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映画「異人たちとの夏」感想。

昨日観た「異人たち」に引きづられて、オリジナルの方の「異人たちとの夏」を観る。
まあ山田太一の小説がオリジナルか。
それの映画化が大林信彦の「異人たちとの夏」。

こうなったら小説も読みたいもんだわ。

さて大林信彦版を観て、なるほどー、、だった。
「異人たち」の方も、オリジナルを知ってれば、わかりやすかったのかも。
以下ネタバレ。

または、「異人たち」を観てから、「異人たちとの夏」を観てるから、答え合わせみたいだった。
思ったよりもかなーり原作に忠実だったよ、異人たち。

12歳で父母を失くすところ、主人公の職業、父母の雰囲気、二人しか住んでないマンション。
階下の住人が一緒に飲もうと突然訪ねてくるけど、断ってしまうところ。
そしてその晩に寂しさに耐えられなくて自殺していたことが、後で判明するところ・・。

そうだよ、つまり異人たちのハリーはやっぱりゴーストだったんだ・・・。
悲しい。

さて大きく違う点としては、異人たちとの夏の方が、一夏の話として、プロットとしては成立していて救いがある。
ナレーション付きで、説明がしっかりしてるので、筋も追いやすいし、どう解釈していいかも指し示してくれる。
それなりによろしくやってたそんなに性格がいいでもない男が離婚してひとりぼっちになって、仕事もそんなにうまくいってなくて、そんなスランプの季節にあった出来事、ということで、成立するんだよ。
そこで感じた愛情や励ましが全部、ゴーストたちの仕業だったとしても、「どうかしてたんだ」ということにしつつ、「ありがとう、父さん母さんケイ、俺また頑張るよ」で話の筋が通る。
離婚はしたけど、息子もいるし、あなたが好きなんだまた一緒に仕事をしたいと言ってくれる信頼できる仕事仲間もいる。
そこには希望がある。
むしろ、今回のことを通じて雨降って地固まるじゃないけど、両親の偉大な愛を認識することで人として素直になれた主人公がいる。
しかもゴーストたちに正気を吸い取られるというマイナスがあるところもいい。
そのマイナスと、ゴーストたちがくれる甘美な世界というプラス、その後、現実に与える好ましい影響、全部バランスが取れている。
夢オチ的な異世界ものって、現実に戻ってきた時に、異世界で得た自信や愛情やらで一回り成長してて、現実との向き合い方が今までと変わってる、というそれがなければ、辛いけど、ちゃんとそれがある。

その点、「異人たち」はちょっと成立してないんだよね。
まず主人公はスランプの時期、というわけではなくて、正直ずっとずっと孤独だった。
息子とか、自分を慕ってくれてる仕事仲間みたいな、現実に引き戻してくれる大切な存在、希望となり得る存在がいない。
いや、その存在がハリー。なのにハリーも現実の人ではないとすると、主人公は現実に戻る意味がなくて、ハリーと異世界に留まるんかいっていう。
お母さんも、ハリーを大事にね、みたいなことを言ってたし。

ラストシーンの後を考えてみよう。
彷徨える魂と化していたハリーの魂を慰めて、大丈夫、俺がついている、といってアダムができることといったら、遺体を通報して父母と再会させてハリーの成仏を助けることだ。
その後アダムに何が残るのだろうか。残るのはまた孤独な生活ではないのか。
そこに救いがあるのだろうか。

それとも永遠に幽霊の恋人と生活していくつもり?
でもそういうのって、それこそ正気を吸い取られるから長くは持たないのが相場。
というわけでアダムもハリーに連れて行かれるのか。
それって客観的に見て悲しすぎる。

側から見たら、事故物件が事故を呼ぶケースでしかない。
やだよそんなの。
やっと生に向き合う勇気が出たところなんだから生きてほしいし、やっと見つけた愛も奪わないでほしいよな。

ところで異人たちとの夏。
秋吉久美子と片岡鶴太郎の両親演技、良かった。
異人たちとの夏の方が、泣ける場面は限られていたけど、今半のシーンは泣けたね。
両親と時間を共に過ごすシーンは全部すごく良かった。
異人たちの方もすごく良かったけど、異人たちの夏の方がさらに良かった。
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