲーム?

一個すごくいいなと思ったは、お家、風景、世界観。
宮崎駿が描きたい世界観を詰め込んだのかなと思うほど、集大成的に、素敵な世界観がいっぱいだった。
まず、超格好いい、古き良きお屋敷、日本家屋。
広大な庭園、その敷地内、離れに古いこれまた雰囲気のある洋館があって、さらに謎の古城のような廃墟の塔があるとかたまらないよね。
家具の配置、壁紙、照明とか、インテリア図鑑を見ているかのように楽しめた。
さらにまた、きりこ?の家もそう。
見晴らしの良い高台の庭があって、家のインテリアも中世の家っぽいまた違うコージーな魅力があって、緑色のペンキで塗られたダイニングテーブルとかね、またそれに見合った可愛いインテリアなんだな。
ひみの家も然り。またちょっとタイプが違うんだけど、これまた素敵でコージー。
あとところどころに出てくる、花が咲き乱れる森とか、石で渡っていく静謐な湖面とか、たまらない素敵な自然環境としての世界観も、すごく美しく豊かに描かれているよね。
白い命のもと、ふわふわだっけ?が舞い上がってく夜空も、タイのロイクラトン、灯籠あげのような、または蛍が舞うような美しさで、世界の美しさ、しかも自然の営みの美しさと人の営みの美しさ、両方を描いている。

あとはエンディングテーマが、地球儀、米津玄師だったの初めて知った。
この曲、聞いたことはあったけど、歌詞をちゃんと聴いたことなかったんだけど、映画のために書き下ろしたのかな。だったら歌詞もちゃんと映画に沿ってるんだろうな。
あとで聴き直してみたい。
最後の方「手放した悲しみも」「手が触れ合う喜びも」のところは映画のテーマに沿ってるなと思ってジーンとした。
結局そうやって強く生きていくしかないんだよな。
悲しいけど手放して、また新しい存在と手が触れ合うこのと喜びを感じて、人生は続いていく。

さてここまで他の人の感想とか一切見ずに、感想を書いてみたけど、世間の評価はどうなんだろうね?
しかし宮崎映画って、そもそも子供向けのアニメなのだし、こんな大の大人が真面目に正面切ってみるもんじゃないのかも。期待しすぎたのかな。

それでも、ハウルの動く城とか、もののけ姫とか、いくつかの作品よりは良かったと思うし。
まあどっちも正面切って見てない、どちらもテレビで放映時に流し見だったから、正しく評価できてるかわからないけども。なんか別に、という感想を持った記憶。
テーマやメッセージはなんだっけ?みたいな。
それに比べれば、メッセージはしっかりはっきりと伝わってきたし、よいメッセージだと思った。
自分の中にも悪意はある、悪人も善人もいない、完璧な世界はない、世界は移り変わる、それでもその欠陥や変化を受け入れて、周りの人と手を取り合って友達を作って強く生きていくわっていうね。

今一度ナウシカ観たいかな。
映画を観た当時、子供だったから圧倒されたけど。
それに漫画は大人が読んでも素晴らしいけど。
映画はどうだったんだろうか、と今一度。
おそらく映画も結局宮崎映画史上、最高傑作なんじゃないだろうかと思うんだけどな。。
世界観といい、テーマといい。

とはいえ子供が見て喜ぶか、子供が見て面白いか、という子供に人気が出たという観点だと違う映画に軍パイがあがるのかもしれんなあ。
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