SSブログ

キム.・ハワン「今日も言い訳しながら生きてます」の感想 [読書メモ]

今日も言い訳しながら生きてます

今日も言い訳しながら生きてます

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2021/01/27
  • メディア: Kindle版

キム・ハワンの続編を読んでみる。

最近、ネットで書評を読んだのは、おそらくこちらの本だったのだろう。


こちらは拾い読み。

パラパラと。


今回は、もっとドメスティックな話が多そうな印象だ。

自分の生まれ育ちとか、そういった話も多く、前回からもっと掘り下げた感じなのだろうが、

ちょっと言い訳がましそうな感じ。まさにタイトルがぴったりだ。


より個人的なコラム、という色が濃くなっている感じで、彼に興味があれば、とか、もう少し暇だったら読んでもいかなって感じだけど、今はじっくり読む気がしない感じ。


私が拾い読みしてへえ、っと思ったのは、キム・ドンシクという韓国の新進気鋭作家の話。

灰色人間、場外人間、などのタイトルの小説を出してるみたいだけど、どうやら日本語には翻訳されてないのかな。

インターネットの怪談小話みたいなサイトで人気に火がついた作家で、本なんて10冊くらいしか読んだことないという、中卒で工場で働いていた人らしいということだから、型にはまってないらしい。

面白そうだ。読んでみたい、いつか。


あとカートコバーンの言葉としてこんな言葉が紹介されていた。

「偽りの自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれるほうがいい。」


私は17歳から19歳くらいの病んでた頃、カートコバーンに依存しすぎていたので、脱しなければと意識的に離れる努力をしていたくらいなので、それ以降、意識しないように努めているので、すっかり忘れてたけどそうだっけ?(それでも、たまにどこかで偶然ニルヴァーナがかかると、初恋の人を町で見かけてしまったレベルで胸がざわざわしちゃんだけど。)


それで改めて、そりゃあ、若い私は好きになるよな、と思ったし、本当にそのとおりですね、と原点回帰するような感じはした。


あと、ちょっとだけ面白いなと思ったのは、20代から30代女性から(誰かに)寄せられる人生相談の内容が

ほとんど全部同じで、ほとんどが、「愛してるけど金がない彼氏と、新しく出会った興味がないけど金持ちの男、

どちらを選ぶべきですか?」だという話。


全部同じって乱暴!だけど、まあ確かに、そういう相談は多そうだから、ちょっと笑える。

で、その答えが、「そんなのはあなたがどういう人間かによる。金のない彼氏と幸せになれる人もいるし、愛してない新しい男と幸せになれる人もいる。私はどういう人間ですか?ってそんなこと聞かれても知るか」というもので、それは、聞いたことがない回答でなるほどね!と思った。


人によりますっていうのは確かだし、そういう回答は見たことある気がするし、お前次第でどうにでもなる的な回答も見たことがあったかもしれない。

だけど、どうにでもなるか、どうにかする気がある人間か、その覚悟があって、努力ができる人間か、

そういうのは、結局今の自分の人間性とか嗜好とか、相手に文章に言い表せない以上のどういうものを感じているのか、結局は現在の、自分しか知らないところで決まる、というのは新しい。


結局、自分が、どういう人間なのか、どういう人間として生きていきたいのか、というのは、自分しかわからないし、自分で決めていいことなんだよなあ。

というのは、なんか、ちょっといいなと思った。




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

キム.・ハワン「あやうく一生懸命生きるところだった」感想。 [読書メモ]


あやうく一生懸命生きるところだった

あやうく一生懸命生きるところだった

  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: Kindle版

ツタヤカフェで拾い読みをしたことはあったのだが、今回、どこかのネットニュースで書評を読んで、今の私に必要な本だわ!と猛烈に読みたくなってまたツタヤにやってきて精読した。
たしかにその通りで、飽きることなく最後まで精読した。
だがまあ、ものすごく新しい観点があるわけじゃない。
いろんな自己啓発書なり、エッセイなりで、読んだことがあるような内容ばかりである。
ざっと、要約すると以下のような感じである。
結果じゃないよ、過程を楽しもう。
楽しむ人には誰も勝てない。
っていうか、勝つために生きようとするだけで、楽しくないから、勝とうと思う必要もない。
結果のために耐える人生じゃなくて、過程そのものを楽しむ人生がつよい。
万人受けしようと努めたところで、成果なし。
それより、自分の好きなことをとことん追求した先に、個性が際立ち、思わぬ賛同があるのでは。
よくわからない未来のためではなく、現在の自由のために働く。
自分が幸せな理由を探すより、不幸な理由を探して今の時間を費やしているなんてもったいない。
あまり期待せずに生きれば、毎日がラッキーの連続。
やらなかった後悔よりやった後悔。下手こいてこう。
試しもせずにあきらめないこと。挑戦する権利はある。
思い通りにいかないことは当たり前。努力はむくわれたらラッキーなだけで、いつも報われるわけじゃない。
自分だけのペースと進路を見極めてすすもう。
まあ、ですよねーっていう感じで、別に新しくない。
だけど、それだけじゃない、いい感じがこの本にはある。
ものすごい成功者とかではない、挫折も多かった、まだ人生の途上にいる
ふつうのちょっと不器用な元サラリーマンとして、すべてが自分の経験にひきよせて書いているからか、
上からじゃなくて、嫌みがない提案なのだ。
著者の人柄と文学的才能だろう。
3浪して入ったとはいえ、名門美大出身というだけあって、芸術的センスと知性が感じられる。
この本を書いた人が韓国人の四十路男で、そんなに売れてないと自称するイラストレーターで、
サラリーマンとイラストレーターの二足のわらじで頑張ってきたけど、ある時、なんだこの人生?
一生懸命生きてきたけど、それでこれ?と気づいて、立ち止まる。
脱サラしてボーっと、したいことだけして生きてみることにした、というようなところからの発言なのだけど、
まあびっくりするほど、東京に生きてる私にしっくりくる。
BTSの動画とかを見ていて、ハロウィンの仮装のキャラクターが全部、日本のアニメのキャラクターとかサンリオのキャラクターだったり、彼らの好きな幼少期のアニメも、全部日本のアニメだったりして、なんとなく気づいてたけど、もはや韓国と日本では消費する
コンテンツにかなり国境がなくなっているんだなと改めて感じた。
つまりこの男性が引き合いに出す、文学作品や映画、漫画は、日本のものばっかりと言っても過言ではない。
もちろん、とことどころ、他の国の作品や、韓国の作品も出てくるけど、半分くらいは、日本のものだ。
村上春樹とか、孤独のグルメとかジョゼと虎と魚たち、とか。
そして、そのように同じような文化を吸収してきているせいもあってか、そして経済の程度ももはや似ていることからか、
彼のエッセイの内容や思うことには、全然まったく違和感なく、共感できてしまうんだなあ。
翻訳が優秀だというのもあるけど、それはスゴイことだと思った。
というか、この20年で、むしろ韓国のほうがドギツイ競争社会になったので、日本ではもう20年目、10年前からこの手のマイウェイを進もうぜっていう自己啓発はさかんに行われていたかもしれない反面、韓国では目新しくて、もっと世間に求められている立ち位置だからこそ、ブレイクした
のかもしれないが、別に東京にいる私が読んでも古くなくて、普通に同世代人として、まあそうよねって感じだった。




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

マツコとうさぎと整形。 [読書メモ]


美人になりたい―うさぎ的整形日記

美人になりたい―うさぎ的整形日記

  • 作者: 中村 うさぎ
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2021/01/27
  • メディア: 単行本

この本は、なぜかアマゾンで発売日が去年になってるけど、中身は古い話である。

15年くらい前の話じゃないか、中村うさぎが整形しだしたのって。


その当時はまだ公開整形する人なんて、珍しくて中村うさぎの振り切りっぷりが、際立ってた。


さてしかし、私は中村うさぎの書くものに興味がある。

それは彼女が世間的イメージとは裏腹にものすごく理性的で知的な人だと知ってしまっているからである。

もちろん欲望と行動の人であり、そっちのほうが奇天烈だから、まあ世間のイメージも間違いじゃないんだけど。


彼女はものすごく身を削って奇天烈な行動を繰り返し、自分が何を求めてそうするのか、その行為によって何を内面的に得たのか、それによって何が変わったのか、を自己欺瞞いっさいなしで、エグく内面をぐりぐり見つめて書き起こそうとする、その姿勢がいいんだなあ。


さてこの整形体験記だけど、「整形が当たり前になり、皆が整形する時代になったら、美貌の価値は下がる。これから顔の価値は下がっていくだろう」と彼女は言っている。

ただむしろお直ししてない顔が珍しく天然もの、レアものとして価値があがるだろう。

まあブレードランナーみたいに美女なセクサロイドが当たり前の世界になったら、生身の肉体ってだけで価値があがるだろうから・・という話をしていて、ブレードランナーってそんな話なのか?と私はタイトル知ってるけど見たことなくて、やっぱり有名な映画は見ておくべきだと思ったけど、それはさておき、さすが中村うさぎその通り、というか、まあ今もうそういう時代になってきてるよなと思った。


まあ彼女の場合はもともと男子にモテる可愛いらしい顔をしていて、それが本人の気に入る顔であったわけではなく、そこに多少のコンプレックス(幼くみられる、かわいらしい女の子であることを期待される、かっこいいファッションが似合わない、など)があるとしても、別に強い外見コンプレックスがあったわけではないだろう。


ただ、体当たり系ライターとして、自己実験的に、整形してみたっていうのが主目的でもある感じだし、

老いを感じてきて女としての価値が揺らいできた、それの改善という目的もある。


というわけで、まあ顔に対して本気で悩み、外見を変えることで人生を変えようとするシンデレラストーリー

的な感じで、整形にかけている若い女子とかにおける整形とはまた話がちがうけど、カジュアルからシリアスまで、ありとあらゆる種類の整形がふつうにあるのが、整形が蔓延して普通になるということなので、これはこれで正統派だろう。


新庄みたいな、改名みたいなノリで顔アップデートする整形も出てきてるしな。



うさぎとマツコの往復書簡

うさぎとマツコの往復書簡

  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2012/07/23
  • メディア: Kindle版

さて、こちらも欺瞞を許さないわよ二大巨頭のマツコとうさぎだけあって、さすがだった。

気分転換に読もうとおもって、まだちらっと拾い読みしただけだけど、お互いの自意識にぐりぐり突っ込んでいって、そうじゃねえよ、とか、やりあっていて、さすが。


たとえばマツコはなぜ女装をするのか、しかもパートタイム女装であって、基本はゲイであり、いわゆる女性になりたい人ではない。それは何なのかについて、うさぎはつっこんでいくが、マツコは自分でもはっきりとは説明できないという。


が、それってとても共感できる私がいる。

なんで?と聞かれてもわからないことは結構あるよね、特にそういうアイデンティティに根差す部分。

だから人は、生まれつき、と説明してみたりするし、実際にそうとしか言いようがないくらいに、はっきりしている場合もある。

でも、女になりたいわけじゃないけどたまの女装で精神のバランスがとれるゲイ、みたいなのって、説明が難しいと思うけど、私もそういう感じだなと思う。

無理してまで男になりたいわけじゃない、女のままでいい、でも女でいることに特別な意義を感じているわけでもなく、固執しているわけでもなくて、本当は性とか意識しない世界で生きられたら一番いいと思う。

でも女の見掛けでいることによって、女として「当たり前」みたいに女の役割を押し付けられているように感じて世界が息苦しくなったり、猛烈な怒りを感じたり、死にたくなったりすることは頻繁にあって、それはどうやら身近な女友達よりも、ずっとずっと頻度が高く強烈なもののようだし、根源的なもののようである。

だから逃げ道がいる。


でも虹色の世界だから、きっと世の中はストレートとそれ以外の何かに明確にわかれているわけじゃなくて、その間のぼんやりしている人もたくさんいる、それが当たり前だと思うから、きっと私のような感じの人も大勢いるんだと思う。

この症状が何のせいなのか、どこからくのか、名前はよくわからないけど、というような。

それこそ、現代は発達障害、ADHDとか、それこそどこまでが正常でどこからが?というような生きづらさや個性が話題になることは多いけど、そんな感じ。

生きづらさが発達障害に起因するのか、性自認に起因するのか、それがミックスされているような人も、取り違えて混同しているような人も世の中いるように思うしなあ。


ちなみにうさぎにも私は近しいものを感じていて、彼女は性自認も性嗜好もストレートの範疇ではあるんだけど、やっぱりどノーマルではないものを感じる。

女性としての性を葛藤なく受け入れて、または自然に受け流して生きられている人ではない。

あ、今日、図書館への返却日じゃないか!

急いで読もう。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

日本の論点2021~22 大前研一 感想 [読書メモ]

日本の論点2021~22

日本の論点2021~22

  • 作者: 大前 研一
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 2020/11/28
  • メディア: Kindle版

こちらも、自分が全く知らない、興味があるトピックのみ拾い読み。

特にfacebookの仮想通貨リブラの件、私は現状をよく知らなかったのだが、リブラが米国国家権力に阻まれて進まないと、中国のデジタル人民元に先を越され、中国が国際決済システムを握り、世界支配ということがおこりかねるというのは、知らなかった。

今後も進捗を注視したい。


あとは、アメリカとイランの報復合戦に、実は北朝鮮が震えて明日は我が身かもとちょっとおとなしくなったとか、北朝鮮はソウルに2000発の核短距離ミサイルの照準を向けている、もしも北朝鮮がソウルに向けて発射したら、一緒に日本もやられる、とか。

もし北朝鮮が逆上しても、アメリカに届くようなミサイルはまだ仕上がってないから、おそらく韓国、日本に向けてぶちこむのでは、と。


先日、英会話でバイデン政権に切り替わったニュースをやってる時に、トランプ政権で、のち話にあがることがあるとしたら何か?というトピックで、先生がトランプはイランと戦争を起こしそうになった、もし戦争になったらそれは核戦争になりかねなかった、それが一番印象深いと言っていて、私はその辺あまり把握してなかったので、そうなん?で、どうやって結局戦争を回避したの?あとで調べよー、、と思ってたのだが、事情がここに完結にまとめられていたので有難かった。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ホリエモン「それでも君はどこへでも行ける」読書メモ [読書メモ]

それでも君はどこにでも行ける

それでも君はどこにでも行ける

  • 作者: 堀江 貴文
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2020/11/17
  • メディア: Kindle版

気持ちを鼓舞してくれる存在として、ホリエモンはかなり有難いのだが、彼はYOUTUBEで無料で

発信もしてるし、本については、焼き直しも多かったりするので、そんなにマストで読んでいるわけではない

のだが、このタイトルにはジーンとしてしまった。


今私が暗澹たる気持ちで日々を過ごしているのは、何もかも冴えないな~っていう感じだからなのだが、

結局のところ、どこへも行けないという閉塞感。

特に私の場合、ここ7、8年の間、どこへでも行ける、ということが私のアイデンティティになっていたのではないか。

それがコロナでアイデンティティを喪ったのだ。

私の強み、優位性は失われ、地に足をつけていない、日本の地に何かを確固として築いてきていない足元の弱さだけが際立った。

ということに、このタイトルが気づかせてくれた。

ブックオフでこのタイトルを見た瞬間に、私は救われた思いがしたからだ。


まさに私が言ってもらいたい一言だったのだろう。

さすがホリエモン、ありがとう。

以下は、本の内容についての私のメモである。


本自体は、ホリエモンが海外色んな所を訪ねて行った、その感想がさらさらっと書かれている感じなので、まあ全編熟読するような内容ではないのだが、エストニアとか自分が全然知見がない国の情報は、全然知らなかったのでへえって感じで興味を持った。

エストニアがデジタルノマドビザを発行した暁には、東欧もいいなと思う。


ーー


それでも君はどこへでも行ける。
閉じた扉は必ず開かれる。
一度入ってきた、魅力あふれる情報や景色を人は決して手放さない。
外を知っている人間がいつまでも閉じこもっているわけがない。
人間は進化の生き物だ。
過去に戻れないし、過去に正解はない。
エストニア
タリン
東欧のIT大国
デジタルノマドビザを計画中ー外国人が一定期間エストニアで働ける。
遊びを仕事にする。
根拠のない杞憂は考えすぎとして、一蹴して前に進む。
だがそれでも心が折れてはならないのだ。
負けたら損しかない。
負けとは、自分のやりたいこと、楽しい場と時間を、社会的抑圧に負けて自ら手放すこと。
成長の機会、新たなアイディア、出会いなどポジティブなものを手放すことになりかねない。
日本の強み
日本食、日本酒、エンタメ、観光産業、割安感。
アジアの富裕国をスピーディに往復できるメリットもある。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ブレイディみかこ「ワイルドサイドをほっつき歩け」感想 [読書メモ]

ワイルドサイドをほっつき歩け ――ハマータウンのおっさんたち

ワイルドサイドをほっつき歩け ――ハマータウンのおっさんたち

  • 作者: ブレイディみかこ
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/06/03
  • メディア: Kindle版
ご存知、ホワイトでブルーでイエローのブレイディみかこさんの本。
私はこっちの方が好きかも。
ホワイトで〜は、ちょっと子供向け優良図書な感じで、息子の優等生ぶりも彼女自身の教育の仕方の優等生ぶりも
正しすぎて眩しいような、若干鬱陶しいように感じた記憶がある。
もちろんそれ以上に関心したり共感したりした点もあったとは思うんだが。
ここにおそらく感想をメモったと思うが、なんて書いたかはあえて今は読み返さずにまずこれを書く。
こっちはもっと、英国の労働者階級の現在60歳くらいの人たちの哀愁漂う感じが良かったな。
私は30歳くらいの時に出世競争で、ガラスの天井を感じて、
男たちのドロドロした足の引っ張り合いも目の当たりにして、
会社員は嫌だと、いつかは起業しようと思うと同時に男という生き物がかなり嫌いになった。
逆に言えばそれまでは割と好きだったんだと思う。
そしてそんな時に男嫌いになったらいかんと、男の何が好きだったか
思い出そうと思って手に取ったのが梅佳代の男子だった。
男子

男子

  • 作者: 梅 佳代
  • 出版社/メーカー: リトル・モア
  • 発売日: 2007/07/25
  • メディア: ペーパーバック
そこには私が好きだった男というイキモノのエッセンスがつまっていた。
馬鹿なことが出来てしまうシンプルでかわいい男子という生き物が好きだった。
さてこれを読むと、その梅佳代の男子を思い出した。
男子が、小学生男子なら、こっちは60歳のおっさんの男子的な側面に光を当てている感じというか。
作者は、おっさんは世界中で悪者にされているが、それだけではない、愛すべき部分もあると言いたかったと前書きで述べていたが、その意図どおり、十分におっさんの良心と哀愁を感じられた。
こんまりにハマったり、金目当てのタイ人若妻の連れ子の世話をせっせとやいたり、ホームレスの若者を泊めてやったら金目のモノを全て盗まれたり。なんというか寅さん的な人情がある。
寅さん見たことないのでイメージで言ってるが。
私はけっこう同僚のおっさん達と同僚トークするのはそれなりに好きであったしなぁ。
結局、男女関係とか、出世とかが絡まない、ただの友達とか同僚としてはやっぱり男という生き物は好きなのである。
がこれまた男女関係となると難しいんだよな。
さらに経済格差、人種、国籍の違いが絡むとまたね。。
東南アジアで暮らしてた頃、外国人として、または先進国の人間として西洋人の側に共感し同情する
こともあれば、アジア人として、ローカルの側の人間に共感して同情することもあった。
そしてこの本を読むとどうやらイギリスでも事情は同じなんだなと思った。
茶飲み友達とか、同僚とか、趣味の友達くらいの関係性が気軽でいいよね。
とはいえ、カップルとか夫婦というユニットとして持ち物をシェアする、家族になる、そういうことの良さもやっぱりあるんだよね。リスクもあるけど、代えがたい良さがある。
この本は、ブレディみかこが、身近なおっさんだけでなく、あわせて身近なカップルについて、語っている。
ありなのか、なしなのか、なんで彼らは一緒にいるのか・・想いを馳せている。
なので、私自身、リレーションシップのいい塩梅のあり方ねえ、とふと想いを馳せるような本だった。

犬を愛でるように、違う種類のイキモノだと思って、面白いイキモノだね興味深い!そういう言動しちゃうのか!というくらいの距離感で、気分転換と癒しみたいな、それこそ茶飲み友達程度のことだけ期待するか、抱き枕程度か、またはお前も今日も生きてるんだね、という金魚程度のことか、それくらいしか期待せず、なんなら大型犬くらいのことは期待したいけど、そうやって犬を飼うように一緒に暮らしていけたらちょうどいいんじゃないかと思ったりすることはよくあるんだけど。


どうなんだろうかな。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

坂口恭平躁鬱日記 感想 [読書メモ]


坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

坂口恭平 躁鬱日記 (シリーズ ケアをひらく)

  • 作者: 坂口 恭平
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2013/12/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
私の中の坂口恭平ブームはそろそろ終わり。
この本も面白かったよ。
特に奥さんのふーさんをすごく愛しているのが、この本からは伝わってきて、この本自体がラブレターみたいだなと思った。
それに坂口恭平は子供のこともすごくよく観察していて、発見して、毎日感動している。
身の回りの人物、つまり自分の奥さんとか子どものちょっとした言動や、散歩先でであった人との出会いに日々感動している彼の生き方。
すごく面白くて、手元に一冊買っておいておきたいくらいだけど、こちらも沼だ。
耽溺してしまって、ずるずるいくと危険な沼。
面白かった!と、インスピレーションだけ得て、距離をおいておいたほうがいい感じがする。
もちろん、自分のやりたいことだけやって生きていけたらそれが一番いい。
やりたくないことはしないで生きていきたい。
だけど、今の私はやっぱり全力で保険をかけにいっている。
バランスだな。
坂口恭一的な生き方を常に忘れず、見失わず、肝に銘じながらも、現実をサバイブ。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

西加奈子 サラバ!中編、後編まで読了しての感想。 [読書メモ]


サラバ! 中: (小学館)

サラバ! 中: (小学館)

  • 出版社/メーカー: Audible Studios
  • 発売日: 2020/07/03
  • メディア: Audible版





サラバ! 下: (小学館)

サラバ! 下: (小学館)

  • 出版社/メーカー: Audible Studios
  • 発売日: 2020/07/03
  • メディア: Audible版
サラバ! (下)

サラバ! (下)

  • 作者: 西 加奈子
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2014/10/29
  • メディア: 単行本
ネットで読んだネタバレあらすじで得た感想で、前回は書いたけど、本当にその通りなのか確かめたくて、中下巻も借りてきて、気になる部分はじっくりと、それ以外の部分は斜め読みで読了。
やっぱりネットのあらすじは正しかった。
ネットで得たあらすじで得た感想と、実際読んでみた感想はほぼ変わらず。
気になって確かめたかった点の一つは、お父さんとお母さんが結婚にいたるまでの詳細と、別れる時、別れたあとの詳細。三角関係っぽい、Kさんという女性と、実際どういう付き合いであり、別れたあと、父はどういう付き合いをその人とたのか、という点。
あと最大のポイントは、終わり方。
エジプトでどうやってヤコブと再会し、何を語り、どうやって別れ、なんでそれが突然小説を書こう!という結論にいたって、どうやってラストを迎えたか。
でまあ父と母の三角関係はおいておこう、ちょっと夏目漱石のこころのパクリかって感じだけど、まあいいでしょう。
ラストはね、やっぱり私からすると酷かった。
あ、もう一つ気になったんは、姉貴子の見つけた軸って何だったの?というもの。
さらに、歩の軸がサラバ!ってどういうこと?ということ。
まあそれで、どちらもね、今一つよくわからなかったんだけど、「信じるものはなんだっていい、それを想えば楽になるとか緊張がとける、みたいなそんなどこにでもある些細なものでいい、猫の肛門でもいい」っていう趣旨があるから、まあいいんだと思う。
自分にとってピンとくる、揺るがないものならいいんだろう。
だけどさ、だとしても、それがサラバ!って、ちょっとなあ。
なんかこう、全編を通じて、回収されてきて、サラバ!が、軸にある小説だと思えたら、また違うんだろうけど、急にとってつけたかのようなサラバ!なんだよな。
さらに急に小説を書きたくなって、書きあらわすには自分の人生の思い出をできるだけあまさず拾わないといけない、と感じたので、生まれてからのエピソードをつぶさに拾いました、と書いているんだけど、その必要性が全然わからない。
そもそも、小説を書きたいと感じたのは、自分の中の化け物を書きたいと思ったからだというのだが、化け物の話なんて、急に最後に、化け物、化け物言い出したくらいで、なんなん突然という感じがした。
もっと象徴的に化け物って何か、というのが問われてきていたのならわかる。
だが、突然、たくさんの思いと時間をはらんだ化け物がサラバだ、といわれる。
出会った人、時間、ものすべてが化け物だと。
うーん、そこまでいっちゃうと、サラバがでかくなりすぎて、もはやサラバ=化け物=お前=じゃないか。
サラバは僕の神だ、とも言ってるので、けっきょく僕が神ですか?
まあそれはさておき、最後は、歩が、創作の惑いを吐露する感じになっていて、書かずにおられないから書いたけど、書いているうちに何が正しいかわからなくなり、最終的に正しさなんてどうでもよくなった。
いくつかはウソだし、全部ウソかも、判断は読者に任せます、何を信じるかはあなたが決めてほしい、とか言い出すわけ。
それって、よくないよ、と思う。
正しさなんてどうでもよくなった、といってもいい主人公もいるけど、こいつは、自分のすべてを洗いざらい拾って化け物の輪郭を拾いたいという動機で書き始めて、ち密にすごくどうでもいいピースまで拾い上げて書いているるんだから、そこで最後になって、ウソかも、とか言い出したら、あなたの試みはクソですか?ってなっちゃう。
でも評価高いんだもんね、この小説。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

西加奈子 サラバ! 感想。 [読書メモ]

上巻読み終わったところ。
今まで彼女の作品を二作品読んだことがあったようだ。
確か印象あまり良くなかったような、とおぼろげに思い出した。
このブログを読んで明確にその時思ったことを思い出せたのでよかった。
サラバ!を読んでみてもやっぱり俗っぽさが鼻につき、直木賞作家ってこういうことなのかなぁって言う印象だったのだが、それをそのまま黄色いぞうの感想に私は書いてた。

黄色いゾウは、甘い幻想に寄りすぎだったようだが、サラバ!は、エグいほどチープで低俗な価値観に寄りすぎてて、短編なら低俗な男の人生の半生、みたいな感じで成立すると思うけど、文庫本3冊に渡って大河的にやる価値あんの?あると思った。
西加奈子が対談でも自分の10年が詰まっているといい、かなり自分の人生を投影してると思うのに、私小説や自伝的小説という打ち出し方はしていないのだが、そのバランスの取り方もズルくてダサい感じ。
創作でありエンタメ小説なら、要らない記録が多すぎ。私の半生の自伝的小説だというなら、堂々とそう打ち出すことに意味がある気がする。
彼女はインタビューなどで、書く責任、書く覚悟と言いながら、逃げてる感じがする。

サラバ!の中身は所々私怨臭と自慢臭がぷんぷんする。
それは、小説本題に絡まないなくてよい部分を凄い熱量で描くからで、お前が個人的にこれ書いて満たされたかった部分なんだなぁって感じるんだよ、ヒシヒシと。

自己矛盾や自己憐憫、自己愛など、自分の内部をなるべく美化せずに中立に理性的に分析して描こうと試みる知性、しかも己だと開示した上で。そしてその分析が的確で繊細で唸らされる。
そんな中村うさぎのやり方と知性と作家性を尊敬するが、なんというか西加奈子は対極にあるかも、その意味においては。

やり方もこずるいし、分析も表現力も粗い。

サラバ!の主人公の男、歩の矮小さ、器用さ、ずるさ、平凡な価値観、そういうフツーさ、が西加奈子の持ち味なのかな。

だから大衆受けするんかね。

なんというかね、自分のこととなったら、言葉を選ぶと思うの。なるべく正確に理解したいし、誤解もされたくないから。
だけど、自分じゃなくて主人公だから、だから乱暴なエグい言葉で切って捨てていいの?
でも読んでいる人は嫌な気持ちになるよ。
西加奈子が、いやこれは己に向けたヤイバなんで、とわかるように自伝として描くなら許される事でも、エンタメ小説という体裁にしたならば。
はい、ブース、はい、デーブ、みたいな感じよ、あなたの描いてること。
あなたの試みは、はいブース、はいデーブみたいな世の中だけど、そこから抜け出よう!って感じなんだと思うんだけど、その世界の捉え方の知覚自体がそもそも凡庸な感性に感じちゃう。

前提がもうなんか乱暴なんだよなー。
はいブースな世の中やんかー、でな?
みたいな感じだけど、それは貴方の大味な味覚をもってして、世の中はそうと表現してしまえるんだよなと。

お笑い芸人の方が向いてるかもね。
そういう、一般大衆的で、ズバッと切って捨てれる感性は。
だってブスやん、ワッハッハー、みたいな。

そういうのは、インタビューでも現れていて、差別意識についても真摯に向き合ってるといってて。
でもその発言が既に、『その点、〇〇や〇〇も私の小説には出てきますんで、興味持って読んでください』とさらっと言ってるんだが。

その発言がまた乱暴なんだよね。。
〇〇や〇〇は通常差別されるもんですが、てバイアスが彼女の中にある。

例えばサラバ!でも、後半、イケメン謳歌してた主人公は若ハゲになり、引きこもり、それでさらにブクブク太って、自信も友人も喪い、ナイナイ尽くしの30代。
そして、そんな中、幼少期を過ごしたエジプトを訪ねて、当時相思相愛の大親友と奇跡的に再会できた。
子供時代、彼との間にあった絶対的愛情が、自分の基盤になると思えた。
で、今までの自分のグラグラした半生を小説に書こうと決意。
終わり、なんだと。

まあ下巻は読んでみたいけど、で?って思ってしまうかな。
結局、西加奈子は美醜に振り回され過ぎなんだよと思う。
主人公、歩だって、勝手に美しさに優越感持って、それに頼って調子こいて生きてきて、だからこそ世間的に良しとされない外見になった途端に、劣等感に打ちのめされて身動き取れなくなって恨み辛み。
これをブラックコメディとして短編でやるならいいよ。
でも超大作、超傑作、とやられると、お前の世界の捉え方はそんな程度なのかねぇ、と。
エジプトのことを描きたいなら、分けた方が良かったんじゃない?とも思う。
この美醜珍道中に、エジプトでの美しい友情を混ぜる必要があったかと。
あ、出かけないと!




nice!(0)  コメント(0) 

私の中の坂口恭平的なもの。まだまだ続く恭平ブーム。 [読書メモ]


徘徊タクシー

徘徊タクシー

  • 作者: 坂口 恭平
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/07/31
  • メディア: 単行本





ゼロから始める都市型狩猟採集生活

ゼロから始める都市型狩猟採集生活

  • 作者: 坂口 恭平
  • 出版社/メーカー: 太田出版
  • 発売日: 2010/08/04
  • メディア: 単行本


まだまだ続く私の中の坂口恭平ブーム。

2冊も読んでしまった。


あまり坂口恭平にのめりこむのは危険だ、まるで危険思想のようだ、真に受けてはいけない、エンタメとして距離を置いて楽しまなくてはいけない、という思いも10%くらいは頭に残しつつ、90%くらいは、鉄は熱いうちに打てというか、この熱狂に乗っていこう!間違っていないと思っている私がいる。


たまたま人生のタイミングもあるけど、今まで自分が感じてきたことにすっと馴染む、体感として信じられる部分、つまり体質的にあう部分が大きいと思う。


彼の躁鬱大学に記載があるように、躁うつ病の操縦方法を神田橋語録からインスピレーションを得て彼なりにまとめた一環で、とにかく「窮屈にならないように、自分で自分が一番のびのびハッピーに暮らせていた小4の時の生活リズムや生活ルールで、本心からやりたいことだけやりたい順番でやって、生活する」ことで、躁鬱の波が激しくなって、家族に多大な迷惑をかけたり、死にたくなったりすることを回避できるようになってきたとのこと。


そしてまた躁鬱を病気というよりも体質と捉えて、体質にあう人生を、という考え方。


「資質に合わない努力」はやめ、「きちんと」とか「ちゃんと」することをやめてみましょう。とにかくのびのびと好きに生きるのです。

「のびのびするためには、今までやったことのないことに色々と手を出してみて、あれもこれもちょっぴりかじるだけが良さそうです。そして合いそうなことだけをするようにしましょう」

どんどん違うことにトライしましょう。そのとき自分の体に合っているものはすぐにわかります。何か音が響くように感じ取れるからです。それはあなたが探そうとしているその「何か」に気づくための道しるべになります。ついつい非躁鬱人的言語の世界に生きてしまう、躁鬱人はこのように行き当たりばったりな行動しかできないことに悩んでしまうかもしれませんが、それなら非躁鬱人的言語の中からとっておきの言葉を選んでみることにしましょう。カンダバシの続きをさらに読んでみます。
「気分屋が基本気質ですから、気分屋的生き方をすると気分が安定するという法則を大切にしましょう」


気分屋を身に纏いながら好き勝手に思いつくままに、自分の関心領域を宇宙の端まで広げるのです。飽きたらやめればいいだけです。それはあなたには必要のないことなんです。しかし、それでも他のことをやるだけであなたの体は楽になりますからそれだけでもお得ってことです。カンダバシはヒントをくれます。
「コツはくだらないことを遊び半分でやることです。価値のないこと、無駄なことから始めましょう。そうすれば中途で止めてもガックリ来ません。価値あることをしてしまうと、しんどくなった時に途中でやめられなくなるから、損です。逆に無駄なことをどんどんやるのは、治療に役立つから無駄ではありません」


わたしが躁うつ病だというのではないけど、、やっぱりうつ状態になった人とか、死が頭をよぎったような人は、「のびのび生きる」とか「好きなことを好きなようにする」とかの対極にいることは間違いない。きちんと、ちゃんと、まじめに、一貫性をもって、意義のあることを、、なんて気にしてたら、のびのび好きに、なんてことにならない。


他人の評価軸にいつの間にかあわせてしまって、努力して、頑張りすぎて、いつの間にか心に無理が蓄積し、それが「きゅうくつ」感であり、うつになる引き金になるというのもわかる。


ま、そんなわけで、のびのび生きようぜと。

のびのび生きるために、会社員じゃのびのびできないならやめちゃおうぜと。

でも、あなたみたいに本や絵がガンガン売れる人は一握りで、会社辞めたら食っていけません、という話がかならず出てくるからこその「ゼロ円で生きられる」っていう話。

もちろんよ、段ボールハウスは、女性が住めるのかと言われれば防犯上無理だろう。

だが、地方の空き家を借りてすめばタダみたいなもので、結局なんとかなるのであろう。


私の中の坂口恭平に共鳴してしまう部分は、かなりあって中毒性が高いが、現実に落とし込んでうまくやる方法論は自分で考えて、自分でいい塩梅を見つけて実地に落とし込んでいく必要がある。

サバイバルスキル。まあ、でもこれは頭で考えてうまくいくもんでもなく、トライアンドエラーを繰り返して微調整していくもんだから、とにかくトライだ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
Free xml sitemap generator