マツコとうさぎと整形。 [読書メモ]
この本は、なぜかアマゾンで発売日が去年になってるけど、中身は古い話である。
15年くらい前の話じゃないか、中村うさぎが整形しだしたのって。
その当時はまだ公開整形する人なんて、珍しくて中村うさぎの振り切りっぷりが、際立ってた。
さてしかし、私は中村うさぎの書くものに興味がある。
それは彼女が世間的イメージとは裏腹にものすごく理性的で知的な人だと知ってしまっているからである。
もちろん欲望と行動の人であり、そっちのほうが奇天烈だから、まあ世間のイメージも間違いじゃないんだけど。
彼女はものすごく身を削って奇天烈な行動を繰り返し、自分が何を求めてそうするのか、その行為によって何を内面的に得たのか、それによって何が変わったのか、を自己欺瞞いっさいなしで、エグく内面をぐりぐり見つめて書き起こそうとする、その姿勢がいいんだなあ。
さてこの整形体験記だけど、「整形が当たり前になり、皆が整形する時代になったら、美貌の価値は下がる。これから顔の価値は下がっていくだろう」と彼女は言っている。
ただむしろお直ししてない顔が珍しく天然もの、レアものとして価値があがるだろう。
まあブレードランナーみたいに美女なセクサロイドが当たり前の世界になったら、生身の肉体ってだけで価値があがるだろうから・・という話をしていて、ブレードランナーってそんな話なのか?と私はタイトル知ってるけど見たことなくて、やっぱり有名な映画は見ておくべきだと思ったけど、それはさておき、さすが中村うさぎその通り、というか、まあ今もうそういう時代になってきてるよなと思った。
まあ彼女の場合はもともと男子にモテる可愛いらしい顔をしていて、それが本人の気に入る顔であったわけではなく、そこに多少のコンプレックス(幼くみられる、かわいらしい女の子であることを期待される、かっこいいファッションが似合わない、など)があるとしても、別に強い外見コンプレックスがあったわけではないだろう。
ただ、体当たり系ライターとして、自己実験的に、整形してみたっていうのが主目的でもある感じだし、
老いを感じてきて女としての価値が揺らいできた、それの改善という目的もある。
というわけで、まあ顔に対して本気で悩み、外見を変えることで人生を変えようとするシンデレラストーリー
的な感じで、整形にかけている若い女子とかにおける整形とはまた話がちがうけど、カジュアルからシリアスまで、ありとあらゆる種類の整形がふつうにあるのが、整形が蔓延して普通になるということなので、これはこれで正統派だろう。
新庄みたいな、改名みたいなノリで顔アップデートする整形も出てきてるしな。
さて、こちらも欺瞞を許さないわよ二大巨頭のマツコとうさぎだけあって、さすがだった。
気分転換に読もうとおもって、まだちらっと拾い読みしただけだけど、お互いの自意識にぐりぐり突っ込んでいって、そうじゃねえよ、とか、やりあっていて、さすが。
たとえばマツコはなぜ女装をするのか、しかもパートタイム女装であって、基本はゲイであり、いわゆる女性になりたい人ではない。それは何なのかについて、うさぎはつっこんでいくが、マツコは自分でもはっきりとは説明できないという。
が、それってとても共感できる私がいる。
なんで?と聞かれてもわからないことは結構あるよね、特にそういうアイデンティティに根差す部分。
だから人は、生まれつき、と説明してみたりするし、実際にそうとしか言いようがないくらいに、はっきりしている場合もある。
でも、女になりたいわけじゃないけどたまの女装で精神のバランスがとれるゲイ、みたいなのって、説明が難しいと思うけど、私もそういう感じだなと思う。
無理してまで男になりたいわけじゃない、女のままでいい、でも女でいることに特別な意義を感じているわけでもなく、固執しているわけでもなくて、本当は性とか意識しない世界で生きられたら一番いいと思う。
でも女の見掛けでいることによって、女として「当たり前」みたいに女の役割を押し付けられているように感じて世界が息苦しくなったり、猛烈な怒りを感じたり、死にたくなったりすることは頻繁にあって、それはどうやら身近な女友達よりも、ずっとずっと頻度が高く強烈なもののようだし、根源的なもののようである。
だから逃げ道がいる。
でも虹色の世界だから、きっと世の中はストレートとそれ以外の何かに明確にわかれているわけじゃなくて、その間のぼんやりしている人もたくさんいる、それが当たり前だと思うから、きっと私のような感じの人も大勢いるんだと思う。
この症状が何のせいなのか、どこからくのか、名前はよくわからないけど、というような。
それこそ、現代は発達障害、ADHDとか、それこそどこまでが正常でどこからが?というような生きづらさや個性が話題になることは多いけど、そんな感じ。
生きづらさが発達障害に起因するのか、性自認に起因するのか、それがミックスされているような人も、取り違えて混同しているような人も世の中いるように思うしなあ。
ちなみにうさぎにも私は近しいものを感じていて、彼女は性自認も性嗜好もストレートの範疇ではあるんだけど、やっぱりどノーマルではないものを感じる。
女性としての性を葛藤なく受け入れて、または自然に受け流して生きられている人ではない。
あ、今日、図書館への返却日じゃないか!
急いで読もう。
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