ホームレス中学生が意外とすごかった。 [読書メモ]
- 作者: 田村 裕
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2010/11
- メディア: 文庫
今更ながら読みました。
これが予想以上に得るものがあった。
私は又吉の花火よりも文学性を感じたわ。
もちろん文体などには何の飾り気もないし、自伝でしかないのだが。
それはそれで好印象だった。
で、どこに文学性を感じたかというと、、、文学性というか、文学性に匹敵する凄みのようなものなのだろうけど、、以下の2点だろうか。
田村裕が中学生にしてホームレスになった経緯は、両親を襲った度重なる不幸による。
それまでごく普通の家庭だったものの、小五の時に母親が癌で亡くなり、その直後に今度は父方の祖母もなくなる。
妻と母親を次々になくしたストレスや、妻の看病のストレスか、今度は父親までの癌に侵される。
父親は初期だったので癌で命を落とすことはなかったが、闘病中にリストラされる。
病み上がりの弱った身体で慣れない新しい職に就きながら、子ども3人を育てるも、次第に借金が増えていく・・。
子どもの育児を放棄して蒸発した父親は、確かにダメな父親だろう。
だが、妻と母親という支えを一気に失って、その上、癌に侵され、3人の子どもを抱えて失業・・・。
頑張っていたけれども、精神的にも金銭的にも持ちこたえきれなくなって、どこにも助けを求めることすらできなかった彼を責められるだろうか。。
こういうことは起きるのだと思う。
明日は我が身だろう。
この1点は衝撃だったし、もう1点は、田村裕が小五で母親を亡くした後、15歳になっても「お母さんが帰ってきた時に喜ばせたくて」日々を頑張って生きていたという事実だ。
これには衝撃を受けた。
それでも他の知人の死に立ち会い、15歳の田村少年は「母親とは二度と会えない」という事実にやっと気づいてしまう。
そしてそれからというもの、生きる気力を失って、はやくお母さんの元に生きたいとすら考えるようになるという・・・。
こういう子供達が世の中にはいっぱいいるんだろうなと思ったら、とても胸につまされるものがあった。
その後、彼は、周りの助けもあって、お母さんが誇りに思うような立派な大人になる、ということを目標にして生きていくという方向へ気持ちを転換することができた。
しかし、母への思慕は今でも彼の核にあるのだろう。
タイ式の子育ても正しいのかもしれないなとふと思った。
つまり、子どもを甘やかし放題なのである。
でもその分子どもは親がいくつになっても大好きで、親を喜ばせたくて生きるだろう。
田村裕もそれに似ている。
どんなに理路をとくよりも、大好きな人間を悲しませたくない、喜ばせたい、そういう原動力のほうが、人を動かすだろう。
彼の兄や姉がとてもしっかりしていて、彼を苦労して養育したのも、やっぱりお母さんの教育が良かったのもあるようだ。
それは躾がしっかりしていたということではなくて、みんながお母さんを愛していて、お母さんにたいして報いたいと思っていたことが重要なのだ。
「お前が高校を出させてやれなかったら、お母さんに顔向けできないからお願いだから高校に行ってくれ」というような兄。
お母さんに思いっきり愛されて甘やかされて育った田村裕も、きっと人の愛し方を知っている人なのだろう。
しかし人は幼い子どもでなくても、愛する人を失った事実をしばらく受け入れられずに生きていることはよくあることなのだろう。
2011年の東日本大震災からもう5年経ったけど、この5年受け入れずにきた=健気に頑張ってこれた人が、愛する人とは二度と会えないことをしっかりと理解してしまい、その途端に気力を失ってしまうということだって、有りうるのだ。
というような、とても強いインプレッションを受けた本でした。
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