本当はもっと悲惨な現実の「火垂るの墓」。 [気になるもの]
最近、割と見てしまうのが、リアクション動画。
もちろん、曲へのリアクションが多いんだけど、映画もあるんだな。
しかも外国人にどこまで伝わるのかっていうが興味深いのもあってみてしまう。
今回、「火垂るの墓」のリアクション動画を見ているうちに、色々と気になってしまった。
さらに「火垂るの墓」は、もうずっと昔に見たっきりで、詳細を忘れていたこともあり、全編見直してしまった。
さて、大人になってみると、見えてくるものが違うというのもなるほどだった。
まあ子どもの頃にどういう視点で見たかも今となっては思い出せないんだけど。
で、野坂昭如の原作だということは知ってたし、自伝的要素があることは知ってたけど、
この度、野坂昭如のエッセイを読んでより大人としてはかみしめた。
これは、「誰も知らない」と近い要素がある。
子どもが子どもの養育を一手に引き受けざるを得ない状況に追い込まれ、結局小さい弟や妹が死んでしまうという。
そして「誰も知らない」も、実際の事件をもとにしていて、だけど実際は子供の年齢がもっと低かったこともあって、もっと悲惨だっただろうなと思われたんだけど、野坂昭如の場合もそうだった。
火垂るの墓を見て、アニキのせいで妹が死んだ、とズバッとコメントする人はそう多くないが、中にはいた。
そして、実際に野坂昭如は「自分が妹を殺した」と、発言してたんだね。
自分は実際はそんなにやさしくなかった、せめてもっと優しくあれたらよかった、という贖罪の気持ちで小説を書いたというのは、本当にリアルだなと思う。
しかも彼はエッセイで、もっと告白をしている。
彼は14歳、妹は1歳半とかそれくらい。
いや、4歳ならまだしも、1歳半の子を14歳の少年が、食料がない中で育てる知恵があったかといえば、もう本当に仕方がないレベルだとは思うが、野坂昭如は自分の罪を告白する。
食べ盛りの彼は、飢え続ける中で、食欲を抑えられなかった。
妹にもっと食べさせてあげないと、食べさせてあげたいと思いながらも、いざ食べ物を目にすると、餓鬼に転じて自分が奪って食べてしまう。
米と重湯に粥が分離してたら、米を自分が食べて、重湯の部分を妹にあげてしまう。
食欲と生存欲に愛は勝てない、と。
でも確かに、勝てるのは、腹を痛めて産んで、苦労して育て上げた子どもに対する親の愛くらいだろう。
14歳の少年にそれを求めるのは難しい。
さらにアニメのように、夜泣きを近所のおばさんに責められるので、夜中は背負って外に出て歩いていたが、自分も眠いし、妹の頭を殴っていたと。殴ると静かになってコツンと眠るから、と。
だが、後年、それは赤ん坊は脳震盪を起こしやすく、ささいな打撃で脳震盪を起こすと知り、それは脳震盪を起こして気絶していたのだと悟って、愕然とする。
結局アニメ同様、妹は栄養失調で、終戦の1週間後に死亡する。
しかもアニメだけだとわからないけど、納得するのは、実は野坂昭如も養子であり、妹も養子。
だから年の差が大きく、間に子どもがいないのも納得。
さらに、やはり金はあったけど、金があったからといって物が買える情勢ではなく、その金をうまくつかって物を調達する能力が14歳の少年にはなかったと。
それも映画を見た人の疑問ポイントになりがちだが、納得。
というわけで、原作の小説も機会があったら読んでみたい。
が、この野坂昭如のエッセイにより、このアニメの意義が自分の中で高まった気がする。
中にはどうして、こんな、暗い救いのない話、たしかに反戦映画としては優れているけれど、と感じる人もいたかもしれないけど、これは救済の話なんだとわかるとすごく納得する。
つまり、妹を死なせてしまって、自分だけ生き残った野坂昭如の鎮魂の話だと思えば、「これくらい妹に尽くして、一緒に死ねたらよかったのに」という心残りと現実の間の話だと、そういう風に思えば、戦争当時や災害やらを生き残ったほかの人たちにとっても、すこし気持ちの慰めになることもある作品かと思う。
この作品は、ただ悲惨なだけはなくて、必死に支えあって生きようとするいじらしい兄弟の、兄弟愛を見せてくれる話でもある。
もちろん、この映画を見た戦争経験者の感想としては、「こんな子はまったく特別ではなくて、当時くさるほどたくさんいた」という風にリアルにまあこんなもんだったよ、という意見をいう人もいれば、「ファンタジーだ。現実はこんなもんじゃなかった」という意見をいう人もいるらしい。
そして、実際どちらもそうなんだろうと思う。
こんなことが現実でたくさん起きていて、でも本当はもっと綺麗ごとではなかった。
野坂昭如の身におきた現実でありつつ、少しやさしい話にしている、まさにその通りなんだろう。
だって、本当に本当のことを書いたら、万人が見られるアニメ、ジブリ作品にはならないもんね。
でもなんというか、これが野坂昭如自身がが必要としていた救済の話だとわかると、それは文学としての意義であり、本物の文学で、嘘のない、本物の話だなと思う。
嘘っぱち、ただの甘やかな都合のいい作り話、それでもフィクションに意義があるのは、それが魂を慰めることができるからだ。
やさしい兄の話を、彼自身が必要としたんだから、優しい兄の話が文学として正しい、というような。
さて、戦争孤児になった人たちの、今までずっと辛い経験すぎて口にすることもできなかったけど、ようやく口を開いた、というような思い出の話をNHKで先日見た。
確かにかわいそうだった。たしか兄弟別々のところに引き取られたが、小学生の妹は、傷口からうじが沸いていて、それを気味悪がられて学校でイジメにあって、それを苦にして列車に飛び込み自殺した、姉である私はもう少し精神的に図太かったから差別されてもいじめられても平気だったけど、、まあそういうことがあった、という話。
誰しもが余裕がない時期だからこそ、そんな中での人の優しさは身に染みるし、逆に弱い者から奪う、みたいな醜いこともたくさん起きたんだろうと思う。
そういう意味で言うと、この映画は、戦争からは多くを奪われて、理不尽を被ってるけど、ひどく人間から虐められたり強奪されてりしているわけではないだけでもまだいいかもしれない。
想像でしかないとしても、豊かな時代に運よく生まれた私個人としては、やっぱり王道の見方として、こういう風に犠牲になった子供たちがかつての日本にはたくさんいて、世界中には今もいて、その犠牲の上で生きているということを忘れてはいけない、忘れずに世界をよくしていく努力をしないとけない、ということだなと思う。
2021-02-04 15:14
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