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外見と自信と受容。Mattとローランドとミシェルオバマ(1) [メディアまわり]

ミシェルオバマのドキュメンタリー「マイストーリー」をNetFlixで見た。

私はもともと彼女のファンである。

が、ぼんやりファンであって、すべてをフォローしているわけではないので、今回久しぶりに彼女の動く姿を見たのだが、改めて、なんてはっきりくっきり発音してくれるのだろうと思った。

速すぎないスピード、大きく明瞭な声、発音。私のような外国人が聞き取りやすい英語というのは、おそらくネイティブにとってもスピーチなどで伝わりやすいお手本的な英語なんではないかと思う。


そして、やっぱり素晴らしいのは、頭の回転。

何を質問されても、ウィットにとんだ、感心させる回答をする。

ちょっと笑わせ、そして、感心させたり、感動させたりした上で、きちんと質問の答えになっている。

あふれる自信。でもそんなに嫌みになっていないのは、やっぱりこの回答手腕からして鮮やかで、彼女が有能であり、魅力的に振舞えることは一目瞭然だし、実績にも自信があるからだろう。


そして美しいなあと思うんだけど、彼女は美人とか美人じゃないとか、そういう土俵に乗せられてないと思う。

いや、外見を揶揄されることもあったか。そういえば。

でも、彼女は自己表現をたくさんし、自分はどんな人間であるか開示していったから、そちらに人々が興味関心を抱き、世界中からも中身を見てもらえる人になっていったんじゃないかと思う。


さて、ふとMattとローランドの整形について対比的に思い出した。

まずMattを初めてテレビで見た時、私は気持ち悪いと思った。世間もそういう反応だったと思う。

今は気持ち悪さは私の中でもだいぶ薄らぎ、世間からもだいぶ受け入れられている。

でもこれって、都合の悪い真実だなと思う。

なぜそう変わったかは、私の中では結構はっきりした感覚があって、それはマットが整形完了して、人々が美しいと感じざるを得ない容姿になったからである。

美しいものは美しい。そりゃ認めざるを負えない。そして、なるほど、じゃあこういう在り方もありだね、という流れな気がする。彼は結局、美しさによって世間を認めさせた気がするんだよね。

キャラクターが面白いとか、話術が面白いとか、自分の姿勢を貫く姿がオリジナルで強いとか、、そういうのはもいろんあるけど、そこで認めさせたわけじゃないと思う。

テレビで始めの頃のような、化粧が異常に濃い、中途半端な整形顔は、人々に生理的な嫌悪を感じさせた。

あの顔で芸能界でやっていくならば、やはり芸人として面白さで売っていく方法か、素晴らしい本業の実績で認められる方法か、どちらかがないと、厳しかったと思う。

ただ今の美しさならば、今の話術くらいでも、タレント性がある。

哀しいけど、整形してでも外見がものをいうことがあるんだよな。

そして、それは生理的に受け入れられるかどうか、という時。

そしてその感覚が最も発動するシーンは、やはり「美人」として自分を売ろうとしている人に対してだろう。


ミシェルオバマは美人のように、好きなファッションを楽しみ、堂々と振舞う。
決して、自分の外見を卑下するような言動には出ないだろう。
別に不美人なわけではないし、美人なほうだと思うし。
だが、美人として自分を売っているわけではない。彼女は自分がやるべき仕事をバリバリこなしているだけであり、それは美人かどうかとか関係ない。
でもMattは、綺麗な自分を魅せること、に命をかけている感じがある。
命がけで化粧して、加工して、インスタにその写真をあげること、それが彼の一番の仕事である。
というような売り出し方だったのだから、それが綺麗でないか、本当に綺麗か、は仕事の価値そのものだもんな。



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