まだまだ悪人の酔いからさめず
深津絵里と妻夫木聡は2010年の悪人が三作目の共演ということで、調べてみたら、その前が、2009年マジックアワーという三谷幸喜の映画で、あとはドラマ、2005年スローダンス。
すごいなーと思ったのは、彼らは七歳くらい実年齢の差があるのに、3回とも恋愛関係としてキャスティングされているわけで。
そういうのってすごいなと思うのよね。
今となっては全部すごい昔の時代なので、当時の感覚はよくわからないけど、、。
なんとなくわかるのは、もちろんバランスの良さだ。
側から見て、その2人なら恋愛が成立しそうにみえる、そんなこともなくはないハマる雰囲気。
それがあるのがすごい。
年上の女性に甘えたり憧れたりするのが似合う可愛らしい甘えた雰囲気のあるブッキーと、美人で清楚ながらもどこかキリッとした雰囲気があって年下の男性から素敵なお姉さんとして好かれそうだしそれを受け入れる優しさと冒険心がありそうな雰囲気。
まあでも前2作はコメディ要素が強そうな雰囲気で、それもちょうどいい感じじゃないですか。
だがしかし、悪人では全然違うわけで。
さて、悪人のブッキーに夢中すぎで、怒りのブッキーもまた見直してしまう。
そこで気付く。
ブッキーの役どころ、田舎の自己表現が下手なリア不十ノンケと、都会の自己表現が上手なリア充ゲイ、、みたいな対比があると思ってたけど、それでも抱えてる問題はすごく似てる、というテーマがあったんだなと。
つまり、ブッキーが人を愛し、でも己の弱さや未熟さによって未来のある形で実らなくて、どうして俺はこうなんだ、、俺なんか、、と泣いて悔やむところが同じで、最後、それでもその恋愛の最も美しかった瞬間を美しい夕陽とともに見せてくる演出も一緒で。
そしてブッキーの一世一代の恋愛の出会いが、どっちも出会い系と発展場という、、そこもメッセージがあるなと思った。
出会いなんてどうでもいいのよ、と。
人と人がすれ違って、偶然に出会って、相手が信用できるかもわからない。
それでも愛を育むことはできるし、よく知ってるつもりの家族だからといってちゃんと知ってるとは限らないし。
他人、他者、見知らぬ人。
善人か悪人かもわからない。
いいところもある悪人なのか、悪いところもある善人なのかは、常にグレー。
それでも、そういう人たちと愛を育くみ、一緒に生きていくのさ、人生。
そういう気持ちにさせられた。
まあ原作者の吉田修一の作品にはいつもゲイが登場し、彼もゲイなのではと言われているので、彼自身の経験がそこら辺には反映されているようにも思う。
つまり、今でこそアプリでの出会いがもはや誰にとっても一般的だけど、ゲイの出会いは昔から文通欄とか掲示板とか、全く素性の知れぬ見知らぬ人と出会うところからのスタートがより多くて、あの人はいったいどういう人だったのだろうか、、と思うことも多そうだもんね。
でもそこに真実を見出したい。
そこに人生を見出したい。
笑っちゃうよね、バカにしちゃうよね、わたし自身も半信半疑だよ、でもわたしにとっての真実はそこにあるの、という深津絵里演じるみつよとか、宮崎あおい演じる田舎の女の子の芯の通った強さは、大事なものに思う。
信じるって、時には頑迷で愚かで害悪だけど、やはり生きていくうえでの知恵であり、人の尊さみたいなもんでもあるな。
だからこそ、信仰ってものが重要なトピックとして人類にあり続けるんだもんな。。。
すごいなーと思ったのは、彼らは七歳くらい実年齢の差があるのに、3回とも恋愛関係としてキャスティングされているわけで。
そういうのってすごいなと思うのよね。
今となっては全部すごい昔の時代なので、当時の感覚はよくわからないけど、、。
なんとなくわかるのは、もちろんバランスの良さだ。
側から見て、その2人なら恋愛が成立しそうにみえる、そんなこともなくはないハマる雰囲気。
それがあるのがすごい。
年上の女性に甘えたり憧れたりするのが似合う可愛らしい甘えた雰囲気のあるブッキーと、美人で清楚ながらもどこかキリッとした雰囲気があって年下の男性から素敵なお姉さんとして好かれそうだしそれを受け入れる優しさと冒険心がありそうな雰囲気。
まあでも前2作はコメディ要素が強そうな雰囲気で、それもちょうどいい感じじゃないですか。
だがしかし、悪人では全然違うわけで。
さて、悪人のブッキーに夢中すぎで、怒りのブッキーもまた見直してしまう。
そこで気付く。
ブッキーの役どころ、田舎の自己表現が下手なリア不十ノンケと、都会の自己表現が上手なリア充ゲイ、、みたいな対比があると思ってたけど、それでも抱えてる問題はすごく似てる、というテーマがあったんだなと。
つまり、ブッキーが人を愛し、でも己の弱さや未熟さによって未来のある形で実らなくて、どうして俺はこうなんだ、、俺なんか、、と泣いて悔やむところが同じで、最後、それでもその恋愛の最も美しかった瞬間を美しい夕陽とともに見せてくる演出も一緒で。
そしてブッキーの一世一代の恋愛の出会いが、どっちも出会い系と発展場という、、そこもメッセージがあるなと思った。
出会いなんてどうでもいいのよ、と。
人と人がすれ違って、偶然に出会って、相手が信用できるかもわからない。
それでも愛を育むことはできるし、よく知ってるつもりの家族だからといってちゃんと知ってるとは限らないし。
他人、他者、見知らぬ人。
善人か悪人かもわからない。
いいところもある悪人なのか、悪いところもある善人なのかは、常にグレー。
それでも、そういう人たちと愛を育くみ、一緒に生きていくのさ、人生。
そういう気持ちにさせられた。
まあ原作者の吉田修一の作品にはいつもゲイが登場し、彼もゲイなのではと言われているので、彼自身の経験がそこら辺には反映されているようにも思う。
つまり、今でこそアプリでの出会いがもはや誰にとっても一般的だけど、ゲイの出会いは昔から文通欄とか掲示板とか、全く素性の知れぬ見知らぬ人と出会うところからのスタートがより多くて、あの人はいったいどういう人だったのだろうか、、と思うことも多そうだもんね。
でもそこに真実を見出したい。
そこに人生を見出したい。
笑っちゃうよね、バカにしちゃうよね、わたし自身も半信半疑だよ、でもわたしにとっての真実はそこにあるの、という深津絵里演じるみつよとか、宮崎あおい演じる田舎の女の子の芯の通った強さは、大事なものに思う。
信じるって、時には頑迷で愚かで害悪だけど、やはり生きていくうえでの知恵であり、人の尊さみたいなもんでもあるな。
だからこそ、信仰ってものが重要なトピックとして人類にあり続けるんだもんな。。。
コメント 0