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女性の乳首を隠すべきか問題について。 [ニュース雑感]


 
最近よく見かける[Free the nipple]運動に関する記事。
 
「男性は乳首を隠さないのに、女性だけが乳首を隠すのはおかしい」
「女性の乳首だけが性的なものとして認知されているのはおかしい」 
 
 ということで、あえて公衆の面前で乳首を晒そうじゃないか、というもの。
 
この記事にもあるとおり、女性のトップレスは男性同様、少なくともニューヨークでは合法。
よってこの運動の目的は、法律ではなくて社会的な意識を変えよう、というものである。 
 
この運動の記事を見かけるたびに、複雑な思いになる。

なせだろうか。

 
 
しかしこれを考えるにあたって、アメリカと日本とでは社会的な意識が違うという前提も考慮しないといけない。
 
アメリカでは、公衆の面前でお母さんが赤ちゃんに母乳をあげていると、露骨に「気色悪い」とか面と向かって言ってくる人が多くいるらしい。
 
これはアメリカでの社会実験ビデオで見た。 
男も女もあからさまに嫌悪感を示していた。
 
びっくりである。
日本ではそんなことはないんじゃないかと思う。
少なくとも私にはそういう意識は全くないからなー。 
 
よって、「公衆の面前でおっぱいをあげて何が悪い」運動だったら、とても合点がいくし、是非とも応援したい。
これに関しては、周りに与える不快感や迷惑よりも、お母さんの行動の正当性に軍パイが上がると思う。
 
それからまあ、トップレスでいたいならいればいいと思うし、法律で禁止されているわけじゃないのだからいいんじゃないかと思う。
 
でも「女性の乳首は性的なものとして見られるべきではない」という主張は、文化人類学的にいかがなものなのだろうかと考えてしまう。
 
確かに、パプアニューギニアやアフリカには裸族がいて、彼らには衣服をまとう習慣がないし、日本を含むアジアでも、ほんの何十年前まではおっぱいをことさらに隠す必要性は感じてなかったみたいだ。
 
よって、別に胸を隠すことは人間として必須条件ではないのだろう。 
さらに以下に参考になる記事を見つけた。 
 
 
上記の記事によると、何を持って「ハダカ=はしたない」とするかのラインは、時代や文化によって容易に揺れ動くようだ。
しかしながら、そのラインは常に存在し、そのギリギリのところで勝負していくことを、男も女も楽しんできたのではないか、というね。
 
ちなみに裸族も、我々から見ると裸という認識だけど、腰紐だけは巻いてたりして、その腰紐をしないことを恥ずかしがったり、またその巻き方一つで「はしたない」と注意されたりするということで、その腰紐のあるなしが裸か否かの線引きになるわけよね。
 
そして、私も子供のころに「なぜだ?」と思ってた疑問として、水着としてのビキニと、下着と何が違うんだ?っていうね。
隠してる面積は一緒じゃないか、という。
なのにかたや、大手を振って公衆の面前に出ても恥ずかしくないものとされていて、かたやNGというのはなぜなんだ?とね。
見せ下着というのもあるしね。 

まあ見せていい方に関しては、材質がちょっと分厚かったりということはあるにしても、 ようは「これは見せてもいいものですよ」と規定されているか否かの違いでしかない気がする。
 
そしてその線引きは日本国内のもので、西洋人は見せるようじゃないタダの下着も、見せていいことになっているようで、観光地で、タンクトップの脇から30%くらい普通のブラジャー見せてる人は多数存在。 
 
というわけで私的には、その線引きはどこでもいいんじゃない?って気がする。
 
そしてそこに男女差があっても、乳を見せるか見せないか程度だったらあまり気にならないかなー。
そりゃあまりに理不尽だったら話は別だけど、この運動に使うエネルギーがあるなら、貧困や児童虐待、地球温暖化とか、せめて職場におけるセクシャルハラスメント対策とか、ほかにもっとやることあるじゃん、と思っちゃう。
 
ただもしかしたらニューヨークはもっと進歩していて、さらにここまで行き着いている、ということなのかもしれない。
 
アメリカの訴訟社会が時にクレイジーにしか見えないように、その姿は「進歩的」なのか「行き過ぎて逆にクレイジー」 なのかまだわからないけど、一歩先をゆく社会の姿として興味深く見守るべきところなのかも。
  
それから、日本におけるランドセルカラーが黒と赤で男女別にされていたことのように、正直それになんの意味が?っていう正直どうでもいい男女待遇差は撤廃すべきだと思うのだが、「女性の胸を性的に見るな」というのは、けっこう遠い彼方にある目標に思えてしまうかなー・・。
 
いや調べたのですよ?
江戸時代の日本では、女性のおっぱいは、それこそ子育て道具であって、性的な記号ではなかったらしいのです。
なので、案外と目標は近くにあるのかもしれないとも思った。
 
とはいえ、 それにしては男性の女性の胸への執着心には凄まじいものがあるし、それはただ単に隠されているから見たくなるというだけ??ではないように思う。
発情期の猿のお尻が赤くなるのと一緒で、やはりセックスシンボルとして機能しているという説も聞く。
 
というわけで、出す自由もあるけど、それを性的に見る自由もあるんじゃん?とは感じる。
 
まあ女性の唇やらうなじやらを性的に見ている人も多いと聞くし、それでも露出して生活してて何も問題ないからね、「出すのも自由、性的な視線で見るのも自由」という方向性がいいんじゃないでしょうかね。
 
ちなみに男女における社会通念上の服装規定で不服に思っている点は、私は別にある。
 
まあ職場によるんだろうけど、私は以下がすごくいやだったなー。
 
1)職場に化粧をしていくべきという意識(研究職や専門職などであって、営業職や販売職でもないのに) 
2)女性社員のみ会社支給制服(これも同上の条件でも)
 
ちなみに1)に関しては、私自身、けっこう職場で言われることがあり、とても嫌な思いをしました。
男女平等先進国であるフィンランドでは、この意識はなく、職場に化粧をしていく女性は少ないそうです。
これに関しては本当にフィンランドを見習うべきだと思う。
 
2)に関しては、「制服支給は楽でいい。私服通勤できるから、会社用の好きでもない服を買わないでいいし」と気に入っている子の意見も聞きましたが、私は初めから就職対象から除外してきました。
まあ減ってきてはいるのでしょうけどねえ。
 


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