日本が誇るべきは渡辺直美 [気になるもの]
私は国外に出てそろそろ2年になるので、日本の情報には疎い。
まあ海外にいるというのは言い訳でもあるけど。
先週になって初めて、 渡辺直美が進化してることに気づいた。
私は彼女がデビューした時から、彼女が好きだった。
ものすごく痛快だった。
太っている女子が、自信満々に女性として魅力的に振る舞ってみせるというのは、それが芸になるほど、日本では中々難しいことだったからだ。
実際、当時「わたし渡辺直美が好き!」と言うのを、「えー、デブは嫌い」とバッサリ切り捨てる女友達もいたものだ。
でも東京ガールズコレクションに出ている彼女を見て、誰しも本気でカッコイイし魅力的だと感じると思うし、またそういう風に女の子たちに思われていなければ、そもそも出演させてもらえないだろう。
ただ面白いという意味だけで人気がある、それだけでオープニングアクトを任せて貰えるほど、ファッションイベントとしての東京ガールズコレクションの敷居は低くない。
憧れや格好良さにつながるような人気もないと、出してはもらえまい。
ようするに渡辺直美は、お笑いという入口から入って、痩せていなければ魅力がないと思い込み、拒食症になるような女性が多い、そんな日本女子にされていた悪い刷り込みをついに変えたのだ。
それはすごく大きい達成だと思う。
太っていたって、人気者になれるし、そのために女を捨てた振る舞いをする必要はないのだ。
そして外見が基準値以上であることよりも、自らのオリジナリティの魅力を信じて、自信を持ち、堂々と振る舞うことが日本の女の子には欠けがちな要素なのだ。
(まあこれは男女表裏一体の問題で、空気を読んで、一歩ひいて、控えめで・・という女性像がまだまだ好まれる社会においては仕方ない面もあるけど。)
でも嫌味がないのは、彼女は、そのダイナマイトボディの魅力を両方に使ってる、つまり巨乳でグラマラスな魅力としても出しつつ、コミカルな動けるデブという側面も出していることだ。
キレキレのダンスとキメ顔で格好良さを見せつつも、変顔とコミカルデブというお笑い芸人の役回りもキッチリやる。
でも舞台を降りればとても謙虚に振る舞う。
二枚目半の好青年みたいな、みんなに好感度大の人気者キャラクターを、太った女子もやれるという発見だ。
で、渡辺直美がモノマネしているビヨンセも私はもともと好きなのだが、それもやはり女性のコンプレックスを打ち崩す存在だったからだ。
彼女は非常に美しいが、それでも当時の私、いやほかの日本女子の感覚もそうだと思うけど、「すごい太もも・・・あれ出していいのか。よく出すな〜・・」というところだった。
それでもそれを、堂々と出す彼女が私は好きだったのだが、彼女本人がやはり、太すぎる太ももはコンプレックスだったという。
でも彼女がそれを堂々と出すことによって、私たちはそれでも美しい彼女に気づいたし、一度その美しさに気づいてしまえば、そのダイナマイトボディそれ自体が、魅力的にうつる。
ビヨンセはその後、押しも押されぬ大スターに上り詰め、黒人女性スターの地位をあげることにつながったというし、きっと多くの黒人女性の励みになったと思う。
渡辺直美は、日本の太った女の子を勇気付けたに違いない。
彼女の功績、わたしはすごく大きいと思う。
そしてニューヨークでショーをしているところもみたけど、日本人芸人が海外で芸をする、という時々ある企画ものの中では、一番安心して見ていられた。
彼女は日本のコメディアンです、といって外国人に見せても恥ずかしくないというか。
もちろんモノマネの対象が、世界のビヨンセだから分かりやすいというのもあるけど、 太ったボディによるキレキレダンスや顔芸など、純粋に芸として完成度が高いと感じた。
それに日本の女芸人としても、女を売りにしてるわけでも、下ネタを売りにしてるわけでもなく、また女を捨ててるわけでもないというのがいい。
もちろんそういう人がいなかったわけじゃないが、そういうケースでは、芸人というより女芸人というジャンルの中で低空飛行というか、どこか吹っ切れないイメージがある中、渡辺直美は一芸人として、食い込んでると思う。
女性としては、女を売りしてる人を見ても、女を捨てている人を見ても、どこか悲壮感というか、しょっぱい気持ちというか、やっぱりそうじゃないと生き残り策はないのかな・・・と現実の厳しさに歯がゆい気持ちになってきた。
政治家にしても経営者にしても芸人にしても、男が多い厳しい競争社会ほど、女を売りにするか、捨てるかじゃないと生き残れないイメージがあるなか、渡辺直美はでかしたと思う。
で、夜中ということも手伝って、ひとまわり大きくなったスーパー直美を見て、感動して涙が出た。
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