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コンプレックス解消の歴史ー「英語」編 [生活雑感]

私は子供の頃の成功体験の記憶があんまりない。

最初から何でもわりとよく出来たのか。

もしくは出来なかったことが出来るようになったことも多分あったとは思うのだけど、親に「私が教えてあげたからできるようになったのよ」といつも言われていたので、あんまり自分の手柄だと思わなかったし、「うるさいなー」と全然嬉しくなかったからか。

まあそういう記憶の最たるものは「英語」だ。

 

中学校に上がる前に、親が中学で苦労しないようにと先駆けて英語を教えてくれたのだが、覚えが遅いだとか何タラ言われたし、中学校に上がったら私は思った以上に成績がよくて常に学年で一番だったのだが、親に「私が先駆けて勉強を教えてあげた成果で、お前の手柄ではない。勘違いすんな。俺に感謝しろ」と言われたので、すっかり英語が大嫌いになってしまった。

で、英語嫌いは35になるまで続いた。

中学時代は、まだ自我に目覚めてなかったので、親のことは大嫌いだなと思いながらも、自分のために勉強して損もなさそうだったので普通に生活して、普通に英語の成績も良かった。

でも中3の時に、将来の夢を聞かれて、まったく思いつかない自分に自分で変だと気づいた。

何がやらされていることで、何がやりたいことなのか、区別ができない自分がいた。

そこで高1の時に決めた。

これからは、もっと自分の意志を大切に生きて行こう、と。

そして私は一切の勉強を放棄した。 

そうして高3で進路決定を迫られたとき。私はさらに、何もかも手につかなくなった。

実はやりたいことはあったのだけど、どうしてもそこに進む事を躊躇し、その結果どうしていいかわからなくなって貝になってしまったのだ。

そして、とりあえず動けなくなるんだったら、結論を将来に持ち越すとして、とりあえず大学生になってから考えることにした。

アルバイトも禁止された、片田舎の閉塞感あふれるところで考えるより、都会に出て、自由な開かれた生活のなかで考えたほうが、考えも進むだろうと。

でもとりあえず大学生になるとしても、とりあえずこれというものがないと、どうにも勉強する気にならない。

得意な数学と国語で受験させてくれるところはほとんどなく、大嫌いな英語はどの学科でもどの大学でもほぼ必須だから、得意科目で進路を選ぶこともできないし。

でもどうせ受験のために英語を勉強しなくちゃいけないんだったら、大学で語学を勉強することだってできるよ、ってそう発想を転換出来たことが、動き出せるようになったきっかけだった。

それまで、英語が大嫌いだから、外国に興味はあるけど、語学系は無理と決めつけていたのだった。

そうだ。そのきっかけを、いったい誰がくれたのだろう。感謝しなくちゃいけないな。 

そしてその希望が、何もかも手につかない私を救った。その希望によって、私は日常生活をすすめることができるようになった。

外国語というのは、その時一番やりたかったことでも興味があったことでもないのだが、

2番手か3番手くらいには興味があった。

夢破れても絶望しないですむが、モチベーションにはなる。そういう存在だった。

その蓋があくのなら、 英語を頑張ってみてもいいかと思えた。

あとは予備校で、好きな英語の先生に出会えたのも大きいだろう。

英語はその先生の授業しか取らなかった。

高校3年間、英語をいっさい勉強しなくて、ずっと通信簿で赤点をとってた私にはそんな多くの授業をこなす余裕なんかなくて、

彼の授業を完璧にこなすだけでも十分な学力アップにつながった。

あとは信じた単語帳を丸一冊、おそらく数ヶ月で短期記憶に頼って丸暗記した。

毎日、英語しかほとんど勉強しなかった。 

でもそれも、パワフルに勉強したわけではなく、嫌で嫌でたまらなくて、ほとんど泣き叫びながら、イヤな気持ちと闘いながら、日々の数時間を乗り切った。 

そして私は、センター試験で自己採点200点満点をとった。

まあそんなわけで、これは考えてみたら私の成功体験と言えなくもないと思う。 

やればできるというね。

 

でもね、そんなことで自信なんてつかなかった。

私はその後も相変わらず英語が大嫌いで、受験のためだけに勉強した英語はすぐに忘れた。

大学でも英語だけじゃなく、語学の授業が大大大きらいで、なんで語学を専攻したのかと自分に呆れた。

やればできるのかもしれないとわかったところで、「やる」ことが苦痛である以上、苦手意識は消えなかった。

 

コンプレックスが解消したのは、34歳になってからだろう。

大学受験が無事に済んだ私は、去年まで、英語なんか今更私の人生には要らないし、どうでもよいと思っていた。

Google翻訳がありゃ怖くないってね。

でも海外旅行をしている時に、電車やバスの本数が少なすぎて行きにくい観光地にも、ツアーに参加すれば余裕で行けるという事実に気づいて、ツアーに参加した。 

そのツアーは英語しかなかったが、私はとにかく連れてってもらえさえすれば良かったので、それに参加した。

 

そしたらそれが、思いのほか楽しかったのだ。

面白いユーモアを連発する、親切なツアコンのおっさん。

生真面目で慎ましやかな人柄のツアー参加者。

彼らとコミュニケーションがとれた!!丸一日、とれた!!こんな私でも!!!

そして、彼らの言ってることがちゃんともっと解ったら、今日一日が、もっともっとどんなにか充実しただろうか・・・。

もっと世界のことを知れたし、もっと彼らと仲良くなれただろう。

その気持ちが、英語にもう一度向き合うことにつながった。

 

これから解る教訓は何か?

それは、私は目先のアメでも目先のムチでも動かないタイプだということだ。

私だけじゃないだろう、きっとこういう人間はいっぱいいる。

意義に納得し、共感できないと、動かない。

目先の利益か、やらなかったときの損のために、深く考えずにやればいいじゃん、ということができない。

つまりこれをやらないと門が開かないとわかっていても、門が開いた先のことまでイメージしないとできない。

無理矢理やることも出来るけど、その場限りになる。

あのとき、私はあの閉塞した状況から脱出するには大学生になるしかないとそれを選択したけど、本当は違うものになりたかった。

だから、頭ではわかっていても、心と体は拒否反応を示していて、本当に辛かったのだ。

さらに語学系に専攻を決める前なんて、もっと酷かった。私は数学と芸術が得意だし、手に職をつけたいからと建築系を目指していたけど、実は家のデザインにも、設計にも、これっぽっちも興味がなかったのである。別に全然やりたくなかったのである。だからさすがに、なんか違うと気付いたが。

色んな人がいる。会計士になりたいという年上のいとこに、「それのどういうところが面白いのかさっぱりわからん」と言っていた私。今でも会計は嫌いだけれど、職業的な面白さより、安定性やステイタスで職業を選んで、それに疑問なく邁進できるタイプの人がいることはわかった。

でも私にはできない。

良くも悪くもないと思う。ただ私はそういうタイプに生まれつかなかったのだ。それは結局あれから倍くらい生きたけど変わらない。

今も納得いかないことを無理矢理すると、ものすごく心がダメージを食らって病みそうになる。

だから、心の底から思ったことにつながる事をやれよ、俺。

そして、強引に解消したコンプレックスは、結局のところ、根本的なコンプレックスの解消には至らなかったと言えると思う。

それは嫌いなタマネギを無理矢理食えるようになっても嫌いは嫌いというのと、ある日、他人の家で美味しいタマネギ料理を食べてタマネギの魅力を知って好きになるというのの違いかな・・・。

「あれ、自分にもできるじゃん」「あれ、楽しいじゃん」という段階を踏んで自然に苦痛なく出来るようになることは克服だけど。

辛い苦しいという我慢の感情のもとに続けることは、結局身に付かないんだなー。いまさら、発見!!

そして、きっかけはいつだって、発想の転換からの「できる」という希望・・・。

そして、自分の思い、自分のプラン、自分の努力によって勝ち取ることの大切さ・・・。


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