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三鷹女子高生殺人事件の裁判 [ニュース雑感]

特異な恋愛観の果ての凶行(きょうも傍聴席にいます):朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASJ416D8MJ41UTIL05J.html

リベンジポルノが一躍有名となった三鷹女子高生殺人事件の池永トーマス被告。

この事件は、前にも私は気になったが、今回もふと気になった。

被告が謝罪したいと思ったのは、女子生徒が事件直前に親友に渡していた手紙の内容を知ったからだという。女子生徒は被告について憤りながらも、「つきあっているときは楽しくいい人でもあった。すてきな思い出ばかり残っている」とも告げていた。被告は「(それを知って)自分を正当化する気持ちが溶けていった」とつづった。

 遺族は手紙を受け取らなかった。被害者の母親は法廷でこう語った。「信用できません。何ページか反省文を書けば減刑されるような軽い刑ではありません。本当に反省し、謝罪するならば、文句なく判決を受け入れるべきです」 

親が謝罪を受け入れない気持ちもわかるけど、被告が謝罪の気持ちを持ったきっかけに興味を持った。

もしかしたら本当なのではないかと思う。

というのも、硬くなった人間の心に届くのは、結局、怒りや恨みではなく、愛なのではないかと。

被告は愛が不足しながら育ったのだろう。

そしてネット上で経歴を偽るほどに劣等感にまみれていた。

二次元の世界に生きていると言われていたオタクだった被告は、女性に愛される自信もなかったのではないか。 

そんな彼が獲得できた身分不相応に素敵な彼女。自分の人生で獲得できた最高のもの。自分のすべて。

でも、それは正体を偽ったからこそ手に入れたもので、本当の自分を知ったら軽蔑されて捨てられてしまうだろう。。

好きだとか愛だとかよりも、彼女と付き合えたということが、もはや自分のアイデンティティを証明するものだったのだろう。

彼女から愛されることなんて期待してもいなかったのかもしれない。

だからこそ、彼女から愛されることよりも、彼女を奪われないことを選んだ。

愛し愛されることを喜んで今を生きるほうが、近い将来失うことを憂えて凶行に走るよりもずっと幸せでまともであるのに、それをそう捉えるだけのまともさを持てなかったのは、被告の自信のなさ、そして愛を知らずに育ったゆえなのだろうか。

だから初めて、彼女が「つきあってる時は、楽しくていい人で、素敵な思い出ばかり残っている」と思っていたことを知って、そこにはまっとうな幸せが確かに存在していたのに、それを身勝手な思いに駆られて自分で奪ったことの意味を初めて少しはわかったのではないだろうかと。

もしくは、劣等感にまみれておかしくなっていた被告にとって、自分の存在を肯定してくれる言葉は、少し正気に返らせる効果があったのではないかと。

お前なんかダメだ、生きてたってなんの意味もない、はやく死ねばいいのに、ろくでなし・・

そういう言葉を投げつけられたところで、いや投げつけられなくても本人がそれくらい自分のことを劣等感を持って感じている時には、きっとそこから出てくる行動は、秋葉原の通り魔事件やサカキバラ事件のような方向性、つまり「自分の存在を世間に見せつけてやる」という行動で、、とはいえ、オリンピックで金メダルをとったり、有名大学に合格したりといった肯定的な方向性で一気にその欲望を現実化することは極めて難しいから、結局、「あっといわせる犯罪」という方向性になってしまうのだろう。。

被告のとったリベンジポルノという行動も、世間にただの一ファンによるストーカー殺人と思われるのではなくて、自分はこんな可愛い子と本当にちゃんとつきあっていたんだ、ということを見せつけたかったと言っている。

というわけで、被害者は完全に、被告の自尊心問題の犠牲になったわけで、本当に可哀想だ。

変な男に関わってしまって、不運だった。

でも、この手紙は、それでも少し救われる。

すてきな思い出ばかり残っている。。。

それを、写真を楯に脅迫してくる卑劣でやばい元彼氏に対しても言える人はどれだけいるだろうか。

いい人だと思ってたのに、または、好きだったのに、、くらいは言えても。。。

というわけで、身分を偽ったSNSでの出会い、遠距離恋愛、と、本当にちゃんとつきあってたの?と思う節はあったけど、彼女にとってそれはすてきな恋愛だったのだろう、間違いなく。

 


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