地獄からの生還。 [生活雑感]
コロナ禍での生活のそろそろ2年になり、この間に結婚・出産したりして人生が前にどんどん進んでいる友人もいるものの、私の場合は目標を見失って停滞している。
去年はまだよかった。
3か月、半年、1年・・・まあどんどん伸びるにしても、それくらいで元の生活にもどると思ってたので、その間にできることをしよう、という風に思うこともできたし、希望がもてた。
もちろん希望のところに転職もしたりして、給料も上がったし、なんとか働けてるし、全然進んでないわけじゃない。
その一方で、絶望している。
ワーケーションの最中や、ワーケーションから帰ってきた瞬間は幸せを感じてたのに、その翌日から「なんだこれ。これが俺の人生か」という虚無感にとらわれ、あらゆる気力が失せてしまった。
ワーケーション中は、仕事も遊びも一生懸命!という感じで、観光しながらも意欲的に仕事してたのに、帰ってきたら何もかも嫌になった。
それでもなんとか仕事だけはしてたけど、仕事以外の時間はベッドから起き上がる気力すらないような状態。
特に衣替えの途中でワーケーションに行ったんだけど、そのしっちゃかめっちゃかな部屋を片付けないことには地獄感が半端なかったんだけど、それを片付けるまでが長かった。
きっかけは忘れたけど、まあなんとか片づけて、地獄から生還したと思った。
だけど自分でもわかってた、これはなんというか、そんなに簡単なもんじゃないということが。
まだまだあやういところにいることが。
そして今も私はまだまだ危ういところにいる。
なんとかしてふっと、地獄の外に出られる瞬間もある。
何でもいい、外出すれば景色が変わり、ああそういえばこんなことをやりたかったな、やろうとしてたな、みたいなことが思い出されてきて、こっち側に戻ってこれる。
そうすればしばらくは大丈夫。
でもふとした瞬間に、また地獄の沼にはまってしまうと、生きる意欲が、希望がわいてこなくなって、つらつらと眠るだけの人になってしまう。
ほんの少し前までは、まだ私の人生どうとでもなると信じられてたし、やりたいことも沢山あったし、そのためにやるべきことも明確だったし、どうとでもしてみせると思っていたのに、なんだか気持ちが弱く虫の息みたいになってきてしまったのは、なんでなんだろう。
もちろん、ホリエモンの「それでも君はどこへでも行ける」みたいなことが私のアイデンティティとしてここ7年くらい生きてきている中であったのだと思うと、コロナが私のアイデンティティをゆるがせているのはあるだろう。
仕事が私をまだ現実のこの世につなぎとめてくれているから、有難いと思う。
仕事があるから、我にかえることができる。
でも、仕事や職場があっていないことが自分を絶望させることの片棒を担いでることにもなっているのかもしれないとも思う。
なんというか、新天地に希望を抱いていたのに、新天地の実態がわかるにつれて、この世に天国なんてどこにもないんだという絶望が押し寄せてきてるのかもしれない。
以前だったらまだ、ここじゃないなら、あそこだっていう気力があったのが、もうだめだ、どこにもないって気持ちになっているのかも。
いずれにしろそんな風に、ただ死なないために生きてるような日々が続いて、人生ってそんなもんじゃないだろ、何してんだ俺、生きろ!という気持ちは頭をかすめながらもまた意識が遠くなる。
そんなとき、神田沙也加さんの訃報。
ショックで目が覚めた。
俺はまだ彼女に比べたら大丈夫だから、こうしてまだ生きているのだ。だから生きなきゃと。
こうしてすべてに対しての気力を失っているのは、「どうせ俺なんてだめだ」とか「人生もうだめだ」という気持ちになってきてしまっているからだろうけど、それって主観でしかないことを思い出させてくれた。
成功して人気で、ほとんど全てを手に入れているように傍から見える人でも、その人が内面にどんな地獄を抱えて、今日をやっとのことで生き延びているかなんて他人はあずかり知らない。
もちろん、幸福そうに見えて、本当に幸福な心持ちで生きている人もたくさんいるだろうけど、そうではない人だってゴマンといることを忘れちゃいけない。
仲間はいっぱいいて、自分だけじゃないこと、それに自分だって、今は地獄から抜け出せない気持ちでいるとしても、3日前には「なんて幸福なんだろうか」という気持ちがあったこと、少なくとも1か月前には、色んな前途洋々たる計画を立てられるくらいには気力があったこと、このままエンジンが動かなくなることはなくて、またエンジンがかかることを信じること。
みたいなことを思い起こさせてくれた。
ちょうどIKKOさんの東洋経済オンラインの記事がTwitterで表示されてきた。
【IKKOさんが「人生を明るく生きる」ためにやめた事】 「悩む時間」や「孤独な時間」とどう付き合う?#東洋経済オンラインhttps://t.co/DCcAWy2HFd
— 東洋経済オンライン (@Toyokeizai) December 17, 2021
1日1ミリでも前に進むめば大丈夫。
そうね、、私もそう思うけど、何が一ミリにカウントできるかわからないけど、私は今日、ずっと逃避してきたことを1つやったから、まあ1ミリ進んだだろう。
あと1つ、ずっと逃げてることがあるので、それも今夜中に済ませて寝よう。
だけど、今日思ったことがあって、毎日何かひとつは新しい冒険をすることにしたいと思う。
入ったことのない喫茶店に入ってみるとか、買ったことがない食材を買ってみるとか、作ったことがない料理を作ってみるとか、ふだん連絡しない人に連絡してみるとか、読んだことがない作家の本を読んでみるとか、久しぶりに絵を描くとか、そういうことでいいから。
まあでもそれよりも何よりも、人生がどんなに前に一歩も進んでなくても、とにかく外に出て外気を吸って歩く。
歩いていれば、空の青さや、月の光や、何かしら生きてる感じがするから。
人生を前に進める何の役にも立たない時間に思えても、そんなこともないから。
どうせ部屋の中で愚にもつかない考え事をすることに時間を使ってしまうんだったら、外に出て筋肉を刺激して、血の巡りをよくして、ほんの少しでも脂肪を減らしたほうがいい、たぶん。
うつ病をわずらった同僚が、とにかく日の光を浴びるようにしたってことも言ってたけど、そうだ。
とにかく日の光を浴びて歩く、ちょっとそういうことが重要な時かもしれない。
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