ライフログと断捨離はセットだな。 [気になるもの]
いま流行りのもんだけど、どっちも「ケッ」と思っていた口の私だが、 先週から取り入れることにした。
私は自由に生きていたいと思ってたから、自分の時間を管理することに抵抗を感じてた。
管理するのなんて、仕事時間だけでじゅうぶんだ。
余暇くらい、思いっきり好きなよう〜に、やらせてくれよって思ってた。
捨てることよりもっと重要なことがあるだろうよって思ってた。
だけど、気付いたのだ。
私はもっと、自分を大切にしていいのだ。
もっと自分の人生をステキなもので満たしていいのだ。
そのためには、自分の人生に割り込んでいる不要な時間や物を処分することが重要なのだ。
でももはや要らないものでも捨てるのは辛かった。
もはや要らなくても、昔はそれに価値を見いだして、手に入れたからだ。
そこで記録をとることが有効だと気付いた。
こんなものを私は持っていたよ、こんなところが好きだったけど、こんな理由で今日、手放したよ。
そのことで、「あれ、いつのまにかなくした」と後で思うのではないかという心残りがなくなった。
今日の私の決断は、たぶんこの後もずっと正しい。でも、それを愛した記憶さえなくなってしまうのはとても寂しい。
そう思ったら、捨てるものだけじゃなく、身の回りの服やらハンカチやらを全部写真に取り始めたよ。
全部、好きだった。
基本、私はそれらをすべて気に入ったから、手に入れていた。
私は、こんなにも自分の気に入ったアイテムに囲まれて生活していたのか、と再認識した。
忙しい生活の中で、いちいち洗濯物を干しながら「ムフフ」なんて思ってられない。
雑に扱ってきたそれらは、そうやって雑に扱われているうちに、いつかボロくなって捨てられる。
別に写真に取られたり誰かに褒められたりすることもないただの日用品だが、私の日常を確実に支えてきたそれら。
そのアイテムを通じて、自分が見える。
素敵なお宝を持っていたことも思い出したし、もう持っていても出番は与えられないものもはっきりした。
記録をとることで、自分が何をすべきか、見えた。
そして自分の決断をいちいち記録することは、自分を慈しみながら大事に生きる事につながると思った。
そしてまた、自由にもつながる。
頭で覚えてようとしなくていいから、逆に思い切って行動できる。
確実に進んでいるという達成感にもつながる。
捨てるものを記録する。それは私の分身である私の過去にとって大事だったから。
手に入れたものを記録する。それは私の新たな生活に重要な位置を占めて行くものだから。
食べたものや寝た時間や運動内容を記録する。それはメンテナンスの必要がない体を築くため。
そして何より。
発見や失敗や成功や心の揺れを記録する。重要だと思ったことほど。
もちろん多少はSNSやらブログでも出来るけど・・もっと精密にやりたいのだ。
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