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映画「ゴジラ」の感想。

ゴジラ1.0が面白かったので、オリジナルのゴジラを観る。
なるほど・・・ いや、さすがだな。
大体シリーズものの1作目というのは、そういうことよね。
つまり、1作目が大当たりだったので、2作目やろうぜっていう話が出るわけで。

正直、途中ゴジラが街を破壊し尽くす描写の時には居眠りしてた。
それで・・・?という瞬間は確かにあったと思う。
が、ドクターキリコみたいな風貌の眼帯の博士のターンになってから俄然面白くなった。
それこそ手塚治虫の漫画的な面白さ。

社会性もとても高い映画なのね。
水爆実験によって、地底である棲家を破壊されたゴジラが怒って地表に出てくる。
ゴジラは被爆している。だが強いから生きている。
そんなゴジラをも倒す、オキシジェンデストロイヤーという、キャッチーかつ、いかにも最終兵器、私たちの生の象徴とも言える「酸素」を「破壊」するなんて、世紀末的なのだが、そういうところもキリコ感。

で、なんとも可愛らしいお嬢さんも、まあ手塚治虫キャラに出てきそうなほっそりしていて、パーツが小作りで、いかにも手塚治虫漫画に出てくるタイプのお嬢さんなんだが、よよと泣き崩れたりするのもまた昭和。
昭和の女性は本当にああやってよよと泣き崩れていたのかしら。

さて観客としては手に汗握って、ダメだよきりこ、だめ、使用を許しちゃだめ!
ゴジラのみならず海中の生物全滅だよ、そんなのダメ!
兵器として使われる、それだって確かにリスク。。

というのを思っているのだが、ゴジラによる災害の酷さを間のあたりにして、案外簡単に腹を決めるキリコ。
でも、キリコはゴジラを倒したそのオキシジェンデストロイヤーで、そのまま自殺して、この凶悪兵器が2度と使われないということを完璧にしたんだ。

おおお、そりゃみんなキリコに夢中になるわな。
ダークヒーロー的な。別に悪ではないんだけど、死を選ぶところがちょっとダークな。

というわけで、これは図らずもタイムリーだった。
オッペンハイマーのアンサーソング的というか。
もちろんオッペンハイマーは、彼の人柄、人生にフォーカスした映画だし、正確にはオッペンハイマーが原爆を発明したわけでもない。
原爆を落とした為政者に責任があるのであり、原爆を発明した科学者に責任があるわけでもない。当時はね。
とはいえ、原爆の経験から、科学者は発表したら最後兵器利用されるということが既にわかったんだから、その芽を自ら潰す、覚悟のある科学者キリコ。

そしてゴジラから70年経ったけど、主題は全然古びてなかった。

あれが最後の一頭とは思えない。
水爆実験がこのまま続けば、また世界のどこかにゴジラの仲間が現れるかもしれない・・・
という志村喬のラストの呟き。

結局、大量破壊兵器の脅威によって世界の均衡を保とうとしていて、深海についてはまだ未解明、環境が狂ってくれば、例えばクマが住宅街に出てくるようになった現在、言ってることはほんと理解できる。

なので、もちろんエイリアンが地球を攻めてきたら、というのだって全然あり得なくない、一抹のリアリティはあるわけだけど、昔からの言い伝えにあった怪物が深海から出てくる、というのも海洋国、そして相模湾という深海を近くに持つ日本らしくてなかなか良かった。

そして、1.0との対比もまた良かったな。
キリコはゴジラと心中したけど、敷島は生きた。
キリコが使った兵器は、最新の大量破壊兵器だったが、敷島が使った技術や武器や戦時中の特攻に手を加えたものである種シンプルな兵器だった。
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映画 ゴジラ1.0 感想

全然期待してなかったが、すごく良かった。
緊張感、エンタメ性、筋立ての綺麗なまとまりっぷり、メッセージ、最後の落とし方、細部のセリフの切れ味。
全くもって完成度高い!!

映画として、進撃の巨人実写版という失敗例のリベンジ的な立ち位置いうか、なかなかの世界観を2時間の枠にギュッとまとめて綺麗に落とした感じ。
戦闘ものとして手に汗握るスリルがありつつも、メッセージ性もすごく高いし、筋立ても破綻せず綺麗に決まってた。

私はゴジラシリーズを見るのは全くの初めてなので、ゴジラとして云々は良くわからんのだが、最初のゴジラ誕生が1954年だったのね。

ゴジラをそういう目で鑑賞してみたいと思った。つまり終戦から10年も経ってない、まだまだやっと復興してきたくらいの時代、なぜどういう感じでゴジラだったのか、今となっては興味ある。

今作は、すごくそこを意識していて、戦後日本人が喪失から再びアイデンティティを再構築してきた工程を、その時代から振り返ることに意義をおいた映画だった。

つまり子供向けの特撮映画ではなくて、戦争映画、反戦映画としても優秀だった。
でもまあナショナリズムを高揚させるようなところもあるけど、戦争を美化することなく、日本人的な強さや精神を肯定してる感じ。

配役も、欧米的ハンサムではなく、華奢で一重か奥二重の和風ハンサムを主要キャラクターに並べたところにもその心意気を感じた。
あとはガンダムにしてもドラえもんにしても、日本のヒーローはやっぱり基本甘ちゃんで弱虫なところも伝統を守っていてよい。

あとは力技ではなく、体は小さいメガネの日本人たちが、あくまで技術力とか作戦、諦めない心で勝負するって感じも良かった。
もちろんバンカラ風の人たちもいるけど、作戦の要はあくまで吉岡秀隆と神木隆之介という。

いやしかし、神木隆之介、日本を代表する俳優になったもんだなぁと改めて感服。
いや元からだろ!と言われればその通りよね。
主役たくさん張ってきたもんね。

でもさ、やっぱりこの映画は、主役の緊迫感なくしては成立しなかったというか、それがあつたからこそ、ここまで素晴らしくなったと感じた。

神木くんの演技にはぬるさがなかった。
すごくほおがかけてたし、顎のラインもすごくシャープに感じだから、鬼気迫る命のやりとりを演じるために体重も落としたのかなと感じた。

かといってわざとらしさや過剰さもなく、さすが百戦錬磨な力の抜け具合。
見るからに弱っちそうでありながら、魂は綺麗で、どこか不屈の部分も持っていそうな感じもよかった。

さて、よかったなーという点はほかストーリー。
以下ネタバレ。

最後、ゴジラの口に突っ込んで行くところはまさに特攻隊で、神風攻撃を肯定するかのような描写なのだが、最後にパラシュートで脱出してるの。
それが、我々は戦時に命を粗末にし過ぎた、という反省点の見事な回収になっていて震えましたな。
私も特攻機に脱出機能をつけるなんて発想はなかったので、そうきたか!綺麗に技を決められた。

でも確かに戦後であれば、物資はあるわけで、そんな機能をつけることも可能なんだよな。。
まあ戦時中だったら、パラシュートで脱出しても捕虜になるか殺されるだけだから、そこも違うけどさ。

あと神木くんの以下の時の演技とセリフが心に刺さった。

そもそも俺も生きてるのか。
ノリコもアキコも屍が見てる夢なんじゃないのか。

屍が見た夢。

いやちょうどさ、異人たちを先日観たばかりだったから、そもそも両親もハリーもアダムの夢だったとして、アダムももう死んでる疑惑もあるわけで、だったら本当にあれは屍が見た夢。。。

なんて悲しい言葉でしょう。

あとは安藤サクラが流石だった。
甘くはないけど心根は優しい隣のおばさんも心を掴んだよ。
大人は何食ったって生きてけんだから。
って台詞がリアルに響いたのは、サクラの演技力のせいだ。ほんとその頃は餓死にはリアルでほんと何でも食べたんだろうなと。

神木君をまわりの甘くない設定もよかった。
つまり自分が腰抜けのせいで、人が大勢死に、橘さんに何度もボッコボコにされ。気が弱そうなのをつけ込まれて、浮浪児に居座られ、隣のおばさんには、のこのこ帰ってきやがって!と、せっかく生きて帰ってきてもドヤされる。

でもそこを黙って耐えて生き抜いたから、最後の出来過ぎ的なハッピーエンドもお前には値するって感じで良かったな。

あと決戦前夜の吉岡秀隆の演説も良かったね。
死ぬために戦うのではなく、生きるために戦うのだと。そして誰1人死なないことを成功としたいと言いながら、死ぬ覚悟を決めてるから、若造を連れて行かない。みんな役立たずや死に損ないの意識があって、今度こそ役に立ちたいと思って張り切っているという描写も切ないなと思った。

また若造には若造の思いがあって、俺だって国を護りたいのに!!と叫んでるのが、遠くから響いてくる演出もよかったな。

当時の感じが想像できた。
つまり、兵隊さんとして動員されて生きて帰ってきた人たちは皆んな大きな傷を抱えている一方、戦争に行ったやつ同志の連帯感みたいなものもあって、戦争に行ってないやつとの間にある種の分断があったのだろう、子ども扱いというか。

あと浜辺美波については全般的にファンタジーで飛躍と無理ある設定が多かった。
あんなべらんめえで強引な百戦錬磨の浮浪児ふうだったのに、瞬時にして、敬語をしゃべる品の良いお嬢さん風になる無理。
爆風に吹き飛ばされてるのに生きてる無理。
まあでも面白いので全然それくらいはヨシとする。
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映画「異人たちとの夏」感想。

昨日観た「異人たち」に引きづられて、オリジナルの方の「異人たちとの夏」を観る。
まあ山田太一の小説がオリジナルか。
それの映画化が大林信彦の「異人たちとの夏」。

こうなったら小説も読みたいもんだわ。

さて大林信彦版を観て、なるほどー、、だった。
「異人たち」の方も、オリジナルを知ってれば、わかりやすかったのかも。
以下ネタバレ。

または、「異人たち」を観てから、「異人たちとの夏」を観てるから、答え合わせみたいだった。
思ったよりもかなーり原作に忠実だったよ、異人たち。

12歳で父母を失くすところ、主人公の職業、父母の雰囲気、二人しか住んでないマンション。
階下の住人が一緒に飲もうと突然訪ねてくるけど、断ってしまうところ。
そしてその晩に寂しさに耐えられなくて自殺していたことが、後で判明するところ・・。

そうだよ、つまり異人たちのハリーはやっぱりゴーストだったんだ・・・。
悲しい。

さて大きく違う点としては、異人たちとの夏の方が、一夏の話として、プロットとしては成立していて救いがある。
ナレーション付きで、説明がしっかりしてるので、筋も追いやすいし、どう解釈していいかも指し示してくれる。
それなりによろしくやってたそんなに性格がいいでもない男が離婚してひとりぼっちになって、仕事もそんなにうまくいってなくて、そんなスランプの季節にあった出来事、ということで、成立するんだよ。
そこで感じた愛情や励ましが全部、ゴーストたちの仕業だったとしても、「どうかしてたんだ」ということにしつつ、「ありがとう、父さん母さんケイ、俺また頑張るよ」で話の筋が通る。
離婚はしたけど、息子もいるし、あなたが好きなんだまた一緒に仕事をしたいと言ってくれる信頼できる仕事仲間もいる。
そこには希望がある。
むしろ、今回のことを通じて雨降って地固まるじゃないけど、両親の偉大な愛を認識することで人として素直になれた主人公がいる。
しかもゴーストたちに正気を吸い取られるというマイナスがあるところもいい。
そのマイナスと、ゴーストたちがくれる甘美な世界というプラス、その後、現実に与える好ましい影響、全部バランスが取れている。
夢オチ的な異世界ものって、現実に戻ってきた時に、異世界で得た自信や愛情やらで一回り成長してて、現実との向き合い方が今までと変わってる、というそれがなければ、辛いけど、ちゃんとそれがある。

その点、「異人たち」はちょっと成立してないんだよね。
まず主人公はスランプの時期、というわけではなくて、正直ずっとずっと孤独だった。
息子とか、自分を慕ってくれてる仕事仲間みたいな、現実に引き戻してくれる大切な存在、希望となり得る存在がいない。
いや、その存在がハリー。なのにハリーも現実の人ではないとすると、主人公は現実に戻る意味がなくて、ハリーと異世界に留まるんかいっていう。
お母さんも、ハリーを大事にね、みたいなことを言ってたし。

ラストシーンの後を考えてみよう。
彷徨える魂と化していたハリーの魂を慰めて、大丈夫、俺がついている、といってアダムができることといったら、遺体を通報して父母と再会させてハリーの成仏を助けることだ。
その後アダムに何が残るのだろうか。残るのはまた孤独な生活ではないのか。
そこに救いがあるのだろうか。

それとも永遠に幽霊の恋人と生活していくつもり?
でもそういうのって、それこそ正気を吸い取られるから長くは持たないのが相場。
というわけでアダムもハリーに連れて行かれるのか。
それって客観的に見て悲しすぎる。

側から見たら、事故物件が事故を呼ぶケースでしかない。
やだよそんなの。
やっと生に向き合う勇気が出たところなんだから生きてほしいし、やっと見つけた愛も奪わないでほしいよな。

ところで異人たちとの夏。
秋吉久美子と片岡鶴太郎の両親演技、良かった。
異人たちとの夏の方が、泣ける場面は限られていたけど、今半のシーンは泣けたね。
両親と時間を共に過ごすシーンは全部すごく良かった。
異人たちの方もすごく良かったけど、異人たちの夏の方がさらに良かった。
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映画「異人たち」の感想

これはもう私は最初から最後まで泣きどおしだった。
号泣シーンがあるというよりも、ずっと啜り泣きという感じで、鼻水が止まらなくて本当困った。
目も腫れまくってるし、鼻水もグジュグジュですでに、手持ちのティッシュとハンカチでは手にあまる状態で、顔がどういうことになっているかわからないので、明るくなって映画館を出るのが怖くて、エンディングロールで暗いうちに映画館を出たのに、扉の前には係員が待ち構えていて、バッチリ鉢合わせしてなんだよもうって感じだった。

おそらく映画館で泣きまくった映画としては、歴代2位かな。
1位は、百円の恋。

さて、以下ネタバレあります。

なぜ私のツボにここまで刺さりまくったのか。
それは、圧倒的な孤独を描いているからだと思う。
孤独であることを、だって自分はそういう人間だから仕方ないし、とずいぶん昔から諦めているタイプの孤独。
あとは年齢もあると思う。
これは親をすでに亡くしているか、健在でももういつ亡くしてもおかしくない年齢の中年には刺さると思う。
もちろん若くても親と死別したとか、親の顔を知らずに育ったとか、そういう経験がある人には刺さると思う。

都合のいい話ではある。
12歳の時に死別した両親に会える。
孤独な中年が、マイボーイとして、家庭的な温かさを、両親からの絶対的な愛情を再び感じることができる。
心の中に、甘えたい欲求を満たされずにひっそりと抱えながら生きている大人としては、堪らない夢の世界だ。
ところがその都合の良さに、私は全然嫌な気持ちにならなかった。
それどころか、ボロボロ泣いた。

なんでだろう。
対照的なのは、君たちはどう生きるか、だ。
ずっとずっと恋しくて堪らなかった死別した親と会える。
しかも親の若い時に出会えて、一緒に時間を生き直すことで、満たされて、励まされて、現実に向き合う勇気をもらうという意味では共通している。
その都合のいい設定は同じなはずなのに、君たちはどう生きるかは、マザコン映画だなあ、と嫌な気持ちになったのに、こちらは全くそういうのはなかった。
まあ、ディテールの差だろうな。

君たちはどう生きるかは、母親が美少女になって出てきて、まるで少年である主人公と淡い恋人同士みたいな描き方だし、母親のキャラクター的にも神格化、美化されて理想の女性のような感じで描いてるから抵抗感があるんだろうな。

異人たちは、美化だけじゃない。
主人公はそんな可愛くない、若くもない40男だし。
両親も完璧なわけじゃない。
もちろん両親との邂逅はある種、主人公の願望の世界なので、主人公が言って欲しかったことを両親は言ってくれるし、一生分くらい主人公と向き合ってくれるけど、それだけじゃない。息子を普通に可愛がって愛してはいたけど、あくまで普通の両親で、息子のことを全然理解してなかったり、寄り添ったりできていなかった一面もあるのをきちんと描いている。
だからこそ泣けたのだわ。
都合がいい中にも、全てが都合がいいわけではない部分。

例えば、息子がゲイだと聞いて、ゲイは孤独に生きるしかないんじゃないのか、
子供欲しくないの?子供を持たない人生なんて・・という価値観をストレートに突きつけてくる母親。
息子が女々しくて虐められてるかもな、と薄々気づきながらも、そういう息子に対してやれやれだぜ、という感じで優しくなれなかった父親。
もう今生の別れだとなれば、そんなことはどうだっていいことなのがよくわかるのに、生きてるうちはそうなりがちなのかもね、あるあるだろうから泣ける。

その一方で、あなたが5歳の時こんなことがあったじゃない、違うよあれは・・・みたいな息子の小さい頃の話題中心に盛り上がる両親の様子が、普遍的な暖かい家庭像、両親像、実家って感じで泣けるんだよな。
両親が他界して帰る家がなくなったら味わえないだろう実家の味。

リアルなんだよな、色々。
あんなこともあったね、こんなこともあったね、という描写がいちいち。
国は違っても、同世代というのもあるかもしれない。

あとは10代になっても、20代になってからも、親が生きてたら家族でこんなところに行ったかな、という夢想を何度もしたという話とか。
ディズニーランドは行ったの?とか。
これが最後なんて嫌だ、という息子に対して親が取る方法が、じゃあ最後にお前の大好きなあそこにみんなで行こう、というのがね・・。12歳の子供に対しての親の譲歩という感じがたまらない。

あとは都会のタワマン的な結構豪華なマンションなのに、ゴーストマンションで、二人しか住んでないという孤独とかね・・・。

さて、あとご都合主義じゃない感が決定づけられるのがラスト近くだよ。
やっと出会えたハリーが、まさか既に孤独死してたなんて残酷すぎる設定が、全然甘やかじゃなかった。

2人しか住んでないゴーストマンション。
そのうちのひとりハリーが、もう一人であるアダムに一緒に飲まないかとウィスキーを持って尋ねてくる。
が、酔っ払ってる風だし、知らない人を家に入れるのもな、という感じで、彼と同じく孤独なくせに誘いを断ってしまうアダム。

実はハリーはその日もう、精神的に限界を迎えていて寂しさに耐えられずにいて、それゆえの行動だったが、そこで拒絶されたことは、最後のSOSが届かなかったことに等しく、彼はそのまま部屋で命を絶ってしまう。または、泥酔した上でのオーバードーズで事故かかもしれない。
そして、人気のないマンションゆえに、孤独死していても、誰も気づかなかった。
二人しか住んでないマンション、実はいつからか一人しか住んでなくても、もう一人は孤独死していたなんて、本当に孤独すぎる話だ。
心を開けば分かり合えたし、良き友人になって、一緒に人生を再び楽しむこともできたのに、一緒なら再び外に出ていく勇気も出て、愛しあえたのに。。。

そういう話だったら辛すぎる、本当に。
それは解釈1だ。
解釈2としては、同じマンションで孤独死しているゴーストとの交流だったという話だ。
父母がある種のゴーストであったのと同じく、ハリーもゴーストだった。
それも悲しすぎる。
父母から勇気をもらって、やっとハリーと向き合う覚悟が決まったのに、そのハリーもゴーストだったなんて。ハリーは現実であってほしいよ・・・。
でも、ゴーストだっていいんだ、そんなの関係ない、俺だってゴーストみたいなもんだし、という心意気は感じるので、まあね、ハリーの魂がそれで救われるならまだいい。
解釈3としては、ハリーは死んでない。
部屋で死んでいるハリーというのは、あくまでハリーの心象風景で、それをアダムは見たのだ。両親から勇気をもらってハリーと向き合おうと決意したことで、初めてハリーの圧倒的ギリギリの孤独に気づく。そして自分がハリーを救う、守る、癒すとちかう。
いい話だ、だったらば。
解釈4としては、死体はあったがハリーじゃない。
死体を放置してるのは、自分ももう死んでもいいかなと思っているくらい自暴自棄だからか。
まあでもこの説はないな、流石に元恋人かなんかの死体と一緒に生活しながら、新しい男を口説くことはないだろうから。

まあでもお母さんが最後に、ハリーはいい子そうだったから、でも寂しそうだった、彼をケアしてあげて!!というのが遺言みたいになっているんだから、ハリーは生きてないと!
なので、解釈3だと思いたい。思わせてくれよ・・・。
やっとできた心を開ける存在すらゴーストだなんて寂しすぎるし、ハリーの最後のSOSが届かなかったんだとしたら、しかもたった一人のご近所さんが孤独死しているとか、、それも全て残酷すぎる・・・。

でもタイトルが異人たち・・・やめて・・・。

まあでもね、皆さんはどう見ているのでしょうね。
私は他の人の解釈を全然知らずに今これを書いています。

それにね、最後はさ、僕が君を死神から守る!みたいなセリフと歌詞だったもんね。
うん、そこに希望があると思う。
死体の描写は、ハリーがもう一歩間違えばそういうところにいる、という描写だと思うことにする。

さて私の感想のまとめとしては、
1)ハリーの部屋の死体のところで、大ショックを受けたけど、逆にそれで甘やかすぎずにまとまってよかったのかもしれない。また両親のパートは、最後の瞬間までしっかり描いているからこそ、ハリーのパートにはミステリアスな部分を残すことで忘れられない爪痕を観る人の心に残す感じが技巧なのかもしれない。
2)勇気をもらった。ずっと心を閉ざして生きてきた中年でも、まだこれから人生をしっかり生き直せる可能性があるかもしれないと。
3)一方で、人と向き合う勇気を失い心を閉ざすということは、差し伸べてくれた手を握らず、自分が人生を楽しむチャンスを逃すだけでなく、助けを呼ぶ手を拒否することになったりもするということだ。
自分の孤独だけが特殊なのではなく、人は皆孤独である、皆とは言わずとも、多くの人が孤独であることを肝に銘じるべきで、自分と同じような人は世の中にたくさんいると思うべきなのだろうことだ。
4)ハリーの口説き方、距離の詰め方がなんかいいなと思った。自分はもう一度会いたい、といい、もう一度あったら、一緒にソファに座ってテレビを見たりしたいなと思った、と言う。映画って、こういうところをしっかり描かないものが多くて私は不満を抱きがちだったので、これはとても好感度高い。あとはほぼ初対面での会話とかも自然だなと。
5)まあでも理屈でどうこうと言うより、琴線に触れまくった、生理的にあう映画だったと思う。ゲイであることと孤独であることは別だといいながら、アダムもハリーも大きな孤独感を抱えながら生きている。家族ですら、両親ですら完全な理解者ではない。それでもそこには愛が・・・理解はなくても愛はあるんだよ・・そう信じさせてくれるような素晴らしさがあった。うん、そこが一番大きいのかもな、この映画は。

さてこの映画は町山さんが紹介してたことがもちろんきっかけなのだが、それ以外にリリコが大絶賛してるのをどこかでチラッと聞いたかしたからというのもある。

親が死ぬ前にちゃんと向き合っておきたい、その気持ちは私にもある。
まあでもね、結局難しいと思う。
生きているうちはね、色々あるからね。
生きてくってだけで大変だからさ。

あ、あと思い出した。
アダムが母親と話している時に、「反抗したりしてさ。」「それで仲直りはしたの?」
「仲直りなんかしないさ、ただ一緒にいるだけ。一緒に生活してればどうでもよくなるんだよ」
みたいな会話があった。

生きている間の家族なんてそんな感じかもしれない。
でもそれはそれで尊い気がする。

父親が最後に、人生訓みたいなことは言えないけども、、よく今まで生き抜いた。大したもんだ、というのもよかったな。
そういうことも生身の生きてる親は言わない。
肩書きやら勲章やらを誇りにしてくれることはあったとしても、とにかく生きてる、生き抜いてきたっていうことで褒めてくれるのは死んだ親だからだ。
それに言われる方だって、生きている親に、お前生きてるだけで大したもんだ、と言われても、は?って感じになるだろう。
でも死んでる親だったら、とにかく息子が生きて大人になった、生きてなんとかやってる、それだけでも嬉しいだろうな、と素直に思える。
結局遠く離れた方が、一番大事なメッセージを伝えられる。
生き抜いてきたの大したもんだ、愛してる。
あー泣ける。
泣きすぎて明日は目がお岩さん確定だなこりゃ。

あと原作の偉人たちとの夏は読んだことあるのか、無いのか忘れた。
いずれにしろ、読んだとしたら10代とか20代の頃だと思うので、今読んだらまた違う感想を持ちそうだし、近々読みたい。

また監督はなぜゲイという設定にしたのか、原作は妻と離婚した男の話だからちょっと違うはず。その辺りも調べてみたい。
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心臓を貫かれて マイケル・ギルモア/遠い声、遠い部屋 カポーティ 感想

まず「心臓と貫かれて」
正直、そんなに大ベストセラーになった意味はそこまでよくわからなかった。
いや、理性的にはわかる面もある。

今なら、いただき女子リリちゃん。
だいぶ前なら、別海から来た女。

別海から来た女木嶋かなえ。
そうだ、次図書館で借りる本は、別海から来た女に決まりだ。
いや、それでいいのか。

人には怖いもの見たさみたいな物があって、それは1つの魅力だ。
それは飯島レンジみたいなもんだ。

でも深入りするのは危険だ、と自分のどこかが言っている。
木嶋かなえの魅力に私がハマって虜になったとする。
そこのどこに得がある?

だから近寄りたくない、そういう気持ちもある。
とはいえ、心の中でどこかで興味を抑えられない部分もある。

というわけで、どこまでも自分ワールドを展開するブレない犯罪者は、その精神構造をわかりたいという興味と、どこまでも堂々としたその自己肯定感の強さに、何かしら人は魅力を感じてしまうのかもしれない。

だが個人的には別に、この人物に興味を惹かれなかったし、何か衝撃的だという感じもしなかった。なんだろう、流し読みだからなのかな。

また当時は、暴力が連鎖するというのも今ほど常識ではなかったみたいだから、衝撃的だったのかもしれないけど、今となるとそうでもない内容、ということなのだろうか。

ただ2つ言えるなと思ったのは、人はやっぱり自分を肯定しないと、自分の愛や世界を肯定しないと生きていけないんだよな、ということで、子供にとっては両親や家庭が愛と世界の全て。つまり自分の全て。そこを肯定しないと、自分が生きることも肯定できない。
となると、両親やら自分を囲む世界の一部が暴力だった場合、暴力すらも肯定しないと、うまく自己肯定を形成できないのではということだわ。
その辺りが、暴力を受けて育つと、暴力を内在化させてしまうことに関わっているんだろう。

もう1つは、彼の父親は8回くらい結婚してるんだよな。
彼もいとも簡単に女を手に入れられる。1週間もあれば新しい女を手に入れられる、という感じだ。
結局、見た目が良くて、喧嘩も強く、頭も切れる。
さらに暴力という反則カードを常に切ることを当たり前の世界に幼い頃から生きている。
となると、彼はそういうルールで生きてるんだ、世界を。

つまりルールを無視しても生きてこれたわけよ。
何ならそれでもモテるし、それで罰として少年院や刑務所に放り込まれても、別にそこでの生活が、塀の外よりキツいかというとそうでもないのだろう、彼にとっては。
だって家庭がすでに暴力に満ちていたのだから、塀の中が暴力に満ちていても、世界はそんなものという認識になるのかも。
だから、結局、ルールを守る意味はないんだろうな。
さらに、ルールを守って得られる世界なんて、要は外を飛び回っていたインコに、籠の中で一生暮らせ、というのと同じに感じて、そこに意義を見出せなかったのかもしれない。

さて、遠い声、遠い部屋。
これも流し読みだからか、あんまり魅力がわからなかった。
とにかく筋だけ追おうとしたんだけど、それが良くなかったのか。そういう味わい方をする小説じゃないんだよっていう話なのか。
ただ謎に包まれた父親が詐欺師だというところで、心臓を貫かれて、と共通点を感じた。

日本ではあんまり聞いたことないよね、実は父親が詐欺師って。
実は父親がヤクザ、とか、新興宗教の教祖、とかなら、今日日youtubeとかで見るけども・・
米国では、たくさんいたのだろうか、一時期。
やっぱり時代と土地というのもあるかも、昔の米国南部とか、何かそこに自分が興味を持っているテーマがあればまた違うけど、そうでもないと、興味を持ちづらいということなのか。

カポーティは、冷血の人か、冷血はすごく面白かった記憶はある・・。
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