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レイモンド・チャンドラー「水底の女」の感想。

フィリップ・マーロウシリーズ読んだことあるんだっけかな。
あるような、ないような。

村上春樹の後書に、水底の女、はフィリップ・マーロウシリーズの中ではあまり人気がない、推理小説としての伏線のはりかたの甘さとか、筆致が重さ、説明不足とか、そういうところが指摘されているんだと書いてあった。

なるほどその通りに感じた。
ちょっと退屈したんだよな、でもなんか魅力もあって、結局最後まで読めた。
でも最後の方は、全部読むのがしんどくて最低限、誰が殺されたとかの大まかな流れを追うだけの流し読みからの、最後の決着つくところはしっかり読んだ。

以下ネタバレ。

だいたい、金髪で容姿が似た女が二人出てきて、二人とも行方不明。
一人が水死体であがったが顔はめちゃくちゃ。
という時点で、絶対、Aだと思われてるけどBなんだろうなと思わせられて、結局その通りなんだよな。
なんだよ、そうかと思いきや違う、とかならまだしも、なんだよやっぱりそうなのかっていう。

あとは女性が一人で殺害した女性を湖まで運んで沈めるのを、泳ぎの達者な女性ならいともや容易い、と書いてあって、嘘でしょ?と思った。
小柄な女性が小柄な女性を一人で運ぶのって、全然たやすくはないでしょ。
30キロのトランクを運ぶのだって、車輪があるから運べるんであって、それを車に積み込むとか一人でできるのか、という。

まあでもフィリップ・マーロウシリーズを他も読んでみたいなと思った。
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映画パーフェクトデイズ感想

今ひとつでしたね。
ヴィム•ベンダースは結構好きな監督だったはずだ。
でも何の映画で好きだったのかすらもはや忘却の彼方。
代表作チェック。
パリ、テキサス。ベルリン天使の詩あたりだと思う。
見たのは間違いない気がするが、内容すら忘却の彼方。

ピナバウシュは映画館で見た。
良かった。
が、ピナバウシュが良かったということかも。

さて、パーフェクトデイズ。
独身の壮年男性の日常を淡々と描いて、シンプルTOKYOライフの中にもいろんな交流や生きる喜びがあるのがいい感じではあるのが、結構退屈してしまって映画館でまだ終わらないのかーともじもじしながらやっと終わるのを待った。

TOKYOをいい感じで紹介していると思うけど、やっぱりTOKYOのキャンペーン映画みたいな感じもある。
日本の良さである綺麗でハイテクなトイレや、下町IZAKAYAとかTATAMI生活とか、SENTO文化、KAWAII女の子とか、良い感じで紹介できていて良いなと思う。
が、ちょっとそういうキャンペーン風味を否めない感じ。

あとは、ちょっと人物描写が浅い気がする。
日本人はね、そうそうハグしたりキスしたりしないんです。
この辺は役所こうじ、監督に物申さなかったのかね。
不自然だ。

若い女の子が、なぜ壮年の役所こうじのほっぺたにキスする?
ありえない。
そりゃトイレ掃除に従事してるおじさんにしては、役者さんだからやっぱりハンサムだしシャキッとしてるよね、やっぱり。
だとしてもよ、だとしても黙っても若い子がほっぺにチューまではありえんな。
どんなにエキセントリックな女の子だとしても。

キスしてくるおかっぱエキセントリック少女にしても、
その少女に惚れてる後輩くんにしても、これじゃ意味不明人物すぎる。
もう少し、意味が通るような人物造形ができたんじゃないかと思ってしまう。

家出してきた姪っ子や、その母親、つまり役所広司演じるおっさんの妹とか、おっさんの来歴とか、「匂わせ」で全部終わってるのも残念。
なんとなく、お金持ちの家の子だけど、父親と確執があって、親族と断絶しているのはわかる。妹はそのまま運転手付きの良い暮らしをしているが、姪っ子はおじさんを慕っている。
そのくらいはわかるけど。
あと、姪っ子と妹をハグするのが違和感。
日本人の距離感じゃないと感じた。
日本人が万感の思いを込めたいんだったら、背中ぽん、頭ぽん、くらいじゃない。
それもかなりスキンシップ多めタイプの日本人だと思うけど。
役所広司世代で、かつ役柄のような無口で控えめキャラだったらまずないでしょ。

姪っ子がおっさんを慕ってるのも、若干都合がいい気がする。
まあ許せる範囲だけど。

ちょっとあとね、町山さんの解説を見てから見に行ったのでその影響も多少あると思うが、ヴィムベンダースはなんか、自分がもしかしたらこういう歳の取り方をしていたかもしれない、というのがあるのかもしれないなと思った。

映画監督として成功したからこうはならなかったけど。
失敗していた時の世界線を見てみたい、それはそれで幸福に暮らしていることを願いたい、というのがあるんじゃないかな。
そんなふうに感じた。

そういう意味では、それは本当にそうだと思う。
人の暮らしに優劣はなくて、側から見るとなんだか孤独な暮らしに思えるかもしれないけど、そこには幸福があり、その幸福に優劣はない気がする。
お金持ちにはお金持ち、家族もちには家族持ちの幸福や惨めさや難題があるし、孤独な生活、質素な生活も然りだと。

私の好きなシーンは、三浦友和と役所広司のかげふみだ。
あれはなんかすごく良かった。
あのシーンは傑作だし、自然だった。
壮年のおっさんたちが、敬語で、かげふみするの、あれはとっても良かった。

でもまあ全体で見ると、ちょっと「こうであってほしい」という御伽話の側面が大きいのが気になりました。
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感想:アンダーグラウンド、約束された場所で 村上春樹

私は正直いうと、オウムの時間になんでそんなに村上春樹が衝撃を受けたのかよくわからないし、日本社会が衝撃を受けたの??も、よくわからない。

なぜかというと当時子供だったからだと思う。
色々報道されてたのは勿論覚えてるけど、世の中はそういうものなのかなという受け止め方だったのだよな。

今となってはその後には911があったわけだし、テロというものがすごく意識される社会になったわけだけど。
ちなみにサリン時間は1995, 911は2001と、どちらも20年以上前か。。

そんなわけで、村上春樹は好きだったけど、この2冊にはあまり関心がなくて今まで手に取ることがなかった。
が、ここへ来て関心が生まれたので読む。
なんだっけ、でもきっかけはうずまき猫の見つけ方にある。その中で、これらの話を読んでみたいと思わせる何かがあったんじゃないかな。
こっちも1週間前に読んだばかりなのに既に忘れてるけども。

面白かったのは、約束された場所で、つまり、オウム信者のインタビューの方だ。
特にアニメ作ってた人とか、脱走した人の話が面白かった。
ほかの人のも面白かったけど。

進撃の巨人みがあるんだよ。
進撃の巨人も、理想に燃える純粋な少年が調査兵団に入団して、同期や先輩、上司みたいな人間関係の中で、真の目的を知らされない謎の作戦に突然放り込まれたり、地下牢みたいなところに監禁されて処罰を受けたり、やるかやらないか絶体絶命みたいな命令を受けたり。
変なガスがまかれたり、人々がほとんど拷問に近い刑罰を受けてたり。
お粗末すぎるイニシエーションで、LSDを使われて明らかにただラリってるだけの人たちがぞんざいにそこら辺に放置されてて、は?と覚めたり。

なんに使うのかわからない巨大なタンクを作らされて、兵器??だよな?と思ってると、ある日それを警察の目を欺くために隠せ!となって、その上にカモフラージュでこれまたお粗末な発泡スチロールの巨大仏像を作成したり。
情報が限られている中で、嘘か真かもわからない噂と、目撃した一場面や、階下から聞こえてくる謎の悲鳴やら、そんなものから、誰を、何を信じるか。


要するに信じてた人、憧れの人や同僚に対して、なんだこいつ?と、不信感を抱いたりしつつも、だからといってそこを抜けて生きていく目的も術もなく、既に生活は団体内にあるからそうそう抜けはしない。
さらにサラリーマンが最低3年は続けないと、と、ブラック企業にしがみつく感もあったりするし、そこで重用されてたりすると勿論それは大きい。

東大と美人は重用され、出世が早く、ようするに上にとって特に使える技能がないやつは、労働要員か、はてには毒ガスの人体実験要員にされると気がついて、脱出した人もいるが、東大と美人の側で重用された人は、そりゃ抜けないよね。
だって一般社会には違和感があって自分の居場所を見つけにくかった人だもの。
そこで尊師に、お前は優秀だ、と一目置かれて、ほかの民からは尊敬されたり憧れられたりして、人を顎で動かせるんだもの。

ちなみに電気ショックで記憶を消されたという人も出てくる。二年間の記憶がないという。
電気ショックの刑を受けて、図らずも記憶をなくしてしまったのか。ならわかる。
が、記憶を消すことを目的とした刑なんて存在してたら怖いな。。。

もちろんアンダーグラウンドも読み込めば読み込むほど色々思う所はある。
特にアイルランド人の元騎手の話とか、馬とコミュニケーションをとることが大事だというのが面白かったね。時間と関係ない部分で。
人から罰せられないために、不快な思いを避けるために、馬は行動できる。
でも、それよりも、もっと背中を押すようなコミュニケーションの方が効果があると。
馬がレース中に、もうダメだ!みたいな時、うぁあみたいな声をあげるんだと。
その時な、行ける!一緒に行こう!みたいな励ましをするんだと。
そういう、馬の声が聴ける、馬とコミュニケーションできるところが持って生まれた騎手としての才能なんだと思うと。
なるほどなと思うわけだ。
私も今ペットを飼い始めて1ヶ月、結構ペットにコミットしてるからよくわかる。
異種であっても一緒に生活している時間が長いと声を聴けるようになるのだ。
行動、声、、そんなもんからお互いに何を考えてるのか察することができるようになってくるのよな。

いやしかし、こういう膨大なインタビューで、村上春樹は、その人の家庭の背景、どういう両親のもとでどういう育ち方をして、どういう子供だったか、どういう進学をして、どういう職業選択をしたか、全部聴くし、対話してどんな印象を持ったかも全部書き記していて、そのことにも意味はある。

しかし育成環境というので一番わかりやすく心に残ったのは、知能障がいというより情緒障がいのある兄、おそらく自閉症とかをさしているのかしら、、が肝炎で子供のうちに亡くなってしまったことで、世の中は不公平だと悟った人の話。
その人の場合、それが入信に繋がってるんだなと思った。
彼は、兄は今は不幸でも大人になったら幸せになれるに違いないと漠然と信じていた。
ところが日の目も見ないうちに死んでしまった。
子供心に、何それ?信じて努力すれば、報われるんじゃないの?と思うのはすごくよくわかる。

世の中は弱肉強食で、人は煩悩にまみれている。
生き物飼ってみたらよい。
生き物はみんな基本的には弱肉強食の世界で生きていて生殖に熱心で、そういう意味では煩悩まみれで利己的だ。そしてある日あっさり死ぬ。
生きるって、そういう面が不可欠だ。
でもそれはそれとして、それ以外の要素がすっごくたくさんあって、その中には愛すべき美しいものとか、楽しくて面白いものが結構あるのよね。

なんてことをふと思ったわ。
でもふと、解脱を目指しちゃうってそういうことじゃないのかもしれないなと思った。

心身の不調、生きづらさを解消したくて宗教に向かう人は、、。
要するに、自分で勝手にライフスタイルを選べない状況にいるからこそ、宗教でマインドを超越させれば、現実生活に耐えられるって思考なのかもなと。

まあ謎の健康法にハマってる人って、結局、よくよく話を聞くとアトピーとかうつ病とか中々完治や緩解が困難な健康上の課題を克服しようと頑張ってる一環だったりするし。
宗教は謎の健康法に近いものなのかもしれない。

そういえばTwitterで見かけた過食が止まらないと悲鳴をあげてる子のポストを見てると、ひどいことを言ってくる親や、会社の人がいて、明らかに家も出て会社も辞めた方がいいよ、環境変えた方がいいよって思った。
だからといって飛び出して、どこに行き場があるんだ?どこで生きていけるんだ?っていう問題があるから、彼女はそこで頑張ってしまうのもわかるけど。
なんとかなるのに、と私は思ってしまう。

実際7転び8起き精神でいれば、絶対なんとかなると思う。
2転び3起きくらいに考えていると、私はどこにいてもダメなんだって絶望しちゃうかもしれないけど。
そして、環境を変えれば治るって、結構あることだと思う。

さて今思うとオウムって何考えて地下鉄サリン事件を起こしたんだろ?
なんて思って調べたらなんと!!

以外、時事通信の記事。
https://www.jiji.com/sp/v8?id=20220318sarin

結論から言えば、「日本の王」になることだった。その先に「世界統一」の野望があった。…そう書けば、冗談のように思えるかも知れないが、麻原はそのために教団による武装蜂起、国家転覆を画策していた。

それも東京を制圧するために、70トンもの猛毒のサリンを大型ヘリコプターによって空中から散布する計画で、地下鉄サリン事件以前に、富士山の麓にあった教団施設に大量生成のためにサリンプラントの建設を始めていた。後にプラント建設も殺人予備罪として立件され、有罪となっている。
——

うーん、意味わかんないね。
教義的にはゴキブリも殺せないんでしょ?
いや、その後変わったのか、ポアするに。

「人間がこれ以上悪行を積む前に殺害して救済する」という過激な教義。

って書いてあったわ、どこかの記事に。
いやしかし色々情報収集してしまった。

そして、記憶を消す目的で電気ショックしていてその名もニューナルコ。で、効果もあったという。マジか。
しかも、麻原はどっかん、と命名したのを林郁夫がのちにニューナルコと改めたと。
どっちにしてもキャッチーすぎるだろ。

ダーク・ファンタジーを描きたい若い人が見つけたら、参考になっちゃうような逸話がゴロゴロしてそうで、そういうところが鬱だわ。
この辺で私も切り上げないと。
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映画「アメリカン・フィクション」感想。

私、これ好きね。
良かった。やっぱり自分が中年になってきたせいか、中年クライシス的な話は共感できるし面白い。
おそらく若い人が見たら、ゲンナリしちゃうのかもしれないけど、中年にとってはリアルなんだよな。
ハワイのジョージ・クルーニーの話、ファミリー・ツリーか。
あれもそんな感じだったけど気に入ったもんな。

家族の世話からは逃避してきたけど、それをやってきてくれてた人が亡くなり、自分がその手の世話を焼かなくてはいけなくて四苦八苦しながら、自分の今までの冷たさや至らなさを思い知りながら人生の再構築を図る・・そう、中年になるということは、そういう思わぬ死に立ち会うことでもあり、家族にたいして責任を果たしていくことでもあり。

主題としては、黒人に貼られたステレオ・タイプとどう向き合うか、
そんなステレオ・タイプに迎合した小説を書いたら大ヒットしてしまい、そういう売れるためそれに迎合する作家ってどうなの、とか、いかにもな時代性を扱えばそれを評価しちゃう文壇もどうなのとか、その辺りなのだが。。
それらは、まあポップにライトに盛り込まれていて、まあそうよねーって感じで、シニカルなコメディとして普通に面白かった。
が、普通に人種とか関係なく、中年クライシス・ストーリーとして共感できたし面白かったわ。

なんか学ぶところがあるとしたら、やっぱり正直になることじゃない。
プライドの高い自分、そんなところにプライド持っちゃう自分は小さいよね、というのがわかってるから、隠すわけだろうけど、そういうコソコソしたところは見透かされるし、不信感のもとになる。別に悪いことを隠していると思わなくても、高慢な嫌なやつに見えたりする。

多分そういうところかなと思うわ。
それで彼女に振られるんだもんね、主人公は。

さて、ちょっとなーと思うところがあるとしたら、ゲイの兄かな。
少し人物描写が説明的でわざとらしい気がする。
白人女性とカモフラージュ婚をしていて子供も儲けて、男と不倫しているのがバレて離婚したばかり。でも今はオープンリーゲイとして、ゲイライフを謳歌、という設定なんだけど、なんかちょっと違和感があったかな。

それでも、痴呆が入ってきた母に、あなたまさかゲイじゃないわよね、と言われて出ていってしまうシーン、痴呆の母が、死んでしまった娘が海にいると思い込んで、「あの子泳げないんだから、助けないと」と夜の海に入っていくシーンは切なかったな。

あとはしっかり者で美人でユーモアもあって、、そんな姉が独り身であっさりと50代で亡くなってしまうこと。
これもなんかリアリティがあって悲しかった。
家族もいないから、本当に風のようにいなくなってしまう。
母親は痴呆だから、娘の死をあんまりよくわかっていない。。。

一番のほっこりシーンは、60代くらいのお手伝いさんが、同年代の警官と結婚するところ。
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映画「オッペンハイマー」感想。

びっくり、映画館に2人だけだよ。
本当に経営が心配になるわ。
しかも、公開されてまだ日が浅いよね?
やる気はすごい感じられるのよ、そんなやる??ていうくらいの上映回数。
なんと1日5回。
私が普段観に行く映画なんて、多くても1日2回とかだったので衝撃。
でもいいの?採算取れるの?不安になるわ。

さて難しいねー。しかも3時間。お尻痛くなるスレスレ。
集中力は全然途中で途切れる。

まず基本おっさんばっかりが出てくる。
女性達も出てくるには出てくるけど、恋人、妻、浮気相手なので、事変的なところとの関わりは副次的だし、女性キャラは覚えやすい。
だがしかしおっさん達はなあ。
軍服着てる人はわかりやすいし、テラーは覚えた。水爆研究したい君。
あと太って恰幅のいい人、親友の学者、、、啓示を与えてくれるっぽい引退した研究者。
それくらいまでなんだよな。
あとは一緒に研究してた人が5、6人はいるんだけど、もう誰が誰だか。
さらに会話が難しいじゃないか。
一生懸命目で字幕を追っていても内容が頭に入ってこない。
よって耳も総動員して、英語の勉強のつもりで字幕を見ながら英語を聴いてく作業をするとまだ良かったけど、まあでもさ、早口でどんどん会話していくから、私の脳みそと前提知識のなさでは、内容を咀嚼できる前に次のセリフが来てしまうんだよなあ。

さらに、時代が行ったり来たりするのも、微妙にわかりづらいのよね。
白黒か、カラーかで、その行き来を表現してるのはわかる。
でもオッペンハイマーもずっとおっさんだしさ。
ちょっと若いおっさんか、ザ・中年のおっさんか、白髪混じりの初老か、、という微妙な違いはあるにせよ、ぱっと見はそんなに変わりませんからね。

なので、完全には理解してないので、もう1回見たいくらい。
ただもちろん大筋は理解できたし、あの原爆実験成功するシーンを見るのは痛みを伴いますよ。
これは日本人だからなのだろうか。
それとも、人の痛みがわかる人は、世界中の人みんなだろうか。
そこは気になりましたね。

原爆実験が成功して、三年かけた大ブロジェクトが成功したことに、歓喜する研究者たち。
彼らが歓喜する描写は、本当に胸に刺さった。
原爆のドドドドカーンっていう、凄まじい熱風と音、それからその後に訪れる彼らの成功の喜び、、その描写を見ながら、私は静かに泣いたよね。
なんかこう、悔しいというか、痛いというか、辛いというか。

なかなかこう難しい、普段そんなに映画を見ても感じないような、行き場のない、圧倒的なやるせなさというか。

あとみものなのは、オッペンハイマーが大統領と会談して、「手が血塗られているように感じる」と発言して、大統領に、「広島や長崎が原爆の開発者を憎むと思うか?違う、原爆を落としたやつを憎むだろう。この俺だ」と言った後、「泣き虫やろう、2度と会いたくない」と、保tんど追い払われて悪口まで言われること。

ここは実話らしく、全然知らなかったので良いものを見たと思った。

まあでも日本人としては、映画に不満があるかな。
確かにオッペンハイマーが罪の意識で、祝福をピカドンに感じる、という描写はある。
聴衆が、眩い光に照らされて被爆した人々のように見え、足元には瓦礫、という幻影の表現がある。
でもね、少しマイルドすぎるなと思った。
広島、長崎の被爆者の写真をスライドで見せながら解説されるのを、後日研究者達が見るシーンもあるけど、そこでも被爆者の実際の姿は映らない。
私はね、もう少し、その幻影の描写に、グロさというか、悲惨さをもっとこめて欲しかったかな。
少し淡すぎる気がした。
目玉が垂れている人たちの行列、はだしのゲン、あれこそが原爆というイメージがある私からすると、ね。

まあでもこれを元に改めてオッペンハイマー事件とは何か、勉強したので良いきっかけになった。
あと理解力を試され、頭の体操になる。
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資産5000万円達成おめでとう!一瞬だったけど。

歯切れが悪い。
だって一瞬だったから。
一瞬の達成の後はくすぶってますねえ。
まあでもいいんです。
達成したとき、あんまり実感なくて、それゆえにあんまり喜びもなくてバブル感あったから。
こうやってまた焦らされれば、上がったり下がったりしながら再度ジリジリ上がっていって5000達成した時に、より手堅い感じがするからいいの!調整局面ってことで。
あと20万円とかだし、ま、そのうちな。
N様のご機嫌次第かな。

そんなことより私は最近、新しい趣味が増えて、人生をなかなか楽しんでいる。
楽しい。
まあ人から見たら何それ・・・って話かもしれないが、割と夢に近づいている。
ちょっと飯島レンジとかマサルの影響を受けている・・
それ食えるのか?という、野で拾ってきたもの食うところですが・・・
最近はね、かなりのチャレンジをしまして、満足感高いね。

思えば幼児の頃から裏山の探検が大好きだった、そこでいろんな野の草を採取したりだとか、花を積んで帰ったりだとか、、趣味と言っても良かった。
なので、今やってることは割と自分らしさ発揮してる感あって充実感あるわ。
まあ、大人の女としては、何やってんの?変なおばさん?というのが、世間の目かもしれないが、いやいや、おばあちゃん蓬積んで蓬もち作ってたもんね。
そういう春の味覚を楽しむ系の大人の楽しみにも繋がってるのよ。

最近の満足感高いチャレンジの中でも、つくしを初めて調理して食べたんだが、これなかなか良かったもんね。
これも大人だからこそかもしれない。
子どもだったら、果たしてつくしを美味しいと思えたかどうか。
子どもの頃は、裏山でタラの芽が採れてな。あれは子ども的にも大変美味しかった。
タラの芽もどきもあってな、子供ながらにタラの芽の見分け方がわかるようになってたけど、もう忘れちゃったかな・・・・。
たけのこ掘り、潮干狩りも行きたいな。
そういや昔同僚と言った潮干狩りも、大満足イベントだったが、あれもかれこれ随分前になるか・・。
まあいずれにしろ、これらの新しい趣味は、引っ越してこなければ始めようと思わなかったことだと思う。
東京だって、別に自然が全くないわけではないんだけど、、なんだろうね?
こういうことをやろうという気にはなってなかった気がするし、やっぱり海は偉大だなと思う。
自然は、季節によっていろいろな顔を見せるのは、どこも一緒で、特に桜の開花なんかはその最たるものではあるのだが・・海は1日でも姿を変える。
しかも遠いどこかと繋がっている。
だから、海の漂着物はロマンがあるんだよな。恐怖もあるけど。
そう、死も身近だ。死んだ魚、死んだ蟹、死んだヒトデ、、、死んだ鳥、死んだイルカ。
いやあれはイルカだったのだろうか、スナメリとか、クジラの赤ちゃんとか、何か違う海洋哺乳類、海獣だったのか。。
どうして、胸の上だけ切り取られるようにすっぱりと切断されて、上半身だけがあったのか。
人の仕業だとしたら、その人たちは下半身だけを持ち帰ったということなのか。
なぜだろう。食べたのか。
謎は尽きない。

でも今日自転車漕ぎながら、田舎暮らしといってもこれぐらいが限度っすよ、と思った。
それでも慣れた。越してきた頃は、正直、人口密度の低さが、ゴーストタウンみたいで怖かった。おそらく都心と比較すると、人っこひとり歩いてないだけではなくて、街灯も暗いんだろう。ゾンビに全員喰われた街、みたいな気になってくる。
あ、でも、そこまでのことを思わずに、平然としてられるようになったな、とは思ったの今日。
それでもさ、まあでもこの程度が限度かな、となんか思いましたね。
限度というか、ちょうどいいんじゃないかなと。

これから宅急便とかが不便になっていく。
店だって、24時間あける必要あるの?という時代になり、バスや電車やタクシーも以前より不便になっていく予感。だって働く人が減るんだもんね。
一回手に入れた便利さが、どんどん便利になっていくんではなく、また不便な方に戻っていくって切ないけど、思えばそういうことってあるのとカンボジアで教えてもらった。
カンボジアには鉄道があった。
今は動いていない。戦争で設備が壊されたか、国力が衰退してメンテナンスする費用がないからか、そんなような理由で。貯水池だったかな、そういうインフラも前はあったものが機能していない。戦争や、政権のせいで。
切ないな、と思ったけど、あるんだなあ、しみじみ。

昔は栄えてた炭鉱町、みたいなものは沢山あるんだから、街単位で言えば常にある話なんだけどさ・・
まあでもさ、死ぬ直前まで生きることを考えていくのがいいなと最近思う。
いかに死ぬかとか、いかに人生を軟着陸させるか、みたいなこたあどうでもいいかもと。
前のめりに死んだ方がいいなと。
もちろん自分でそろそろだなと思えてきたり、余命宣告されたりしたら、その時に考え始めるだろうけど、その時からでいいんじゃない?と。
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