パレスチナ問題、アミラ・ハス氏のインタビュー。 [メディアまわり]
テレビというものを私は結構に評価している。
特にEテレが大好き、最近。
興味はあるけど、割と難しい主題のことなんかを、テレビ特有のわかりやすさと豊富な資料と映像と専門家を揃えてわかりやすく提示してくれる親切さ。
そこからインスピレーションを得ることも多い。
今回、たまたまテレビをつけたらアミラ・ハスさんという新聞記者の女性のインタビューをやっていて、これがとてもよかった。
まず第一に、英語インタビューに日本語字幕なので、すごく英語の勉強にもなったよね。
こういうインタビューを聴くと、いかに自分の英語の語彙が少ないかに気づかされて、反省させられた。
まだまだだなあ、ほんと私の英語。。。。
もっと勉強しないと!
で、勉強に使うものはやっぱりこういうものがいいなというのが明確になった。
口語表現がいいけど、砕けた英語ではなく、こういうオフィシャルなインタビュー英語がいい。
さらにこうやって題材に興味があると、なおさら深く心に語彙も残っていいね、と。
さて、Amira Hassさん。
彼女の在り方には、とても心を動かされた。
イスラエルにイスラエル人として生まれながらも、イスラエルの在り方に疑問を持ち、敵対するパレスチナに取材に飛び込んでいく。
迫害されてきたユダヤ人たちがやっと手に入れた避難場所であるイスラエル。
でも今度はイスラエル人としてパレスチナ人を虐殺、迫害しているのではないかと。
そんな現実が嫌になった彼女の母親は、イスラエルを後にして、ヨーロッパにまた居を移して、そこで生きようとするも結局うまく行かずにイスラエルに帰ってくるしかなかったとか。
というわけで、イスラエルのパレスチナに対する迫害に怒りを覚えながらも、イスラエルによって守られてもいるという矛盾の中で生きているという。
そして色んな問題がある中でも、人々は笑い、生活を楽しみながら生きていくべきであると。
しかしながら、インタビュアーのソ・キョンシク氏によって、プリーモ・レーヴィの例を挙げながらホロコーストサバイバーには、さっきまで笑って楽しく談笑していたのに、家に帰ってふと首を吊ってしまうような、そういう自殺の仕方をする人が結構いますね、という話を振られる。
母もアウシュビッツの生き残りとしては死にたかったのかもしれないが、活動家としては生きたい、その間にいたのかもしれませんね、という。
さてハミラさんは、日本でまず興味を持って訪れた土地は、福島、沖縄、広島。
私も弱者と強者がいたら、常に弱者の視点に立って感情移入をする方であり、彼女の視点は理解するのだが、かといって具体的にパッションに突き動かされて体が動くというよりは、ただフラストレーションを感じるだけだったりする。
しかし彼女はパッションに動かされて実際に体を動かすわけで、その在り方に私は今とても感心がある。
思うんだけど、何か感じたことはやっぱり行動に起こしていかないと、何かと勿体無いと思うんだ、俺。
もちろん作戦を練った方がいいこともあるけど、感じたままに体を動かしていく方が、もっと動物として自然だし生き易いようにも思う。
新聞記者である自分の在り方を、とても人間の善意や理性に訴えたやり方であるが、結局のところ、人は、損か得かでしか動かないという話を確かしていて、それは他の番組で調停家?交渉家?の人が言ってたことと通じるなと思った。
そうなんだよな、結局お説教では人は動かず、どっちの選択がお前の今後にとって得になるか?という選択を自らしてもらう方向に持っていくしかない。
日本もアメリカの同盟国として、パレスチナ問題に間接的に責任がある。
イスラエルにただ支援をするのではなく、パレスチナ人の水道利用への制限を撤廃しろ、さもなくば支援を減らす・・と例えばなぜ言えないのか?
というようなことを彼女は講演会で訴えていて、ほほうと思った。
そういう具体的な提案が出てくるのは彼女が現場にいた、またはいるからなのではないかと、私はパレスチナ問題に全く無知ながら、そう感じた。
結局きれいごとではなくて、人を動かすには、報酬とか脅威とかなんでしょうね。
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