映画「MONSOON」感想。 [映画メモ]
すごいよな、ほぼ満席。
それでもぎりぎり残り3シートとかで何とか席をゲットできたので良かった。
テアトルシネマの株主なので、映画無料券を貰えるのだが、これがなかなか消費が難しいシロモノ。
3か月で2映画無料で見られるのだが、テアトルシネマ系列のみ。
ある程度、新作をやってくれるのが、ヒューマントラストシネマ有楽町か渋谷なのだが、意外とすごく見たい映画はやってくれなくて、たまに見てもいいかなというやつがやるのだが、いつの間にか終わってしまったりして、なかなかチャンスを逃しがち。
まあ在宅勤務だからというのもある。
仕事帰りにフラッと寄れたらいいのだが、仕事を終えてから、暗くなった我が家を出て映画を観に行くというのが若干めんどくさいんだよな。
まあそんなわけだけど、今時映画って普通に見ると1900円もするので、無料で見られるのは嬉しい。
さて表題の映画。
わりと評判良さそうだったし、ベトナムに棲んでたこともある私としてはそのなつかしさもあるし、アイデンティティの定まらない中年というのは、海外をふらふらして日本に帰国したはいいが、アイデンティティが定まらない私としてはシンパシーを抱くところもあったので見たのだが。
なんかイケメンをずっと見せられてるだけ、という感じだった。
いや、エンディングに向けて、恋人とバーで飲んで屋上にあがって景色を見るシーンで、だんだん大きくなっていく音楽は素敵で、やっぱり映画館で映画を見るっていいな、と思った。
それに、ベトナムの今、みたいなものをよく表していると思う。
たぶんベトナムで一番オシャレな場所ともいえるような、2区のあのレストランは私もいったことがある。
かたやバイクの大群、ホーチミンの安宿街やバーの雰囲気、西洋人でいっぱいのバスツアー、列車の雰囲気、外国人向けコンドミニアムの雰囲気、ハノイの雰囲気、、、ぜんぶすごくよく描けてる。
それに、一見ベトナム戦争の影なんて見当たらないけど、中高年はまだその記憶を引きずりながら生きているものの、世界に羽ばたいていこうとしてる若い世代からしたら、戦争も古き良きベトナムの文化も、前の世代のもの。
そんな中で、ベトナム難民1世、というよりとても幼かったのでベトナムの記憶はほとんどない、ほぼ2世として、アイデンティティを見つけようとする浮遊感。
世界中にいるベトナム難民2世がアイデンティティを見つけようともがいている、というストーリーは知っていたので、別に新しくはなく、だよね、という感じ。
で、ベトナム戦争に従軍した兵士の子どもであるアメリカ人と恋人になっていく、けっして過去を隠したり無視した上ではなく、お互いの父親のストーリーと、家族と自分のストーリーを語った上で。
しかも出会いはオンラインで、ゲイカップル。現代的で、新しい世代の物語で、世界は進んで行っている。
かといって彼らは中年であり、ちゃんと親の苦労や、人生の悲哀もわかる年ごろで、そこには深い対話と内面的交流と理解があり、出会いはインスタントでも、人間的な結びつきを構築していく。
そういう見せ方はとてもいいと思った。
だけど、やっぱり若干軽いんだよなー。
オシャレで軽いロードムービーって感覚で、ちょっと物足りなかった。
アイデンティティ、結局見つかったの?
まあ生まれ故郷を訪ねたって、そう簡単にアイデンティティが見つかるものではない、というのはとてもリアルだ。
だけど、もうちょっと葛藤とか、ドラマとか、結果として見えた境地みたいなものを見せてほしかったな。
あとあんなイケメン、ベトナムで見たことないんだけどな・・と思ったら、やっぱり主演のヘンリー・ゴールディングはマレーシア人とイギリス人のハーフで、7歳からイギリスで育ったんだそう。
7歳からイギリスで育ったという設定はこの役にぴったりだけど、やっぱりハーフは違うと思う。
というのも、ベトナム難民が異国で育って、祖国を思わざるを得ないのは、自分の容姿がベトナム人そのものだからという話を聞いたことがある。
もちろん西洋においては、ハーフでもアジア人に見えるんだろうけど、ここは設定に忠実に完璧なベトナム人を使ってほしかったな。
ベトナムを訪ねて、自分が外国人ツーリストのように感じるのも、とてもわかるけど、その時に、でも「自分の容姿が完全にベトナム人と全く同じで、容姿的には全く溶け込んでしまうのに、実はベトナム語は喋れないし、習慣もよくわからない」「町のひとからはベトナム人にしか思われず、ベトナム語で話しかけられて、わからなくてびっくりされる」的な要素があるかどうかでリアルさは結構違うと思う。
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