マリオ・バルガス=リョサ「楽園への道」感想。 [読書メモ]
これ、読むのを楽しみにしていた作品。
ペルー人のノーベル賞作家の作品という意味でも、ゴーギャンと、その祖母にあたるフローラをメインに、ゴッホも登場する話という意味で。
ゴッホの耳切り事件をどう描写するのか、ゴッホとゴーギャンの関係性をどう描写するのか・・・そのあたりに興味があった。
小説としてとても面白そう。
借り物の人生、薔薇色の馬、などなど、なんとなくそそる言葉も多く盛り込まれてるし、「お前はそうだったよな、コケ」みたいな誰目線なのかよくわからない語り口がよくわからないけど、癖になるし読みやすい。
でもまあさ、実際その時代そういう感じだったんだろうけど、ゴーギャンが色んなタヒチの14歳と結婚しまくりで、やりたい放題の感じが、うわあっていう感じ。
子どもができたといわれても、だまってフランスに帰るつもりだった、どうせこの地域にたくさんいる父親のいない子どもにもうひとり加わるだけだし、妻も数年後には太って醜くなるんだし、その前に別れたほうがいい、ローカルはシャツでも変えるように結婚したり別れたりするので、問題ない、みたいなことを書いている。
それが当時の西洋人の本音だし、観察した結果あながち嘘でもなかったんだろうけど、、とはいえ今の感覚で読むとうわああ・・である。
自由な精神を描いた、というような触れ込みだけど、、植民地支配ゆえの白人優位があって、だからこそ可能だった傍若無人だとすると、うへええってところもある。
ゴーギャンがタヒチにいったのは1891年。1848年生まれの彼、ということは、43歳。
立派なおっさんなのに、やけにすんなりと14歳の嫁を何度ももらえるところを見ると、やっぱり白人の優位性があったんだじゃないのかと思う。
だとするとそのあたりの放蕩って、本当にただエグイだけで、魂の自由??って感じだし、ただ最近だれか美術家のtweetで「芸術って、洗練どころか、本能のままケダモノになること」だって、あとでわかった、みたいなことをつぶやいていたとき、真っ先にこの本のことを思い出したよね。
まあもうちょっと時間かけて読んでみてもいいかなって思う一方で、「タヒチの若い娘のパーンと張った乳房と太腿がいいんだ」みたいな話に付き合わされまくるのが若干、もういっかなーって感じでもある。
いやわかりますよ、ゴーギャンの絵を見てれば、生命力とか野生とか神性とか、賛美しているのもわかって、けっしてぐへへへ目線だけではないのは解りますけどさあ。
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