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地獄の淵くらいまでなら付き合ってあげる。 [メディアまわり]

今日のプロフェッショナルは真剣に見た。

ひきこもり支援の石川さんの話だ。


日本に帰国して、今の仕事になんの社会的意義も感じず、今まででもっともやりたい仕事じゃない・・と感じている私は、社会的意義のある、これだという仕事。


ひきこもり支援というのはピンときた。

彼の言葉は響く。


自分が実際に体験したことは、自信をもっていいんだぜ。


精神的な飢餓状態にあるひきこもり青年に、

人とのかかわりからやさしさやらをシャワーのように浴びて何かを感じてほしい、と願う。


働けっていうのは、金銭を稼げっていう意味じゃないと思う。

社会的に意義のあることをしろってことだと思う。


自分は施しを与える立場なんかじゃない。

自分だって元気になりたい。

一緒に元気になれるから、いい。


3歩進んで2歩下がるで、いい。

それを繰り返して前進する。


どういう選択をしたとしても応援してあげるから心配しなくていい。

地獄の淵くらいまでだったら付き合ってあげるから。


素人の目線で、プロにならずにアマチュアイズムで高みを目指したい。


色々とインスピレーションをくれる素敵な人だ。


中年引きこもりというのは、私にとっても見て見ぬ振りができない、他人ごとではない病理だ。


進学校に進学はしたものの、なんとなく馴染めなくて、ドロップアウト寸前、ニートがかったまま、、なんとか大学に進学したことで少しずつなんとかなっていったものの、高校時代の友人はみんな私が社会不適応気味ながらなんとかこうにか、生きづらいまま、それでもどうにかやっている、というような人間であることは知っている。


私はそういう人間で、いつか立派な大人になったら、親との関係に悩む思春期の子供の力にいつかなれたらいいとぼんやりと思っていたことだってある。

それこそが、そういうつらい経験を潜り抜けた私にしかできないことだ、そして私にはやりがいをもってできることだ、と。


結局、立派な大人にもなれないまま、その頃の苦しい思いも忘れつつあるが。


どう助けになるかはわからないけど、それでも石川さんのように、一緒に東南アジアや沖縄旅行に連れ出して、引きこもりの人が生きる気持ちを取り戻すという話がありなのであれば、それこそもっと外こもりを推奨する方向での支援ができるような気がするな、などと思った。



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日本の意識の変化に希望を感じた今日。 [メディアまわり]

定期的に気持ちが落ち込むことがある私です。


今週末はなんだかフィジカルにものすごく疲れてて、出かける予定をキャンセルするぐらい。


なんか気持ちもついていけなくて、疲れてた。


それで何をしていたかというと、起きてるときはぼーっとユーチューブを見てた。

で、なんて後ろ向きな休日の過ごし方!?と思われる人も多かろうと思うけど、ユーチューブからつくづく世の中変わったなということを改めて感じ取って少しい気分になった。


ユーチューブで稼げるらしいよ、という情報が耳に届いたのは10年くらい前かな。。

まだまだユーチューバーっていう職業名もなかったころ。


そして数年前くらいには、時々、性同一性障害の人、とくにFTMの人がテストステロン注射を打って経過を報告する動画を上げてるのをよく見てた。

でも海外の人のチャンネルは多かったけど、日本人の人のものはまだまだ少なかった。

いても、ハーフで海外経験が長い子とかが多かったし、マイナーな存在だった気がする。


ところが、すごいのね、今。

日本人でのレズビアンカップルユーチューバーとかゲイカップルユーチューバーとか性転換者ユーチューバー、二丁目ゲイバー店員ユーチューバーとか、LGBT関連のメジャーチャンネル、メジャーユーチューバーのなんて増えたこと!!!


ユーチューブが、自己表現の場として、それで稼ぐということが完全に市民権を得てこそなんだろうな。


あと同時にびっくりしたのが、ユーチューブで自らの整形のビフォーアフターを公開してる人もとても多いのね、いまや。


どちらにも共通点があって、昔だったら、公開することを控えるような事柄を前面に出して、これが私、これが私の生き方です、というのを公開しやすくなった社会の変化があるんだと思う。

昔だったらいくらそれが収入に結び付くとしたって、大公開する人は少なかったように思う。

そういう人が増えれば、加速度的に、公開してもいいんだ、という人が増えていく。


すごい変化だと思った。


私は昔から、心の具合がよくない時には、LGBTの人の感性に接してると救われるというか、心が楽になるので、定期的に、断続的に、LGBTの情報を見る。

だけど、私がレズビアンだとか、本当は男になりたいのだとか、そういうはっきりしたものはないので、なんだこれは?と思ってたんだけど、最近は情報が増えて、Aセクシャルとかノンセクシャルとかパンセクシャルとかいう言葉もだいぶメジャーになった。


さらに、青木花音が実際のところ実は幼少期から女の子になりたかったわけじゃない、そこまで男の体に違和感があったわけじゃない、ただ男性としての役割を求められることにものすごく違和感があって、無理、と思ってたし恋愛対象が男で、男に女の子として愛されたかったからだ、だから女に性転換することにした、今までややこしいので、子供のころから心が女の子、ということにしてたけど実際は中性って感じ、ということを言っていて、すごく共感した。


私はまさに青木花音の逆バージョンだなあ、と。

女性というジェンダーの役割を当たり前として求められると、ものすごく死にたくなるというか、なんで?という猛烈な不快感があるし、絶対無理!!!という気持ちがある。

さらに、男性は好きだけど、恋愛において男性に、女として愛されることに違和感がある。

だから、レズビアンとかゲイの同性同士の関係にヒントがあるような気がしてしまうんだと思う。

男と女、という関係じゃなく、人同士として愛し合えないものか、と。


そのあたりですごく生きづらい思いをしてるのは確か。

社会的にも、恋愛的にも、違和感を抱いてしまう。違和感どころか、怒りとか拒否反応だよな。


確かになー、そういう意味だと、姿かたちを男にしてしまったほうが生きやすいのかもしれない。


ただそれなりに長い時間をかけて、自分が女性の外見をしていることを受け入れた気がする。

思春期はたしかに自分の体が女性化することを受け入れがたく思ったけど、そういうのは大人になる過程で多くの人が経験することのような気がするし、その範疇のちょっとひどいのかも?と思ってた。


でもって、20代後半くらいになって、なんとなくそれは受け入れることに成功した気がする。

そして今ではなんとも思わない。別に子供のころに男の子になりたいと思ったことがあるわけでもないし、、そもそも別に体に違和感があったわけではないから、10代、20代みたいな性差をつきつけられる季節じゃなければ

自分の外見なんてなんでもいいんだと思う。


そして自分の恋愛対象が男女どちらかなのかというと、実にどっちでもいいと思う。

別に相手の性別は気にならないとうか、男性に恋をすることはあるんだけど、その好きになり方に、性の要素は含まれないし、女性を好きになるときと同じなんだよな。

それで、恋って何?とずいぶん混乱してきた歴史がある気がする。


なんてことをブログで口走っても普通だし、平気な時代になった気がする。


いつもLGBTの人の話を聞いたりしてて、ほんとうに性自認というのは、グラデーションなのが普通なのかもしれないということを結論として思った。

それぐらい様々な情報に接せられる時代になったなあと。


ゲイは、男として男が好きな男であって、別に女になりたいわけじゃない、というくくりになってるけど、実際のところには、正直いろんな人が含まれてるんだと思う。

トランスジェンダーよりの人から、ストレートよりの人まで。


同性にあこがれる感情というのも普通のことだし、あこがれることと恋愛感情の違いだって、どこから?と思うし。


そう考えると、私も完全にどストレートではないけど、くくりとしてはストレートの範疇?という感じで、すこしはみだしながらもノーマルな存在なんだろう。


そういえば発達障害だってそうだな。

最近は、発達障害という概念が浸透して、いろんな有名人が、私は発達障害、と告白したりしてるけど、それも似た社会の変化だ。


私はたぶんこっちも怪しい。


でもこれも、すごく普通のことで、普通から普通じゃない、まではグラデーションで、どこからが普通じゃないとはなかなか言えないものな気がする。



そんなわけで、たとえばカップル動画とか、どっきり動画とか、もはやフィクションとノンフィクションの境目があいまいになっているこの感じ、ひと昔前のSF映画であったようなシチュエーションが加速度的に現実になっているこの感じに、若干の恐怖を感じつつも、そもそもプライバシーっていう概念自体が少なくと日本ではここ数十年のものなわけで、自分の肉体も自分の時間も、子供だとか旦那だとか親やらなんやらにある程度ささげるのが女の人生であり続けてきたことを考えたら、自分の肖像やら感情やらを不特定多数に、全世界に公表し続けることなんてたいしたことじゃないのかもしれない。


なーんて、思った週末だったのは、実はけっこうまえの週末w

書きかけたまま下書き保存してた記事をアップしてみることにした。



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性犯罪者と殺人者の更生の余地 [メディアまわり]

知人が性犯罪者の更生にまつわる映画を撮っているということで、考えてみた結果。
よくある、
「○○だけど訊きたいことある?」
を検索してみることにした。

最近、ハフポストで衝撃の記事を読んだので性犯罪者の思考というのは、我々女性からしてみたら思いも及ばないものであることも記憶に新しい。

ちなみにハフポストの記事はたしか、痴漢に走る人間の動機は想定外、女性も把握しておくべきである、という趣旨のタイトルで、内容はとしては、多くの人は、性犯罪者は有り余る性欲をコントロールできずに衝動的に犯行に至るのではないかと想像しているが実際は違う。
多くの性犯罪者は、ただのストレス発散、ゲーム感覚で、スリルと全能感を味わうために 自分より弱い無抵抗な存在をいたぶることで支配欲を満たし人生を楽しんでいるだけなのである。
という話だった。

さて、vipperでレイプ犯何人かの告白を読んだけど、彼らの告白には共通するものがあった。

★6年やら10年や収監されてもうレイプする気はないけど、それは収監年数を考えると費用対効果が悪いからってだけ。または親にはこれ以上迷惑かけるのもちょっと悪いよね、とは思っているから。
つまり相手の女性に対する罪の意識なんてものは今も昔もない。
反省するような奴は刑務所なんかに来ない、と彼らは豪語する。
発達障害だから、ともいう。

★レイプを成功させるために、彼らはまず女性の頭なり腹なりを殴りつけ、またはスタンガンを押し付けるなりして、相手がグッタリして完全に戦意を喪失させてからコトを行う。

というわけでさ、私はやっぱりGPSつけられて、顔写真公開されるくらいでいいと思う。
更生とか、ムリだよ、そういう一般人の常識が通用しないんだよ、性犯罪者には、、と性犯罪者が自ら語っている現状で、一般人の人権を当てはめても意味がないと思う。

彼らは余地があればやる人間なのであり、余地をなくすことがお互いのためだと思う。

女性をバシバシぶん殴って大人しくさせることに何の罪の意識も感じない人間が、この先人を愛することが出来るとはどうも思えない。
愛着のある人とかはいるだろうけど、それは猫がエサをくれる人になつくようなもので、人が人に期待する愛とは違うのではないかと思う。

痴漢の犯人にしたって、10回やって1回捕まって、保釈金だかなんだかを何十万円とか払うから1回いくらと思うと費用対効果は悪くない、とか語っている始末。

捕まって、社会的制裁を受けて社会的に抹殺されて人生終わりじゃないのか?とふつうの人間は思うだろう。
人生終わってほとほと後悔先に立たずだったのではないかと。
ところが、彼ら性犯罪者は前しか見ないのである。
反省も後悔もどこ吹く風。
前科あったって、前科あるって言わなきゃいいだけの話。収監されてた間のブランクだってバイトしてたって、言えばいいだけの話。
と、のたまう。
まあ実際、賞罰について面接で聞かれて嘘を言ったら罪だけど、聞かれなければ申告の義務はないそうだ。
ふつう聞かないと思うしね、面接で。
会社が興信所使って身元確認をするような会社でない限りわからないというものらしい。

そして要するに性犯罪者にとっては無賃乗車くらいのものなんだと思う、彼らにしてみたら。
キセルは絶対できない、というシステムにしてあげる方がお互いのためによいと思う。

さて、それで思ったけど殺人犯の方がレイプ犯よりまだ救いがあるなということだった。

殺人犯だけど質問ある?
シリーズも読んだけど、1件はDQNとしてもほかの2件はレイプ犯と比べたら人間として、ずっと理解可能だった。
1件は父親の敵討ち。
父1人子1人の状況で最愛の父親を保険金殺人した相手を殺害。ここでその証拠がなくて思い込みだった可能性もあることや、法の元に追い詰めるのではなくて自らの人生を棒に振っても正面からメッタ刺しにいってしまうところに問題はあるが、少年漫画とかでよくありそうな展開で人間として理解はできる。

もう1件は過剰防衛。夜道でDQN集団にカツアゲされた際に、相手の持ってたナイフを拾い上げで逆襲し暴漢を殺してしまったというもの。

というわけで、こういう殺人は余程の状況に追い込まれて犯してしまった罪ともいえて、普通に暮らしてるとなかなか同様の状況にぶちあたらないので、再犯のリスクはそもそも低い。
更生の余地もあると思う。

さてしかし、こんなディープな検索をしながら、川村元気の億男を読んで、うつらうつら眠ってしまったりしていたので印象がミックスされていたりする。

特に保険金殺人の話はすごく億男と似た世界観だったわ。

まあそんなわけでさ、これは専門家でもない私がビッパーを読んだ感想な訳ですが。
性犯罪者の精神性って、近所の猫を惨殺するサイコの精神性に近いと感じる。
自分より弱い無抵抗なものをいたぶって、興奮して、やめられなくなったり、エスカレートしたり。
サイコパスに更生が効果があると思ってる人は少ないと思うけど、同様に私は性犯罪者にも効果ないと思う。

ちなみに私は東南アジアで、とある犯罪の話を聞きましたが、詳細を聞くにつれ、本当にクズでした。
クズ犯罪を犯す奴って本当に、他人のことなんか全然考えてなくて自分の欲望を貪欲に満たすことしか考えてない。
やっぱりその精神性はカナエっぽいというか、自分に都合の良い虚構の世界をいくらでも作り出せる虚言癖に近い自由さがある。
オッサンだったけど。
都合の悪いところは嘘。
良心の呵責が全くない人間は、嘘をつくことにもなんの抵抗もないからね。
都合の悪い人間はサクッと殺せる精神性にも、人から騙し取ったお金で優雅に生活を楽しめる精神性にも通じる。

結局その犯人も、中年オッサンだけど、もう何度もそういうクズ犯罪を繰り返しているらしく、、更生とかないだろなと思った。
悪い意味で、クズって本当に自分の都合のいいように前しか見ないんだ、と、なんだこの世界と思ったことある。
責任感があり、まともないい人間が、ポジティブシンキングだとか、自分を責めないように努力する中、クズはなんの苦もなくポジティブシンキング。

ちなみに性犯罪といっても、覗きとか下着泥棒とかは万引きとか、依存症に近い部類で精神科の治療でなんとかなったりしそうな気もするけどね。
 
というわけで、私はこの映画見てないので知らないけどさー、ヒミズの性犯罪者がリアリティある気がする。

訳ありだけど全然いい人に見えて、でもやっぱり違った、、、というあれ。

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がるちゃんで凹む結婚できない人の特徴。 [メディアまわり]

最近けっこうがるちゃんを見ちゃうね。


けっこうおもしろい。

ヤフー知恵袋とか、教えてグーとかの人生相談とかも面白いんだけど、あっちは

回答者層にばらつきがありすぎるので、けっこう意見がばらばらなんだけど、

がるちゃんはさすが、ガールズちゃんねる、女子トークを楽しみましょうっていう

コンセプトなだけあって、おねえさんからおばさんが回答してるんだろうなーって感じで

ふつうの一般女子の意見って感じが、なかなか参考になる。


で、最近ふと「身の回りの結婚できない男女の特徴」というのが、胸にささるものがありましたねえ。


いやあ、ほんとそのとおり!

自分の身の回りの高齢独身者の特徴、だから・・っていうやつが、

自分にもけっこう当てはまっていて、(>_<)。。



でもね、別にもうどうしようもないってことじゃあないんですよな。

確かにありますよね。


理想ばっかり高くなって、身の程を知らない、とかさ。

偏屈、とかさ。

わがまま、とかさ。


わかります。

特に心底恐ろしいなと思ったのは、高齢独身になると、ひとりのきままな生活に慣れてしまってるわけです。

自分の生活、すべて自分のためなんですよ。

自分の時間とお金はすべて、自分の欲望と目標につかって当たり前。


その時間が長くなってると、10代、20代、または30代前半までくらいの、常に友達と群れて生活してたころの社会性すら失ってるんですよ。

恐ろしい。


はやくしなくては、とここについては思ったわー。


あとはですね、確かにまわりの、美人で魅力がないわけでもないのに

結婚できない先輩とかは、まさに「わがままで、他人への条件が厳しく、一件プライド低く見せていても実はものすごくプライドが高いので、ちょっとしたことがカンにさわってしまう。だから一緒にいて疲れる」というもの。


そうなんですよね、一緒にいて疲れる人っていやよねー。

ここは大きいですね。

一緒にいて楽な人かどうか、ここですよな。


それはさておき、細かくて小うるさくても結婚できる人もいるわけで、

何が一番違うかといえば「積極性」だと思います。


前の会社にいましたね。

あまり人から好かれてないんです、正直。

だけどとっても積極的。

自分から、人にどんどん話かけ、誘い、かまい、、、アプローチもし、、。

そういう人はなんだかんだで、友達もいるんですよね。

人は、自分に気をかけてくれる人をそんなに悪くは思わないですからね。

その人はちなみに×いちでしたけど、まあとりあえず結婚はできていたわけです。



なんてことを、がるちゃんは思い出させましたね。

そうなんです。


要は積極性。

ここ一番大事ですね。


あとは、人を責めないことかな。

やっぱり、人に対する理想が高いというのは、けっこうどうしようもないところがあると思う。


どんなにへりくだって、妥協しても、無理して付き合うことはできない。

だからまあ、理想の高さはもう、いかんともしがたいと思う。

もちろん最初の間口で条件を狭めるのはよくないけど、何回もあってもどうしも生理的にぞっとするとかさ。

そういうのはもう、好きになろうと努力しても無駄だと思う。


とはいえ、いったんまあ好き、ってなった後はね、

なるべく許す、責めない、楽な関係を築くっていうのはいいかもね。


と、なんとなく自分への心得。



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ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」全話一挙放送を見て。 [メディアまわり]



いやあ、日本のテレビドラマは本当に隅に置けないねえ。


すごくいいものを見せてもらった。

本当によく出来ていた。


現代日本社会をよく描けてるよねえ。

それでいて、とても可愛らしくてヒューマンないい話。


特に私もかなりのプロの独身なので、感情移入しながら見ることができたし、それだけじゃなくて結構勉強になるというか、啓蒙してくれるんだよね。



ホントーに、いろんな人に見て欲しいドラマ。


色々な立場の人のことをすごくよく描けているし、どれもかなり心に響いた。


例えば一見私には関係なさそうな、旦那に浮気されてそれが許せずに離婚してシングルマザーになる主人公の友達のエピソード。


私、心が狭いのかな?

子供の為に離婚せずに頑張るべきなのかな?

私が悪いのかな?

家事と子育て、一生懸命がんばってたつもりだったけど、何か間違ってたのかな?


という彼女の独白に、いやあ、きっと世の中の「旦那に浮気されて子供がいるけど離婚を選んだ妻」は同じような気持ちを一度は抱えたに違いない、と思った。


浮気されるのは、妻のほうにも問題がある、とかいう話を耳に挟むこともあるけれど。


そうなんだろうか?


とかね。


あとは、みくりの「私のことを家事労働者としてタダで使えるから結婚がしたいってことですか?」とか、

「仕事だから完璧に家事をこなすことができたけど、仕事として対価をもらうわけじゃないんだから今はもう完璧にはできない」とか、「専業主婦って、つまり最低限の生活の保障のために家事労働をする=最低保障賃金で働くことに似てる。しかも雇用主が旦那で、閉じられた世界で保障もない。割りに合わない」とか。


なんか、結婚というものに対してモヤモヤとした割り切れなさを感じていた、、そのもやもやの理由をしっかりと言語化してくれる。



実際には現代のおとぎ話という側面もある。


平匡さんみたいに、あんなに女性のいうことを真剣に受け止めてくれる男性というのはそうそういない。


だからみくりさんが最後に本当に感動するわけだけど、本当になかなか稀有で、多くは「小賢しい」として嫌われる。


小賢しい、といって振られるなら、まだその反応はまだ素直な方で、もっと理屈っぽい男性が相手だったら、もっと意地悪な反応をされることと思う。


ヒステリック女扱いをして、全く耳を貸さずに無視をしたり、「はいはい」と聞き流した上で平然と気持ちを踏みにじる行動をして、相手に無力感を植え付ける作戦にでるはずだ。


というわけで、このドラマの平匡さんは、冬ソナのヨン様くらいに(冬ソナは見てないけど)、女性たちの理想の王子様キャラクターだと思う。


やっぱりなんだかんだいって、女性は優しい男性が好きである。


優しいといっても、わがままを聞いてくれる、ということではなく、きちんと女性を一人の人間としてその言動を尊重してくれる男性、ということだけど。


いい話でした。


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カズオ・イシグロのインタビュー。 [メディアまわり]

カズオ・イシグロのインタビュー番組。


カズオ・イシグロの作品はだいぶ前に何冊か読んだけど、ちょっと忘れていた部分もあったので、今回このテレビ番組のなかで、何箇所か細部が紹介されていて、改めてなんだか涙が出た。


日々生まれ変わっていく細胞。


私が私であるということを規定しているのは結局のところ肉体ではなくて、記憶ではないのか。


人が死んでも残るものは、この世に残るものは、その死者に関する他者の記憶のみである。


他人の記憶の中に、死者は生き続ける。


しかしながら記憶というものは甘やかで、いつの間にか自分の都合の良いように編纂されるものでもある。


カズオ・イシグロはいう。


ノスタルジーという感情は、人間にとってもっと敬意を払われてもいい重要な存在ではないか、と。


まあそうだよね、それが我々を我々足らしめることに直結してるのであれば。


というわけで、抗えない運命というもの、例えば抗えない別離や老いや死というものはあるんだけど、その中でも精一杯人間らしく正直に愛して、また愛を表現して生きたいなとふと思いました。


これは私の解釈なのだけど、カズオ・イシグロの子供の頃の守られている美しい記憶というものや、執事がたどる自分の中の個人的に大切な記憶というものは、やっぱり突き詰めると愛情表現というところに繋がると思う。


美しい思い出として何かを思い出せる時、そこには結局愛情を感じられた時間があったからだと思う。


仕事に邁進するのもいいことだし、天職を持つことが自分の天命を全うすることのように思う。


でもそれだけじゃなくて、それと並行して、やらなくちゃいけないことな気がする。


まあそれを通じて、でもいいんだけどね。


仕事=人生でも、仕事がない人生でも、豊かにすることはできて、でも豊かにする上で愛情表現みたいなものは欠かせないんじゃないかしらと。


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パレスチナ問題、アミラ・ハス氏のインタビュー。 [メディアまわり]


テレビというものを私は結構に評価している。


特にEテレが大好き、最近。


興味はあるけど、割と難しい主題のことなんかを、テレビ特有のわかりやすさと豊富な資料と映像と専門家を揃えてわかりやすく提示してくれる親切さ。


そこからインスピレーションを得ることも多い。


今回、たまたまテレビをつけたらアミラ・ハスさんという新聞記者の女性のインタビューをやっていて、これがとてもよかった。




まず第一に、英語インタビューに日本語字幕なので、すごく英語の勉強にもなったよね。


こういうインタビューを聴くと、いかに自分の英語の語彙が少ないかに気づかされて、反省させられた。


まだまだだなあ、ほんと私の英語。。。。



もっと勉強しないと!


で、勉強に使うものはやっぱりこういうものがいいなというのが明確になった。


口語表現がいいけど、砕けた英語ではなく、こういうオフィシャルなインタビュー英語がいい。


さらにこうやって題材に興味があると、なおさら深く心に語彙も残っていいね、と。


さて、Amira Hassさん。




彼女の在り方には、とても心を動かされた。


イスラエルにイスラエル人として生まれながらも、イスラエルの在り方に疑問を持ち、敵対するパレスチナに取材に飛び込んでいく。


迫害されてきたユダヤ人たちがやっと手に入れた避難場所であるイスラエル。


でも今度はイスラエル人としてパレスチナ人を虐殺、迫害しているのではないかと。


そんな現実が嫌になった彼女の母親は、イスラエルを後にして、ヨーロッパにまた居を移して、そこで生きようとするも結局うまく行かずにイスラエルに帰ってくるしかなかったとか。


というわけで、イスラエルのパレスチナに対する迫害に怒りを覚えながらも、イスラエルによって守られてもいるという矛盾の中で生きているという。


そして色んな問題がある中でも、人々は笑い、生活を楽しみながら生きていくべきであると。


しかしながら、インタビュアーのソ・キョンシク氏によって、プリーモ・レーヴィの例を挙げながらホロコーストサバイバーには、さっきまで笑って楽しく談笑していたのに、家に帰ってふと首を吊ってしまうような、そういう自殺の仕方をする人が結構いますね、という話を振られる。


母もアウシュビッツの生き残りとしては死にたかったのかもしれないが、活動家としては生きたい、その間にいたのかもしれませんね、という。


さてハミラさんは、日本でまず興味を持って訪れた土地は、福島、沖縄、広島。


私も弱者と強者がいたら、常に弱者の視点に立って感情移入をする方であり、彼女の視点は理解するのだが、かといって具体的にパッションに突き動かされて体が動くというよりは、ただフラストレーションを感じるだけだったりする。


しかし彼女はパッションに動かされて実際に体を動かすわけで、その在り方に私は今とても感心がある。


思うんだけど、何か感じたことはやっぱり行動に起こしていかないと、何かと勿体無いと思うんだ、俺。


もちろん作戦を練った方がいいこともあるけど、感じたままに体を動かしていく方が、もっと動物として自然だし生き易いようにも思う。


新聞記者である自分の在り方を、とても人間の善意や理性に訴えたやり方であるが、結局のところ、人は、損か得かでしか動かないという話を確かしていて、それは他の番組で調停家?交渉家?の人が言ってたことと通じるなと思った。


そうなんだよな、結局お説教では人は動かず、どっちの選択がお前の今後にとって得になるか?という選択を自らしてもらう方向に持っていくしかない。


日本もアメリカの同盟国として、パレスチナ問題に間接的に責任がある。


イスラエルにただ支援をするのではなく、パレスチナ人の水道利用への制限を撤廃しろ、さもなくば支援を減らす・・と例えばなぜ言えないのか?


というようなことを彼女は講演会で訴えていて、ほほうと思った。


そういう具体的な提案が出てくるのは彼女が現場にいた、またはいるからなのではないかと、私はパレスチナ問題に全く無知ながら、そう感じた。


結局きれいごとではなくて、人を動かすには、報酬とか脅威とかなんでしょうね。




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Amazonで買ったSIMカードカッターでnanoSIM加工成功! [メディアまわり]

Aerb SIMカードカッター SIM変換アダプター+金属トレイ+磨き紙

Aerb SIMカードカッター SIM変換アダプター+金属トレイ+磨き紙

  • 出版社/メーカー: YTD
  • メディア: エレクトロニクス

すごく悩んだ。

日本も格安SIMの登場で東南アジアとそこまで変わらないくらいにケータイ料金が安くなって結構なことだと思ってたけど、日本の格安SIMはまるでLCCかっていうくらいにちょっとしたことで高い手数料をとってくるのがいやになっちゃうわね〜。


東南アジアではSIMの再発行でこんな手数料がかかるとかありえないかったけど、日本ではSIMのサイズを変更するのに、3500円とかかかってしまうのよね!


SIMのサイズが変わることなど全然考えずに新携帯を買ってしまった私。

えーー、どうしよう。。。


色々と手段は考えた。

どう考えても無駄なコストに思えてしまうSIM再発行料金を払うくらいなら、いっそのこと2台持ちにしてしまおうか、とか。

もちろん、自分でなんとか切れないのか、とかも考えた。


今回は、マイクロSIMからナノSIMへのカットなので結構難しそうだけど、標準SIMをマイクロSIMに変えるのなんて、インドネシアではフツーにSIM屋さんがハサミでカットしてたからね。


結構そういうもんかと思ってたんだけど。

ナノSIMはねえ、「自分で切ったはいいものの、結局うまく認識しなかった」という経験談なんかがヒットするので、うーん、、、と。


だいたいSIMカッターだって、送料合わせて1000円くらいはする訳で、失敗したらそれはそれであーあって感じ。


とはいえ、失敗が許せないような値段でもないし、Amazonのレビューを見る限り、400人弱がトライしていて、認識しなっくなったとかいう大失敗パターンに陥った人はそれなりの人数いるとはいえ、パーセンテージで見たらなんとたったの6%。


これはいけるっしょ、とトライしたところ・・・

見事成功!!!


カットしてから3日経ちますが、不安なく動いております。

ちなみに私はビッグローブSIMを利用しておりまして、新携帯はiphone7。


秋葉原の中古携帯屋で買ったあと、SIMがないとアクティベートできない(wifiだけじゃダメ)と気づいて、店に引き返して、お店のSIMでアクティベートだけしてもらって、しばらくwifiだけで使ってたんだけど、SIMをカットしてやっとSIMインしたのですが。


最初は電話はできるもののインターネット接続はできなくて焦った。


wifi接続してビッグローブSIMのAPN構成プロファイルを、ビッグローブの該当ページからダウンロードしてインストールしたら通信できるようになったけど、、焦るよねー。


こんなの、どうなわけ?

海外行って、その国のSIM買って、空港で入れ替えて、、その度にこんなならめんどくさくて死ぬ。

日本製のSIMフリー携帯ならではのめんどくささなのかな、やっぱり。


昔脱獄させた日本のiPhoneを海外で使っていて、OSをアップロードできなかったりと、色々と使いづらかったので、SIMフリー化させたiPhoneとかではなくて、もともとSIMフリーのiPhoneの方が何かといいかなと思ったのですが、特に海外製か日本製かは気にしてなかった。


主に日本で使うことになるから、日本製にしておけば間違いないか、くらいしか考えていなかったけど、久しぶりの「カメラのシャッター音が消せない」とかね、意外とやっぱり抵抗あるね。


初めて「シャッター音がしない」海外スマホを使った時は、「盗撮し放題じゃん!」とむしろ空恐ろしいというか、倫理的にこうであるべきではない、というような抵抗さえ覚えたけど、今では静かな場所でシャッター音を出してちらっと視線を浴びるのの方がやっぱり抵抗あるねー。


なにはともあれ、SIMカットしたあと、スマホが正常に動いてくれていて良かったです。


カットにやり方もね、まさに「穴あけパンチ」方式で簡単。


人々のやり方を読んでると、テープで固定して云々・・とか書いている人がいるので、そうでもしないとカットする場所がずれちゃったりするのか??とか思ったけど、私は別にそんなこともなく、付属の金属のアプリケータにマイクロSIMはピタッとハマるので、そのアプリケータをパンチにさして、「エイヤ」と一気にパンチング、それだけ。


それでサクッとカットできるので、あとは付属の紙やすりでささっとバリを削って。

一応、簡易説明書というか、ペラの図みたいのが入っているので、それでしっかりと手順を見ながらやらないといけなかったけど、Amazonから届いた箱を開けてから説明読んでカットしてスマホにSIMを入れるまで10分ってところでしょうか。


まあさあ、時は金なり、なのに、3500円でうんうんと1週間くらい渋ってしまう自分はいやねーとは思ったけどw

BIGLOBEの場合、SIMの再発行を依頼してから手元に届くまで1、2日間の間、SIMが使えなくなるというので、それもまたいやだなーと思いましてね。


結果、ダウンタイムもなく、良かったよかった!

Amazonで買って、翌日には届いたしねー。


さて久々にAndroidからiPhoneに戻ってきて、色々と思うことがあるなー。


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私も「毒親」に苦しんでいます。 [メディアまわり]

数日前の朝日新聞のメルマガ。


━━━ 今日のトピックス
 私も「」に苦しんでいます――。勉強や進学を押しつけられた母との葛藤をつづった女性の投稿に、共感の声が多く寄せられました。と距離を置こうとするのは、不孝?
http://news.asahi.com/c/akxWgvfo7PmVggaf


トピックは「毒親」。



実はうちもそうです。

でも声を大にして言うことはなかなかできない。


誰もが親に感謝しろ、親不孝なお前が大人げない・・・そう言うのは目に見えているからです。



虐待やネグレクト、家庭内暴力といった問題が多く語られるようになって、親だからといって全面的に正しいわけではないし、尊敬されてしかるべきでもない、ということは広く知られるようになったけど。


暴力がなく、ちゃんと教育を受けさせ、食べさせているとなると、なかなか・・というのがあった。


最近は、モラハラといった精神的な暴力も認知されてきたので、そこへきて毒親がちゃんと認知されてきたのもよかったと思う。



私は今実家に期間限定で仮住まい中。


親との間には本当に長い葛藤があったなかで、30歳をすぎてだいぶ大丈夫にはなってきたが、まだまだ不完全。


親との1か月以上の同居はありえません。


今は短期的に身を置かせてもらっているだけなので、なんとかギリギリ耐えられている状況。



30歳をこえてだいぶ大丈夫になった理由ははっきりしている。


親との関係に関しては、子どものころからずっと悩んでいて、、でも親がおってこれないような外国に移住するくらいしか解決策がなかなか見えない中、


やはり同じような経験をしている人たちの経験談やそれに対しての精神科医の人たちの回答など、いろいろと読んだりするなかで、自分で決めたのです。


私は親が大嫌いだけど、それは悪いことではない。

親を好きになれない自分を責めるのはやめよう。

私は親が大嫌いでいい。

それを態度に表していい。

それで、大人げないだとか責められることもあるかもしれないが、そんなのは無知な他人のいうことだ。

意に介さない。


私は自分の人生を生きる。

やりたいことをする。

言いたいことを言う。

親に支配はされないし、私の人生の邪魔をさせない。

親に怒りを表明する。

親に言いたいこと言う。


そう決めたのです。

しかし、最初から完全にうまくいくわけではない。


それでも気づいたのは、私は本当に親にものを言えない子供だったということ。

親に気をつかって生きるよう、教育というか洗脳されてきたのだと思います。


だから最初は親に言い返すことひとつが、すごく大変だった。


最初は親もめんくらったし、ばかにしていたと思う。


あらあら、怒っちゃって、はいはーい。

泣くなんて、いやーねー。恥ずかしい。

機嫌が悪いのね、当たらないでちょうだいよ。


みたいなね。


今まで私の尊厳を踏みにじろうが何しようが許されてきたわけだから、急に怒ったところで、今日だけ過敏になってるのかしらー、みたいな感じになってしまう。


だから犬のしつけと一緒ですね。

こっちの本気度を、お前が悪いんだということをわからせるためには繰り返し、意思を示さないといけない。

こっちは機嫌が悪くて当たっているわけではない。


でも、もはやとっくの昔に社会に出た私。

親との関係なんて、なくても生きていけるし、それだけに拘泥していては、怒りにとらわれて人生を損してしまう。


だからなるべく親とは距離をおいて、それとは関係ないところで、人生を発展させるように努める。


それでもやはり親との関係性というのは、すべての人間関係のおおもと、根源にある大切なところ。

逃げているだけでは、、と思う。


いや逃げていてもいいんだけど、ベストなのは、解決し、解消すること。


というバランスでやってきた。


で、今回。

だいぶスムーズに怒れるようになったなと思いました。


以前はもろ刃の刃というか、親に対して怒るときには、自分にももろ刃の刃で、すごく精神的にもきついし、ダメージがあったけど、今回は、もちろんそういうところもあるけど、根幹からぐらぐらはしなくなった。


自分は正しい。

間違ってない。


と、自信をもてるようになった。


それでも、すっかり忘れていた、久々の親への激しい怒りに、改めて重大なことを確認してしまった。


私は大学受験のころに、精神状態のバランスをだいぶ崩して、摂食障害と鬱と自傷・・・みたいな感じになった。


原因は親の過干渉であることは、自分ではよくわかっていたけど、他人のせいにしている、と思われるのも嫌だし、自分でも自分の弱さを他人のせいにしているだけなのか・・?という思いがあったので、あまり声を大にしてはいえなかった。


たぶんそうだとおもう・・という感じ。


でも世間は、まあ大学受験だし、高校での人間関係とか?みたいに思っていたのかも。


そしてそれまで何もなかったのかといえばそんなことはない。


私は幼稚園のころからずっと、しょっちゅう原因不明の体調不良を繰り返していて、自律神経失調症と言われていたし、11歳ころにはすでに、私は親が嫌いで好きになれない、どうしよう・・・と悩んでいたのも覚えている。


さて、でもそのあたりのことはすべてやはり親のせいだったんだな、と今回確信しました。


親はストーカーのようだった、いつも。


君が心配させるから悪いんだよ。

君のことを考えてのことなんだよ。


と言いながら、家のドアをどんどんたたき続け、電話をならし続け、部屋の鍵をこじあけてくるような。



もしくは、私がケーキのろうそくを吹き消そうとしていると、母親がやってきて自分で吹き消してしまうような人。


もしくは、まずやらせてみようとしないで、それじゃだめだとか、あれじゃだめだとか色々とけちをつけて、母親のタイミングで母親のいうとおりにやらせようとして、そのころにはもう私はそのイベントを全く楽しめなくなっていて、母親のために演じてあげるタスクになる、というような。


今回、私は転職をして新しい職場への初日の出勤を実家からしました。


親は気が小さいので、初日わたしが遅刻しないできちんと出社できるのか前の日からそわそわしているのがわかります。


とはいえ私はもう40近い、いい大人。


70過ぎた、両親に心配してもらうような話ではありません。


明日起こさないでいい?


と聞いてくる親に、「起こさないでいい」と言っておきました。


親は私が何時に家を出ていくつもりか知りません。


もしも起床時間や出発時間を親に伝えておいたら、それこそ大変です。


その間、親はそわそわし続け、私の脇に立ってどうでもいい質問をし続け、その服装はどうなのかとか、食べていきなさい、もう時間がないんじゃないの、急ぎなさい、、、と、、、ずっとまくしたてられて朝から疲れてしまうこと請け合い。


なので、言いません。


さて親はラッシュを避けて早朝通勤する気なのではないか・・そう、勝手に想像はしたのでしょうが。


そんなことをするとも言っていません。


はたして、

朝5時半、親は起こしにきました。


朝6時、もう一度私の部屋にやってきました。





・・・


なので、私は出勤前に親に説教をしたわけです。


起こさないでいいって言ったよね?

私が嫌がるのをわかっててやってるよね?

わちゃわちゃと騒がれると、こっちがリラックスできないから辞めてほしい。



親もそう私に言われれば、わからないことはないはずです。


親も、昔から、「過干渉だ、お母さんに聞いてるんじゃない、娘さんに聞いてるんだから、お母さんは黙って」とかよく病院で先生に言われていました。


私の、同様のことは、もう何度も何度も親に訴えているので、私が嫌がることを親はわかっているはず。




そして私は思い出しました。


受験期、このようなことを毎日やられたのです。


親はずっと私の部屋を見張っていて、ちゃんと勉強しているか、抜きうちでチェックに訪れます。


私以上に、親がピリピリと緊張してしまって、でも自分が何をできるでもない親は、その言ったからって何にもならない不安をわたしに容赦なくぶつけてくる。


親の不安の苦情受付だけで、私の貴重な時間と労力が奪われ、人生がつぶされていく、という感覚。


大人になった今は、嫌なら出て行って二度と親に会わなければいい、という選択もできるけど、子どもは逃げ場がない。


さぞかし具合が悪くなったことだろうと思う。


受験期には、さぞかしストレスだったろうし、親に私は人生をつぶされたんだな、と確信してしまった。


あの時、親が狂騒的になっていなければ、私は自分で自分の進路をマイペースに目指すことに対して意欲を奪われたりもしなかっただろう。



まあでも過ぎたこと。


ただ、もう直感的に確信した。


私はやっぱり親につぶされたんだなと。


というわけで、まあ貴重な実家への滞在でしたね。


これからだって、まだ油断はできない。


親につぶされないように、私は自分の人生を生きていく。



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アメリカのアマゾンで買い物、そして騙されて返金! [メディアまわり]

アメリカのアマゾンことAmazon.comで買い物をしてみた。

アメリカブランドの服が欲しかったんだけど、そういう場合、アメリカから個人輸入した方が安くつくことがある。

ただし、海外送付を受け付けていないブランドやセラーももちろんいっぱいある。

そんな時はそのブランドのサイトのオンラインショップで受け付けている場合もあるので、そこから買った方がいいことも。

また、ebayの方がいいこともあるわねー。

今回、二つの事例があったのでご紹介!

<seeaの場合>

seeaは現在、日本直営店はないものの、日本でも仕入れて売っている店はある。

よって日本でも手に入るといえば入る。

楽天、ブランディア、zozotownなどのネットショップで買っても、まあ10000円くらいから購入可能。

ただし、seeaはオンラインショップがあり、そこから25ドルくらいの送料で日本まで送ってくれるので、セールで40ドルから50ドルくらいになっているものを日本に送ってもらうなら、その方がいい!

なおamazon.comでも売られており、今回そこで激安13ドルくらいのものを発見!

ついつい購入してしまったところ、それはどうやら中国人による偽ブランドと判明。

中国の通販サイトではよくある、ブランド物に似せて作った服を激安で売る、という中国では普通のものとしてまかり通っているビジネスを米国アマゾンにも持ち出してきたとみた!

そうだよねえ、安すぎるものね、警戒しなくちゃいけなかった。しかも中国からの送付だから送料無料!なんだもの。。。

なんとなくアマゾンだからマーケットプレイスといえどもトラブルがあれば保証が効くはずだし、、と思ってたけど、海外購入の場合、返品になったらその返送の手間暇がかかりすぎる。

それに考えてみたら、アマゾンってマーケットプレイスって、結構偽物つかまされた報告あがってるところだったよね。。。

というわけで、こりゃあ間違えたなとセラーにキャンセルを要請したところ、キャンセルに応じずに、「私の作るものは本物です」という「お前が作ってる=偽物だろ」というトホホなコメントを残しつつ、マーケットプレイスから消えた。。

なので、アマゾンに助けを要請。

しかしアマゾンってムカつくわよねー。カスターマーサービスにメールするところまで行き着くのが本当に大変。

気軽に連絡してこられて、人件費がかかるのを防ぐという明らかに「わざと」な戦法なのはわかるけど、、。 

迷路か宝探しかっていう感じで、やっとの事で、カスタマーサービスにメールできるフォームにたどり着く。

まあでもメールしたところ、「セラーがマーケットプレイスを去った」という案件に該当するから、払い戻しに応じるわ!ということで、「12時間以内に対応します」という言葉通り、迅速に対応してくれたので、さすがアマゾン。

5日以内にクレジットカードに返金されるとのこと。 

しかしまあいいわ、seeaのオフィシャルオンラインサイトからも購入してるから大丈夫!

届くまで約3週間のはず、、待ってるわ!

 

<patagoniaの場合> 

日本にも直営店があるパタゴニア。

基本的には日本に送付する商品は、日本


[パタゴニア] patagonia ビジネスバック Headway MLC

[パタゴニア] patagonia ビジネスバック Headway MLC

  • 出版社/メーカー: patagonia
  • メディア: ウェア&シューズ

 



 

直営店のオンラインストアから買ってくださいというスタンス。

私が欲しい商品は27000円くらいかな。

これがまあ本当に憎たらしいほど値崩れしない。

アメリカの直営店のサイトで見ると180ドルくらいだったかな。日本円で20000円くらい。

ただし日本までの送料は50ドルなので、それを考えると日本で買うのと一緒やん!という話。

ちなみにamazon.comではどこのセラーも海外発送を受け付けていないようだった。  

ただebayでチェックしたところ、本体が160ドル、送料が38ドルくらいかな、 合計で198ドルくらい、つまり22000円くらいだった。

こりゃあいい!

もちろん新品で最新モデル。

これは買いかな、と思う。

でも私は結局買わなかった。

今回はその時じゃない!ってことになったのよねw

まあでもねえ、このカバンは割といいと思う。

本体の重さが1.5kgっていうのや値段を考えると、本体の重さが1.0kgで値段が15000円くらいの最新のモンベルの類似商品もありだよね、思う。 

 

 

だけどね、現物を見にいって背負って見て、「これはないな」というポイントも見つからなかったけど、「欲しいな」というようなときめきは一切生まれなかった。

モンベルだって、れっきとした信頼できる登山用ブランドなので、品質はちゃんとしてるに違いないと思う。

デザイン・・・。

すごく駄目ではないんだけど、なんだろうか、、、この納得いかなさは。

せっかくカバンを新調するならば、やっぱりそこは譲れない。

まあそんな感じでした。 


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