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日本の意識の変化に希望を感じた今日。 [メディアまわり]

定期的に気持ちが落ち込むことがある私です。


今週末はなんだかフィジカルにものすごく疲れてて、出かける予定をキャンセルするぐらい。


なんか気持ちもついていけなくて、疲れてた。


それで何をしていたかというと、起きてるときはぼーっとユーチューブを見てた。

で、なんて後ろ向きな休日の過ごし方!?と思われる人も多かろうと思うけど、ユーチューブからつくづく世の中変わったなということを改めて感じ取って少しい気分になった。


ユーチューブで稼げるらしいよ、という情報が耳に届いたのは10年くらい前かな。。

まだまだユーチューバーっていう職業名もなかったころ。


そして数年前くらいには、時々、性同一性障害の人、とくにFTMの人がテストステロン注射を打って経過を報告する動画を上げてるのをよく見てた。

でも海外の人のチャンネルは多かったけど、日本人の人のものはまだまだ少なかった。

いても、ハーフで海外経験が長い子とかが多かったし、マイナーな存在だった気がする。


ところが、すごいのね、今。

日本人でのレズビアンカップルユーチューバーとかゲイカップルユーチューバーとか性転換者ユーチューバー、二丁目ゲイバー店員ユーチューバーとか、LGBT関連のメジャーチャンネル、メジャーユーチューバーのなんて増えたこと!!!


ユーチューブが、自己表現の場として、それで稼ぐということが完全に市民権を得てこそなんだろうな。


あと同時にびっくりしたのが、ユーチューブで自らの整形のビフォーアフターを公開してる人もとても多いのね、いまや。


どちらにも共通点があって、昔だったら、公開することを控えるような事柄を前面に出して、これが私、これが私の生き方です、というのを公開しやすくなった社会の変化があるんだと思う。

昔だったらいくらそれが収入に結び付くとしたって、大公開する人は少なかったように思う。

そういう人が増えれば、加速度的に、公開してもいいんだ、という人が増えていく。


すごい変化だと思った。


私は昔から、心の具合がよくない時には、LGBTの人の感性に接してると救われるというか、心が楽になるので、定期的に、断続的に、LGBTの情報を見る。

だけど、私がレズビアンだとか、本当は男になりたいのだとか、そういうはっきりしたものはないので、なんだこれは?と思ってたんだけど、最近は情報が増えて、Aセクシャルとかノンセクシャルとかパンセクシャルとかいう言葉もだいぶメジャーになった。


さらに、青木花音が実際のところ実は幼少期から女の子になりたかったわけじゃない、そこまで男の体に違和感があったわけじゃない、ただ男性としての役割を求められることにものすごく違和感があって、無理、と思ってたし恋愛対象が男で、男に女の子として愛されたかったからだ、だから女に性転換することにした、今までややこしいので、子供のころから心が女の子、ということにしてたけど実際は中性って感じ、ということを言っていて、すごく共感した。


私はまさに青木花音の逆バージョンだなあ、と。

女性というジェンダーの役割を当たり前として求められると、ものすごく死にたくなるというか、なんで?という猛烈な不快感があるし、絶対無理!!!という気持ちがある。

さらに、男性は好きだけど、恋愛において男性に、女として愛されることに違和感がある。

だから、レズビアンとかゲイの同性同士の関係にヒントがあるような気がしてしまうんだと思う。

男と女、という関係じゃなく、人同士として愛し合えないものか、と。


そのあたりですごく生きづらい思いをしてるのは確か。

社会的にも、恋愛的にも、違和感を抱いてしまう。違和感どころか、怒りとか拒否反応だよな。


確かになー、そういう意味だと、姿かたちを男にしてしまったほうが生きやすいのかもしれない。


ただそれなりに長い時間をかけて、自分が女性の外見をしていることを受け入れた気がする。

思春期はたしかに自分の体が女性化することを受け入れがたく思ったけど、そういうのは大人になる過程で多くの人が経験することのような気がするし、その範疇のちょっとひどいのかも?と思ってた。


でもって、20代後半くらいになって、なんとなくそれは受け入れることに成功した気がする。

そして今ではなんとも思わない。別に子供のころに男の子になりたいと思ったことがあるわけでもないし、、そもそも別に体に違和感があったわけではないから、10代、20代みたいな性差をつきつけられる季節じゃなければ

自分の外見なんてなんでもいいんだと思う。


そして自分の恋愛対象が男女どちらかなのかというと、実にどっちでもいいと思う。

別に相手の性別は気にならないとうか、男性に恋をすることはあるんだけど、その好きになり方に、性の要素は含まれないし、女性を好きになるときと同じなんだよな。

それで、恋って何?とずいぶん混乱してきた歴史がある気がする。


なんてことをブログで口走っても普通だし、平気な時代になった気がする。


いつもLGBTの人の話を聞いたりしてて、ほんとうに性自認というのは、グラデーションなのが普通なのかもしれないということを結論として思った。

それぐらい様々な情報に接せられる時代になったなあと。


ゲイは、男として男が好きな男であって、別に女になりたいわけじゃない、というくくりになってるけど、実際のところには、正直いろんな人が含まれてるんだと思う。

トランスジェンダーよりの人から、ストレートよりの人まで。


同性にあこがれる感情というのも普通のことだし、あこがれることと恋愛感情の違いだって、どこから?と思うし。


そう考えると、私も完全にどストレートではないけど、くくりとしてはストレートの範疇?という感じで、すこしはみだしながらもノーマルな存在なんだろう。


そういえば発達障害だってそうだな。

最近は、発達障害という概念が浸透して、いろんな有名人が、私は発達障害、と告白したりしてるけど、それも似た社会の変化だ。


私はたぶんこっちも怪しい。


でもこれも、すごく普通のことで、普通から普通じゃない、まではグラデーションで、どこからが普通じゃないとはなかなか言えないものな気がする。



そんなわけで、たとえばカップル動画とか、どっきり動画とか、もはやフィクションとノンフィクションの境目があいまいになっているこの感じ、ひと昔前のSF映画であったようなシチュエーションが加速度的に現実になっているこの感じに、若干の恐怖を感じつつも、そもそもプライバシーっていう概念自体が少なくと日本ではここ数十年のものなわけで、自分の肉体も自分の時間も、子供だとか旦那だとか親やらなんやらにある程度ささげるのが女の人生であり続けてきたことを考えたら、自分の肖像やら感情やらを不特定多数に、全世界に公表し続けることなんてたいしたことじゃないのかもしれない。


なーんて、思った週末だったのは、実はけっこうまえの週末w

書きかけたまま下書き保存してた記事をアップしてみることにした。



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