「運をつかむ習慣」 BY president [読書メモ]
運をつかむ習慣 (プレジデント2022年 2/4号【新春特別号】) [雑誌]
- 作者: PRESIDENT 編集部
- 出版社/メーカー: プレジデント社
- 発売日: 2022/01/14
- メディア: Kindle版
ちょっと心弱ってるので、ぱらぱら、そしてメモ。
「運をつかむ習慣」
・未来のことを話し、考える比重の高い人ほど、運が良くなる。
・成功者とは、「こちらの道がダメならあちらの道だ」「押してダメなら引いてみよう」と多様な選択肢を作り出せる人。
・「いちばん手ごたえを感じているもの、それだけやったらいいんじゃない」マルチタスクをやめる。
・失敗を恐れて全力投資していないのがいけない。
・頭の中で観たいと意識したものが見つけやすくなるもの。
・不要なものを棄てる。よけいなものが目に入ると大切なものに集中する余力が減る。
・自分から積極的に発信する。
・強運はつくるもの。不運を幸運に変える習慣は、肯定し努力を重ねること。
・自分温泉を発掘する。好きなこと、得意なこと、考えるだけでワクワクしちゃうこと、気がついたらやってることはなんだろう?頑張らなくてもできることはなんだろう?
・誰にでも埋もれている温泉はある。しかし、少し堀っただけで見つけられるとは限らない。
・会っただけで元気をくれる人、ほんわか暖かい気持ちにしてくれる人とならまた会いたいよね。
・威圧してくる人、覇気がなくどんよりしてる人は、離れたいよね。
・温泉を掘り当てたら、次は集客、自分がパワーを与えられる人になろう!
そうっすね!
ちなみに私、心弱ってる時にも思い出せる名言、4つくらいある。
諦めたらそこで試合終了だよ。
毎日店を開けること。
とにかく打席には立つこと。
次に叩く一回でその壁は破れるかもしれない。
何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。
あ、5つあったな。
漫画とアスリートが多いな。
ところでなんだかんだいって、私今まで生きてきて一番影響を受けた漫画って進撃の巨人じゃないかと思うの。
中年の感受性舐めんなよ、だよなあ。
ふつう、若い時に出会ったものの衝撃に勝てないような気がするけど、そんなことないんだね。
立派に去年、自分史上、漫画最高傑作を更新した。
まあ風の谷のナウシカも今思うと世界観とかすごかったし、AKIRAとかアドルフにつぐとか、ブラックジャックとか、松本大洋各種とか、色褪せない凄さはあるだけど、やっぱりトラウマ衝撃度とかエンタメ性とかいろいろな点でね。
それでも、スラムダンクとかの言葉が刷り込まれてるんだよね。
ところでユンギは三井推しだろうな、と思ってたら、案の定、三井推しでほっこりしたわ。
なんの話だっけ?
そうそう、運を掴もうという話。
やっぱり自分温泉を掘ることを諦めちゃいけないわ。
そしてやっぱり海外に住むことを諦めてもいけないし、日本で生きていくとしても自分で事業をやることを諦めちゃいけないと思った。
今の会社の仕事に絶望を感じたりもしてるけど、でもきっとポジションチェンジの余地はある。
それに、会社員とか正社員みたいな雇われの形で働く場合、ストレスと自由度と適性なんかを考えると、もうこんなもんなんだと思う。だから、やっぱり副業OKにしてくださいって頼んでいくアクティビストに活路を見出しながら、やっぱり自分で事業を始めることに夢を託していきたいなあ。
サラリーマンな未来に全然ときめきもワクワクも抱けないんだもの。。。。
ちなみにワクワクすること、気づいたらやってることってなんだろう?
でもブログはさ、意外に続いてるのよね、16年書いてるんだよ、このブログ。
実はすごい気がするんだけど!?
全然読まれてないのに続ける、この俺のすごさ。
それはまあ日記代わりだからなんだけど、といいながらたまに半年くらい書かない時もあるんだけど、いずれにしろ、辞めてないって、負担じゃない、ていうか、むしろ好きだからなんだろうな。
そして昨日の夜、私は今年の抱負を書こうと思ったんだけど、それで、あ、今決して悪くない状態だなと思った。
去年だか、一昨年だか、現実を直視できなすぎて、今年の抱負を考えることすら苦痛な時期があった。
それに比べると、「ことしは~」と、のうのうと考えてみれる私は案外幸せなほうなのだ。
マリオ・バルガス=リョサ「楽園への道」感想。 [読書メモ]
これ、読むのを楽しみにしていた作品。
ペルー人のノーベル賞作家の作品という意味でも、ゴーギャンと、その祖母にあたるフローラをメインに、ゴッホも登場する話という意味で。
ゴッホの耳切り事件をどう描写するのか、ゴッホとゴーギャンの関係性をどう描写するのか・・・そのあたりに興味があった。
小説としてとても面白そう。
借り物の人生、薔薇色の馬、などなど、なんとなくそそる言葉も多く盛り込まれてるし、「お前はそうだったよな、コケ」みたいな誰目線なのかよくわからない語り口がよくわからないけど、癖になるし読みやすい。
でもまあさ、実際その時代そういう感じだったんだろうけど、ゴーギャンが色んなタヒチの14歳と結婚しまくりで、やりたい放題の感じが、うわあっていう感じ。
子どもができたといわれても、だまってフランスに帰るつもりだった、どうせこの地域にたくさんいる父親のいない子どもにもうひとり加わるだけだし、妻も数年後には太って醜くなるんだし、その前に別れたほうがいい、ローカルはシャツでも変えるように結婚したり別れたりするので、問題ない、みたいなことを書いている。
それが当時の西洋人の本音だし、観察した結果あながち嘘でもなかったんだろうけど、、とはいえ今の感覚で読むとうわああ・・である。
自由な精神を描いた、というような触れ込みだけど、、植民地支配ゆえの白人優位があって、だからこそ可能だった傍若無人だとすると、うへええってところもある。
ゴーギャンがタヒチにいったのは1891年。1848年生まれの彼、ということは、43歳。
立派なおっさんなのに、やけにすんなりと14歳の嫁を何度ももらえるところを見ると、やっぱり白人の優位性があったんだじゃないのかと思う。
だとするとそのあたりの放蕩って、本当にただエグイだけで、魂の自由??って感じだし、ただ最近だれか美術家のtweetで「芸術って、洗練どころか、本能のままケダモノになること」だって、あとでわかった、みたいなことをつぶやいていたとき、真っ先にこの本のことを思い出したよね。
まあもうちょっと時間かけて読んでみてもいいかなって思う一方で、「タヒチの若い娘のパーンと張った乳房と太腿がいいんだ」みたいな話に付き合わされまくるのが若干、もういっかなーって感じでもある。
いやわかりますよ、ゴーギャンの絵を見てれば、生命力とか野生とか神性とか、賛美しているのもわかって、けっしてぐへへへ目線だけではないのは解りますけどさあ。
アフリカ文学「崩れ行く絆」読後感想。 [読書メモ]
アフリカ文学の父と言われているらしい、ナイジェリア出身、イボ人のアチェベの作品。
この本、途中まで地方の誰もない露天風呂につかりながら読んだんだよねー!
だがもう図書館に返却しないといけないので、後半はぺらぺらと飛ばし読み。
で、最後にまた自死。
なんだろうか、今回、世界の名作読もうシリーズの一環で、とくにアフリカや中東など、全然読んだことがない地域の文学に手を出したのだが、まただよ。
アフリカに、白人の植民地支配の手が伸びてきて、いろんな歪が出てくる中、誇りのために自死を選んだ男の人生、という展開は、先日読んだいくつかの作品と似ている。
この作品は、西洋人など外の人間によるアフリカの描写が心外ゆえに、アフリカ人の作家が、アフリカの文化や誇り高さを解ってほしくて紹介を込めて描いた話でもあるので、そのへんも興味があったのだが、とはいえじっくり腰を据えて読み込めるほど、私がアフリカを理解したいとうニーズがあるかといえばそうでもなかったのかも。
儀式、呪術、長老、精霊、村のならわし・・みたいなことは沢山出てくるので、アフリカ社会や、アフリカ古来の精神みたいなものに触れたい、理解したいニーズには確かにかなっていそう。
まあアフリカといっても多種多様な民族が住んでいるので、あくまで「イボ族の」というべきか。
というわけで、今回はこのへんでおさらばって感じの本だった。
いつかまた、アフリカを理解したい時が来たら手に取ってもよさそうだ。
タイ現代文学「鏡の中を数える」読後感想。 [読書メモ]
今日2022年の芥川賞の発表があって、以下のニュースを読んだんだけどさ。
そうよねーって思ったのが、今日とばし読んだ「鏡の中を数える」がなんかなーって思った一番のポイントは、「書かれるべき切実さがない」ってことなんだよってことだった。
あとがきを読んで、1973年生まれの著者がとても日本が好きで、本作も日本を旅している間に、銭湯とか新幹線の中で構想がまとまった話もあるし、本当に文化的にも影響を受けてるんだろうなということはよく伝わってきた。
窓際のトットちゃんとか、日本食レストランとか、日本のトイレとか、日本人女子とか、日タイハーフの男とかも登場する。
文体やらも、村上春樹を意識してるのかなーという感じがした。
だけど、中身あるのかな?
ちょっと面白いなと思う短編もあった。
30代の男なのに、突然道でオバサンにお父さんこんなところで何してるの!という、徘徊ぼけ老人75歳の扱いを受け、そのまま家に連れていかれて、すごく美しい高校生の孫設定の子がいて、、なんかそれもいいかなという感じで、以来、娘と孫と暮らす75歳のおじいさんとして過ごしている、という話。
面白い、なんかカフカみたい。
だけど他の短編もちらほら読んだけど、全然心に刺さらないし、結局何が言いたいのかわからなかった。
ただパンツ履いてないだけの女子が主人公だったり、「お母さんと肉まんとどっちが重要なの?」と冗談で息子に言ったら、「重要かは問題じゃない。お母さんは重要だけど、美味しくはない」と返事されて、なんかショックを受けるお母さんの話とか出てくる。
これが何かのメタファーなのかもしれないけど、それは伝わってこないので、ただのなんちゃっての意味ありげにカッコつけただけで、実際ぺらぺらで特に意味のない奇妙風な話にしか私には伝わらなかった。
村上春樹は違うじゃん、ちょっと奇妙な話でも、なんのメタファーか伝わってくるし、絶対に胸に刺さる。
カナファーニー「太陽の男たち」読後感想。 [読書メモ]
はだしのゲンくらいのトラウマ読書体験になりそうな短編集だった。
と言っておいて、実は私ははだしのゲンを映画で見たこともないし、漫画を読んだこともないのだ。
怖すぎて。
だけど、もういい大人だし、機会があったら読んでみようか。
さて前回「路傍の菓子パン」はちゃんと読むことができたが、やはり表題作を読まないとと、この短編集の最初の一編である「太陽の男たち」を読んだ。
読んだけど、辛すぎて、直視できなくて、めくるように流し読んだ。
まあ鬱展開であるというあらすじを最初から知ってしまった上で読んだからかもしれない。
知らないで、希望がある話かもしれないと期待しながら読めば、ハラハラドキドキするのか。
でも、知らないであの鬱展開を迎えたら、それこそトラウマだろう。
やっぱりちょっと辛すぎて無理、辛い現実すぎて無理。
詐取されまくって、だまされて、その上でヤバイとなれば、なのか、最初からそのつもりだったのか、あっけなく見捨てられ、あっけなく命を落としたりしながら、運が良ければ他国にたどり着ける難民の現実は知ってる。
でも、それを小説にしてそのまんま書かれると、というよりむしろ痛みを強調して書かれると、本当に直視できなかったので、全編読むのはちょっとまたにするわ。
まあ「ハイファに戻って」とか他の作品もパラパラなんとなくは読んで、なんとなくは把握したけど、感想をちゃんと言えるほどではないし、太陽の男たちがやっぱり激烈すぎて、重すぎて、ちゃんと他の短編を落ち着いて頭に入れる余裕がない。
ターハル・ベン=ジェッルーン「火によって」感想。革命と焼身自殺。 [読書メモ]
モロッコ出身の作家が、アラブの春のきっかけとなったムハンマド・ブアズィーズィの焼身自殺をオマージュして書いた作品。
短編ともいえないけど、長編ともいえない、簡潔にまとまった話で、活字も大きく薄い本。
それにかなりしっかりした分量をとって役者解説がついている。
背景を知らず、解説も読まなければ、あ!!!という感じだろう。
辛酸を舐めながらなんとかギリギリ生活している青年。
でも恋人もいるし、家族もいる。
その思いが、賄賂を渡したり、密告したりしないと、すべてを奪われるような腐った世の中で、なんとか彼を繋ぎとめているが、ある時、生活費を稼ぐ唯一の手段だった荷車と荷車に載せていた商品をすべて警官に奪われてしまい、市長にその狼藉を訴えに面会を要求しに市役所にいくが、面会は許されない。
限界を越えてしまった彼は、市役所の前で焼身自殺をはかる。
彼はすぐには死ななかったが、約20日後に病院で死亡する。
大勢の人が目撃し、その画像が拡散されたことによって、大統領が病院に面会に訪れる。
人々は彼の写真を掲げてデモをはじめ、革命のシンボルになる。
映画プロデューサーが金をもって、彼のストーリーを利用しに、家族のもとにやってくる。
ただこれはほぼ実際に起きた話なのだ。
もちろんところどころ、設定も違うし、ノンフィクションではなく、作家として再解釈して物語として再構築した話というたてつけだけど、焼身自殺を図った日付と、亡くなった日付は、ムハンマド・ブアズィーズィの日付を使っている。
このあと、彼に続き、チュニジアでは半年の間に100人もの若者が焼身自殺を図ったという。
そしてチュニジアの革命に刺激を受けた中東の様々な国で革命が起きるが、民主化にある程度成功したのはチュニジアのみで、他のアラブ諸国では、内戦に突入したり、テロが増大して無政府状態になったり、状況が悪化したケースが多いとのこと。
特にシリアは内戦が泥沼化し、経済破綻し、暴力が横行し、国家破綻、難民が多数欧州に押し寄せることに。
さらに、国をまたいでテロ組織が力を持って凶悪化し、国際的に活動するようになり、多くの人々の生活は台無しになり、結局のところ、アラブの春は一部地域を除き挫折したといえるだろう、と。
アラブの春といえば、プラハの春のことを思い出す。
結局1968年春にはじまったプラハの春も、わずか1968年8月、半年あまりの間にソ連により武力制圧されて挫折したのだ。
革命・・・
ちなみにふと、ブラッディ―サンデーとは何なのか、U2の曲を思い出しながら調べてみると、北アイルランドでイギリス統治の反対運動デモを行っていたところ、イギリス軍と衝突、軍によって銃撃されて14人死んだという1972年の事件と。
最近、DMM英会話でセルビアの先生が、セルビアがほぼ独裁国家みたいな感じでマジで終わってる、もう人々も
我慢の限界だ・・と。
でもそんなに人々が不満を持ってるのに、なんで選挙で政権が変えられないのか?という質問をしたところ、なんかどうしても選挙結果を覆せないような、変えられないしくみになっているらしい。
ちょっと私の英語力の限界で、今一つ理解できなかったのだが、要するに三権分立がうまくいってなくて、政権を選ぶ権利がある有力者の地位につけるのが、そもそも政権のバックアップのある人のみ、みたいな感じと解釈。
ちょっとしらべないとよくわからないが。
でももう変わる、変える、と言っていたので、「お、革命か」と喉まで出かかったことを思い出した。
でもさ、独裁政権が嫌だから民主化をもとめるというケースの場合、なんで独裁政権を維持してこれたのかってことだけど、要するに反抗的な態度を見せた人は武力制圧してきてたからなわけで、国際的な支援がない状況だと、よりむごたらしく多数の人が惨殺されるという事態を招きかねないということを改めて思った。
先日見た「娘は戦場で生まれた」のときにも、ちょっともやったことを思い出した。
革命だ、という。わかる。
だけど、その革命という名の抵抗をやめないことで、さらなる殺戮を招き、闘争の巻き添えとなって子どもたちが死ぬ。
子ども達のことを思ったら、最後まで戦って美しく死ぬことよりも、惨めでもいったん逃げて勝機を待つんだよ、とにかく生きるんだよってことも少し思った。
もちろん、勝機がある、ここで撤退したらすべては無駄になる、国際社会の支援を得られるまでふんばるんだ、という視点があったのだろうと思うけど・・。
と、話がずれたけど、「四月革命」みたいに、革命が成功したら、「革命」と呼ばれているのかな。
「プラハの春」「アラブの春」みたいに、革命が民衆蜂起で終わってしまって、成功したとはいえないと、革命という名前で呼ばれないのか??
革命とは・・・。
久しぶりに中谷美紀のMIND CIRCUSのことを思い出した。
名曲だったよな、、なんでだろう確か革命のことを歌ってなかったっけ?と思ったら、Revolution soldiersとか、ベルリンの壁崩壊とかが歌詞に出てくるんだな。。
そういえば、ベルリンの壁崩壊って、革命なのか?と思ったら、一応「東欧革命」を象徴する出来事、とのことだった。
そうか、プラハの春は挫折したけど、1989年には東欧革命で民主化に成功したということか。
そうかそうか、革命が実を結ぶこともあるんだ、と勇気づけられもする。
ちなみに私はこの言葉、初めて知った気がするんだけど、どうなんだろう。
東欧革命は冷戦を終わらせた出来事として有名である、と記載ありだけど・・。
本のことより「革命とは」を学ぶ回になってしまったが、本の感想という意味だと、守衛のところで涙が出た。
市長にあわせられないっていって、市役所の守衛が主人公ムハンマドを追い払った直後に、ムハンマドが目の間で焼身自殺を図るわけで、守衛は火を消そうとしたりするけど、手が付けられず黒焦げになった彼を目の前に、「全部俺のせいだ、俺が助けてやらなきゃならかったのに」と泣く。
このあたりは、半地下の家族のシーンを思い出した。
庶民が限られた職のパイを奪い合って殺しあう惨めさの中でも、生き抜くためにプライドを捨てて我慢して生きていたお父さんも、最後リミッターが切れたら、我を顧みずにブルジョアを殺しにかかったあの瞬間。
「シャーロック・ホームズ 最後の挨拶」感想。 [読書メモ]
シャーロック・ホームズの最後のエピソードってそういえば読んだ覚えがないなあと思って、読んでみた。
新しめの文庫本が読みやすいだろうと思って、一番新しい文庫本を借りたら、なんかティーンズ小説みたいなイラストの表紙でちょっと恥ずかしい上に、字が細かくて全然読み進められなくて大変だったわ。
思えばホームズを読んでたのって、子どもの頃だったから、児童文学向けにやさしく書かれてるversionだったのだろうか。
こんなに読みづらいっけ?と、ちょっと衝撃。
この1冊に、短編がいくつか入っていて最後の一編が「最後の挨拶」。
知らなかった、こんな風に終わるのか。
それにすべての短編を読んだことがあるような気がしてたけど、たぶんこれらの短編は初めてだった気がする。
まあ何十年も前に読んで忘れてるのかもしれないけど。
さて、ワトソンは結婚してる、または途中で結婚する印象は確かにあったけど、最後の挨拶の時に、ホームズとワトソンは何十年かぶりに再会するっていう話なの。
ホームズとワトソンはずっと一緒のコンビと思ってたら、疎遠になってるなんて、という衝撃。
さて、よく調べてみたらこれで終わりじゃなかった!
wikiによると以下のようで、なんと40年間もの間、ちょいちょい出してたのか、コナンドイル。
シャーロック・ホームズシリーズ
- 『緋色の研究』(1888年)
- 『四つの署名』(1890年)
- 『シャーロック・ホームズの冒険』(1892年、短編集)
- 『シャーロック・ホームズの思い出』(1894年、短編集)
- 『バスカヴィル家の犬』(1902年)
- 『シャーロック・ホームズの帰還』(1905年、短編集)
- 『恐怖の谷』(1915年)
- 『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』(1917年、短編集)
- 『シャーロック・ホームズの事件簿』(1927年、短編集)
といっても、間が10年とかあくのは、結構毎回「これで最後」のつもりで書いたんだけど、書いてって言われるから、また書いちゃうって感じなのだろう。
実際、一回「最後の事件」でホームズを殺したあと、また復活させたらしい。
いやこれはぜひ、ホームズが死ぬ「最後の事件」と最後の短編である「事件簿」もここまできたら読みたい。
あと感想としては、シャーロキアンっていう、最強ファンダムがいるわけじゃん、シャーロックホームズ。
で、それは推理小説としての面白さもあるけど、やっぱりホームズのキャラクターがエモいからだし、バディものとしてのエモさもあるからだし、ブロマンスだったんだなーと思ったんだが、、これも調べてみたら、むしろ、ネットフリックスでシャーロックホームズをドラマ化したときに、「ブロマンス」の定義が世間に広まったらしい。
ということで、ブロマンスだったんだなー、じゃなくて、ホームズとワトソンみたいのをブロマンスと呼ぶことにしようって最近の人間が言い出したって話だな。
「最後の挨拶」以外はいつものホームズとワトソンなんだけど、「最後の挨拶」で、もう「風の便りにきいたところによると」くらいに疎遠になっている2人、そしてまたいつ会うことかわからない2人、みたいな関係を書かれると、急に「昔はあんなに一緒にいたのにね」というエモさが出てくるわけ。
さてエモいってなんだろうね?
都合よく使ってるけど、結局それなんだよなあ。
なにかの固定ファンになるというのは、何かにたいしてエモさを感じるってことと割とイコールなんだろう。
なんで好きなの?だってエモいから。
なんでエモいと思うの?たぶん、好きだから。
って話なんだろうな、特別な情緒的な思い入れというか。
でもやっぱり強烈な固定ファンがいるっていうのは、コンテンツが面白いってだけじゃなくて、キャラクターに感情を揺さぶられたり惹きつけられたりするような魅力が不可欠な気がする、ほんと。
ブラックジャックとか、スナフキンとかリヴァイ兵長とか・・・みんなそうじゃん。
まあ、世界観、ストーリー、キャラクター、全部そろってるから、名作として君臨し続けてるんだろうけど。
ハイファに戻って/太陽の男たち 感想 [読書メモ]
パレスチナ問題の渦中に生きていた作家による、苛烈な短編集。
なんと作者は36歳で爆殺されたという。
爆殺って、どういうこと?と思ったが、爆弾が仕掛けられていた車に乗って暗殺されたということだ。
で、すごい。傑作だね。
ただ痛くて、辛くて読むのに覚悟がいる。
私は全体的にぺらぺらめくって拾い読みしているが、ちゃんと完読したのはまだ1篇のみ。
短編集だからまだ助かるが。
死の臭いが漂っている、この主人公が痛くて悔しくて絶望しながら30ページ後に死ぬってわかってるとなかなか読み進めるのが辛い。あらすじを先に読まなきゃよかった。
でもちょっと読んだ限りだと、男性が戦争で局部を喪うシーンが出てきたりする。痛い。
さて、読み終わったのは「路傍の菓子パン」。
こちらも痛い。
ギロチン的な話がでてくる。
苛烈な状況に生きている人たちを描写すれば、いろいろ仕方がないんだが、すごいのはやっぱり作家ってさすがだなというような洞察力と表現力。
難民の少年たちはみんな「あきらめの一歩手前の願望に目をぎらつかれせてる」という。
それに、そういう少年を前にして、何をどうすべきか感情を乱させる主人公の描写を通して、より少年のどうしようもない状況や絶望を描いてるのがすごい。
少年に同情して深入りしてしまいそうになりながら、惨めだと同情されてると思われて彼のプライドを踏みにじりたくないとか、もやもやしているのだが、彼にウソをつかれていることに気づいて、傷つく。
10歳や11歳の子どもでも、生き抜くためになんだってする、教師をだますことなんか、酔った客にもう一つ菓子パンを余計に買わせるくらいのことなんだ、と思おうとしてみたりする。
だけど、最終的に彼のウソは、どこまでウソなのかよくわからない。
でもおそらく、苛烈なことがありすぎて、直視できない、だからそれをなんとか少し変えた受け入れやすい形で話すことで、折り合いをつけているらしいことはわかる。
嘘をつかれて、彼の涙さえ信じられなくなっていた主人公だが、おそらく難民の少年は、本物の傷つき絶望した感情と、自分の心を守るための嘘と、とにかくサバイブ、今日を生き抜くための図太さと、それらを行ったり来たりしながら生きている。
その甘くなさが、とてもリアルで、だからこそ痛切で、大事に読みたい本だ。
いやしかし久しぶりにガッツリした小説を読んでいる気がする。
心に余裕ができたのかも。
ホリエモン信者ってわけじゃないけど、やっぱりホリエモンについていく。 [読書メモ]
ホリエモンのいうことを全部信じてるわけじゃない。
でも、ホリエモンの言葉は私の行動指針として馴染むし、正しいし、気持ちを引っ張り上げてくれる。
アッパー系にはたらく。アドレナリンだかドーパミンだかが分泌されて、そうだ動かないと、また立ち上がらないと、という気力をくれる。
これは、無気力に陥りがちな私にはとても重要で、定期的に彼の言葉に触れていたほうがよいと改めて今回思った。
どんな彼の著書も、基本的に言ってることは同じかもしれないけど、とりあえず触れると元気になる。
し、毒にはならない。少なくとも私の体質には馴染むので、ホリエモンが言ってることは基本的に私がもともと信じてることに近いので、別にホリエモンを信じたせいで変な風になったってことにはならない。
ただ、自分の指針に自信がなくなったときに、再び力をくれる感じ。
一方、BTSとかはダウナー系にはたらくんだろうな。
オキシトシンだかセロトニンだかを分泌してくれて、なんだか人恋しくて寂しいような時に、気持ちを落ち着かせてはくれるけど、気力がわいて活動的になるっていう方向性にはならず、むしろ動きが止まる気がする。
そういう意味では、若干毒になる。
なんというか、アヘンとかヘロインとかマリファナとか、そういう痛みを消して多幸感をくれる物質の中毒になるのに近い気がする。
実際に自分が人生を前に進めて、勝ち取ったものがくれた多幸感じゃないから。
加減が重要だ。
仕事や勉強で消耗しきって疲れ切った時に、5分見てリフレッシュ、気分転換、さてまた前に進もう!っていうような「チョコレート1カケラ」的な使い方ならいんじゃないとは思うけど、中毒性が高いから、気を付けないとね。
考えたら負け 今すぐ行動できる堀江貴文150の金言 (宝島社新書)
- 作者: 堀江 貴文
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2018/11/30
- メディア: 新書
とにかく動け、トライアンドエラー、行動と提案、お前のない頭で考えてる時間があったら、やってみろ、やってみて失敗してもめげるなって話。
そうだよな、そういえば高城さんも、商品50個買って試して、当たりは2個くらいって言ってたっけ。
割合は忘れたけど。
でもそういうもんだよな、50人と会えば、2人くらいは気が合う友人になれるかもしれないし、すごく有意義な発見をもたらしてくれる人になるかもしれないけど、5人にしか会わなければ、「あっても無駄」と思ってしまうかもしれないし、ただ結局根底にあるのは自分や、世界の可能性を信じる力なのかも。
いやしかし、ホリエモンのいいところは、エモくないところかも。
カリスマ性とか、人間的魅力はあんまり感じない。
だからこそ、危険さがないんですよな。
杉原サバイバーの話。by 佐藤優 [読書メモ]
佐藤優のどの本だったか忘れたけど、ワーケーション中に読んだ新書。
情報量が多すぎて、そんなに拾えてないんだが、心に残ったのは杉原サバイバーの話だ。
日本のシンドラーと言われる杉原千畝のことは知っていたが、佐藤優にいえば、ロシアで外交官をしていた時代にも、杉原サバイバーの人脈が日本の外交の上で暗に役立っていた、というような話だ。
つまり世界中に実は杉原サバイバーやその子孫というのは散らばっており、彼らはその恩を忘れていないと。
今では世界中で重要なポジションについている人も多く、外交官の佐藤優に対して、実は自分は杉原サバイバーであると打ち明ける人も少なくなかったという。
日本は、そのネットワークをもっと活かすべきだという。
これはけっこう感慨深い話だ。
テレビや映画で、杉原千畝にスポットライトを当てられるのとはまた違う。
佐藤優はめっちゃ多岐にわたる情報を持っている中で、この話をするのは、彼がこのネットワークが活きていることを体験的に実感したからだと思う。
ちなみにシンドラーが救ったユダヤ人の人数が1100人だとすると、杉原千畝が救った数は推定4000~6000人と言われている上に、外交官として命令に背いてビザを発行し続けたので、帰国してから処罰されているところが、余計に杉原サバイバーの強いつながりをもたらしてるようだ。
実際に、2011年の津波の時にも、ユダヤ人協会的な人たちは、千畝のことを持ち出して、日本を助けよう!というキャンペーンをやってくれているくらい。
実際、当時6000人でも、もはや子孫は4万人になるわけで、サバイバー当人じゃなくても、それら人が自分のルーツを考えた時に、おじいさん、おばあさんはどうやって脱出できたのか、どういう経緯でこの国に棲んでいるのか、を考えたら、必ず出てくる話だろう。
いいよな、やっぱり自分の頭で考えて行動する、良心と実行力と不服従性のあるインテリの話は勇気をもらえる。
佐藤優もすごく面白い。
彼は大量に本を出しているが、片っ端から読みたい。
彼の風貌もいいよな。
大きい目鼻口と鋭い眼光に、怪しい姿勢。
頭脳明晰な人に多いタイプ。