BTS Film Outに思うこと。 [BTS]
世界的大スターになって、日本市場なんてどうでもよくなったはずなのに、このタイミングでなぜ全編日本語曲なのだろうか??と思ったら、Back Numberとジョングクの共作で、日本映画の主題歌なのか。
さてでもこれがいいメロディで、さらに日本語曲なので歌詞もわかってしまうわけだけど、歌詞も切なくて悪くない。
さらに、これが、他のMVから連作になって続くストーリーになっていて、前作までは、ジンが一人でタイムループを繰り返して、他の六人にそれぞれ訪れる悲惨な結末からなんとか彼らを救おうと奔走する、という話なのだが、今作で、タイムループを繰り返すジンが消えてしまうというストーリーになっているらしい。
そしてそれが、実際のBTSの状況になぞられていて、ついにジンが兵役にいく日が近いのでは、という示唆が含まれているのでは、という推測がされているらしい。
ひとり、みんなが知らないところでみんなを助けようと奔走していて、みんながそのことに気づいた時には、消えてしまうというストーリー。
BTSの作品は本当によくできてる。
ところで、なんだかんだいって、今は私は、BTSの中ではジンが一番好きである。
一番、素顔がカッコいいから、というのもあるけど、面白くて嫌みがなく、一番、自意識から吹っ切れて、カッコ悪さとかを、進んで引き受ける潔さが感じられるからだと思う。
もちろんBTS全員、その吹っ切れが半端ないところが、本当に素晴らしくて、だから私は定期的にBTSを見に来るんだろうけど、中でもジンが一番心を打つ。
というのは一番人間味があるというか、一番天性のアイドルじゃないからではないか、と思う。
アーティスト志望だった、RMやユンギは、一応、音楽というやりたいことをやれているわけだし、ダンサー志望のJ-hopeとかジミンも自分の特技を活かせてるし、テテは天性のアイドルみたいな感じで、水を得た魚な感じがするし、ジョングクも歌とダンスという強みを発揮できてる感じがする。
そんな中で、ジンはもともと大学で演技を勉強していたくらいに俳優志望で、絶対いまひとつやりたいことじゃなかったんだろうな、という感じがする。
そんな中で、けなげに頑張ってきたはずだけど、それを見せない強い姿勢が勇気づけられるんだよな。
「人と楽しませ、笑わせることで、自分が幸せな気持ちにさせてもらう」とか、「自分の苦労は自分だけが知っていればよい」とか、そういう名言が彼にはあるらしいけど、彼はちゃんとそれを実践できてる感じがにじみ出ているから、BTSの精神的支柱みたいな感じで愛されつつ、何気に尊敬されてると思う。
ちなみにパフォーマンス、という観点でみると、一番好きなのはテテだし、笑いのツボという意味では、ジョングクも外せない。
BGMとして曲を流していて、テテの声が聞こえると、一番嬉しくなる。
声という観点でいうと、テテの次に好きなのはRM、その次がユンギかも。
ジョングクのことは、むしろ好きじゃなくて、パフォーマンスとかでジョングクが前面に出てくると、お前はいい、お前じゃない・・とテテとかジンとか他のメンバーを目で探してしまうんだが、、でも私の笑いの沸点は割とジョングクにある。
その人のことを思い浮かべただけで笑っちゃう、というのは、好きのしるし。
そういう認識が自分の中にはあるので、好きといえば好きなのかもしれない。
ただまあ、彼の場合は、笑いのセンスがあるというところもあるけど、どっちかというと「落ち着けジョングク」な、感情が表にでがちなジョングクが面白いんだよなあ。
目標:2021年中に資産3000万円達成。 [投資メモ]
目標まであと370万円。
来月から12月まで、8回給料をもらえるとして、月20万円貯金するとしよう。
とすると、+160万円。
月30万円貯金するとすると、+240万円。
うーん、給料だけで貯めようとすると、結構無理がある。
月30万円の貯金は、味気ない生活を続ければ不可能ではないけど、自己投資をしていくほうに金も使いたいしな。
と考えるとちょとキツイ。
とはいえ、間をとって月25万円の貯金は目標にできるかもしれない。
とすると、+200万円。
まあこのあたりが年間目標として無理がないところか。。
さてでも、投資3年目の私、キャピタルゲインであと100万円獲得を狙いたい!
今、投資総額が1250万円であることを考えると、年利10%で125万円。年利5%で62.5万円。
まあラッキーであれば、100万円はいけるかもしれないってとこか。
そしてここでポイントとなるのが、残りの70万円じゃないだろうか。
ここをなんとか、サラリーに頼らず自力で稼いでみたい。
これはハードルが意外と高い、月9万円だもんな。
ただ月10万円を自力で稼げたら、かなりたいしたもんだ、というか、勤め人をやりながら、副業でそれだけ稼ぐ力があれば、だいぶ頼もしい。
でも、ここは、嫌なことで稼いだら意味がない気がする。
あくまで、やりたいことをやって、出来れば自己表現みたいな何かで、これだけ貰えたら素晴らしい。
それか、あくまで額に忠実になって、そういったことで稼げないなら、バイトでもして時間給で埋めてみるっていうのもありだな。
肉体労働系のバイトとかも、意外と頭のリフレッシュになって良さそうな気もするな。
ダイエットを兼ねて、犬の散歩とか、草刈とか、農作業の手伝いとか、そういう単発バイト探してみようかなあ。
評価損益340万円 [投資メモ]
少し前まで評価損益360万円くらいだったんだけど、米国株、特に私が持っているIT株がぐんぐん回復したのと対照的に、日本株がガンガン値下がりしてしまったので、今こんな感じである。
はあ、武田薬品とか、売っておけばよかったな。
それに一時の気の迷いで、3月末の株主優待目的で株をいくつか買ったんだけど、それらもダダ下がってる上に、まだ優待のお知らせが届かないからなあ。。
はやく来てほしい。来月くらいには来てほしいわ、お知らせ。
そうしたらモチベ維持できるんだけど。
米国株も、現状をバブル認識している人も多いようだし、また下がってしまうかもしれないから、どこかで見極めて売るべきなんだろうけど、さてどうするか。
村上春樹「猫を棄てる」と「進撃の巨人」の共通点。 [読書メモ]
まだ、進撃の巨人最終回が頭の中でぐるぐるしている時に読んだこともあり、いろんな箇所で進撃の巨人が重なってしまった。
ひとつは「記憶の継承」の話だ。
ね、まるでテーマが進撃の巨人でしょ。
ただ村上春樹が言ってるのは、もちろんファンタジーではなく、実際に父親から戦争体験の中のトラウマな話を小学生の時に父親に聞かされたハルキは、自分が実際に経験したわけではないが、やはりトラウマのようにその話を胸に刻み付けた。
それは、中国の捕虜を、日本兵が首切処刑した話だ。
それを目撃したのか、もしかしたら父親が手を下したのか、わからない。
詳しく訊けない雰囲気であったと。
そして、父親は、毎日、死んでいった日本兵と虐殺された中国の人々のために、仏壇の前で祈るを欠かさない。
父親が五体満足に復員したが、3回も徴兵に取られており、毎回なんだかんだでするっと帰ってこられているが、所属していた部隊はその後、激戦地で壊滅したりということがあり、自分はたまたま運よく生き残った、または京大生ということで、免れた部分もあり、他の人の犠牲の上で助かったという思いもあっただろう。
だからこそ、彼の小説には、いつもパラレルワールドでおこる残虐な世界の話が大体組み込まれるのも納得する。
自分の代わりに、パラレルワールドで流された血。
そういう話が出てくるのは、この「猫を棄てる」で納得する。
私たちは関係ない。遠い過去の、私たちが生まれる前に起きたこと、では済まされない。
むごい残虐行為、それをしたり、されたり、または誰かの犠牲によってしないで済んだり、そういう諸々の土台の上に、たまたま私たちはのうのうと平和に生きていられているが、それは犠牲の上に築かれた平和であり、今この時だって、私たちが安穏と暮らせている分の皺寄せがどこかの誰かの上にいっている。
その思想は、進撃の巨人の世界観と結構似てる、偶然の一致かと思うけど。
進撃の巨人は、色々超能力じみた話が出てくるけど、実はそんな設定がなくたって、生き物は記憶を継承できるし、テレパシーのようなものがあるのだと思う。
たとえば樹齢7000年の木、というものが実際今も生きているわけだし、植物はテレパシーとかそれこそ進撃の巨人でいったら「道」か?という感じで、伝達を行っているという話をきく。
実際は、もっと科学的な話であって、何か物質を、根からとか、空気に拡散させたりとか、そういう手段をとっているのだろうけど。
そして7000年生きてる木からしてみたら、せいぜい100年足らずで死んでしまう私たち人間なんていうものは、昆虫のような小さな存在感なのかもしれない。
さてしかし私たち人間は、言語があるし、文字もあるし、今なら映像技術もあって、実際に体験していないことをトラウマ追体験することが容易にできてしまう。
それって、別に、進撃の巨人の中で、誰かの記憶を見にいって知った、というのと別に変らないことだよなと思う。
ただ、まあこの本自体は、割とクソだと思う。
大家になったから、こんな本でも出版されるし、売れるけど、父親について書いていながら、父親と絶縁状態になった経緯や理由などは、述べない。ずるい。向き合ってない。言いたくないことは書かない。
まだ生きている人間のプライバシーに配慮したのかもしれないが、父親と息子の関係を書くなら、「そこは述べない」はずるい。
誰だって、自分が72歳にもなれば、死も身近になってくるし、自分の一生を考えると、父の一生がちらつき、和解できないまま死んでいった父親の人生、そして彼は一体どういう人だったのか、今になって思いをはせ、理解に努めようとする心持は非常に理解できる。
そして作家なんだから、それをエッセイとして執筆して、文芸春秋に載せるくらいは全然ありだと思うけど、ようするにこんな薄い内容で一冊の本にして売ってしまうところが間違ってるんだろうな。
普通に同世代の戦争を経験したような方が、「私の一生」としてまとめた手記を読んだら、みんなその世代の人は波乱万丈な、変化の多い一生だっただろうから、そのほうが面白いだろうと思う。
ハルキが父親の一生を、従弟の証言を頼りに、追ってみたところで、息子にとっては、「きっとこのころオヤジはこんなことを考えていたのではないか」と推測したりするのは意義があっても、読者としては、まあ、うん、、って感じである。
結局、村上春樹が、シベリアの拷問とか、中国での虐殺、みたいなことをちょいちょいパラレルワールド的な感じでいれるのは、父親から継承したトラウマのせいだというのがわかったことだけが、ファンとしての収穫か。
カズオイシグロ「クララとお日さま」の感想。 [読書メモ]
表紙絵がめっちゃかわいいよね、素敵。
こういう絵が描けたらいいな、模写でもしようかな、まずは、と思った。
内容に関しては、AF、つまりArtificial Friend、という、12~16歳くらいの主に思春期の子供の相手をする自己学習するアンドロイドの話で、正直言ってあまりにも「私を離さないで」にソックリだった。
「私を離さないで」を初めて読んだ時のことは忘れない。
私にとっては新鮮な世界観だったし、繊細で、素晴らしかった。
でもあまりにも似てるんだよな、これは。
クララは、太陽エネルギーで充電されて動くので、次第にお日様を神のように考え始め、AIなりに信仰心を持ち、祈りをささげる。自分の主人である子どもを本気で愛し、そのためを思って、必死で太陽に祈りをささげるその様は、本当にいじらしい。
それでも、最後、その子が大人になったら、トイストーリーよろしく、物置へ、物置から廃棄へ、という流れをたどる。
アンドロイドは、どんどん新型が出てくるから、旧型のアンドロイドに、二度目の出番はないのだ。
思春期の5,6年を一緒に過ごし、それを一生として、人生を終える。
AIがやがて、こんなふうに感情を理解するようになり、人の知らないところで、懸命に祈りをささげるくらいに、人のためを思って行動するようになるくらい、AI自ら感情を持つようになるかもしれない。そしてつまりAIが信仰心を持つ可能性というのも一つのテーマなのだと思う。
AIをなるべく人に近いように、人間の感情がわかるように学習を重ねていけば、やがてあり得ることかもしれない。
「私を離さないで」は、臓器移植のために作られたクローン人間の子供たちの話である。
当たり前に感情を持って、まわりの人の感情に影響されたり、彼らのためを思って行動したり、そうやってごく真っ当に日々を生きているのに、人間としては社会的にカウントされず、認められていない。
境遇も似ているし、そんな彼らがある種の信仰、または迷信ともいえるものに、救いがあるかもしれないと道を見出そうとするプロットも同じ。
トーンの切なさも同じ。
決して悪くはないから、もちろん最後まで完読(若干流し読みだが)したけど、焼き直し感が半端なかったのは残念。
2021年の抱負、第二弾。 [生活雑感]
私はここ3年くらい、結構苦しい時期だったと思う。
それをやっと抜けた。
いや、今でもまだ安心はできない。
ただ、抜けたと思っている。自分では。
だからこそ、こんなふうに改めてちゃんと今年の抱負を考えようと、自分を直視できるようになっているのだ。
ここ数年、新年の抱負を持つことさえできなかった。
最近、リモートワーク復活して、オンオフの切り替えがとても大事だと思いつつ、なかなかに難しいことを痛感している。
切替には儀式が重要だ。
一番いいのは、外に出ること。やっぱり場が変わらないと気分が変わらない。
昼休みは、スーパーでも、花屋でも、図書館でも、公園でも、なんでもいいから外に出ること。
そうしないと、張り詰め続け、思考は回り続け、オンとオフなく時間が過ぎていき、肩こりが酷く、心も体もアンバランスな状態に陥る。
そして仕事が終わったら、やっぱり外に出るのがいいが、それが面倒な時なら、風呂に入るとか、化粧を落として部屋着に着替えるとか、とにかく「はい、終わり!」という線引きをするのが大事で、最近はそれにワインやビールを導入し始めていて、どうなんだろうかと思う。
だが、とにかくオンオフをきっちりわけることが、これからも病まずに走り続けるペース配分としてとても重要だと思う。
で、最近、NETFLIXのムーミンのシリーズに瞑想効果があることを発見した!
仕事のあと、プライベートに戻るためのカームダウンに、ムーミンは使える!!
なんてことないストーリーなのだが、映像が美しく、心が癒される、世界観。
さて、そんな中に、ティーティーウーというキャラクターが出てくる。
彼は旅の途中のスナフキンに話しかけ、ティーティ=ウーという名前をつけてもらいました。やせっぽちで自分に自信がなく、おどおどした性格でしたが、名前を得たことによって意識が変わり、自分の人生を精いっぱい生き始めるのでした。
ということだけど、私はその彼の「こんな素敵な名前をもってる僕なんだから、おうちだって素敵にしなくちゃ。やることがいっぱい!ああ忙しい!」という感じのセリフにハッとした。
まあ今はやりの自尊感情の話に間違いないんだけど、結局、自分なんてゴミだと思っている心もちだと、セルフネグレクト的になるというか、自分なんて所詮この程度、というのが部屋なり生活に出るのだろう。素敵な自分のためには、努力ができるのだ。そして愛する自分のための人生は、自分にしてやることがいっぱいあって、決して退屈することはない。
抱負が持てる、というのはそれに似ている。
腐った心持ちだと、ケッという気持ちに邪魔されて、なんとかポジティブな希望をもって道筋をたてようにも、出てこない。心の中にその糸口を探そうにも、苦しくなってしまうのだ。
さて、自分の過去の抱負を読んで微笑んでしまった。
今年の1月は苦しかった、苦し紛れに、なんとか抱負をひねり出そうとしてるけど、失敗してるのが、読んで笑える。
でも、2016年とか2017年は、それよりは人生が充実していたのがわかる。
が、とんでもなく、自分のままで笑ってしまう。
俺らしく自由に生きていけますように。
という祈りは、今も変わらない自分の核にあるところなのだと思う。
まあ、それが今だってうまくできていないから、いつだってうまくできていないからなのだが。
でも今の私はそこまで息苦しくない。
淡水魚のくせに、海に押し流されがちだとしたら、今は、素敵な湖を見つけて辿り着けというわけではないけど、河口から川上に向かえているように感じてる。
で、そんな私が生きていくために、やっぱり去年出会った坂口恭平イズムをいつも心に、決して忘れないことだと思う。今年の抱負はそれだ。
もう普通の人として成功しようとは頑張らない。
とにかくバランスをとって、楽しく幸せに生き抜けるシステムを生活に築くのだ。
坂口恭平イズムの中で私がこれぞと思ったことは以下の2つである。
1)流れ続けること。決して澱まないこと。人に何かを与え、人から何かをもらい、そういう流れがあることがとても重要なことは、コロナの日々で余計に思う。
2)そのために、というだけでもないが、とにかくウンコを毎日出すつもりで、どんなクオリティでもいいから自己表現、自己発信をし続けること。とにかく吐き出して、苦しくならないための一つの手段。
ほかにもいろいろあった気がするけど、忘れた。
とにかく苦しくなったら、特に、坂口恭平的なやり方がこの世にあることを思いだすのだ、というか、一家に一冊、目につくところに本を買っておいておこうではないか。
そして、私はどんなに新しい組織で、心地よくやっていけそうな気がしていたとしても、片足は坂口恭平イズムに突っ込んで、そんなバランスで生きていこうと思う、それこそが心地よい自分らしい生き方な気がする。
どんなに新組織が、誇り高き変人の集まり、のような、私の心を癒しかけている存在だとしても。
組織は組織だ。
進撃の巨人結末に対する外国人の反応ほか。 [読書メモ]
日本と海外の皆さんの進撃の巨人結末の感想の差が面白い。
今回も最終回139話のネタバレありです。
日本人は大満足の人が大半を占めているのに対し、外国人はけっこう不満な人が多いらしく、何なら50%くらいの人が不満みたい。
で、不満な人のコメントの中でも、なるほどね、と思ったのが下の人。
この人、すごくハッキリでかい声でしゃべるので、英語もすごくわかりやすいし、テンションめっちゃ高いので超楽しかった。
しかも進撃コスプレしてるくらいだから見てわかるけど、かなり進撃愛が高くて、ストーリーの理解度も高いうえで、気に入らないところを言っているので納得です。
彼が気に入らない点は
1)巨人の力がこの世から消えたら、無垢の巨人化した人たちが、人に戻る点。
2)ユミルがフリッツを愛してるって?変じゃない?それって本当に愛?(外国人勢は、愛ではなくて、ストックホルム症候群だろ!愛という言葉を使うのは不適格ではと言っている人が多い)
3)ムカデはどこへ行ったんだ?
というくらいで、
4)エレンが死ぬこと
5)エレンが本音をみんなに吐露すること
6)エレンが自由の象徴である鳥を通じて、世界を見たり、思いを伝えたりすること
などなど、気に入ったみたいだし、ヒストリアの子の父親は結局あの名もないファーマーだったのか?とか、エレンがカッコ悪い発言をするところとかも、笑って受け入れていた。(殺戮エレンかっこいい!という感じになってたファンとか、エレンヒストリアを支持してた外国人とかは、このあたりが、受け付けない人が結構多いみたい。)
ひきかえ、日本人は、カッコ悪い等身大エレンの描写で、エレン大好きになった人が多い、という印象だったので、なるほどねえと思う。
私もやっぱり日本人的価値観だからか、カッコ悪いエレンが爆笑だし、好きだけど。
ちなみに、下の動画の人は、エレンのカッコ悪い吐露と、ドン引きしてるアルミンに爆笑してたので、そうよ、そこ笑って受け止めるところよ、わかってくれる外国人もいるんだわ、と嬉しくなった。
要するに、エレンがアルミンとミカサにわざと酷いことをいって突き放そうとしているんだってことを疑いなく勘づけていた人は、違和感がなく受け入れるんだろうし、そうは思わず、エレンは本気で、無知な二人にイラついているんだって受け取ってた人は、かなり文脈を見誤ってしまってたんだろうと思う。
ちなみに1)は私は望んでたし、プロットとしても違和感ないんだよね。巨人の力が消える=魔法が解けるみたいな感じで、元の姿に戻るというのは自然だと思う。
でも2)は完全に同意。私も納得できないし、気に入らない。やっぱり気持ち悪いよ。
ストックホルム症候群を「愛」という言葉で表現してしまうのはあまり教育上よろしくないと思うし、さらにストックホルム症候群が、巨人の謎の源泉、2000年にも及ぶユミルの執着であり呪いの源泉というのが気に入らない。納得感が薄い。
ストックホルム症候群というのは、私その感情自体はすこしわかる気がするんだけど、人質が銀行強盗に恋愛感情を持つようなケースで、つまり赤ちゃんが自分の庇護者に愛されようとするのに似た心の動きで、自分の身の安全を絶対的に握っている相手に愛されようとすることで身の安全を測ろうと、無事に生き延びようとしてしまう感じに近いと思うんだよね。だから、生きている奴隷の間は王に愛されようと頑張ってしまうのは分からないではないけど、死んでもなお解放されずに王を愛し続けるのは意味がわからなすぎる。
で、あと気に入らないのは、愛=アタッチメント=不自由というのは、確かにある。
特に仏教的な考え方だと、愛は執着、執着は苦しみ。愛を手放すことが、哀しみを手放すことにもなる。
だけど、、ユミルのフリッツへの感情がそういうアタッチメントとはとても思えないのと同時に、2000年にも及ぶ不自由の原因を「愛」とするのはちょっと、愛に対して不敬な感じがするかな。
このへんは「ユミルにしかわからない」で逃げるのは「えーっ」って感じで、もうちょっと納得感のある理由と説明があればよかったのになと思う。
だいたいフリッツ王を愛してたから隷属してたんだとすると、彼が死んだらそれでおしまいだと思う。
彼の子孫だったら無条件に愛せる、隷属する、というのも納得感がない。
たとえばユミルは3人も娘がいるママなんだからさ、娘>>夫になるのが普通のはずで、娘を人質に取られているから夫の無理難題な命令に従わらざるを負えなかった、その呪縛に囚われている、とかならまだわかるような気がするけどなあ。
まあでも何度見ても、「10年以上は引きずってほしい」とか、進撃のスクールカースト調のギャグで、本当に死ぬ前の置き土産、さみしくないでしょ、って感じで好き。気持ち悪いライナーと、髪型気にするジャンとかも、本当に心温まるわ。
進撃は前から思ってたけど、やっぱりせりふ回しが秀逸だというのが、人気の一つのポイントでもあったと思う。
すごい順にいうと、
1、ストーリー、プロット
2、世界観
3、キャラクター
4、せりふ回し
といった感じだろうか。やっぱり巨人に食われるという世界観でまず注目を集め人の度肝を抜いたというところはあるけど、アイディア勝負では決してない、やっぱり物語展開がすごすぎるからこそここまで人々を惹きつけたわけだけし、みんな大好きリヴァイ兵長みたいな、キャッチ―なキャラの魅力もある。
でもリヴァイが面白いのも、リヴァイのセリフが一つ残らず名言集になりそうなくらいに面白かったというのもあると思う。
「バカ言え、俺はもともと結構しゃべる」とか、ラブリーな発言はなんだろうなあ、何回思い出してもくすッとできる素晴らしさが進撃の魅力なんだよなあ。
「10年以上は引きずってほしい」も、そういう感じになりそうだ。