コクーン歌舞伎 天日坊 〜ONE PIECEや太陽がいっぱいを想起させる秀作 [芝居メモ]
さすがクドカン。
やっぱり私はクドカンの脚本が好きなんだわ。
当代の大人気脚本家だからな、私がっていうか、みんな好きなんだろうけど。
青春の青さ、それも直視できないようなかっこ悪いほうじゃなく、若干美化したイケてるほうをむんむん感じさせるのが、人の心をつかむんだろう。
時には愚かだけど、愛とか友情とかを解ってる、思いにまっすぐな好人物。
そういう人物像を、人は嫌いになれないんだと思う。
クドカンは、かっこつけなきゃいけないところと、かっこつけたらウザいところを精密に解ってる人なんだろうな。
しかも役者の性質ごとに。だから、彼の書く役どころは鼻につかない。
そして人物が躍動的。ま、お芝居なんだからそうあってこそ面白いのだけど。
全身で生きてる感。行動し、怒り、痛めつけられ、泣いたり、後悔したり、調子こいたり。
誰の心の底にもある激情。でも実際は行動に移せないし、叫んだりもしない。
そういうのを舞台で思い切り叫ばれると自分の感情も昇華する部分があるのだろう。
あと歌舞伎の良さをわかってる気がする、クドカン。クドカンは歌舞伎がロックだと理解してる気がした。
ま、もしかしたらクドカンがロックで、歌舞伎がロックで、たまたまマッチしたのかもしれないけど。
そしてとにかく主役の中村勘九郎がとてもいきいきと魅力的な舞台だった。
彼が巧いからか、脚本がいいからか、両方か。
ここまで舞台上で役者がイキイキしてる舞台は初めて見た。
きっと役者もやってて楽しい舞台だろうなと思った。
舞台の上で、役が生きてる感じで。
こんな役ならやりたいよと、初めて演劇をやりたいと思ったくらいだ。
クドカンといえば、「少年メリケンサック」や「sad song for ugly daughter 」での主役宮崎あおいが思い浮かぶ。
確かにやらされていることは似ている。
思いきり泣き叫んだり、怒ったり、すごんだり、のろけたり、鎌をかけたり、凹んだり・・・
ジェットコースターのような主人公。
そしてそれはお芝居としては面白いし、それを芝居臭くなくこなす宮崎あおいは確かに巧い。
宮崎あおいとしての魅力的な表情もうまく引き出されていた。
面白かった。
だけど、その役やりたいというほどじゃなかったし、役が全身全霊で生きている感じはしなかった。
役はそれほど魅力的ではなかったし、宮崎あおいも、卒なくこなしてるな、な印象。
「その妹」の蒼井優だって、そりゃ魅力的だったけど。
あれは役がというより、蒼井優の佇まいがという感じだった。
それに大体、私は映画で蒼井優を見るたびに彼女の魅力にやられるので、彼女ならではのものだと思う。
でも勘九郎は、勘九郎がというより、天日坊という役が生きてた。
ほんっとーにクドカンはその役者の魅力を引き出しつつ、役を立たせるのに長けてるよね。
勘九郎の一世一代のあたり役じゃないかと思う、、って勘九郎をちゃんと見たの初だけど言ってみる。
池袋ウェストゲートパークの長瀬智也や 窪塚洋介みたいに。
言うなればこの話は、ワンピースみたいなもんだ。
天日坊はさながらルフィ。
そこにゾロとかロビンみたいな仲間が加わって天下取りを目指すわけだから、かなり似てる。
それだけでワクワクする筋書きだろうが、ルフィよりもずっと天日坊のほうが魅力的なのは、
ルフィにはうしろ暗さや弱さがなくて人間味がないが、天日坊は人物造形がしっかりしてる。
みなしごとして、17歳の青年として、当然あるであろう、出世欲、あさましさがある。
こういう影があってリアルだからこそ魅力的な人物造形、成済ましのゾクゾク感といえば、パトリシア・ハイスミス原作、アラン・ドロン主演の太陽がいっぱいが好例か。
身分至上主義の時代に、出自が明らかでない上に、育ての親が死に、 最上級の身分に成り済ますチャンスが降り注ぎ、何にでもなれる錯覚を得ることもわかる。
でもそれはとても不安定で、己を化け猫じゃと鼓舞しつつも、次第によくわかんなくなってきて、
俺は誰じゃ〜!!となるのもわかる。
惜しげもなく人をどんどこ殺すところも、その時代の命の感覚を考えると逆にリアルだ。
戦だ山賊だって時代に本気で天下とろうとしてるヤツが、そのための人殺しを躊躇するなんて有り得ない。
そして、歌舞伎お約束の、実は源氏でした、いや実はそう見せかけて実はその敵でした、的なやつね。
それって現代劇ならさながら、普通のサラリーマンと見せかけて、実はCIAでした、と見せかけて実はロシアのスパイでした♪ みたいなやつよね。
ほんと娯楽超大作よね。
でもってきちんと締まりがいいのが、最後みんな死ぬとこだよ。
なんだよ死にオチかって思われるかもしれないけど、歌舞伎はそれでいいんだよね、やっぱ。
太古の昔から、幾千万の若者達が、そういう愚かだけど愛しくもある野望を抱いては叶わず散ってたんだろうなっていうロマンを想起させる。
うまい話はそううまくは終わらず、徒花と散る。
ぶわっと揚がった大輪の花火は一瞬で散るんだよ。
そしてやっぱ歌舞伎役者は実力がすごいのかもな。
立ち姿、動く姿、そういうので生まれながらに勝負させられてる人々だから。
やっぱり舞台の上だとすごいんだと思う。
勘九郎もそうだけど、その両脇を固める中村獅童と中村七之助の色気と立ち姿があってこそ、
絢爛豪華な舞台が成り立った気がする。
普通なら退屈するくらいの長〜い殺陣のシーンも、彼らのポーズが決まってるから飽きずに楽しめたし。
餅は餅屋。芝居は役者。
とにかくよく出来てたわ。
コメント 0