おじさんに祈る。 [生活雑感]
助けてくれ、おじさん。
あれはジャカルタの安宿街。
今までで泊まった宿の中でも一、二を争うほどにおどろおどろしい宿だった。
たしか窓もない、2帖ほどの牢獄のような部屋で、何しろ雰囲気がなんだか薄気味悪かった。
風呂トイレ共同で、といってもシャワーはシャワーヘッドすらなく、もちろんお湯なんか出ず、蛇口とバケツと柄杓があるだけのタイプとかそんな感じの宿で、ローカルビジネスマンのおっさんとかが他の部屋にはとまっている風だった。
それに、きっとなんか疲れていたか、ストレスを貯めていたか、何かだったんだろう。
安宿でも、必要十分で小ざっぱりとして、心地よい部屋もあるけど、ここはなんか、なんとか一晩やり過ごして早々に逃げ出したいタイプの、この世の終わりのようなどんよりとした寝苦しい部屋だった。
夢に大好きだった叔父が出てきた。
こんなことはとても珍しい、だって叔父とは10年以上も会ってなくて、ふだん意識にのぼることもなかった。
もちろん夢にだっておそらく初登場だったと思う。
ただ夢を見てから、そういえば叔父の1周忌か、と気づいたのだった。
しかもとても愛しい、懐かしい思いのする夢だった。
夢の中で叔父はいつも以上に大変ご機嫌で楽しそうだった。
親戚や家族と談笑して、楽しく酔っ払い、冗談を言い、そして満足気に帰っていった。
とにかくその日は部屋が薄気味悪くて心細かったから、私が無意識に叔父さんを呼んだのかもしれないし、なんか磁場があって、時空的におじさんがアクセス可能な場所だったのかもしれないし、もしくは叔父さんが何か悪いものから私を守りに来てくれたのかもしれない。
でもたぶん、今までの人生で一番神秘的な感じがする体験だった。
もしかしたら、肉親とか、身近な愛している人のなかで、初めての死んだ人だったからかもしれない。
まあそんなわけで、霊感もなく、超常現象的なものも、宗教的なものも、何も信じていない私だけど、夢のことはけっこう信じている。
ふだん見ないような、奇天烈な夢を見た時、特別に愛しいような夢を見た時、それは私の心に何かが起こっている時なわけだし、それを意識化の私が気づいてなくても、潜在意識のなかにいるもう一人の私的誰かが、教えてくれるものなのだと思う。
だから、先日の奇天烈なウンコの夢も、私は変化の兆しだと捉えている。
もう我慢も限界、という溜まりにたまったフラストレーションが、ついに私を、ぐわっと次の行動に移させる時が来ているのだろう。
でもって、だけどまだ道はちゃんと見つからず、おじさんに意識的に頼んでみることにする。
叔父さん、助けて。
神頼みじゃなくて、おじさん頼み。
私どうやって生きていったらいいんだろう。
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