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イチゴ記念日 [生活雑感]

なんでだろう?

今日はすっごく嬉しい、楽しいことが多い一日だった。


まず治療中の歯の詰め物が取れたので、また歯医者に行くというつまらん野暮用から始まり、けっして幸せではないんだが、歯医者の受付のお姉さんがすごく感じがいいことで幸せポイントひとつ。


ドクターが微妙だとしても、受付のお姉さんの対応力がピカイチなので、+ポイント。

せっかく昼に外に出たのでランチでもするか、と思うのだが、詰め物が30分間は固まらないというので、飲食店に入るのもなーと、駅前の広場のベンチに座って鳩を見て15分ほど日向ぼっこ。

悪くない時間。


それからスーパーで買い物して帰ったんだが、スーパーでの戦利品に我ながら大満足。

最近在宅勤務で太ってしまったから、食生活に気を付けないとと思ってのセレクションだったんだが、まあなんてバランスがいい完璧な食材たち!美しい!と帰宅後に戦利品を並べて写真を撮りたくなるほど。


りんご、バナナ、いちご、ササミ肉、豆腐、ごま、冷凍ブロッコリー、、、とかまあ普通といえばいたって普通の食材なんだけど。

次に買ったイチゴを食べてみたら、イチゴってこんなに美味しかったっけ??という衝撃の美味しさ。


そこら辺のケーキとかスイーツより全然美味しいんだけど。

こんなに甘くてジューシーでいいの??

生まれて初めて食べるレベルの美味しさ。

イチゴに対しての認識が変わる感動。

これからは、イチゴの各品種を食べ比べることを私のライフワークの一つにしよう。


犬も歩けば棒に当たるが、今日はワークしてる。

それがワークしないんだよって時もあったけど、今日はワークしてる。


さらに、今日は美容室へ。

これもまた、近年まれにみる大当たり。

髪型もすごくマシになったし、何しろ久しぶりに美容師さんとの会話がとっても楽しくて、孤独な在宅ワークの慰めにめちゃくちゃなった。

友達と飲みにいったくらいに楽しかった。


引っ越してきて以来、美容室難民を続けてきていたんだけど、ついに見つけたかも。

価格、技術、センス、接客すべてが納得いく美容室を。


まあでも一言でいえば、やっぱり仕事が一段落ついて、やっと視界が広がって、まわりを見る余裕ができたということなのかもしれないわ。

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おじさんに祈る。 [生活雑感]

助けてくれ、おじさん。


あれはジャカルタの安宿街。

今までで泊まった宿の中でも一、二を争うほどにおどろおどろしい宿だった。

たしか窓もない、2帖ほどの牢獄のような部屋で、何しろ雰囲気がなんだか薄気味悪かった。

風呂トイレ共同で、といってもシャワーはシャワーヘッドすらなく、もちろんお湯なんか出ず、蛇口とバケツと柄杓があるだけのタイプとかそんな感じの宿で、ローカルビジネスマンのおっさんとかが他の部屋にはとまっている風だった。

それに、きっとなんか疲れていたか、ストレスを貯めていたか、何かだったんだろう。

安宿でも、必要十分で小ざっぱりとして、心地よい部屋もあるけど、ここはなんか、なんとか一晩やり過ごして早々に逃げ出したいタイプの、この世の終わりのようなどんよりとした寝苦しい部屋だった。


夢に大好きだった叔父が出てきた。

こんなことはとても珍しい、だって叔父とは10年以上も会ってなくて、ふだん意識にのぼることもなかった。

もちろん夢にだっておそらく初登場だったと思う。


ただ夢を見てから、そういえば叔父の1周忌か、と気づいたのだった。

しかもとても愛しい、懐かしい思いのする夢だった。

夢の中で叔父はいつも以上に大変ご機嫌で楽しそうだった。

親戚や家族と談笑して、楽しく酔っ払い、冗談を言い、そして満足気に帰っていった。


とにかくその日は部屋が薄気味悪くて心細かったから、私が無意識に叔父さんを呼んだのかもしれないし、なんか磁場があって、時空的におじさんがアクセス可能な場所だったのかもしれないし、もしくは叔父さんが何か悪いものから私を守りに来てくれたのかもしれない。


でもたぶん、今までの人生で一番神秘的な感じがする体験だった。

もしかしたら、肉親とか、身近な愛している人のなかで、初めての死んだ人だったからかもしれない。


まあそんなわけで、霊感もなく、超常現象的なものも、宗教的なものも、何も信じていない私だけど、夢のことはけっこう信じている。

ふだん見ないような、奇天烈な夢を見た時、特別に愛しいような夢を見た時、それは私の心に何かが起こっている時なわけだし、それを意識化の私が気づいてなくても、潜在意識のなかにいるもう一人の私的誰かが、教えてくれるものなのだと思う。


だから、先日の奇天烈なウンコの夢も、私は変化の兆しだと捉えている。

もう我慢も限界、という溜まりにたまったフラストレーションが、ついに私を、ぐわっと次の行動に移させる時が来ているのだろう。


でもって、だけどまだ道はちゃんと見つからず、おじさんに意識的に頼んでみることにする。

叔父さん、助けて。

神頼みじゃなくて、おじさん頼み。

私どうやって生きていったらいいんだろう。



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吉夢を見た!うんこ大豊作な夢。 [生活雑感]

【夢占い】うんこ(大便)をする夢


誰もが日々、或いは数日に一度は経験するお通じですが、どのような状態だったでしょうか。うんこをする事は、夢占いでは運気の上昇を表します。事態が好転し、問題やトラブルが解決する事を暗示しています。


たくさんのうんこを気持ち良く出せてスッキリしていた場合、金運や恋愛運の大上昇を暗示する大変縁起の良い夢となります。


なんかトイレで、特大バナナがどんどん出て、たぶん10本くらい出て、めちゃくちゃお腹スッキリしてて「これはすごい!」と感動している夢だったんだけど、吉夢だって。


嬉しい。変な独特な夢って数年に一回しか見ないから、信じる。


それになんかわかるんだ、今日経平均だけじゃなくて、自分も三角持ち合いみたいな、膠着状態どん詰まりの状況な気がするんだけどそこを越えたら、上か下かに跳ねる、その時が近づいてる気がするんだ。


上に跳ねてやる。


といってもいよいよ何か行動を起こすしかないところまで来たというだけで、何か糸口が見つかったわけでもない気はするけどね。


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徐々に死んでいく。 [生活雑感]

「火によって」「太陽の男たち」という最近読んだ2編の鬱展開小説は、どちらも死ぬまでの過程が書かれていた。

どういう人生を送ってきた男が、どういう社会的な状況に迫られて、やがてこういう行動をとるに至る。

というような話。


それでいうと「蛍の墓」とかも似てるかもしれない。

叔母さんの家を飛び出した、それが一番の死因だという分析をした上でこの作品は作られているという話を最近どこかで知って、蛍の墓リアクション動画の指摘がするどすぎてビビったアメリカ人男性、あの人の見方は本当に正しかったんだなあと改めて感心したんだが、蛍の墓で一番言いたいことは反戦とかではなくて、人は社会的な生き物であり一人ではいきていけないもの、我慢しても悔しくても人と繋がっていきていく必要があるっていうところが言いたいことだったんだってさ。



そんな中、年末、通っていた心療内科を燃やして患者や医師を巻き添えに無理心中をはかった男が、何回か生活保護を申請にいっていたが、結局申請に至ることはなかったらしいという後報を見た。

妻子と住んでいた一軒家の持ち家があって、妻子と別れたあと、その家を人に貸して、その家賃収入で暮らしていたらしいのだが、借主が2020年に出て行ってから、家賃収入が途絶え、そんなわけで誰も住まなくなり電気ガスも止まったその家に、彼は最後ひとり戻ってきて住んでいたらしいが、持ち金が途絶える寸前だったらしいと。


まあ、生活保護を申請にいったら、まずは家を売れっていう話になったが、妻子との思い出がつまった家を売り渡すことを拒否したんだろうな、というような経緯を想像する。


あとは安住紳一郎が、TBSの後輩アナウンサーの女性が10年前に自殺しました、ということを放送中に号泣しながら話したという話が、なぜか最近検索にヒットして、彼女の話も考えた。

TBSを退社する前に、TBS内で孤立して悩んで、同じように孤立していた時期がある安住アナに相談しにきたときに、俺をお前と一緒にすんなよ、って感じで突き放してしまったことを悔やんでいると。

結局、彼女は退社してフリーになるのだが、1年ほどで車の中で練炭自殺しているのが見つかったと。


また思い出されるのは、高齢引きこもりで、福祉の人と繋がって、その人が毎日様子を見にいって食料とかをあげていたのに、病院への受診を拒否したまま餓死のような形で死んでしまった男性のこと。


もちろん、徐々に悪い方向に舵がきられていってたって、そんなのはまた舵を切りなおせるんだよ。

最後の最後まで、起死回生のチャンスはある。

徐々に死んでいってたって、全然回復できるんだが、、ただ人は突然死ぬんじゃないんだ、とふと思った。

いやもちろん、事故で、本当に突然死ぬこともあるけど、たとえば癌とかの場合。


私が来月、ステージ4の癌がありますって言われたとしたら、実は私が気づかなかっただけで、徐々に私のカラダは水面下で死に向かってたってことになるし、社会的なつながりが断たれるっていうのは、一歩大きなヤバイ一歩なんだよな。


と、ふと思ったのだった。

独りで生きていくのも楽でいい、というヒロシ的な説もあるけど、それはやっぱりある程度の社会とつながりがあっての話だ。

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激しく生きる。 [生活雑感]

最近、テレビで見かける満島ひかりが魅力的でハッとする。

この人、こんなに素敵だったっけ?

自分が満島ひかりに魅力を感じすぎてびっくりする。

自分の変化もあるのかもしれないが、彼女の自信と充実も大きいのではないかと思うし、事務所から独立したということらしいので、それによる立ち居振る舞いの変化もあるのかもしれない。

媚びない、腹が決まっている、自由、でも自然体で、傲慢さも卑屈さもない。

カルテッドは好きだったけど、あれは松たか子の魅力が光っていて、満島ひかりは鼻が不自然に高いよなー、みたいな印象でしか見てなかった。

それでも、今CMで、満島ひかりと松田龍平が共演してるのを見て、嬉しく思ったりはしてたけどさ。


そしてなぜか、彼女を見ると、キムソクジンを思い出すんだ。なんでだろう?

共通点としては、芸能人然とした華やかで麗しい見た目を持っていつつ、それに反して、決して芸能界に飲まれまい、魂を売るまいとする自我だろうか。

努力家の仕事人として、きっちり仕事を仕上げてくるが、浮ついてはないというか、ちょっともともと個性的で変な子かもしれない自分を隠してなくて、見失わないでいようとする地に足のつけ方をしているというか。

自分独自の哲学を持っていそうなところというか。


ナムジュンのソクジン評「激しくないようで、激しく生きている人」というのが私はとても印象に残っているからだろうか。

もちろんナムジュンの真意は知らないけど、ただ私は納得するんだな。

というのも、そんなコメントを知る前から、なんてこの人は腹が決まっているんだ、と思ってたからだ。

あそこまでカッコ悪い姿を平気で晒せるのは、自分の本当の姿を晒して需要がなくなるなら、それならそれでもかまわない、という腹の決め方をした結果だろう。


実際、ソクジン自身がFireの「やりたいように生きろ。お前の人生だ。頑張らなくてもいい。負けても大丈夫。」というメッセージで鼓舞され、本来の自分をカメラの前で晒すようになったことで、事務所の方針に従ってキャラを演じていないといけなかった時より、自分の良さも発揮できて、楽しく幸せな人生になってきたという。

そんな風に、事務所の方針にある種逆らってか、または少なくとも話し合って、自分のやりたい方向性に賭けたというのは、激しく生きてると思う。

そして苛烈な韓国芸能界において、自分の心や魂を守る戦いをしてるんだと思うし、ソクジンなりに世間知らずの年下の弟たちを守る戦いもしてきたんだと思うよね。


渡辺直美とかもそうだけど、やっぱりみんな自分のやりたい方向性や才能を信じて、「お前はこの路線、この程度」って勝手に事務所やら世間やらに枠にはめられてるところから、勇気をもって踏み出して「俺はこんなことができます」っていうことを発信したことで、オリジナルな魅力を放つ一線を画す人になれたんだよな。


みんな物腰は柔らかく謙虚だけど、激しく生きてるし、そんな人生は楽しいだろう。

今年の私の目標は、激しく生きる、かな。

どうせ失うものなんかたいして何にもないんだからさ!


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よく晴れた晦日の日中に起きた人身事故。 [生活雑感]

一人で駅に向かって歩いている時。
絶対に箸を置かないジョングク。
ジョングクの移動しない移動。
みたいなフレーズが突如頭に思い浮かんで、クスッとしてしまう。
私は特別にグクペンということもないはずなのだが。。
さて、そんな平和な日々を暮らしながらも、仕事の重圧とかストレスが思い浮かんで、あれはどう事前に手を打つべきか、どう説明したらわかってもらいやすいか、、みたいなことをいつの間にか考え始めて、眉間に皺が寄ってしまうこともある。
が、そのままプロジェクト上のアイディアが湧いてくることもある。
例えばファンドレイジングの新たな機会の企画。

そうだよな、私も年の瀬だからいつもより少し心の余裕ができて人のために何かと思いがちだし、他の人も同じみたいで年末は寄付が増えるっていうし。

なんかこう自分の一年を振り返って、今年も良い人間だっただろうか、もう少し積める善行があったのではないかと辻褄をあわせて綺麗に新年を迎えたいからだろうか。

それとも、無事に幸せに今年も年を越せることへの社会や世間への感謝の念だろうか。
それとも、それはすなわち世の中には無事に新年を迎えられない他者がいることをおもんぱかっての同情だろうか。
まあでも全部あるはずだ。
そしてそれは良いこと、節目を狙って寄付をお願いするのは、同情を引いて助けて助けてというよりも、この機会に少しだけ幸せのお裾分けをお願いするのは、寄付をお願いされる方も気分がいいだろう。
結婚とかも節目でいいかも。
親にお礼を言うけど、実際、親だけじゃない地域社会にはぐくまれてきたのだから。。

その案はいけそうだな、なんて思いながら改札をくぐったら、目の前から警官が3人、ホームから走り降りてきた。
ふと目を左にやるとホーム行きエレベーターの前に担架が放置されている。
急病人か、でも担架は不要だったということか。。

そんな時アナウンス、3番線4番線運転再開します、だか、今日は1,2番線動かないので、特別に3,4番線でも当駅止まりますのでそちらをご利用ください、だったかな。

で、ああ人身事故か、と思いながら3番線ホームに立ち、ふと顔をあげたら目の前で、15人くらいの警察関係者が仕事をされてた。
1番線のホームの前方、でも停車位置より2両分くらい手前に電車が停車してて、その前のところでこちらから見えないように目隠しのシートを広げて持つ方が5人ほど。
ホームの下で作業する人が5人ほど。
覆いの中でホームの下から引き上げられたものを作業する方が3人、あたりを警戒して警備する人が3人、、という感じか。
お亡くなりになったのでしょうね。
事故なのか、飛び込みなのかはわからないけど。
たぶん飛び込みなのかな。。。

昔みたいに年末だから借金取りが激しくなるということもないんじゃないかと想像するんだけど、実際のことはわからない。
昨日も歌舞伎町のホテルで無理心中をはかろうとして小3の息子を突き落とした母親がいた。
年末に人を絶望させるものはなんなのか。

でもわかるのは、みんなが幸せに見えるホリデーシーズンは、そうじゃない人にはとりわけキツイだろうということ。

そしてかわいそうにと私が涙を流そうが、手を合わせようが、もはや遅いってこと。
そんな同情よりも、その前になにか少しでも助けにってことなんだよなあ。

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地獄からの生還。 [生活雑感]

コロナ禍での生活のそろそろ2年になり、この間に結婚・出産したりして人生が前にどんどん進んでいる友人もいるものの、私の場合は目標を見失って停滞している。


去年はまだよかった。

3か月、半年、1年・・・まあどんどん伸びるにしても、それくらいで元の生活にもどると思ってたので、その間にできることをしよう、という風に思うこともできたし、希望がもてた。


もちろん希望のところに転職もしたりして、給料も上がったし、なんとか働けてるし、全然進んでないわけじゃない。

その一方で、絶望している。

ワーケーションの最中や、ワーケーションから帰ってきた瞬間は幸せを感じてたのに、その翌日から「なんだこれ。これが俺の人生か」という虚無感にとらわれ、あらゆる気力が失せてしまった。


ワーケーション中は、仕事も遊びも一生懸命!という感じで、観光しながらも意欲的に仕事してたのに、帰ってきたら何もかも嫌になった。

それでもなんとか仕事だけはしてたけど、仕事以外の時間はベッドから起き上がる気力すらないような状態。


特に衣替えの途中でワーケーションに行ったんだけど、そのしっちゃかめっちゃかな部屋を片付けないことには地獄感が半端なかったんだけど、それを片付けるまでが長かった。


きっかけは忘れたけど、まあなんとか片づけて、地獄から生還したと思った。

だけど自分でもわかってた、これはなんというか、そんなに簡単なもんじゃないということが。

まだまだあやういところにいることが。


そして今も私はまだまだ危ういところにいる。

なんとかしてふっと、地獄の外に出られる瞬間もある。

何でもいい、外出すれば景色が変わり、ああそういえばこんなことをやりたかったな、やろうとしてたな、みたいなことが思い出されてきて、こっち側に戻ってこれる。


そうすればしばらくは大丈夫。

でもふとした瞬間に、また地獄の沼にはまってしまうと、生きる意欲が、希望がわいてこなくなって、つらつらと眠るだけの人になってしまう。

ほんの少し前までは、まだ私の人生どうとでもなると信じられてたし、やりたいことも沢山あったし、そのためにやるべきことも明確だったし、どうとでもしてみせると思っていたのに、なんだか気持ちが弱く虫の息みたいになってきてしまったのは、なんでなんだろう。


もちろん、ホリエモンの「それでも君はどこへでも行ける」みたいなことが私のアイデンティティとしてここ7年くらい生きてきている中であったのだと思うと、コロナが私のアイデンティティをゆるがせているのはあるだろう。



仕事が私をまだ現実のこの世につなぎとめてくれているから、有難いと思う。

仕事があるから、我にかえることができる。


でも、仕事や職場があっていないことが自分を絶望させることの片棒を担いでることにもなっているのかもしれないとも思う。

なんというか、新天地に希望を抱いていたのに、新天地の実態がわかるにつれて、この世に天国なんてどこにもないんだという絶望が押し寄せてきてるのかもしれない。

以前だったらまだ、ここじゃないなら、あそこだっていう気力があったのが、もうだめだ、どこにもないって気持ちになっているのかも。


いずれにしろそんな風に、ただ死なないために生きてるような日々が続いて、人生ってそんなもんじゃないだろ、何してんだ俺、生きろ!という気持ちは頭をかすめながらもまた意識が遠くなる。


そんなとき、神田沙也加さんの訃報。

ショックで目が覚めた。

俺はまだ彼女に比べたら大丈夫だから、こうしてまだ生きているのだ。だから生きなきゃと。


こうしてすべてに対しての気力を失っているのは、「どうせ俺なんてだめだ」とか「人生もうだめだ」という気持ちになってきてしまっているからだろうけど、それって主観でしかないことを思い出させてくれた。


成功して人気で、ほとんど全てを手に入れているように傍から見える人でも、その人が内面にどんな地獄を抱えて、今日をやっとのことで生き延びているかなんて他人はあずかり知らない。


もちろん、幸福そうに見えて、本当に幸福な心持ちで生きている人もたくさんいるだろうけど、そうではない人だってゴマンといることを忘れちゃいけない。

仲間はいっぱいいて、自分だけじゃないこと、それに自分だって、今は地獄から抜け出せない気持ちでいるとしても、3日前には「なんて幸福なんだろうか」という気持ちがあったこと、少なくとも1か月前には、色んな前途洋々たる計画を立てられるくらいには気力があったこと、このままエンジンが動かなくなることはなくて、またエンジンがかかることを信じること。


みたいなことを思い起こさせてくれた。

ちょうどIKKOさんの東洋経済オンラインの記事がTwitterで表示されてきた。



1日1ミリでも前に進むめば大丈夫。

そうね、、私もそう思うけど、何が一ミリにカウントできるかわからないけど、私は今日、ずっと逃避してきたことを1つやったから、まあ1ミリ進んだだろう。

あと1つ、ずっと逃げてることがあるので、それも今夜中に済ませて寝よう。


だけど、今日思ったことがあって、毎日何かひとつは新しい冒険をすることにしたいと思う。

入ったことのない喫茶店に入ってみるとか、買ったことがない食材を買ってみるとか、作ったことがない料理を作ってみるとか、ふだん連絡しない人に連絡してみるとか、読んだことがない作家の本を読んでみるとか、久しぶりに絵を描くとか、そういうことでいいから。


まあでもそれよりも何よりも、人生がどんなに前に一歩も進んでなくても、とにかく外に出て外気を吸って歩く。

歩いていれば、空の青さや、月の光や、何かしら生きてる感じがするから。

人生を前に進める何の役にも立たない時間に思えても、そんなこともないから。

どうせ部屋の中で愚にもつかない考え事をすることに時間を使ってしまうんだったら、外に出て筋肉を刺激して、血の巡りをよくして、ほんの少しでも脂肪を減らしたほうがいい、たぶん。


うつ病をわずらった同僚が、とにかく日の光を浴びるようにしたってことも言ってたけど、そうだ。

とにかく日の光を浴びて歩く、ちょっとそういうことが重要な時かもしれない。


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ワーケーション。愛と幸せについて考える。 [生活雑感]

コロナ禍だからか、1500円とか3000円とかで、結構いい部屋に停まることができるので、時々ホテルでワーケーションをする。

が、それでも東京だと面白味がないので、今回は札幌・小樽に1週間出かけてきた。


家の中にいると、雑務に目が行きがちで、雑用に追われたり、雑用を気にかけながら逃避したり・・・

そんな感じで、本当に重要なテーマに目がいかなかったり、時間を使えなかったりするしさ、なんかこう、何もない真っ白い優雅なホテルの部屋に行けば、少し違うんじゃないかとか、気分転換して別の発想が生まれるんじゃないかとか思ったりしたのよね。


もちろん楽しんできた。

だが1週間して帰ってきて、はああっ幸せ!!!

自分の部屋は大好きだが、その愛を確信した。

もちろん、不満もある。

もっと広いキッチンが欲しいし、もっと広い部屋のスペースが欲しい。

だけど、自分の好きなものと、自分が必要なものに必要十分に囲まれたスペースって夢の最強ルームよね、既に。


俺幸せだなーって、幸せを実感した。

これがコロナ禍前だと、さて明日寝坊しないように早く支度して寝ないと!とかがあるけど、その心配はいらない。

明日も家から働けばいいのだ。

それがなんとも幸せ。

もう、明日の計画を立てたりしなくていいし、ホテルの場所や予約、行き方、チェックアウト時間、電車や飛行機の時間や値段、そんなものは気にしなくていいのだ。


まあそんな幸せに浸ったのも、久しぶりにお酒に酔ってたせいもあって、なんで酔ってたかといえば、やっぱりもう計画しなくていい、どこにも行かなくていい、あとは記憶に従って帰るだけ、というリラックス感があってのものだろう。


結局、家が好きで気に入っていて、かつそこまでストレスなく今働けていて、さらに家から働けている状況がとっても幸せなんだろう。


さてそして愛とは何かについても、気づいたら考えていた。

それがホテルでのことか、帰路のことかは覚えていない。

そんなことをぼーっと考える余裕ができたのは、やっぱり雑事から離れられたワーケーションあってのものだし、リラックスして久しぶりにお酒を楽しめる気持ちになってのことだと思ったことは記憶している。


欠点すらも愛せることだ、とか。

そのためなら自己犠牲できる対象だ、とか。


人によって、そんなの本当の愛じゃない、とか、深くないとか、色々いう人がいるし、究極を言い出したら、母性愛であり、自分の命に代えても赤ん坊を救いたい、という自己犠牲精神になるだろうけど、じゃあそこまでの究極のもの以外は、愛じゃないのか?といったら、そんなことないと思うよね。


と思う私にとっての愛とは、「愛してる」って自分が口に出してみて、その気持ちにウソがないと思える状態のことだ。

「愛してる」っていう言葉の定義は、個々人の成育歴と言いますか、読書歴とか、家族の影響とか、経験とか、理解と認識によるので、そりゃあ違ってくるよね、なので、私の中で勝手に、愛してるっていう言葉に対しての、認識がある程度固まっていて、それにそぐうかそぐわないかってだけなんだよ。


で、どういう状態を自分は「愛してる」って言葉で当てはめてしっくりきているのか。

それは「大好き」とは違うのか。


さて大好きとはほぼ同義だけど、違うのは深みと継続性かな。

自分の人間存在をかけて、そう言えるか否か、みたいな部分。


たまたま今大好き、という「点」の状態を示すのが大好きだとする。そこには自分の存在や責任はない感じ。


それが「愛」ってなると、自分の名を賭けて誓える感じがする。私という人間という存在は、その対象という存在を、それが腐ろうが変質しようが、ずっと所有したり、所属したり、つながりをもっていることに喜びを感じられる、というかね。


そのために自己犠牲ができるか、とか言われると私の場合はそういう観点はない。

欠点を許せるかといえば、YES.

欠点は欠点としてあまり好きじゃないかもしれないけど、それでもその欠点を含有している存在として、その存在を愛する感じだろうか。


でも旅行中に愛は感じられなかった。

なんかこう、自分に引き寄せて考えられるしっくりする感覚はなかった。


が、帰ってきて、部屋にたどり着いて、ぐっと自分に引き寄せて考えられる愛と幸せを感じた。

なんというか、頼りになる感覚はそれなんだよな。


自分のことは自分しかわからない。

じぶんが何を愛していて、何に幸福を感じるか。

プーケットに帰って、ああ帰ってきた、幸せだ、愛してる、と感じたあの日の感覚。

これだ、ここだ、と思った感覚。

あれは忘れちゃいけない。

あれは長い旅路の上での、一つの結論だ。

あそこに戻るべきだ。


もちろんフィリピンを去るときも、泣いて泣いて涙が止まらなくて、フィリピンを愛してるという一つの結論を得た。

そのことも覚えてる。

私がプーケットに出会う前の話だ。

だけどね。


プーケットだと思う。

今の部屋も愛してるよ。幸せだよ。

だけどね、5年近くの海外在住生活が私を変えてしまった。

今はもう日本に帰ってきて2年近くになるから、なんだか普通の日本の人間に戻ったような感覚がなくもないけど、でもいい意味で不可逆の経験をしたということだ。そして戻ってしまったら意味がない。


私が東南アジアで学んだことは、楽しさを幸せをもっと自信満々に追求して生きる姿勢だ。

私には愛される権利があり、幸せになる権利があり、楽しむ権利がある。

そのことを忘れないでいられるなら、東京で暮らすのもいいけど、東京で会社員として働いていると、ついついなんとかドロップアウトしないでサバイブすることとか、コスパとか、キャリアとか、、そういう視点になりがちな気がする。

ファイヤーだって、そうだ。

ファイヤーしたからって幸せになるわけじゃないのに。

ただ働かなくていいという、働くストレス、時間に縛られるストレスから解放される喜びがあるとしたら、それよりも今の働き方をストレスなく、時間に縛られない働き方に変えるほうがベターって話なんだよね。


楽しく働かないとだし、喜びのない職場だとしたら、変えてかないとなー。

自分の幸せを、自分で作んなきゃ。

今幸せじゃないとしたら。


そう考えると、幸せの工作みたいでちょっと楽しい。





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カッコいいことも、カッコ悪いことも両方やれるのが一番なのよ。 [生活雑感]

マツコ会議 Creepy Nutsの回。

マツコが彼らに言った言葉。


・カッコいいことも、カッコ悪いことも両方やれるのが一番なのよ。

・結局伝わるのは、熱量だけ。熱量なのよ。


ハッとした。

今の時代、これだな、と思う。

BTSが人気なのも、結局これだなと思う。


今見てるところだけど、神回になりそうな予感。


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夢をかなえる方法。8500万円の中古マンション購入に必要な年収・・・。 [生活雑感]

ホリエモンがよく、夢がないとかやりたいことがないと言っている若者に、それは自分の夢に「どうせ無理」という足かせをかけているから、といったようなことを言っていて、なるほどなと思うところはあった。


最近の私も長引くコロナなどもあり、、、まあでもほとんど言い訳なのだが、なんだかトンネルの出口が見えない、八方ふさがりな気持ちになる。

出来ることの中に、何もやりたいことがない。

やりたいことの中に、出来そうなことがない。


そういう気分なのだろう。

だが、いっそ、そういうことを取り払って、本当にやりたいこと、本当に欲しいものはなんだろうか?

そう思った時、ふと、本当に欲しい家の案件が舞い込んできた。


このマンションに空きが出たらいいなーと思っていたマンションの、しかも最高の部屋の空きが出ました、というお知らせメールが来たのだ。


最高の立地、最高の眺望、最高の間取り。

いつものそのマンションの前を通りがかって、雰囲気のあるマンションだし、豪華すぎず、なんとなく手が届きそうな風貌の中では最高にステキだなあと思っていたのだ。

さらにその部屋は10階建ての10階、東南角部屋で、広々とした二面のルールバルコニーにぐるりと囲まれているしフルリフォーム済なので、部屋も綺麗だ。

ただし中古で築49年だから、お買い得・・だったらいいんだけど、なんとそれでも8500万円ときた。

8500万円って、いったい誰なら買えるのだろう?


それで調べてみたところ、世帯年収6倍のマンションなら、無理なく買える、といわれているらしい。

つまり、8500万円の部屋に棲むなら、年収1400万円必要とな。


俺一人じゃ無理だ。

そこまで年収が上がるまで何年かかるかわからない、というか、一生そんな年収に達する気がしない。

とすると、結局のところ、やっぱりそれなりの年収のパートナーを持つしかない。


このドリームルームに棲むのに、一人では広すぎるし。

結局そうなるんだなあ。。


ちなみにそのマンションにはもっと狭い部屋もある。

45平米くらいで、賃貸だと月15万円くらい。


そして過去の売買履歴を見ると、45平米くらいの部屋は3200万円くらいらしい。

まあ結局手が届くレベルの部屋はこの辺りなのだろうかね。

でも、微妙。

最上階の眺望とぐるりのルーフバルコニーあってのドリームルームだからなあ。

たとえ同じ建物の部屋だとしても、それがないとなるとなあ。

それがついていたら考えるかもしれないが、結局のところ、45平米というのは田舎で土地がふんだんにあるならいいけど、都心でコストをかけて住むと考えたら、一人で棲むにはちょっと贅沢すぎて無駄スペースがありすぎる気がする一方、2人以上で棲むにはちょっと手狭。




そして3500万円。ドリームルームなら頑張れるかもしれないけど、私がこの値段なら買ってもいい!と思える家の金額って、1500万円くらいを想定してた。

それくらいだったら、まあ家賃を払い続けるよりもいいかなって。

まあ、あと40年くらい生きるとして、家賃毎年7万円で、2年に1回更新料を払ったり、引っ越したりとかを考えて、結局一年に13カ月分くらい払うと想定したところで、3650万円。。


うん、同じ金額を払っても、3500万円の部屋を買ったほうが、家賃15万円の2倍豪華な部屋に棲めるんだからいいという考え方もあるだろう。

ただ結局のところ、買って追わりじゃなくて、管理費だとかで月2-3万円くらい払うことになることと、結局40年の間に追加で1400万円くらい払うことになることが考えられる。


そう考えると、1500万円の家なら追加で1400万円払うことになったとしても、計2900万円で、まあ納得感があるという自分の皮算用もある意味妥当なのかも。


それに何と言っても1500万円くらいの部屋なら、一括で買える。

負債を負わなくてよく、さらに負債を負ってなくても生きていく上にはまず「家賃を払わないといけない」というその大前提がなくなる。


しかも、1500万円くらいまでなら、とりあえず持っといても邪魔にならないというか、無理なく買える資産だからこそ、そこにしばられず、執着せずに人生計画を立てられそう。

貸してもいいし、いつかは住んでもいいし、みたいなことにできるように夢想する。


でも、なんかこう、8500万円の、本当に住みたい、本当に欲しいと思える家を買える人生っていいなと思った。



ものすごく贅沢がしたいとは言わない。

ただ理想の家には住みたいって気持ちはあるし、ビジネスクラスで旅行できる人になりたいし、ちょっと素敵なホテルに泊まって旅行できるようになりたいって気持ちはあるなあ。


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