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ヒーローについて考える。こちらあみ子と松本大洋作品と。 [読書メモ]

私が、松本大洋作品を愛していて、「こちらあみ子」で号泣したには理由があると思う。

どうしてそれらがそこまで琴線に触れるかというと、

私がちょっと変な奴で、お兄ちゃん子だったからだ。 

多分周囲は、私より兄をちょっと変な子だと思っていたと思うし、

私のほうがもっと変だったことに今やっと気づき始めているくらいかもしれないし、気づいていないかもしれない。

あるいはそれは男女差だったり性格差で、兄はちょっと変でも社会的にそれを強引に認めさせる

ような地位を手に入れたが、私がその地位を手に入れられなかっただけかもしれない。 

また私がお兄ちゃん子であることは、皆知っていたと思うが、

兄を唯一の理解者だと思っているくらい、兄以外の誰も私を理解していないと思いながら

生きていたことには、誰も気づいていなかっただろう。 兄すら未だに知らないだろう。

だが私は子どもの頃、兄だけが唯一の理解者だと思いながら、生きていた。

兄は私にとって永遠のヒーローなのだ。

 

松本大洋の母親は有名な詩人である工藤直子であり、ああ受け継がれる詩人の血とはスゴいものだ、と思ったことはあるが、

実はずっと一緒に生活していたわけではなく、松本大洋は施設で育ったそうだ。

それを聞いて、鉄コン・キンクリートのクロとシロの関係も合点がいく。

自分を理解し、守ってくれるヒーローが、あのように描かれることが。

そして、松本大洋のことば、、、記憶を開き直って作品の中では美化するという言葉も合点がゆく。

彼の描くヒーローは永遠のヒーローで、だから私は彼の作品を愛してやまないのだった。

 

一方、「あみ子」には親がいて、でも父親は無理解なのか、ちょっとアタマが弱いと思われる娘より再婚した後妻のほうが大事なのか、

仕事などで余裕がないのか、あみ子のことの多くをあみ子の兄に任せている。

兄が年の割にすごく大人でしっかりしており、頭に10円はげを作っていて、最終的にある日グレてしまうことや、

父親に遊ぼうと言っても、全部「お兄さんとやれ」と言ったり、

父親の部屋で一緒に寝ようとしても、「お兄さんの部屋で寝ろ」と言ったりする事から、それが伺える。

継母は、心の病気にかかる前は、あみ子を愛そうと努力しているが、それは新しい家族とうまくやろうという

努力であったり、死産した悲しみを乗り越え、赤ちゃんの代わりにあみ子を愛そうというものであったりし、

いわばエゴ的な愛情である。あみ子に習字で、継母自身が好きな言葉「希望」を書かせるところが象徴的だ。 

兄は、親よりも身近にあみ子のことを理解し、守る。

あみ子にいろいろと親身に教えようとし、できないあみ子も笑って見守る優しさがあった。 

だが、兄は完璧な人間でもなかったし、限界があった。


彼も自分が大切なのだ、 次第にあみ子を疎んじ、ついにあみ子を放棄する。

そう、「こちらあみ子」のヒーローは全然完璧じゃないのだ。

彼女が彼をヒーローだと思っていたことすら、彼女は自覚していない。

姿を見た事がない「田中先輩」という存在として、大洋作品のモンスターにも登場するような

不確かな存在となる。 

だが、ああもうだめだというときに、あみ子はふいに「助けてにいちゃん」と口走る。 

そして、今まで父親に、何度も何度も「ベランダで物音がする。霊がいる。こわい」と

言っているにも関わらず、一度として相手にされなかったのに、

もの何年も会ってなかったのに、兄は、一回聞いたただけでベランダにおもむき、

霊の正体をつきつめ、退治する。

 

退治までは、あみ子の望んだことではなかった。

だからそこからまたディスコミュニケーションが始まり、あみ子の言葉が通じたのはたったの一瞬だけだった。

だが、助けてと言ったときに現れ、ちゃんと妹の訴えに耳を貸す兄は、まぎれもないヒーローである。

また兄が不在の間も、あみ子がそこまで絶望的な目にあわなかったのも、兄がグレて

絶対的な存在として陰で君臨していたからであり、それは自分のことしか考えない両親への

反抗やあみ子への諦めといった家庭崩壊の結果というだけでなく、兄なりのあみ子を守る方法論だったのかもしれない。 

だが結局のところ、諦められ放棄されるあみ子。

兄はかつてのヒーローであり、いまやマボロシのような仮初めのヒーローでしかない。

あまりに不完全なヒーローであるから、わたしはこの作品を愛してはいない。

だが現実はこちらに近いのだと思う。

 

それで私は今心をかき乱されている。

兄を失ってからも、ヒーローは何人かあらわれた。

ああ駄目だという時に、ちゃんとヒーローは現れて救ってくれた。

ヒーローという理解者が身近にいれば、私は幸せだったが、

ヒーローが私を誰よりも優先的に愛してくれていたのかといえば、必ずしもそうではない。 

私がまわりの状況を理解できず、困り、かつそんな私をまわりが笑っていたとしても

ヒーローがそこにたまたま居合わせれば、今だってまた、私が何を理解できていないのかをすぐに察知し、それを私に教え、

逆に私の言いたいことの何がまわりに伝わってないかも察知し、まわりに通訳し、お前は悪くないよといって窮地を救ってくれるだろう。

だけど、彼らはもう私のそばにはいない。

私と一緒にいることを最優先に、彼らが彼らの人生を歩んでくれたわけではないからだ。

 

だが私にはかつて理解者がいて、かつてヒーローがいた。

彼らは今はいないけど、あみ子の兄よりはずっと、完璧で完全なヒーローだった。

そしてだから何だと思う。

それはいまやどうでもいいことかもしれないし、今の私の人生にそれをひも付ける箇所は見当たらない。

だが私は彼らを愛してやまないし、それは私の人生のテーマなのだと思う。  


タグ:松本大洋
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