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映画「異人たち」の感想

これはもう私は最初から最後まで泣きどおしだった。
号泣シーンがあるというよりも、ずっと啜り泣きという感じで、鼻水が止まらなくて本当困った。
目も腫れまくってるし、鼻水もグジュグジュですでに、手持ちのティッシュとハンカチでは手にあまる状態で、顔がどういうことになっているかわからないので、明るくなって映画館を出るのが怖くて、エンディングロールで暗いうちに映画館を出たのに、扉の前には係員が待ち構えていて、バッチリ鉢合わせしてなんだよもうって感じだった。

おそらく映画館で泣きまくった映画としては、歴代2位かな。
1位は、百円の恋。

さて、以下ネタバレあります。

なぜ私のツボにここまで刺さりまくったのか。
それは、圧倒的な孤独を描いているからだと思う。
孤独であることを、だって自分はそういう人間だから仕方ないし、とずいぶん昔から諦めているタイプの孤独。
あとは年齢もあると思う。
これは親をすでに亡くしているか、健在でももういつ亡くしてもおかしくない年齢の中年には刺さると思う。
もちろん若くても親と死別したとか、親の顔を知らずに育ったとか、そういう経験がある人には刺さると思う。

都合のいい話ではある。
12歳の時に死別した両親に会える。
孤独な中年が、マイボーイとして、家庭的な温かさを、両親からの絶対的な愛情を再び感じることができる。
心の中に、甘えたい欲求を満たされずにひっそりと抱えながら生きている大人としては、堪らない夢の世界だ。
ところがその都合の良さに、私は全然嫌な気持ちにならなかった。
それどころか、ボロボロ泣いた。

なんでだろう。
対照的なのは、君たちはどう生きるか、だ。
ずっとずっと恋しくて堪らなかった死別した親と会える。
しかも親の若い時に出会えて、一緒に時間を生き直すことで、満たされて、励まされて、現実に向き合う勇気をもらうという意味では共通している。
その都合のいい設定は同じなはずなのに、君たちはどう生きるかは、マザコン映画だなあ、と嫌な気持ちになったのに、こちらは全くそういうのはなかった。
まあ、ディテールの差だろうな。

君たちはどう生きるかは、母親が美少女になって出てきて、まるで少年である主人公と淡い恋人同士みたいな描き方だし、母親のキャラクター的にも神格化、美化されて理想の女性のような感じで描いてるから抵抗感があるんだろうな。

異人たちは、美化だけじゃない。
主人公はそんな可愛くない、若くもない40男だし。
両親も完璧なわけじゃない。
もちろん両親との邂逅はある種、主人公の願望の世界なので、主人公が言って欲しかったことを両親は言ってくれるし、一生分くらい主人公と向き合ってくれるけど、それだけじゃない。息子を普通に可愛がって愛してはいたけど、あくまで普通の両親で、息子のことを全然理解してなかったり、寄り添ったりできていなかった一面もあるのをきちんと描いている。
だからこそ泣けたのだわ。
都合がいい中にも、全てが都合がいいわけではない部分。

例えば、息子がゲイだと聞いて、ゲイは孤独に生きるしかないんじゃないのか、
子供欲しくないの?子供を持たない人生なんて・・という価値観をストレートに突きつけてくる母親。
息子が女々しくて虐められてるかもな、と薄々気づきながらも、そういう息子に対してやれやれだぜ、という感じで優しくなれなかった父親。
もう今生の別れだとなれば、そんなことはどうだっていいことなのがよくわかるのに、生きてるうちはそうなりがちなのかもね、あるあるだろうから泣ける。

その一方で、あなたが5歳の時こんなことがあったじゃない、違うよあれは・・・みたいな息子の小さい頃の話題中心に盛り上がる両親の様子が、普遍的な暖かい家庭像、両親像、実家って感じで泣けるんだよな。
両親が他界して帰る家がなくなったら味わえないだろう実家の味。

リアルなんだよな、色々。
あんなこともあったね、こんなこともあったね、という描写がいちいち。
国は違っても、同世代というのもあるかもしれない。

あとは10代になっても、20代になってからも、親が生きてたら家族でこんなところに行ったかな、という夢想を何度もしたという話とか。
ディズニーランドは行ったの?とか。
これが最後なんて嫌だ、という息子に対して親が取る方法が、じゃあ最後にお前の大好きなあそこにみんなで行こう、というのがね・・。12歳の子供に対しての親の譲歩という感じがたまらない。

あとは都会のタワマン的な結構豪華なマンションなのに、ゴーストマンションで、二人しか住んでないという孤独とかね・・・。

さて、あとご都合主義じゃない感が決定づけられるのがラスト近くだよ。
やっと出会えたハリーが、まさか既に孤独死してたなんて残酷すぎる設定が、全然甘やかじゃなかった。

2人しか住んでないゴーストマンション。
そのうちのひとりハリーが、もう一人であるアダムに一緒に飲まないかとウィスキーを持って尋ねてくる。
が、酔っ払ってる風だし、知らない人を家に入れるのもな、という感じで、彼と同じく孤独なくせに誘いを断ってしまうアダム。

実はハリーはその日もう、精神的に限界を迎えていて寂しさに耐えられずにいて、それゆえの行動だったが、そこで拒絶されたことは、最後のSOSが届かなかったことに等しく、彼はそのまま部屋で命を絶ってしまう。または、泥酔した上でのオーバードーズで事故かかもしれない。
そして、人気のないマンションゆえに、孤独死していても、誰も気づかなかった。
二人しか住んでないマンション、実はいつからか一人しか住んでなくても、もう一人は孤独死していたなんて、本当に孤独すぎる話だ。
心を開けば分かり合えたし、良き友人になって、一緒に人生を再び楽しむこともできたのに、一緒なら再び外に出ていく勇気も出て、愛しあえたのに。。。

そういう話だったら辛すぎる、本当に。
それは解釈1だ。
解釈2としては、同じマンションで孤独死しているゴーストとの交流だったという話だ。
父母がある種のゴーストであったのと同じく、ハリーもゴーストだった。
それも悲しすぎる。
父母から勇気をもらって、やっとハリーと向き合う覚悟が決まったのに、そのハリーもゴーストだったなんて。ハリーは現実であってほしいよ・・・。
でも、ゴーストだっていいんだ、そんなの関係ない、俺だってゴーストみたいなもんだし、という心意気は感じるので、まあね、ハリーの魂がそれで救われるならまだいい。
解釈3としては、ハリーは死んでない。
部屋で死んでいるハリーというのは、あくまでハリーの心象風景で、それをアダムは見たのだ。両親から勇気をもらってハリーと向き合おうと決意したことで、初めてハリーの圧倒的ギリギリの孤独に気づく。そして自分がハリーを救う、守る、癒すとちかう。
いい話だ、だったらば。
解釈4としては、死体はあったがハリーじゃない。
死体を放置してるのは、自分ももう死んでもいいかなと思っているくらい自暴自棄だからか。
まあでもこの説はないな、流石に元恋人かなんかの死体と一緒に生活しながら、新しい男を口説くことはないだろうから。

まあでもお母さんが最後に、ハリーはいい子そうだったから、でも寂しそうだった、彼をケアしてあげて!!というのが遺言みたいになっているんだから、ハリーは生きてないと!
なので、解釈3だと思いたい。思わせてくれよ・・・。
やっとできた心を開ける存在すらゴーストだなんて寂しすぎるし、ハリーの最後のSOSが届かなかったんだとしたら、しかもたった一人のご近所さんが孤独死しているとか、、それも全て残酷すぎる・・・。

でもタイトルが異人たち・・・やめて・・・。

まあでもね、皆さんはどう見ているのでしょうね。
私は他の人の解釈を全然知らずに今これを書いています。

それにね、最後はさ、僕が君を死神から守る!みたいなセリフと歌詞だったもんね。
うん、そこに希望があると思う。
死体の描写は、ハリーがもう一歩間違えばそういうところにいる、という描写だと思うことにする。

さて私の感想のまとめとしては、
1)ハリーの部屋の死体のところで、大ショックを受けたけど、逆にそれで甘やかすぎずにまとまってよかったのかもしれない。また両親のパートは、最後の瞬間までしっかり描いているからこそ、ハリーのパートにはミステリアスな部分を残すことで忘れられない爪痕を観る人の心に残す感じが技巧なのかもしれない。
2)勇気をもらった。ずっと心を閉ざして生きてきた中年でも、まだこれから人生をしっかり生き直せる可能性があるかもしれないと。
3)一方で、人と向き合う勇気を失い心を閉ざすということは、差し伸べてくれた手を握らず、自分が人生を楽しむチャンスを逃すだけでなく、助けを呼ぶ手を拒否することになったりもするということだ。
自分の孤独だけが特殊なのではなく、人は皆孤独である、皆とは言わずとも、多くの人が孤独であることを肝に銘じるべきで、自分と同じような人は世の中にたくさんいると思うべきなのだろうことだ。
4)ハリーの口説き方、距離の詰め方がなんかいいなと思った。自分はもう一度会いたい、といい、もう一度あったら、一緒にソファに座ってテレビを見たりしたいなと思った、と言う。映画って、こういうところをしっかり描かないものが多くて私は不満を抱きがちだったので、これはとても好感度高い。あとはほぼ初対面での会話とかも自然だなと。
5)まあでも理屈でどうこうと言うより、琴線に触れまくった、生理的にあう映画だったと思う。ゲイであることと孤独であることは別だといいながら、アダムもハリーも大きな孤独感を抱えながら生きている。家族ですら、両親ですら完全な理解者ではない。それでもそこには愛が・・・理解はなくても愛はあるんだよ・・そう信じさせてくれるような素晴らしさがあった。うん、そこが一番大きいのかもな、この映画は。

さてこの映画は町山さんが紹介してたことがもちろんきっかけなのだが、それ以外にリリコが大絶賛してるのをどこかでチラッと聞いたかしたからというのもある。

親が死ぬ前にちゃんと向き合っておきたい、その気持ちは私にもある。
まあでもね、結局難しいと思う。
生きているうちはね、色々あるからね。
生きてくってだけで大変だからさ。

あ、あと思い出した。
アダムが母親と話している時に、「反抗したりしてさ。」「それで仲直りはしたの?」
「仲直りなんかしないさ、ただ一緒にいるだけ。一緒に生活してればどうでもよくなるんだよ」
みたいな会話があった。

生きている間の家族なんてそんな感じかもしれない。
でもそれはそれで尊い気がする。

父親が最後に、人生訓みたいなことは言えないけども、、よく今まで生き抜いた。大したもんだ、というのもよかったな。
そういうことも生身の生きてる親は言わない。
肩書きやら勲章やらを誇りにしてくれることはあったとしても、とにかく生きてる、生き抜いてきたっていうことで褒めてくれるのは死んだ親だからだ。
それに言われる方だって、生きている親に、お前生きてるだけで大したもんだ、と言われても、は?って感じになるだろう。
でも死んでる親だったら、とにかく息子が生きて大人になった、生きてなんとかやってる、それだけでも嬉しいだろうな、と素直に思える。
結局遠く離れた方が、一番大事なメッセージを伝えられる。
生き抜いてきたの大したもんだ、愛してる。
あー泣ける。
泣きすぎて明日は目がお岩さん確定だなこりゃ。

あと原作の偉人たちとの夏は読んだことあるのか、無いのか忘れた。
いずれにしろ、読んだとしたら10代とか20代の頃だと思うので、今読んだらまた違う感想を持ちそうだし、近々読みたい。

また監督はなぜゲイという設定にしたのか、原作は妻と離婚した男の話だからちょっと違うはず。その辺りも調べてみたい。
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