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東日本大震災から5年経って東京都民だった私が思うこと。 [ニュース雑感]

私は当時、東京都民だったので、震災との距離感は微妙である。

震度5を体感し自室の本棚が崩れ落ち、コンビニから物が消えたり、計画停電だったりを経験したので、他人事ではないけれども、 もちろん津波や放射能汚染の被災者ではないし、実家が東北にあるわけでもなく、知人がなくなったわけでもない。

だから、まあ被災者とそれ以外、とわけたときに、それ以外のなかでは割と身近に震災を感じた部類なのかな。

とはいえ、結局いちばん震災を追体験したのは、テレビ報道である。

あのテレビ報道が全国でなされていたことを考えると、被災者以外の、日本国内にいる人は全員が同様に震災を追体験したともいえるかもしれない。

いつもとは全然違う揺れを実感した地域は、そのぶん、臨場感が多少違うくらいのもので。

ただ、海外で日本の報道を見てスカイプをしてきた海外在住の友達に「信じられないよね〜」と言われて、いや全然温度感が違うなと感じた。

私にとっては今まさにリアルタイムで起こってきていることであって、信じられない?何が?って感じだった。 

仕方がないことだが、外国にいて、外国の報道しか見ていない彼女にとっては、日本国内のもしくは東京の温度感が全然わからなかったのだろう。

しかし、あのテレビ報道を見ていたときの、フラストレーションは今でも忘れない。

特に最初の3日間、命が助かるかを分けると言われる72時間の間、今こうしている間にも助かる命があるかもしれないのに、ただこうやって泣きながらぼーっとテレビを見つめていることしかできない無能な自分を呪わなかった人はいるのだろうか。

そのフラストレーションが強烈すぎて、私は外国人に「そういえば福島っていまどうなん?」的な質問をされるたびに、エモーショナルになって、涙がこぼれるのを耐えるために視線をそむけてばかりだった。

しかしつい最近聞かれたときに、はじめてエモーショナルにならない自分を実感した。

5年ってそういう時間なんだな、と思った。

もちろん部外者である私にとっての5年であって、当事者にとっては違うだろう。

でも、今回5周年で色々な記事を読んでいくうちに、またちょいとエモーショナルになった。

つまり、私が感情的にならなくなったのは、ただ単に震災の記事や記憶に接する機会が減って、記憶が風化しただけなのかもしれない。

さて、しかし最初の72時間のフラストレーションに関しては、ある意味仕方がない。

でももうひとつ、鮮烈に脳裏に刻まれているテレビ報道がある。

震災からしばらく経ってからだと思う。 

それは福島の乳牛農家を取材したもので、この先どうなるか見通しが全く立たないけれども、とりあえず乳を絞ってやらないといけないからと、毎日乳を絞ってはすべて廃棄している人の報道だった。

きっと彼はこの手塩にかけてきた乳牛たちを、近いうちにすべて殺さなくはならないだろう。

乳も売れない、肉も売れない牛たちに、先のめどもたたないままに、いたずらに餌を与えていく余裕は、失業者状態の彼にとってあるわけがない。

それがどんなに辛いだろうかと考えたら、想像を超えるものがあった。

津波で壊れた街は「また立てればいい」と思えるけれど、放射能で汚染された街はそういうわけにいかない。

その上、風評被害や差別といった二次被害まで。

実際、最近の記事で、福島のレタス農家の方が、震災後に絶望して自殺されたという話を読んだ。

一次産業に従事している人が多い福島で、こういった話がどれだけあったのだろうか。

そして、その状況が5年経った今も、たいして改善されていないことに、あらためて深刻さを思い知った。

 

もちろん「すべてを失った」というもっとも絶望的な瞬間は過ぎているだろう。

でも、そこからカラ元気を出して、何くそ、とやってきたものの、先が見えない状況が続けば、徐々に希望を失っていく。。

そういう危険は、すでに震災1年後、2年後でも言われていたけれど、今もその危険の最中に普通にあるのではないかと思った。

人によって、目安は違うだろうから。

なかには、「最初の5年はきついだろう。仕方がない。でも5年経ったころには。。」と思ってた人もいるかもしれない。

もちろん人は慣れる動物だから、もう慣れて今更大丈夫かもしれないけれど。 

でも異常な状況に人々が慣れてしまうというのも、とても恐ろしいことだ。 

ちなみにこんな記事を読んだ。

 

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2723628.html

震災では、いまだに全国で2561人の行方がわかっていません。

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201603/20160310_13028.html

宮城県内での潜水による捜索は震災後494回目。

寺門嘉之潜水班長は「ご家族の皆さんにとっては『もうここには何もない』と分かることも大切だ。要望があれば、これからも続けていく」と話した。

 

外側の人間と、当事者との間の温度差を感じた。

彼らは日々の生活を頑張りながらも、こころの一部はまだ全然そこにあって、5年経った今も、まだまだ遺体を探している。

そうだったんだ、そうだよね、ごめんね、という気分になる。

まだ全然終わってないのに、勝手に、終わってずいぶん経ったような気になっててごめんね、というか。

きっと私が外部の人間ゆえの、見えてなさなのだろうな、と思った。

現地では多分、もちろんみんな知っていることなのだろう。

動き出している部分もあるけれど、まだまだ何も変わらない全く終わっていない部分もあることを。

あらためて、とくに福島の人々の状況改善のために、一体自分に何ができるのか、もっと調べたり考えたりする時間を持ちたいなと思いました。

そして、調べて考えて何かやった気になるのではなくて、小さいことでも何か確実に行動に結びつけたいと思います。 

結局募金とかになってしまうのかもしれないけれど、それでもまずはそれだけでもね。 

 

 

 


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女性の乳首を隠すべきか問題について。 [ニュース雑感]


 
最近よく見かける[Free the nipple]運動に関する記事。
 
「男性は乳首を隠さないのに、女性だけが乳首を隠すのはおかしい」
「女性の乳首だけが性的なものとして認知されているのはおかしい」 
 
 ということで、あえて公衆の面前で乳首を晒そうじゃないか、というもの。
 
この記事にもあるとおり、女性のトップレスは男性同様、少なくともニューヨークでは合法。
よってこの運動の目的は、法律ではなくて社会的な意識を変えよう、というものである。 
 
この運動の記事を見かけるたびに、複雑な思いになる。

なせだろうか。

 
 
しかしこれを考えるにあたって、アメリカと日本とでは社会的な意識が違うという前提も考慮しないといけない。
 
アメリカでは、公衆の面前でお母さんが赤ちゃんに母乳をあげていると、露骨に「気色悪い」とか面と向かって言ってくる人が多くいるらしい。
 
これはアメリカでの社会実験ビデオで見た。 
男も女もあからさまに嫌悪感を示していた。
 
びっくりである。
日本ではそんなことはないんじゃないかと思う。
少なくとも私にはそういう意識は全くないからなー。 
 
よって、「公衆の面前でおっぱいをあげて何が悪い」運動だったら、とても合点がいくし、是非とも応援したい。
これに関しては、周りに与える不快感や迷惑よりも、お母さんの行動の正当性に軍パイが上がると思う。
 
それからまあ、トップレスでいたいならいればいいと思うし、法律で禁止されているわけじゃないのだからいいんじゃないかと思う。
 
でも「女性の乳首は性的なものとして見られるべきではない」という主張は、文化人類学的にいかがなものなのだろうかと考えてしまう。
 
確かに、パプアニューギニアやアフリカには裸族がいて、彼らには衣服をまとう習慣がないし、日本を含むアジアでも、ほんの何十年前まではおっぱいをことさらに隠す必要性は感じてなかったみたいだ。
 
よって、別に胸を隠すことは人間として必須条件ではないのだろう。 
さらに以下に参考になる記事を見つけた。 
 
 
上記の記事によると、何を持って「ハダカ=はしたない」とするかのラインは、時代や文化によって容易に揺れ動くようだ。
しかしながら、そのラインは常に存在し、そのギリギリのところで勝負していくことを、男も女も楽しんできたのではないか、というね。
 
ちなみに裸族も、我々から見ると裸という認識だけど、腰紐だけは巻いてたりして、その腰紐をしないことを恥ずかしがったり、またその巻き方一つで「はしたない」と注意されたりするということで、その腰紐のあるなしが裸か否かの線引きになるわけよね。
 
そして、私も子供のころに「なぜだ?」と思ってた疑問として、水着としてのビキニと、下着と何が違うんだ?っていうね。
隠してる面積は一緒じゃないか、という。
なのにかたや、大手を振って公衆の面前に出ても恥ずかしくないものとされていて、かたやNGというのはなぜなんだ?とね。
見せ下着というのもあるしね。 

まあ見せていい方に関しては、材質がちょっと分厚かったりということはあるにしても、 ようは「これは見せてもいいものですよ」と規定されているか否かの違いでしかない気がする。
 
そしてその線引きは日本国内のもので、西洋人は見せるようじゃないタダの下着も、見せていいことになっているようで、観光地で、タンクトップの脇から30%くらい普通のブラジャー見せてる人は多数存在。 
 
というわけで私的には、その線引きはどこでもいいんじゃない?って気がする。
 
そしてそこに男女差があっても、乳を見せるか見せないか程度だったらあまり気にならないかなー。
そりゃあまりに理不尽だったら話は別だけど、この運動に使うエネルギーがあるなら、貧困や児童虐待、地球温暖化とか、せめて職場におけるセクシャルハラスメント対策とか、ほかにもっとやることあるじゃん、と思っちゃう。
 
ただもしかしたらニューヨークはもっと進歩していて、さらにここまで行き着いている、ということなのかもしれない。
 
アメリカの訴訟社会が時にクレイジーにしか見えないように、その姿は「進歩的」なのか「行き過ぎて逆にクレイジー」 なのかまだわからないけど、一歩先をゆく社会の姿として興味深く見守るべきところなのかも。
  
それから、日本におけるランドセルカラーが黒と赤で男女別にされていたことのように、正直それになんの意味が?っていう正直どうでもいい男女待遇差は撤廃すべきだと思うのだが、「女性の胸を性的に見るな」というのは、けっこう遠い彼方にある目標に思えてしまうかなー・・。
 
いや調べたのですよ?
江戸時代の日本では、女性のおっぱいは、それこそ子育て道具であって、性的な記号ではなかったらしいのです。
なので、案外と目標は近くにあるのかもしれないとも思った。
 
とはいえ、 それにしては男性の女性の胸への執着心には凄まじいものがあるし、それはただ単に隠されているから見たくなるというだけ??ではないように思う。
発情期の猿のお尻が赤くなるのと一緒で、やはりセックスシンボルとして機能しているという説も聞く。
 
というわけで、出す自由もあるけど、それを性的に見る自由もあるんじゃん?とは感じる。
 
まあ女性の唇やらうなじやらを性的に見ている人も多いと聞くし、それでも露出して生活してて何も問題ないからね、「出すのも自由、性的な視線で見るのも自由」という方向性がいいんじゃないでしょうかね。
 
ちなみに男女における社会通念上の服装規定で不服に思っている点は、私は別にある。
 
まあ職場によるんだろうけど、私は以下がすごくいやだったなー。
 
1)職場に化粧をしていくべきという意識(研究職や専門職などであって、営業職や販売職でもないのに) 
2)女性社員のみ会社支給制服(これも同上の条件でも)
 
ちなみに1)に関しては、私自身、けっこう職場で言われることがあり、とても嫌な思いをしました。
男女平等先進国であるフィンランドでは、この意識はなく、職場に化粧をしていく女性は少ないそうです。
これに関しては本当にフィンランドを見習うべきだと思う。
 
2)に関しては、「制服支給は楽でいい。私服通勤できるから、会社用の好きでもない服を買わないでいいし」と気に入っている子の意見も聞きましたが、私は初めから就職対象から除外してきました。
まあ減ってきてはいるのでしょうけどねえ。
 


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本当の出会いなら、答えが見えてくる。 [ニュース雑感]

萩本欽一、欽ちゃん。
別にまったく興味がなかったのだが、ふと読んだ朝日新聞のインタビュー記事にハッとさせられた。
  
 
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人は出会いというけど、ちょっと違う。
ただ会うことじゃない。
 
苦労やマイナスの経験を積んだ先に、はじめて会うべき人に会える。
 
「なぜ自分がダメだったか」
「生きていくうえで何が足りなかったのか」
 
それが本当の出会いなら、その答えが見えてくる。 
 
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すごくない?
やっぱり、出会いなんじゃん。
 
出会いに一挙解決を求めすぎちゃいけないと思ってたけど、 出会いがやっぱり鍵なんだね。
 
とはいえ、色々と経験を積んだあとじゃないと、その扉が開かないというのもわかる。
 
自分に必要なものを持ってる人だってことに気付けなかったり。
必要なことを教えてもらっても、スルーしちゃって入ってこなかったり。
するんだと思う。 
 
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運は、思ってもみないところからやってくると。
うるせえなあ〜という事案とか、苦手だな〜って人から舞い込むこともある、と。
 
そして、遠回りして、自分だけの冒険をしろ、と。
いいことばかりとは限らないが、とてつもなくいいものにぶつかることがあるんだよ。
その出会いにこそ物語が生まれる。

本当に新しい何かが生まれるときはラベルから変わるもの。
これまでのジャンルに収まりきらない何か。
 
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なんか、色々と、ハッとさせられる言葉の宝庫でした。
 
そんなに珍しいことを言っているわけじゃないんだけど、くいっと心にひっかかる。
 
やっぱり人や状況を見る目があって、共感をさそう表現ができる人なんだろうなあ。
だからこそ、お笑い芸人として、ここまで地位を築けたんだろうなあと思った。
 
 
そしてなんだかロマンがあって、前向きな気持ちにさせてもらえる。
 
出会いに期待していいんだ。
 
でも自分ひとりの旅も大切なんだ。
 
というような、この先のすべてが楽しみのような気持ちになった。
 
 
自分が色々な経験でどんどんマイナーチェンジしていき、さらに色々な人と交わっていくなかで、
ある日、化学変化が起きる。
 
そこではじめて、本当に必要な変化が得られて、ステージアップできる。
 
私が大きくかわった、働き始めた頃だってそうだった。
それこそ、はじめて逆上がりができた時のように、何回もやってみているうちにある時タイミングがあって、
学びがあったわけだ。
 
けっこうまっさらな、気軽な気持ちで取り組んでいたけど、状況というのは毎回変わるもんだから、
何回か失敗して微調整なんかを繰り返している間に、 あるときひょいっといけてしまうことがあるのだ。
 
でもその時には気づかせてもらえるんだよねえ。
何が足りなくて今までダメだったか。
今回は何があるのか。
気負うことなくバッターボックスに立とう!
 
次に私を変化させるアイテムが得られるのは、新しい人との出会いかもしれないし、
既知の人がもってきてくれた運かもしれないし、 日々繰り返している生活の中での発見かもしれなければ、
旅先や普段しないことを通じての経験かもしれない。
 
 
わくわくするね。
 
でも特に、新しくあった人との会話は大事にしよう。
ヒントを得られるかもしれない、いろいろ。
 
とはいえ、 第六感も大切にしよう。
なんとなく嫌な予感とか、気乗りのしないことはしない、というのも大事だと思う。
 
 
あとはやっぱりセレンデピティ。
アンテナ張っていることは、目や耳に入ってくる。
これは絶対にある。
 
  
 
念のため、セレンデピティのおさらい。
起こりやすいようにするには、まず、進んでいきたい方向のことをよく念頭に置くってことだよね。
 
ただそれだけじゃなくて以下のようなことが言われているみたい。
 
場所も大事だなーと思うし、もっと自己開示も重要かも! 
 

2.適切な場所に身を置く

 

自分の求めるものに関係ある人と出会いたいのであれば、その場所の真ん中に身を置きましょう。私たちは、ロンドンのスタートアップシーンの真ん中に居たかったので、新しい会社はイーストロンドンのTech CityのSilicon Roundaboutのできるだけ近くにしました。

リサーチパークにオフィスを構えても、コワーキングスペースにデスクを借りても、自分の求めるものや、業界人間が集まっている場所に引越してもいいです。何でもいいので、セレンディピティが起こって欲しい要因に近付きましょう

 
 
 

7.自分のアイデアを隠し過ぎない

 

隠し事や秘密を抱えていることで、自分や周りの人にゼンブラニティ的な影響が起こるのを見てきました。 
 
  
 
物事を見たときに、それを面白く発展させるにはどんな方法がありうるのか、ということをストイックに問い続けること
 
 
 
事前に仮説をいろいろ持てば、何かに気付く確率が高くなる。有能な科学者は、こうした習慣を身に付け、歴史上の成果を出した
 
 
 
何かに出会うためには、まず「行動」し、何かに出会ったら、その出会いに「気づく」ことが重要。自分が出会ったものを「理解」して、最後にはそれを「受容」しなくてはならない 
 
 

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ヨルダン政府が「天地を揺るがすような」復讐を誓った・・・ [ニュース雑感]


天地を揺るがすようなってなにそれ。後藤さん殺害→パイロット火あぶり→死刑囚の死刑執行。そのあとは?始まってしまった報復合戦。


後藤さんが殺された。米国人記者フォーリーさんについて。 [ニュース雑感]

後藤さんが殺されたようだ。
海外に居ても、寝ているところ、スマホのニュースアプリに速報が入り、そのお知らせ音でビックリして起きた。

夜中の3時とかだった気がする。

私は日本に居ないので、日本の空気感をそれほど理解してるとはいえないが、ネットは見るので、そこそこの情報は得ている。

それできっと日本中の皆さんと同じように、ギュッと心が締め付けられるような気持ちになっている。

後藤さんの命を助けて!!と叫ぶ人が増えれば増えるほど、後藤さんの自己責任だ!!と言いたくなる人が増える構造を感じた。

どっちの気持ちも、多くの人は理解できるし、どっちの気持ちも多くの人は持っているんじゃないかと思っていた。

私は正直、i am KENJIムーブメントはあんまり効果があるとは思えなくて否定的に感じていたし、日本政府は出来る限り頑張ったんじゃないかと思っている。

実際のところは、私は外交のプロでもなんでもないので、何が正しくてそれを政府がキチンとやってたかなんて判断出来ないのだが、とても難しい交渉であろうことは想像にかたくないので、うまくいかなかったとしても、ちゃんとやってなかった!とはそんなに簡単に、考えるべき材料や知識がない今、結論付けようとは思わない。

少なくとも今の時点では。

それだけ状況が困難だったんだな、と思う。

でも人が殺されるのは、やっぱり忍びないね。
人間としての自然な感情として、シンプルにそう感じる。

そしてでも日本が交渉をしてくれる国で良かったなと思うわ、最終的には。
詳しくないなりに、よく解らないなりに、色々考えた上でそう思う。

というのも、昨年秋に米国が身代金請求に応じずに殺された米国人記者フォーリーさんのストーリーが数ヶ月前の雑誌に載っていたのを、たまたま最近読んだからだ。

スペインやフランスの人質が身代金要求にこたえて解放されていく中、イギリスとアメリカの人質だけが取り残されていく絶望。

それでも彼は思いやり深く、凍える劣悪な牢の中でも他の人質に、一枚しかない自分の毛布を分け与えるような理性的な振る舞いをしていたという。

そんな彼が、自分の映像を撮影された後は、嬉しくて号泣したという。

何故なら、もしこれで身代金要求にアメリカが応えてくれたら助かる見込みがあると思ったから。

アメリカが身代金要求に応じないと明言していることは彼だって勿論知っていたであろうが。

そしてもちろんアメリカは応じずに彼は殺された。



これを読んで、英米の、身代金要求に応じないという姿勢が正しいとは思えなかった。

人間としての自然な感情を無視した大義名分、主義主張は、やはり危険だし、どこかおかしいし、多分そのうちにガタがくるだろう。

イスラム国が自らの正当性のもとに残虐行為を繰り返すことに、疑問を持ち離れていった兵士が多数いるように。

アメリカやイギリスの、テロに屈しないという理論は正しい。
人質要求に応じるとテロはエスカレートするから応じないという理論も、理論として破綻してはない。

だがその結果の行為として、助かる命を見捨てるという行為が人間として正しいのかといったら、やはり正しくないんだと私は思う。

それはみんな身体でわかるんじゃないかな。
こんなに本能的に気持ちが苦しくなるような行為は、やっぱりどんなに理屈をつけても正しくないんだと思う。

本当にどうしても助けられない状況で命が奪われた時とは違う悔しさ。

55歳以上の起業を成功させるための条件 [ニュース雑感]

①一人で起業

②金儲けよりも意義

③経営拡大より持続経営を目指す姿勢

④ローリスク経営

⑤人脈や経験を活かす

一方失敗しがちなのは、何をやりたいかわからないのに、ただ社長と呼ばれたいとか、

一攫千金を狙いたいとかいったケースだとか。

なんか「55歳以上」とついているから、ある程度客観視できて、まあそりゃそうだわな、と解るけど、

これ別に若い世代にだって、言えなくもないと思う。

まあ「失敗しない」ということに関していえばね。

起業に向かない性格は以下だそうだ。

①苦手なことはしたくない、人に頭が下げられない人

②何でも自分で抱え込む人

うっ。自分がそうではないとは言えないからなあ、耳が痛い。

起業の成功は、性格で決まるところも大きいとのご説。

まあねえ、ある種ダイエットと同じようなところ、あると思うわ。

つまり方法論ももちろんあるんだけど、ようは長続きさせられるかってところもあるじゃない?

そうすると、ストレス耐性が強い性格かどうか=つまり、ある程度適当に受け流したり、人任せにしたりできるかってのもある気がするわ。

①も②も、ストレス耐性が弱そうだもんね。

ちなみにこの情報は、「5時に夢中」から得ました。

あとさ、今日はテレビ見てて、「どんなに飲み水がない時も、けっして海水を飲んではいけない」というのを初めてちゃんと知ったわ。

いや、もちろん飲んじゃいけないんだろうな、飲んでいいんだったら、海で遭難した人は長生きできるはずだし、と思ってはいたけど、明確にその理由などは知らなかったんだわ。

結論としては、ミネラルの濃度が高すぎて、それを体内正常値にするためには、本来なら真水が必要なんでしょうが、それがないわけだから、体が機能不全を起こすようです。

でも、これは真水が手に入らない状態で、海水を飲むとますます体が水分を必要な状態にさせてしまうということで、死へ近づくという意味であって、真水が大量にある状態だったら、多少海水を飲んだからって、海水が即毒になるっていうことではないようです。

むしろ、真水だけよりも、少しは海水も飲んで、ミネラルを補給したほうが脱水にはなりにくいという話もあるみたい。

まあ下痢などの時、脱水状態にならないためには、真水よりポカリのほうがよいっていうくらいだから、体内の塩分濃度を超えない程度ならミネラルが含まれていたほうがよいというのも、説得力がある。

というわけで、今日は何気なく見たテレビで勉強になったわ。 


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極秘出産が「らしい」と言われる安藤美姫。 [ニュース雑感]

極秘出産し、その父親を明かさない安藤美姫。

彼女らしいね、とどこかのコメンテーターが言っていたが、私も確かに、と思った。

でもそれは「良くも悪くも」。

彼女のことはよく知らないけれども、いつだってちょっと不幸よりのスキャンダラスな匂いのする事件に事欠かない。

だから今回だって、ああやっぱり彼女はどう生きてもそういう感じになってしまうのかしら。。。と思った。

そういう「性(さが)」なんだろうなあ、と。

それでもそういう不幸な性が、彼女のセクシーさの源でもあり、そして恋愛や出産に突っ走れるようなハッピーで情熱的な強さや行動力も持っていてこそのスキャンダルの多さなのであり、それも併せ持っての女王なのだから。

それはそれで悪くないのだろうけれど。

嗚呼、と思った。

優勝してもやっぱり彼女の性は変わらないのか。

幸せになってもらいたいなあと、彼女の一ファンとしては思っていたけれど、なかなかそういう風には帰着しなそうだ。

まあでも、より濃い人生、より濃い表現力につながっていくのだとしたら、それはそれで彼女の今後が楽しみだ。


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本田の顔がおかしい!? [ニュース雑感]

ブラジルワールドカップ最終予選を見ている。

久々に日本代表選手の顔をまじまじと見ることになったわけだけど。。

あれ?本田の顔がおかしい!!こんな顔だったっけ?

一言で言うと、顔つきがおかしい。イっちゃってる感じ。

前はもっと、誰にも打ち崩せないような自信が充ち満ちた顔してたはず。

自信過剰日本代表!という感じだった。

その影がない、、、ストレスかな・・追いつめられたような顔をしている。

かわりに香川の輝かしいこと。前よりずっといい顔になった気がする。

生き生きと自然で健康的な自信に満ちあふれてる。

健全で全うな日本の優良男児代表!という感じだ。日本むかしばなしの桃太郎役をやらせたいくらいだ。

それに長友も、変わらずいい感じだ。

以上、第一印象でした。 

ちなみに本田の顔については、レーシックのせいという話もあるらしいけど。。まあそういうのもあるのかもね、これだけ顔つき変わるには。

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さて追記。

この奇跡的なタイミングでハンドをとり、PKを決めるのは、それでこそエース。さすが持ってる男。 


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アルジェリア人質事件について。 [ニュース雑感]

フランスだったか、「30人以上によるテロは、対応するのが難しいものだ」と

アルジェリア政府を擁護するかのような発言をしていたけれど、それって自国民がちょっとしか犠牲になって

ないから言えるんじゃないの?と、私は思ってしまった。

実際のところ、どういう背景があって、何が起きたのか正確にはわかっていない。

テロ組織が無差別に出会い頭に外国人を殺していったのなら、まだ仕方がない。

けれども人間の盾として人質をとっているのにも関わらず、テロ組織の取引条件がとても交渉が成立するような

ものではなかったことで、アルジェリア政府が人質を見殺しにテロ攻撃を開始したのであれば、許せない。

だが、今の段階ではそれが有り得そうな報道。 

にも関わらず、そこは触ってはいけないかのような報道。

気持ち悪い。

どのみち、施設爆破・テロ・人質全滅 or 施設助かる・テロ・人質全滅 そのどちらかしかないと

考えたのかもしれないけど、性急すぎやしないか?

要求を飲むふりをして、隙をみることとかだって出来たんじゃないのか?

そう私が感じるくらいだから、みんな日本人はそう感じてるんじゃないのだろうか。

でもなんか言っちゃいけない空気、みたいな。

気持ち悪い。

もちろん国のトップは、外交上、慎重な発言をせざるを得ないのかもしれないし、まずは事実を確認しないと何も言えないというところだろう。

でもってアルジェリア政府に「もっとちゃんと情報を公開しろ」とうるさく言うと、「じゃあ一切何も公開しねえぞ」という逆切れ状態があり得るみたいな報道を見た。

だからなのかもしれない。でも国内のメディアはもっと怒りをきちんと表明していいんじゃないのか。

私はテロが許せない、という風に、テロのほうに怒りがあまり向かない。

だってテロなどが頻発する地域で、危険と隣り合わせで働いていることは、日揮の人々だって百も承知だったと思う。

テロに巻き込まれて死ぬのは、ある意味殉職みたいなところもあるかもしれない。

けれど、今回のはテロに巻き込まれて死んだ、という風に私的には片付けられない。

テロから守ってくれるべきアルジェリア軍が、ちゃんと外国人の命を大切に思ってくれていたように今のところ見えないからだ。

テロ撲滅のために仕方がない犠牲だとはとても思えない。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11100557971

と思っていたところ、こんなページを見た。

そうなのか。テロに対して人質の有用性を証明することになり、人質事件を頻発させることになるから・・・と。

そうなのか??

情勢や環境が違えば、それにもっとも合致した価値観となる。

だから地域によって価値観が違うのは当たり前だし、それを十分承知した上でつきあっていかなくてはならないが、だが日本人としては

それは許せないし、 だったらそんな国付き合いを辞めて撤退してやる・・ということになっても、アルジェリアとしては痛くもかゆくもなく、

むしろ日本のほうが損をする、それくらい危険を冒しても付き合う価値のある金の成る国ということなのだろうか。

http://sokuho2.com/archives/22682560.html

一応、アルジェリアとしても人質見殺しは責められることと解っているようで、既に死んでた報道をしているらしい。 

他国の力を借りたくなくて、焦った。国の威信を守ることを優先した。

この2説も、そういえば私はテレビで聞いた。

そうなのか? ていうか、国の威信って、自国民とかテロからの威信だよね?国際社会からどう思われてもいいのか?

それに人質事件が頻発するっていうけど、それを見据えて次から違う手を打っていける可能性があるじゃん、と思ってしまう。

少なくとも米国911のあと、テロ対策で飛行機に色々なものが持ち込めなくなったように、外国人がセキュリティをもっともっと万全にするとかさ。

 

しかしながら、最近初めて深夜特急を読んで結構興味深かったのだが、30〜40年ほど前のマレーシア人が、

親しくなった日本人バックパッカーに食ってかかるシーンがあった。

「日本人は、マレーシアで事業を興しても、重要な部分は日本人が作ってしまって、マレーシア人にノウハウを残さない。マレーシア人は安い賃金で下っ端で働かされるだけだ。美味しいところは日本人が持っていってしまう。」 

それに対して日本人バックパッカーである作者は

「売春婦のヒモのお前がいうなよ。ごろごろしてるだけで何一つ働いてないくせに。雇用がないというのかもしれないが、それであれば日本企業は少なくともマレーシアに雇用を生み出してはいるじゃないか。」

と言ったような反論をしようとしたのだが、英語がそこまで達者じゃなかったので、ウーウー唸っていると、

そのマレーシア人が「大丈夫か?具合が悪いのか?」と言ってきて、反論するのがバカバカしくなって終わったという、確かこんなような話。

深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール (新潮文庫)

深夜特急〈2〉マレー半島・シンガポール (新潮文庫)

  • 作者: 沢木 耕太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1994/03
  • メディア: 文庫



  •  

もちろん今のマレーシアは、ルックイースト政策で、日本人を尊敬しているらしいし、また感覚も違うかもしれない。

しかし、30〜40年前のマレーシアにそのような感覚があったように、日本人から見たら、現地のためにもなる仕事をしているつもりでも、現地の人から見たら、外国人との格差を目の当たりにし、詐取されていると感じることもあるのかもしれない。

外国人というのは、観光客として金を落としていく存在でなく、そこで働こうとした場合は、自国の雇用や資源を奪っていく脅威や、

自国の自立を奪う侵略者という脅威とみなされてもおかしくない存在であることは、重々に肝に銘じておかないといけないのだろうな。

もちろんそんなこと海外に根を張っている企業や人々は解っていて、現地の発展や雇用の創出、自立に有り余るメリットがあるように

働き、そういう信頼を現地で得ているからこそ、そこでやっていられるのだろう。

とはいえ、全ての人間に理解が得られるとはわからない。それは自国にいようが他国にいようがそうだが、他国であれば

そこは習慣から何から違うアウェイであるのだから、偏見がある可能性も高いことを肝に銘じておこないといけない。

まあでも、外国人への反感があったのなら、まだ許せる。

許せないのは、反感すらないのに、ただ単に政府とテロとの間に取引の道具として利用され、アルジェリア軍の指揮官から、

その命が施設の存続より軽いと判断された場合だ。

しかしテロに屈せず=テロにつかまった時点で見捨てられる、というのがアルジェリアの、何かしらの言い訳ではなく、

普通の価値観だとしたら・・・いやそんなこと有り得るのか、やっぱり信じられない。外国人だからじゃないのか。

彼らの自国民だとしても、それが通用するのだろうか。通用するのだとしたら、狂ってると思う。

 


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男児手ブラ事件以来、AKBがどうも気になる。 [ニュース雑感]

週刊文春の中吊り広告に、「河西智美の手ブラ騒動以前から、AKBはそういう売り方をしていた。大島優子の過去」という記事。

そう、大島優子はAKB以前、ジュニアアイドルとして活躍していたことで有名だ。

きゃりーぱみゅぱみゅもそうよね。

きゃりーはともかく、大島優子は、前々から胸のチラ見せ売りが不自然に多いことが私的には妙に気になっていた。

だからこそ、この文春の中吊り広告に私は敏感に食いついてしまったのである。

文春の記事によると、例の手ブラは秋元氏が「これで行こう!」と強く推したとされている。

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