クラークス [映画メモ]
ケヴィン・スミス監督作品。
チェイシング・エイミーと共通するエッセンス満載。
でもチェイシング・エイミーのほうがやはり完成度が高い。
こちらはテーマが絞り込まれてないぶん、雑多なエッセンスがいっぱいで、インディーズ・ムービー感満載。
そして説得力も薄い。
物語の間中、ちょっとずれたことや中身のないことばっかりみんなが喋っているので、
サイレント・ボブのたった一言の発言にホロッとくる。
「世の中の女は浮気ばかり。ラザニアを作ってくれる女は少ないぜ。」
この展開はチェイシング・エイミーとまさに一緒。
それで主人公はハッとするわけだ。
でもそれで急に「俺は今の彼女を愛している」ってのはあんまりの展開。
それまで元彼女のことばっかり話していて、できれば彼女と復縁したいと語っていて、復縁が叶ったところで、
元彼女が今の彼氏と別れるとすら言っているのに、元彼女が数年セラピーが必要な状態になっちゃったことで、
なんとなく元彼女がどうでもよくなったから・・・としか読み取れず、逆に酷い。
確かにボブの言うことは最もな正論ではあるんだけど、他人のたった一言に流されるより、
自分の間違ってるかもしれないけど諦めきれない情熱があるなら、そっちに従うほうがずっと純粋だわ。
大体他人の助言って、薄々自分の思いがそっちに傾いている時に、それでも常識やら障壁やら何やらに縛られている時にこそ
グッとくるものであって、自分の思いが反対側にルンルンになってる時に響くもんじゃないし。
それとも元彼女への思いはただの執着心で、取り戻してみてその執着心が溶解したら、別にそうでもなかったってか。
まあとにかく優柔不断のモテ自慢男といった具合のマスターベーション映画だったわ。
自己表現欲求が過剰で、自分語りに走りがちなインディーズにありがちかも。
または恋愛経験がさしてないのに、無理やり恋愛要素を突っ込んだために、独りよがりなありえない設定になっちゃったか。
モテる設定の割に、なんで彼がそんなにモテるのかが画面や物語から全然伝わってこないんだよね。
学校でも有名な美女と付き合うには、それなりの風采のある男なはずなのだが、いくら振られて腐ったとはいえ、全くそれが忍ばれない。
外見だけじゃなく、中身も自分のことばっかり考えてて、自発的な思いやりとか優しさとかも、あんまり見られない。
で主人公に魅力がないから、彼が自分のダメさを悟ってちょっと成長したとしても、共感度はイマイチ。
ていうか明日、今彼女と元彼女に連絡するとは言ってるけど、それだけだから、本当に成長したかもまだわからんしね。
いいのはやっぱりケンカのシーンかな。お前は人のせいにしてばっかりじゃないか!!っていう。
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