2021年の抱負、第二弾。 [生活雑感]
私はここ3年くらい、結構苦しい時期だったと思う。
それをやっと抜けた。
いや、今でもまだ安心はできない。
ただ、抜けたと思っている。自分では。
だからこそ、こんなふうに改めてちゃんと今年の抱負を考えようと、自分を直視できるようになっているのだ。
ここ数年、新年の抱負を持つことさえできなかった。
最近、リモートワーク復活して、オンオフの切り替えがとても大事だと思いつつ、なかなかに難しいことを痛感している。
切替には儀式が重要だ。
一番いいのは、外に出ること。やっぱり場が変わらないと気分が変わらない。
昼休みは、スーパーでも、花屋でも、図書館でも、公園でも、なんでもいいから外に出ること。
そうしないと、張り詰め続け、思考は回り続け、オンとオフなく時間が過ぎていき、肩こりが酷く、心も体もアンバランスな状態に陥る。
そして仕事が終わったら、やっぱり外に出るのがいいが、それが面倒な時なら、風呂に入るとか、化粧を落として部屋着に着替えるとか、とにかく「はい、終わり!」という線引きをするのが大事で、最近はそれにワインやビールを導入し始めていて、どうなんだろうかと思う。
だが、とにかくオンオフをきっちりわけることが、これからも病まずに走り続けるペース配分としてとても重要だと思う。
で、最近、NETFLIXのムーミンのシリーズに瞑想効果があることを発見した!
仕事のあと、プライベートに戻るためのカームダウンに、ムーミンは使える!!
なんてことないストーリーなのだが、映像が美しく、心が癒される、世界観。
さて、そんな中に、ティーティーウーというキャラクターが出てくる。
彼は旅の途中のスナフキンに話しかけ、ティーティ=ウーという名前をつけてもらいました。やせっぽちで自分に自信がなく、おどおどした性格でしたが、名前を得たことによって意識が変わり、自分の人生を精いっぱい生き始めるのでした。
ということだけど、私はその彼の「こんな素敵な名前をもってる僕なんだから、おうちだって素敵にしなくちゃ。やることがいっぱい!ああ忙しい!」という感じのセリフにハッとした。
まあ今はやりの自尊感情の話に間違いないんだけど、結局、自分なんてゴミだと思っている心もちだと、セルフネグレクト的になるというか、自分なんて所詮この程度、というのが部屋なり生活に出るのだろう。素敵な自分のためには、努力ができるのだ。そして愛する自分のための人生は、自分にしてやることがいっぱいあって、決して退屈することはない。
抱負が持てる、というのはそれに似ている。
腐った心持ちだと、ケッという気持ちに邪魔されて、なんとかポジティブな希望をもって道筋をたてようにも、出てこない。心の中にその糸口を探そうにも、苦しくなってしまうのだ。
さて、自分の過去の抱負を読んで微笑んでしまった。
今年の1月は苦しかった、苦し紛れに、なんとか抱負をひねり出そうとしてるけど、失敗してるのが、読んで笑える。
でも、2016年とか2017年は、それよりは人生が充実していたのがわかる。
が、とんでもなく、自分のままで笑ってしまう。
俺らしく自由に生きていけますように。
という祈りは、今も変わらない自分の核にあるところなのだと思う。
まあ、それが今だってうまくできていないから、いつだってうまくできていないからなのだが。
でも今の私はそこまで息苦しくない。
淡水魚のくせに、海に押し流されがちだとしたら、今は、素敵な湖を見つけて辿り着けというわけではないけど、河口から川上に向かえているように感じてる。
で、そんな私が生きていくために、やっぱり去年出会った坂口恭平イズムをいつも心に、決して忘れないことだと思う。今年の抱負はそれだ。
もう普通の人として成功しようとは頑張らない。
とにかくバランスをとって、楽しく幸せに生き抜けるシステムを生活に築くのだ。
坂口恭平イズムの中で私がこれぞと思ったことは以下の2つである。
1)流れ続けること。決して澱まないこと。人に何かを与え、人から何かをもらい、そういう流れがあることがとても重要なことは、コロナの日々で余計に思う。
2)そのために、というだけでもないが、とにかくウンコを毎日出すつもりで、どんなクオリティでもいいから自己表現、自己発信をし続けること。とにかく吐き出して、苦しくならないための一つの手段。
ほかにもいろいろあった気がするけど、忘れた。
とにかく苦しくなったら、特に、坂口恭平的なやり方がこの世にあることを思いだすのだ、というか、一家に一冊、目につくところに本を買っておいておこうではないか。
そして、私はどんなに新しい組織で、心地よくやっていけそうな気がしていたとしても、片足は坂口恭平イズムに突っ込んで、そんなバランスで生きていこうと思う、それこそが心地よい自分らしい生き方な気がする。
どんなに新組織が、誇り高き変人の集まり、のような、私の心を癒しかけている存在だとしても。
組織は組織だ。
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