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映画「永い言い訳」西川美和 感想

西川美和は思えば「ゆれる」しか観てなかったのか、
その割には、私の中で確固たる地位を占めている、才能ある日本の映画監督の一人として。
しかも是枝チルドレンなのな。
まあ「ゆれる」がそれだけ鮮烈だったんだろうな。

さてそんなわけで、西川美和といえばすごい才能があり、それを作品として具現化することに成功し、しかもそれを世にも認められ、さらに美人。
羨ましい限りの存在だと思ってたけど、そんな彼女にも負い目があって、子供を持たずに中年になった人間の負い目、行き場のなさ、30代の頃には一切なかったものだけど、40代になってじわじわとくるこの感じ、そういう負い目を逆手にとって、共感してくれる人はきっといるはずだと思って映画にした、映画はいつもほぼ自分のために書いて作っている、と言っていて、とてもびっくりしたし、より彼女に興味を抱いた。
これは、NHK,Switchで、生き物がかりのリーダーとの対談。2016年か、2018年かその頃のもの。

それを私が今なぜ初見しているかというと、家のDVDレコーダーを数年ぶりにTVに接続したからであり、当時自動録画しないまま見ないで放置していたものを、今になって楽しいでいるわけだが、Swtchはほんと楽しい。しかも当時はまだ弾切れになってなかったんだろう、興味深い対談がそれなりに多い。
西川美和もそうだけど、マツコVSつんくなんて、永久保存版じゃないだろうか。
あとヒャダインVS片岡愛之助とか、うんこドリルの人と古田新太とか。川上未映子と新海誠とか。満島ひかり、いとうせいこう。
新鮮なのは、だいたいどうしてその道に進んだの?という質問に対して、
子供の頃、あるいは学生時代に、それですごく先生にまたは友達に褒められたから、そこで初めて「本当の自分を表現できた」と感じたから、と、自己実現の感覚を覚えた人が多いね。

人の感性は変わらないもので、当時自分が面白いと思って録画していたものは、今見ても面白い。というか当時の方がテレビがんばってたかもな。
スーパープレゼンテーションとかも、ほんと良い番組。

で、それで西川美和の回で、永い言い訳の話をしてる、へえ面白そう、その次の瞬間には、プライムビデオでただで見られる世の中だもんなもはや。
当時はそこまでじゃなかったよね。
そこまでだったら私は海外に赴任するのに、ツタヤで映画を10枚くらい借りてきて、必死でダビングして外付けHDDに取り込んでから旅だったりしたはずないし。

さて映画。
いやあ、若干コメディ要素があるから面白く見てられる。
というかもっくんがやると、コミカルでコメディになるって話で、コメディっぽくしたつもりが西川美和にあったかはわからないけど、その方が見ていて辛くなかったよね。
もっくん演じる主人公は基本的には嫌なやつ、性格の悪い男だから。

でも良い映画だった。
家族が死んだ時、その家族との関係って、もやもやすることが残るケースも多分にあるんだろうと思う。
それが特に長年連れ添ったもの同士のリアルなんだろう。

ファミリーツリーだってそうだったもんね。
どちらが先に離婚を切り出すか、それくらいの距離感の時に、妻が植物状態になり、妻が生前浮気してたことも判明し、子供達との冷え切った関係を再構築し、その死を受け入れるまでの話。

もっくんの場合は、こどもはいないけど、妻との愛情関係は冷え切っていた。
それでも当然ずっとそこにいてくれて当たり前と、空気として扱っていただけで、妻がいることで生活にハリがあり、健康的な生活もできていた。
そして妻を失った中年男は惨めなものだ。
生活は荒廃し、生き甲斐もない。
しかも亡くなった後で妻の本音「もう一ミリも愛してない」を知る。

他人の子供の面倒を見ることで、生きがいとハリが生まれていくが、それでも性格の悪さが出てしまい、人間関係につまづいてその関係も永続しない。
それでも、そうやって人と関わることで、他者との関わりの中で、自分を発見し、他人同士の関係に介入することで、人のことからこそ客観的に見ることができて、何が真理かわかる。
そして自分の犯した過ちに気づく。
「人生は他者だ」という発見をする。

でもそれだけだとぼんやりするじゃん。
私はこの作家が、もっくんにはっきりと

「自分を大事に思ってくれる人を簡単に手放してはいけない。
みくびったり、貶めちゃいけない。そうしないと僕みたいになる。
僕みたいに、愛していいはずの人が誰もいない人生になる。」

と言葉で言わせてるところがとても好きだ。
観客に答えを委ねる、とかよくいうけど、それは時々だたの逃げであり、言いたいことをちゃんと言葉で言う、はっきりとメッセージを提示するって映画でも大切だと思う。

まあでもさ、この映画の中でもっくんは明確に役に立っている。
お父さんだったら、甘えも出て、お母さんだったらこうしてくれるのに!!と憤りを感じる時でも、全然関係ないおっさんが善意で見守りに来てくれてるという事情は子供でもわかるから、「ゆきおくん」という新キャラ、不器用なおっさんとして、別にたいして期待もしてないから、他人だからこそ、お母さんという大黒柱を失って不安定で皆がストレスを抱えている家庭において、緩衝材になれる。
あの家庭、本当にもっくんがいてくれて、長男はだいぶ助かったはずだ。

あとインテリアが好きだ。
目黒区のミッドセンチュリー風の2DKか3DKみたいな落ち着いたマンションに住む美容室の経営者?の妻と作家の夫という、40代のおしゃれな独身夫妻。
一方、トラック野郎の夫と妻、二人の子供、という四人家族のすむ家のリアリティも素晴らしい。

でも一個すごくストレスを感じたのは、池松の滑舌の悪さ。
数箇所、しかも重要なシーンで、なんて言ってるのか聞き取れなかった。
ひどい。こんなの初めて。そうか字幕つけられるかな、一回試してみよう。
数回リピートしたが、まったくわからず。

でも彼だけじゃなくて、長男の子のセリフも、一箇所聞き取れなかったのよねー。
ここも何回かリピートしたけどさっぱり。
しかもここも重要な部分。
なんでこれでOK出すんだろう。
日本語ネイティブの私が邦画の日本語を聞き取れないって初めてだわよ。
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幹也「芸人の飲み会に行ってはいけない理由」感想

https://youtu.be/JgD0EFYuhBg?si=byZxL2bvQ4289c3c


カキタレって聞いたことあるけど何?
と思ってたので、勉強になったし、芸人の飲み会とは何なのかについても成程ねと思った。

全然びっくりはしない。

郷ひろみが若い頃、講演が終わったらグルーピーの女の子から何人かがホテルに呼ばれるような仕組みにになってたとなんかどこかで読んだことあるし。
オーケンが昔からよくバンドマンとグルーピーの女の子の関係性みたいなことを赤裸々に語ってきてたし。
新大久保の地下アイドルとかも、推しと繋がるってつまりそういうことみたいな話をYouTuberがしてたから。

ただその話と、今回の松本人志とスピードワゴン小沢に関する文春砲はごっちゃにしたらいかんよね。

飲み会にそもそも行く約束をしないことが自衛になる、行ってもロクなことにならない、と諭すという意味では、別におかしなことは言ってないけど。

プロ彼女とか高級コールガールとか、はたまた大ファンで推しと繋がれるならそれで幸せな人たちとかと合意の上でわかってて会いに行き遊ぶのは古今東西のことで、スポットライトを浴びた男はモテる、遊び尽くした、で済む話なんだと思う。

もちろん、それも古今東西から言われるように、遊び方の綺麗さ、汚さ、というのがあって、ちゃんと双方納得いくような金銭的報酬とか、遊び相手といえど相手の尊厳を汚すようなことはしないとか、そういうのあるんだと思うし、その点でワタベとかは汚い遊び方をしたから世間にキモいと思われたわけで。

でもって今回の文春砲の話がもし本当なら、そういう遊び方の汚さの話の次元を超えてる点が問題よね。
業界の大物という権力を利用して断ったらこの界隈でどうなるかわかってるよね?と、脅迫してるわけだから。
ようは振り込め詐欺の出し子とか強盗の実行犯を末端の勧誘してきた子にやらせる手口、犯罪の手口と一緒よね。
最初はバイトの内容がぼんやりとしか明かされてなくて、個人情報提出したあとに、犯罪的な仕事だと判明するも、その時点で断ったら、家もバレてるし親兄弟どうなっても良いんだよね?と脅されて、断れなくて犯罪に手を染めてしまういう。


そこがやばいわけだけど、一世風靡して大スターとして君臨してる時には天狗になり鈍感になる可能性はあるなと思う。
つまり擦り寄ってくる金目当て、玉の輿目当てのプロ彼女的人たちと、一度会えただけでも超幸せな大ファンの人たちとに絶えず囲まれているわけだから、女は全員俺とやりたがっているというふうに感覚が狂う可能性はある。

もしくは、小沢が汚いやり方で素人の女性を集めてることをまっちゃんは知らなかった可能性もあると思う。普通にファンかプロ彼女的人たちでもちろん同意の上だと思ってたのに、的な。

まあでもYOUが昔言ってたもんな、若かりし頃のダウンタウンは獣だった、飲み会なんかしたら性的にすごかったと。
だからまあ、そこで結局幹也の話に繋がるのかもしれない。
うっかり飲み会に行ったら、飲む約束をしてしまったらもう、そういうのOK、どんなことされても文句言えない、という界隈の共通認識みたいのがあったんだろう。

とはいえその界隈というのは勿論狭くて、プロ彼女的な人たちにとっての共通認識でしかなく、ふつうの素人が知ってるわけはなく。
それでも芸人は、要するに天狗になるということなのだろうけど、プロ彼女的人たちとしか接してないから勘違いしていく。。
と、予想。

まあ真相はまだわからないけど。
本当はもっと鬼畜なのかもしれない。
少なくとも小沢のトラップの嵌め方は、警戒されないように、逃げられないように、という仕掛けのあるプロの所業なので、色々わかった上で、何も知らない素人の子を敢えて狩ってたようにも思う。ということは、警戒されて逃げられたことがあるから、それを未然に防止する策に出たわけでしょ。そんなつもりじゃなかったは、少なくとも小沢には通用しないのでは。


まあでも昨今のジョングクとか見てても思うもん。
3Dのキモい歌詞とかを平気で歌えちゃう感性はやっぱりもう、シャツ脱いで!眼福!きゃああ!!!とかいうキモい盲目ファン達とプロ彼女的な人たちにしか囲まれてない環境で培われてしまったんだと思う。

こういうの女性が喜ぶんでしょ、なんでよろこんでしんじゃん、嫌とかダメとかいうやつはただのアンチでヘイト、少数派なんだから無視、そんなので俺を止められるとでも?
みたいな感性になってしまうわけよね。

芸能人は難しいね。
特に一世風靡して頂点レベルに立つと、ファンとか新しく近づいてくる人間だけじゃなくて、事務所の人とかマネージャ、プロデューサーすら、本人に嫌われないようにヘイコラするんだろうし。
ヘイコラしない人は切って、ヘイコラする人だけでまわりを固めることが出来てしまうんだろうし。
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映画「君たちはどう生きるか」感想。

水曜日、家から自転車で10分の映画館で1300円。
ガラガラ、観客は7人。

さて町山さんが褒めてたので見にきたんだよね。
老害化したといわれる宮崎駿だけど、まだまだ創造力は衰えていないと。

で、観たのだが。
うーん。。。
途中までは楽しかったけど、途中からだんだん飽きてきた。
どんどん次から次へと場面展開して、新しい登場人物が現れるけど、結局いろんな意図がわからないまま、最後までいくじゃん。
途中までは、ワクワクが引っ張られてたけど、全然回答がないまま、移り変わっていくから。
「君たちはどう生きるか」を読んだことがある人であれば、意味がわかるのかな。

私は読んでないこともあって、そもそも何で夏子さんが森に入って行ったのかがわからないし、お産を異世界でしようとしてるかもわからないし、積み木が積み木じゃなくて悪意に満ちた?(忘れた)の石だ、とか言っても、全然ピンとこなかった。

そもそも私の作り上げた世界に後継者を、それは血縁者でなければならない、とか言ってるのも、血縁者じゃなきゃならない理屈が不明。
ただのいかにもな因習的なそれっぽさでしかないなと思ったわ。古くさい。

まあ終わってみれば、意味がわかる部分も多少ある。
結局、主人公は、お母さんの死を受け入れていなくて、突然、父親が後妻を連れてきて、お腹に赤ちゃんがいて新しいお母さんだと言われても受け入れられない。
そりゃそうだ。思春期前期。12歳くらいの子。
その子が、お母さんの死と、新しいお母さん、弟の誕生、つまり生と死を受け入れるための冒険譚なんだよね。
お母さんは自分を産んだことで、自分の生に意味があったと言ってくれる。
後妻は、お母さんにとっては可愛い妹。
その後妻がまた命をとして自分の弟を産もうとしている。
そういうことから、感覚的に、命の移り変わりや、命の尊さを受け入れて、強く生きていこうとするんだな。
その主題は素晴らしいようにも思った。
だけどその主題を伝えるために映画として完成度が高い、うまく構築されているかというと、うーん・・・と感じたし、素晴らしい映画だった!という感覚は全く覚えなかった。
「微妙」と「まあ良かった」の間くらい。「まあいいんじゃない」って感じか。
「良かった!」とか「すごく良かった!」「素晴らしい!」とかの感想はとてもとても。

例えば、「どう生きるか」と言われて、「友達をつくります」って突然答え出すのもよくわからない。
あと下世話っぽくてある種見下してた使用人の婆さんたちが、実は凄くタフで勇敢で心が広くて、自分を見守ってくれている友達のような存在だと気づく、という流れなんだと思うけど、その流れもよくわからない。
あとお母さんの少女時代と恋をする・・わけではないんだろうけど、まあ友達になるということなんだろうけど、まああの感じも、マザコン的でちょっとした気持ち悪さ、都合の良さはある。
誰だって、死んだお母さんが出てきて、「お母さんはあんたを産んで幸せだったのよ!」と言ってくれたら、嬉しいけど、だいぶ都合がいい。
さらにその上、美少女の姿で現れるまでくっつくと、ちょっとなあ。

あと、夏子さんが「あんたなんか嫌い」と叫ぶのに、「夏子母さん」と呼んであげてまでこっちに引き戻そうとするのも、なんか子供の方に気を遣わせすぎている設定だなと思う。

子供は生きていくために、自分の境遇を受け入れなければならないところはある。
それはそうだけど、母さんが戦争3年目で死んで、4年目には父さんに後妻、お腹には赤ちゃん、しかも母さんの妹って、だいぶ気持ち悪いわけで。

君たちはどう生きるか、というのは、結局、現状を受け入れて強く生きろということなのかな。
でも夏子さんの気持ちや状況は一切語られないし、表現されてないよね、この映画。
ただ自分の世界に闖入してきた綺麗な異物、無理やりおもんぱかれと周囲に強制される存在としてしか表現されてない気がする。
主人公に受け入れられていないことを気に病んで家出したんだとしたら凄くこどもっぽいし、それを主人公の方が大人になって「母さんってよんであげる」ってことが解決なのだとしたら、そうなのだろうか。
そんなのはまやかしで、その場ではおさまったとしても、表面的なもので、大人になってもどこか遠慮した関係性が残ると思う。

理想は、ちゃんと夏子と主人公の間で、一緒になにか作業したり、その中で何か作業の知恵を教えてもらったり、苦難を乗り越えて支えあったりすることで、友情なり、なんらかの信頼関係が芽生えることだ。
それこそ、キリコさんだっけ?との間に芽生えたようなものが。
またはぶつかり合ってもいい。
でも、この映画のぶつかり合いは、なんか抽象的すぎて意味がわからないし、一方的に主人公が大人になってあげるだけど、夏子の方に理解や成長が見られない。
夏子は、突然、思春期の子の母親になるわけだから、本当はそこでもっと精神的にタフに、心が広くならないといけない。

その辺は気に食わない。
まあ宮崎駿にありがちだ。
女性を美化し、女性を客体化し、女性の心理を無視しきちんと描けない。
男の側の思い込みによって物語を完結させる。
やっぱり感性が昔の人だから古いんだよな。
男の側の自己満足で終わってる点について、女性が鑑賞すると、一抹の不満が残る。
ただまあ、宮崎駿のいいところは、それでも男勝りの強くてカッコいい女がいつも登場するので、そういう女に対する憧れとリスペクトがあるところだ。
いつもとは言わないけど、高い確率で一番カッコいいヒーロー的ポジションは女が持っていくことが多い。
今回だって、一番のヒーローはきりこさんだし。
お父さんも、節穴のぼんくらとして描かれるし、大叔父様もなんか時代錯誤なボンクラ感。

まあでも強い女、主人公を助けてくれる少女、という宮崎アニメあるある登場人物でもあるけどな。
あと大したきっかけがあるわけでもなく偶然のように、どんどんよくわからない異世界に連れて行かれて、というのも千と千尋の神隠し的な感じか。
不思議の国のアリスの宮崎版みたいな。
あと思春期前期の子が、とにかく訳もわからず働かされるが、働く中で世の摂理を学ぶというところも千と千尋に似てるな。
まあそれは確かにあっていいと思うけど。
だって、生きるということは何か、結局、食わないと生きていけないわけで、食うためには汗水垂らして働かないと食えない。それから自分では左右できない自然条件とか、他者の存在とか、そういうものの機微を察知して戦ったり逃げたりして民は生きてるわけで、でもその中で思いやったり助け合ったりして生きてる、そういうのを、坊っちゃん嬢ちゃんがその状況に入り込むことで身をもって感じる、学ぶというのはとても大事だし、観客のこどもたちにも擬似体験してほしいんだろうね、それは古いとかじゃなくて間違ってないと思う。
生きることの本質は古今東西変わらないものね。

あと1つ擁護するなら、やっぱり男としては「女は不可思議な理解できないもの」な訳で、それを理解できないながらに、それでも生命を命をかけて産んでくれるすごい仕事をしてくれるものとして、丸ごと受け入れよう、という努力、姿勢を映画にしてるのかも知れないと思った。
まあその時点で、宮崎駿は全然女性を理解できてないし、女性を話が通じる「人間」として見てないし、女性=話が通じない異次元の生命体、と思っているのが明らかだ。
だけど一方で憧れ崇拝してる面もあり、、まあこういうタイプの男というのはいるし、そういうタイプの男、宮崎駿の同族のための映画という側面が結構強いんだろうな、この映画。

まあでもよ、夏子さんが、そういう「得体がしれないが、崇高で守るべき存在」として丸ごと受け入れるべき女という存在を体得しているとするならば。
結局無理に「夏子母さん」と呼んであげるけど、母としてではなく、「女」として主人公は受け入れるということになり。なんかそれもな。
そういえばきりこさんが、「坊ちゃんはお嬢様が邪魔なはず、いなくなればいいと本心では思っている。それなのに何故探しにいくのだ」と尋ねるシーンがあったな。
それに彼は正面切って答えてはないと思うけど、多分主人公の気持ちを代弁させてるわけじゃん。きりこさんに。
それに何度も、「夏子さんはお前のなんだ」みたいな問いがあり、そのたびに「お父さんが好きな人」と答えるよね。
自分は好きじゃないけど、お父さんが好きだから、仕方なしに自分も受け入れないといけない存在。なのになんで探しにいくのかといえば、自分のひっそりとした悪意が通じてしまったのでは?という恐れみたいなものだと思うんだよな。
「お母さんなんて死ねばいい」と思ったら、本当にお母さんが死んでしまった。
そんなつもりじゃなかったのに、、みたいな。
自分の悪意に対する良心の呵責。
思春期であれば、そういうものに対して一番敏感になる時期な気がする。
まあでもなあ、良心の呵責に苦しんで、だから受け入れるって、やっぱり一人相撲だな。
その過程が合理的ならいいんだけど、なんか今ひとつ弱いような。「お産は大変」で全てを説明しようとしてるかのようだけど、産屋のシーンがお産の大変さを表現してるようには今ひとつ思えなくて、ただの理不尽なシーンに見えちゃうからなあ。

いやまあでもよ、子供を子供扱いしてないのかもしれないな。
12、13歳くらいとなれば、甘えを捨てて世の摂理を知って、守り育てて貰ってきたことも自覚し、しっかり自分の足で立っていけよ!という子供時代との訣別して青年として自立せよという意図もあるのかな。

あと大叔父様が作り上げてる世界。
ほとんどインコに支配されてる世界。
あの世界に何の意味があるかも謎。
別にとりわけ平和な世界というわけでもなく、とりわけ残酷な世界というわけでもなく。

大叔父様の、カビも生えるし・・・で、世界は永遠に完成しない、ずっとメンテし続けないといけない、でももう少し安定させることはできるはず、という言葉は印象的だったけど、ただの趣味なんかな?よりより世界を作り上げる、天下統一的なゲーム?

一個すごくいいなと思ったは、お家、風景、世界観。
宮崎駿が描きたい世界観を詰め込んだのかなと思うほど、集大成的に、素敵な世界観がいっぱいだった。
まず、超格好いい、古き良きお屋敷、日本家屋。
広大な庭園、その敷地内、離れに古いこれまた雰囲気のある洋館があって、さらに謎の古城のような廃墟の塔があるとかたまらないよね。
家具の配置、壁紙、照明とか、インテリア図鑑を見ているかのように楽しめた。
さらにまた、きりこ?の家もそう。
見晴らしの良い高台の庭があって、家のインテリアも中世の家っぽいまた違うコージーな魅力があって、緑色のペンキで塗られたダイニングテーブルとかね、またそれに見合った可愛いインテリアなんだな。
ひみの家も然り。またちょっとタイプが違うんだけど、これまた素敵でコージー。
あとところどころに出てくる、花が咲き乱れる森とか、石で渡っていく静謐な湖面とか、たまらない素敵な自然環境としての世界観も、すごく美しく豊かに描かれているよね。
白い命のもと、ふわふわだっけ?が舞い上がってく夜空も、タイのロイクラトン、灯籠あげのような、または蛍が舞うような美しさで、世界の美しさ、しかも自然の営みの美しさと人の営みの美しさ、両方を描いている。

あとはエンディングテーマが、地球儀、米津玄師だったの初めて知った。
この曲、聞いたことはあったけど、歌詞をちゃんと聴いたことなかったんだけど、映画のために書き下ろしたのかな。だったら歌詞もちゃんと映画に沿ってるんだろうな。
あとで聴き直してみたい。
最後の方「手放した悲しみも」「手が触れ合う喜びも」のところは映画のテーマに沿ってるなと思ってジーンとした。
結局そうやって強く生きていくしかないんだよな。
悲しいけど手放して、また新しい存在と手が触れ合うこのと喜びを感じて、人生は続いていく。

さてここまで他の人の感想とか一切見ずに、感想を書いてみたけど、世間の評価はどうなんだろうね?
しかし宮崎映画って、そもそも子供向けのアニメなのだし、こんな大の大人が真面目に正面切ってみるもんじゃないのかも。期待しすぎたのかな。

それでも、ハウルの動く城とか、もののけ姫とか、いくつかの作品よりは良かったと思うし。
まあどっちも正面切って見てない、どちらもテレビで放映時に流し見だったから、正しく評価できてるかわからないけども。なんか別に、という感想を持った記憶。
テーマやメッセージはなんだっけ?みたいな。
それに比べれば、メッセージはしっかりはっきりと伝わってきたし、よいメッセージだと思った。
自分の中にも悪意はある、悪人も善人もいない、完璧な世界はない、世界は移り変わる、それでもその欠陥や変化を受け入れて、周りの人と手を取り合って友達を作って強く生きていくわっていうね。

今一度ナウシカ観たいかな。
映画を観た当時、子供だったから圧倒されたけど。
それに漫画は大人が読んでも素晴らしいけど。
映画はどうだったんだろうか、と今一度。
おそらく映画も結局宮崎映画史上、最高傑作なんじゃないだろうかと思うんだけどな。。
世界観といい、テーマといい。

とはいえ子供が見て喜ぶか、子供が見て面白いか、という子供に人気が出たという観点だと違う映画に軍パイがあがるのかもしれんなあ。
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映画「浅田家」の感想

全然期待しないで観たんだけど、意外といい映画だった。
浅田家の写真は当時わりと話題になったので、なんとなく知ってたけど、映画の内容についてや、前評判については全く何の情報もなし。

なので途中で急に東北の震災の話になり、予想してなかった。
そこで登場する脇役の菅田将暉。
はじめて菅田将暉の演技をちゃんと観たんだけど、すごくよかった。
まったくわざとらしくなく、変に存在感を主張せず、本当にこういう人いそうというリアリティ。好演だった。
一方主役の二宮和也と、準主役くらいのブッキー。
まあまあわざとらしくて、そんなによくなかった。
あと好演してたのは黒木華!!
彼女も、すごくいいバランスの女子を造形してた。
というわけで、黒木華と菅田将暉の好演を見れたということで観た意味あったかな。
まああと、映画も筋が通ってた。
思えば、写真って結局、家族写真が一番価値があるし、意味もあるし、面白いもんね。
東北の大震災で、はからずも写真の意味や価値があらわになった。
写真が残ってなければ、死んでしまった人の顔は、生きている知人や家族のみが知っている。
お父さんの写真が少ないのは、お父さんがいつもシャッターを切っていたから。。
写真がたくさん残っているのは、それだけ愛があったから。
写真には、家族愛がこもっている。

浅田家の写真家は、本当に家族に愛されて育って、家族が大好きだからこそ、卒業制作で家族を撮ろうと思ったのだろう。
それが彼にとって一番大切で意味のあるものだから。

だって田舎にいる高校生の時ならわかるのよ。
題材が家族になるのも。自分の世界のなかの多くをしめるから。

でも田舎から出てきて都会で2年程度頑張って、20歳そこらの年で、そこに行きつくというのは、本当に家族に愛されて育ったんだと思う。

そして家族写真を、ただの写真撮影じゃなくて、家族で一緒に楽しんでつくりあげた体験、楽しかった思い出も込みとするの、すごい発明だなと思った。
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映画「狐狼の血」LEVEL2 感想

引き続き、狐狼の血 2を観る。
去年くらいじゃない?と思ったけど、2021年の映画とのこと。
2年前か、最近ほんと時の流れが速い。

さて鈴木亮平を町山さんが大絶賛してたけど、そうだねえ。
やっぱり全ては鈴木亮平の魅力、というくらい・・・まあ全てとまで言わないが、50%くらいは、この鈴木亮平をみることがこの映画の価値、というくらいに、鈴木亮平の悪役ぶりの凄さ、立派さが見ものだったわ。

なんかターミネーターみたいなんだよな、圧倒的な殺戮マシーンぶり、強さぶり。
最後もターミネーターとサラとの戦いみたいで、ちょっと笑っちゃった。

町山さんが、BLです!!とか言ってたので、本当にそういうシーンがあるんかいな、え、この展開で本当に?と思ってたら、どこがだよ!!
一騎打ちの殺し合いシーンを、ラブシーンかのごとくに言ってたけど。

松坂桃李、私は若干生理的に苦手なのでなくて安心したけど。

鈴木亮平がさ、すごく人懐っこく笑ったり、凄んだりするわけだが、その顔つきがすごく誰かに似ていて、誰だろう?と思ったら、BTSのジミンだった。
目つきとか、すごい似てる。

それに「ここらで育った」と言っていて、韓国料理屋にいるから、在日韓国人という設定なのかもしれない。
在日韓国人でヤクザは結構多いみたいだから、リアリテイがあるし、いやあ顔。
凄んだ時に、あの一重瞼は有利でしょ。
あとあの体格な。普段から鍛えてる上に役作りのためにちょうどいいタフボディを作り上げたんだろうけど、さすが。背中の刺青を見せつつのシーンが凄くたくさんあったけど、背中の筋肉と刺青のマッチもさることながら、首とか顔とかも筋肉がついてる感じが伺える、その横顔がよかったよね。

松坂桃李も前回の新人くんから3年という設定で、これくらい雰囲気を変えられる、貫禄つけて薄汚れられるっていうのは素晴らしいけど、まあやっぱり役所こうじの年季の入った凄みと比べたら、頑張ってるのう、という感じで、、まあそこもちょうどいい感じで良かったけどね。俺うまくやってるし、と言ってるけど、やっぱり完全にうまくやれてはないという。
ベンツとか乗ってるのも、その頑張ってる感が伝わってくる。

あとはまあ遠藤賢一も面白かったな。
前回の竹野内豊的なポジションで、今回は斎藤工が出てた。
何なんだろう、あのポジション、セクシー俳優枠なのかな。
期待せず斎藤工が出てきた時は、期待せずに竹野内豊が出てきた時同様に、嬉しかった。
が、演技はまあまあ微妙だった。変じゃないけど、ハマってもないというか。
竹野内豊の方が意外とハマってたかな。

そしてまあ前回とは全然主題が違う感じだったな。
前回はほんと、役所こうじが、ヤクザの間に入って踊るように綱渡りをし、その様子を見た若い桃李が、ヤクザと癒着してる!!とショックを受けたりしながらも、彼の仕事ぶりに感化されていく、というバーン!!とした話だったが。

今回は、仁義も通用しない圧倒的に凶暴であるサイコヤクザ鈴木亮平VS桃李というのがまあ主軸で、それに絡む群像劇はあるけど、まあ鈴木亮平が強すぎて、ゴジラ出没とか、エイリアン襲撃、みたいな感じになっていて、他は全部サブストーリーみたいな。

しかしながら、鈴木亮平が野放しにされていてなかなか逮捕されないのは、県警の悪巧み、桃李を失脚させるために、桃李が仕切れてないと証明するために悪をしばらく野放しにする方針とかで、物証があるのに警察内部で担当官に隠されていたとかいうストーリーで。
ええ!!?そんなこといくらなんでもないんじゃないの?と思ったけど、まあそうでもないんかな。たまにあるもんね、実は物証があったのに当時隠されていて20年後に明らかになる、みたいな話。
ことヤクザとなると、逮捕するのも目をつぶるのも、丸暴次第って感じだとリアリテイはあるのかもしれない。
が、このケースだと、ヤクザ同士の喧嘩とか、銃刀法違反とかでもなく、ピアノ教師という超一般人が残忍に殺されていて、その犯人だとすると、目をつぶるとかあり得んでしょ、とも思う。

いやあしかし見事な狂犬ぶりだった、鈴木亮平。
この狂犬ぶりは世界に誇れると思うんだけど。
ぜひ東洋のチンピラとかヤクザ役で世界進出してほしい。
ハリウッドの悪役とかと比べても全然その気迫で引けを取ってないし、むしろ一重瞼の威力はより西洋ではエキゾチックで際立つと思うからなあ。
ワンスアポンアタイムインハリウッドのブラピ、ディカプリオに並んでも引けを取らない痛快sでユーモラスな強さっぷりだったしなあ。

ちなみにLEVEL1の方の養豚業の岩永ジョーイもよかったなあ。
あの映画やっぱり豚の糞を食わせる、というのが強烈ゆえに。

それでいうとLEVEL2は、目玉をくり抜くというのが強烈なわけだが、いやあその度に私は画面から目を逸らしたり席を外したりしたよね。

あとよかった脇役といえば、西野七瀬と村上虹郎のかんじもよかったし、前回に引き続き記者役の中村獅童の絶妙に胡散臭くてうざい感じは最高。前回はほんのちょっとだけしか出てこなくて友情出演かなって感じだったけど、今回は同じ役柄で大幅に存在感アップしててよかった。何気に1と2両方とも同じ役柄で出てるのって、桃李以外は、遠藤賢一と中村獅童くらいだもんね。

で、今回になって初めて、おおがみさん=狼さん=狐狼ってことに気づいたわ。
それで、狼柄のバッタもんのジッポを持っていて、桃李が形見のようにして養豚場で拾ったそのジッポを使い続けている、何ならそのジッポを使いたいがためにタバコを吸ってるのよね。
そいで今回の最後にも、なんか「日本狼なんてとうの昔に絶滅したでしょ」とか言いながら、「でも見たらしい」ということで山狩りに行き、そこで桃李が狼の幻を見他ところで終了。

要するに、そういう一匹狼的な骨のある男、刑事やらヤクザやらが昔は日本にもいたがもはや絶滅したんでねーの、というところがテーマではあるんだな。
それでおおがみさん亡き後、桃李が後をついだけど、俺犬になっちまった・・・というセリフがあるように、もう狼じゃない・・と挫折しそうになったりしつつ、今も心におおがみさんがいて模索中・・というところで、LEVEL3もありそうな予感。

と思ったら、LEVEL3制作決定、という記事があった。
ほほう、だったらそろそろ来年あたりとかなのかな。
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映画「孤狼の血」感想。

確か町山さんか、宇多丸か、両方か。
すごく「孤狼の血」パート2で盛り上がっていたと思うので、興味はあったんだけど、いかんせん血みどろっぽそう、暴力描写が激しそうというところと、そんなに興味のある役者さんが出ているわけでもなく、すごくストーリーに興味を惹かれるということでもなかったので、ずっと後回しにしていたんだけど。

最近、若干ノワールっぽさのある邦画を連チャンで見ていることもあり、いける気になったので行ってみた。
というか、まあ次ブロークバックマウンテンとか、ゴッズオウンカントリーかJエドガーか、、、あたりかなーと思ったけど、どうも食指が動かない中、なんか気分としてはまだ孤狼の血だった。

さて、役所広司がさすがだった。
あんまり役所こうじのこと、すごいなーと思ったことはなかったんだけど、まあまあ品の良い普通のおじさんがドタバタに巻き込まれる、という感じの役どころが多いイメージだったから、こんな清濁合わせのむ感じの役どころをそれらしくできるとはすごいなと思った。
それにまず図らずも竹野内豊が出てて嬉しくなった。

竹野内豊もできるんだなー、こういうヤクザの役。甘ちゃん役が多かったのになー、昔は。
あと松岡桃李、「彼女がその名を知らない鳥たち」のむかつく男の役のせいか、むしろ嫌いだったんだけど、彼もよかった。
ヤクザな世界の中で、唯一の普通の男の子っぽい感じから、だけど現場仕事に食らいついて行って、だんだん顔つきが変わっていって、最後には立派に太々しく成長した顔つきになる、その顔つきの変化がうまかった。

これはパート2楽しみだな。
しかしほんと、ストーリーも面白かったし、一抹のリアリテイがありそうなところも面白かった。
しかし豚の糞を食わされるのはやだなー。
あと真珠を取り出すシーン、指詰のシーンとか、ぎゃあっていう血みどろシーンをそのまま映すのはほんとぎゃーだった。

でも気がついたら、嫌な予感が的中し一方をもらい、桃李が呆然としながら現場に駆けつけるシーンで、私もスクリーンに向かって、ガミさん、ガミさん!!と言ってて、すっかり物語の世界に。

いやあよかった。
役所こうじが2019年の日本アカデミー賞、主演男優賞をこの映画でもらったのは超納得。
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映画「ある男」 感想。

Amazonプライムで36時間レンタル500円かな。
もちろん「悪人」妻夫木フィーバーにより、そして「悪人」の世界から抜け出せなくてもよくないと思ったので、どんどん興味をスライドしていくのが良い。

ちなみに悪人にハマるのの何が恐ろしいのって、私は都会から郊外に引っ越したばかりであり、郊外といっても、田舎に片足を突っ込んだような場所なので、田舎の国道を自転車で風を受けて走ってたりすると、田舎の閉塞感の恐怖に襲われるからだわ。

田舎の閉塞感が半分テーマのような作品はいっぱいある。
または田舎でなくても、孤独な生活がテーマの作品もいっぱいある。

先日見た、イニシェリン島の精霊とかも、おそろしかった。
妹は最後、島を抜け出てよかったけど。
よく考えてみたら、怒りと悪人のテーマの1つでもあるよな。
田舎暮らしのどこへも行けなさ、閉塞感。

さて「ある男」。
さぞかしいい俳優に成長しているのではと期待した最新の妻夫木聡。
2022年、去年の映画。
悪人で受賞して以来、12年ぶりに日本アカデミー賞で主演男優賞を受賞したと。

いやしかし私の感想としては、ご本人が自分の転機と言っているくらいの金字塔であり、本当にその後の人生が変わるくらいに渾身で演じたであろう悪人の凄まじさと比較すると、これでどうして受賞できるのかはよくわからなかった。

全然悪くはないんだけど、すごい良いと思ったシーンも特になかった。
美人で資産家の娘、バリキャリ風の共働きの妻がいる弁護士、4歳の子の父親という役どころで、実際の最近の本人に通じる部分があるんだろうとは思うし、終始抑制してるんだろうなという演技とか悪くはないんだけど、別に特に良いとも思わなかったな。

なんなら安藤サクラの方がやっぱりさすがな感じだった。
地方の文房具屋で店番をする、若い子持ちの奥さん。清潔感があって隙がなく、浮ついたところのない、しっかりした女性。そんなに造形的にすごく美人なわけではないが、凛としたたたづまいと、ピシッとした無駄のない身繕いや姿勢、言動から、楚々とした美しさがある女性。
派手ではなく控えめながら、オドオドしたところもない堂々とした女性像。こういう女性像を造形できるのは、さすがの感性だ。
万引き家族の奥さんとか、100円の恋の主人公とか、全然違う人物を造形できるのすごい。
どうせ死ぬなら抗がん剤で苦しい思いさせることなく、もっと好きなものを食べさせて好きなことをさせて人生の楽しさを味合わせてあげたかったと泣くシーンはさすがだった。
こどもを亡くした親の悲哀を表現した演技の中でも、私的には最高峰だ。

いやこの映画はなんといっても、柄本明の怪演だろう。
すごくよかった。
不気味さ、何考えてるかわからない感じ、さすが柄本明だった。

ところで俳優の演技についてはおいておいて映画としての「ある男」。
原作が平野啓一郎。原作読めばわかることなのかもしれないが、映画では、妻が不倫してるらしいことを挿入してくる意味がよくわからなかった。

あと在日であることで、チクチクと嫌味を言われたり差別されたりするシーンがかなり多く挿入されるわけだけど、そんなに?現代で?というのが私にはわからない。
まあそれは当事者じゃないから鈍感なだけで、当事者からしたら、そうなんよ、というところなのかもしれない。

それに実際、彼は弁護士として成功して妻子に恵まれて、出自によってどう足掻いても日向を歩ける気がしないという殺人犯の息子に共感するほどなのか、はちょっと説得力に欠ける。

まあでも悪人の主人公にのめり込んだブッキー自身に重なるものがあるかもね、この弁護士の男の役どころ。
Xさんは誰なのか、どういう男なのか、犯罪者なのか、、それを突き詰めていくうちにそんなに多いわけではないが確実に存在する共鳴する部分から、共感しのめり込んでいく。

そうか、もしかしてラストはそういうことか。
今わかった。
妻の不倫もそういうことか。
つまり、ブッキーは、差別なんかに打ち勝とうとして、努力して、背伸びして、地位を手に入れたけど、正直妻のことも、妻の両親のことも全然好きではなくて、偽りの人生のように思っていた。
だから、捨てたのか。
ちょうど余っている戸籍を見つけたから。
そこに収まったのか。

はっはー、それは面白い。
私はただ単に、酒場でストレス発散で別人のふりを試しにしてみて、別人になり変わるのってこんな感じかと味わってるだけかと思った。
でもそれだと妻の不倫を挟んできた意味がよくわからない。

が、まあその辺はご想像にお任せします、なのかもしれないな。
酒場での遊びなのか、本当に戸籍を頂いちゃってなりすまし生活を始めたのか。

そう思うと面白いけど、それなれそれでそうとはっきりわかるようにしてくれた方が最後のどんでん返しみたいでもっと映画として面白かったかな。
まあ漫画的、映画的になって、リアリティとしては下がるのかもだけど。

あと、展開は色々無理があったな。
大体スケッチブックの絵について、「この絵のような人でした」とXの妻が、ブッキーに見せて、ブッキーがそのスケッチブックの最後の方に不気味な人の顔の絵を発見する。
妻が気づいてなくて、ブッキーが気づくことってある?
と思うけど、まあ百歩譲ってそういうこともあるとしよう。

次だ、絵が似てる、ということから、絵を描いた人を調べると顔がXそっくりだったのでXかと思ったけど、年齢が親子ほども違う、なので父親と推測。
いやさ、親子だから顔がそっくりはありえますし、絵心が遺伝するのはあると思うよ?
だけどだからといって絵がそっくりはないと思うんだな。

しかも、この絵に見覚えがある方はご一報を、とかでSNSで拡散して、不特定多数から情報が寄せられる中の1つとかならわかるんだけど、探してる本人がドンピシャで似てる絵を展覧会で見かけるとかも都合良すぎるような・・・。

あと、戸籍ロンダリングだって、ハガキに堂々と交換相手の名前が書いてあるのに、どうして最初から徹底的に調べないの?
最初から調べてれば、もっと早く、真相に近づけたんでは。
あと原が戸籍変えたいというのはわからんでもない。
まあでもボクシングで新人王になったらさ、色々言われそうで怖いってのはわかるけども、普通にサラリーマンとして生きてる分には父親の犯罪歴なんてわからないんじゃないかと思うんだけど。本人の犯罪歴だって、言わなきゃわからないらしいのに。
戸籍変えても、トラウマ的記憶や自分の中に流れる血筋はついてくるし。
まあでもよ、それでも本人が血筋をリセットできたと思い込めるなら、意味はある。

温泉旅館の息子の方よ、意味がわからんのは。
別にそこに何の執着もないにしたって、別に逃げたいほどの何かがあるとは思えない。
そうか、もしかしたら借金するなり金に困っていて、別に逃げたいわけじゃないけど、ブローカーにそそのかされて、金のために、クリーンで「いいとこの出」な戸籍を売ったのか。

文房具店でもさ、推定30代の男が推定30代の女に「友達になってください」「いやご家庭もあるのに迷惑か」「いや家庭はないんです、子供はいるけど離婚してるので」「全然知らなかった」「知ってたら怖いです」っていう流れもよくわからない。

まあ一言でいうと「知ってただろ!」だと思うんだな。
これだけ文房具屋にかよっていて、おせっかいおばさん達もいて、絶対小耳に挟むだろ。
それに旦那さんがいると思い込んでたんなら、店先での立ち話で満足しろよ。

主題はちょっと「悪人」や「怒り」に似てるね。
何が真実だったのか、あの人はいい人だったのか悪人だったのか、と周りの人間が右往左往する感じとか。
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まだまだ悪人の酔いからさめず

深津絵里と妻夫木聡は2010年の悪人が三作目の共演ということで、調べてみたら、その前が、2009年マジックアワーという三谷幸喜の映画で、あとはドラマ、2005年スローダンス。

すごいなーと思ったのは、彼らは七歳くらい実年齢の差があるのに、3回とも恋愛関係としてキャスティングされているわけで。

そういうのってすごいなと思うのよね。
今となっては全部すごい昔の時代なので、当時の感覚はよくわからないけど、、。

なんとなくわかるのは、もちろんバランスの良さだ。
側から見て、その2人なら恋愛が成立しそうにみえる、そんなこともなくはないハマる雰囲気。
それがあるのがすごい。

年上の女性に甘えたり憧れたりするのが似合う可愛らしい甘えた雰囲気のあるブッキーと、美人で清楚ながらもどこかキリッとした雰囲気があって年下の男性から素敵なお姉さんとして好かれそうだしそれを受け入れる優しさと冒険心がありそうな雰囲気。

まあでも前2作はコメディ要素が強そうな雰囲気で、それもちょうどいい感じじゃないですか。

だがしかし、悪人では全然違うわけで。

さて、悪人のブッキーに夢中すぎで、怒りのブッキーもまた見直してしまう。
そこで気付く。
ブッキーの役どころ、田舎の自己表現が下手なリア不十ノンケと、都会の自己表現が上手なリア充ゲイ、、みたいな対比があると思ってたけど、それでも抱えてる問題はすごく似てる、というテーマがあったんだなと。

つまり、ブッキーが人を愛し、でも己の弱さや未熟さによって未来のある形で実らなくて、どうして俺はこうなんだ、、俺なんか、、と泣いて悔やむところが同じで、最後、それでもその恋愛の最も美しかった瞬間を美しい夕陽とともに見せてくる演出も一緒で。

そしてブッキーの一世一代の恋愛の出会いが、どっちも出会い系と発展場という、、そこもメッセージがあるなと思った。

出会いなんてどうでもいいのよ、と。
人と人がすれ違って、偶然に出会って、相手が信用できるかもわからない。
それでも愛を育むことはできるし、よく知ってるつもりの家族だからといってちゃんと知ってるとは限らないし。
他人、他者、見知らぬ人。
善人か悪人かもわからない。
いいところもある悪人なのか、悪いところもある善人なのかは、常にグレー。
それでも、そういう人たちと愛を育くみ、一緒に生きていくのさ、人生。

そういう気持ちにさせられた。

まあ原作者の吉田修一の作品にはいつもゲイが登場し、彼もゲイなのではと言われているので、彼自身の経験がそこら辺には反映されているようにも思う。
つまり、今でこそアプリでの出会いがもはや誰にとっても一般的だけど、ゲイの出会いは昔から文通欄とか掲示板とか、全く素性の知れぬ見知らぬ人と出会うところからのスタートがより多くて、あの人はいったいどういう人だったのだろうか、、と思うことも多そうだもんね。

でもそこに真実を見出したい。
そこに人生を見出したい。
笑っちゃうよね、バカにしちゃうよね、わたし自身も半信半疑だよ、でもわたしにとっての真実はそこにあるの、という深津絵里演じるみつよとか、宮崎あおい演じる田舎の女の子の芯の通った強さは、大事なものに思う。

信じるって、時には頑迷で愚かで害悪だけど、やはり生きていくうえでの知恵であり、人の尊さみたいなもんでもあるな。

だからこそ、信仰ってものが重要なトピックとして人類にあり続けるんだもんな。。。
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悪人に引っ張られて二日目。

まだ引きずってる。

風呂入って飯食って寝るだけ、か。

出会い系で会ったばかりの男がお姉ちゃんのことなんか本気で好きになるわけないでしょ?!

その辺の言葉に私も傷つく。
そして何より、ブッキーのいろんな表情が脳裏から離れない。

しかしなんでこんなに悪人のブッキーが私の心を捉えるか。

それにしても、怒りのブッキーも私の心を捉えていた。

隙のないエリートゲイにしか見えない、爪の先までピカピカのブッキーと。
全く正反対、清潔感や身だしなみとは無縁、隙だらけのドノンケの田舎の男にしか見えないブッキーと。

さらに、ジョゼと〜の時も、軽いけどいいやつな若者役、すごく役柄と一心同体になってた。
たまたまハマり役なのかと思ってたけど、そうじゃなかったんだ、たぶん。
この人、すごい役者さんなんだ。

実はこの年代では一番すごい俳優じゃないだろか。
こんなにカメレオンな俳優、私知らない気がする。

まあ森山未來とかも凄かったけど、森山未來はどこにでもいる顔という武器がある。
顔にそんなに強い個性がない分、色んな役がこなせるはず。
一方で妻夫木聡はもう、妻夫木聡という強い顔をしているのに、、すごい。
しかもそんなわざとらしくないんだよ。

怒りのブッキーも、悪人のブッキーも、いかにもわざとらしいってのは感じずに、でも私は首を絞めるブッキーの形相に恐怖し、目に涙をたたえながら海を見つめるブッキーに心をしめつけられる。
なかなかここまで表情だけで伝わってきたこともないと思う。
私の場合だけど、、こういう種類の凄さを最近感じたのは、ワンスアポンアタイムインハリウッドのデカプリオくらいじゃないかと思う。

しかも聞けばどちらもものすごく役作りしてたらしいじゃないか。
しかもどちらも彼自身が熱望してゲットした役所とか。

悪人はまだわかるよ、主役だし。
でもシャイニーゲイをなんでそんなにやりたかったんだろ?
役作りのために綾野剛と二週間同居もだいぶすごいし。

一気に妻夫木聡に夢中。

しかも多分私は、器用な男よりも、元々こういう不器用な男の方が
今まで縁もあったし、信用できるし、好感を持っているからかもしれない。

怒りでは、群像劇にも関わらず、それでも妻夫木が一番釘付けになったけど、「なんだよもう・・」って泣いて去っていって、不憫には思うけど、お前自業自得だろっていう側面もあって、軽い読後感な感じで後には引っ張らなかったのだが。

悪人の妻夫木は、残りまくる。
ちょっと進撃の巨人と共通するような読後感すらある。

つまり切り分けられない善悪とか、閉塞感と自由、つまり生きることは何かとか。
純粋でいい奴で、でも悪に手を染めてしまった主人公と、その主人公を愛している女の葛藤、彼らの束の間の逃避行が、エロスとタナトスという感じで、死や終わりが見えているからこそ、その対極として究極の至福が感じられるところとかかな。

でも悪人はブッキーが体現したことによって、もっともっとリアリティがあるから。
いやしかし妻夫木聡は福岡出身、深津絵里が大分出身と、なんか九州の田舎の空気感をわかっている人たちが演じたところもすごいな。
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映画 悪人と怒り 感想追加

朝になってもまだ悪人のことを考えてるから、エンタメとしては怒りの方が面白かったし、ある種のハッピーエンドもあって怒りの方がスカッと見た後の気分も良いのだけど、悪人の方が心に残すものが大きかった、大作なのかもしれない。

怒りは3組同時進行で、主役が分散するのに対して、悪人は主役が中心にどどんといるしな。

それにやっぱりわかりやすいラストじゃないのが、気持ち悪いけど、でも後にひっかかって、考えさせられてしまうという意味では、さあ終わった終わった!と頭切り替えられずに、ずっと考えさせられるという意味ではうまいこと機能してるんだろな。

それでもわざと煙に巻いた安っぽさはなく、答えはラストのラストの妻夫木聡の表情にあると、朝になって思えた。

ほとんど笑うことがない彼が、ほんの稀に見せる幸せそうな表情、控えめな笑顔、そして前を向く表情に、2人の出会いは全然間違ってなかったと思わせられるし、悪いやつじゃないと思わせられる。

つまり側から聞いたら、出会い系サイトで出会った殺人犯との逃避行とか、そこに真なるものなんてあるかよって感じなわけだけど、本人同士にしかわからないものがあるっていうまさにを見せられた感じ。


あとは殺人犯の二面性についてもあとから考える。
悪いやつじゃないとしても、スイッチ入ってたいした理由でもなく人を殺せるってやっぱり普通じゃないかもしれない。
普通の善悪の感覚を持ってないかもしれないし、怒りを制御できないとかいう意味での異常性をもってるのかもしれない。

でもそういう部分があるからと、まるっと悪人とはいえない。あと情動の部分は周囲の人によって変わることもある。

罪を犯した人の社会復帰とか、更生という意味でも、この映画は意味があると思った。

牢屋に入るのは、むしろ実直で不器用な人が人手なしの毒気にやられて罪をおかしてしまう方が多くて、器用に人を利用しまくってるクズは手を汚さず他人に罪を被せることも朝飯前なので逆に捕まらない、というようなことも、怒りと悪人をとおすとひとつの主張として見えてくる。

まあもちろん割合については私は詳しいわけじゃないけど、、ホリエモンも言ってたもんな、やっぱり見た目じゃわからない程度に知能指数が少し通常より低くて、利用されたりそそのかされて犯罪を犯してしまわざるを得なくなり、それを回避する頭も働かなかったり、、みたいな人が割と多い割合で収監されてると。
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