こちらあみ子 [読書メモ]
話題作で読みやすいと、ポンと貸されただけで
先入観も興味も全くないまま、本を試しにめくったが、
衝撃を受けた。
泣きながら二度読んだ。
私がすぐさま二度読みすることは、とても珍しい。
アミ子は、「窓ぎわのトットちゃん」のトットちゃんとかぶった。
だから理解者や環境に恵まれ、よくすればもっと幸せに生きられるだろう。
だが現実はこの物語のようなものだろう。
認知症の老人、それから多動性障害の子どもなどが、周囲を困らせる行動に
出ているとき、実は彼らなりに切実な不快な何かがあり、それらに対処するために
その行動に出ていることが多くあるため、それが何なのかを見つけ取り除いてあげると
ずっと本人も周りも心安く生活できるようになると聞いたことがある。
それには彼らの話をよくよく聴き、彼らの行動をよくよく観察する必要がある。
だが、この物語ではそれが圧倒的に足りていない。
理解されたい、話を聞いてもらいたい、コミュニケーションをとりたい。
その思いから、ますます理解され話を聞いてもらえなくなってしまう行動をとってしまうアミ子。
この哀しい構造は、障害の有る無しに関係なく、すべての人に起こりうる。
だが救いもある。
どんなに助けを求めて叫んでも誰にも届きゃしない・・・はずが、届くこともある。
自分が気づいていないだけで、ちゃんと自分の事を考えて助け見守ってくれていた人がいたことに気づくこともある。
理解を望めないかもしれない相手でも、ちゃんと話せばちゃんと伝わることもある。
基本つながらないトランシーバーのように悲惨だけど、一瞬つながることがある。
人生ってそんなもんかも?
でも対話と観察を増やして、ちゃんと人を理解しようとしてれば、
つながる瞬間ってもっと人生で増えるのかもしれない。
あくまで文学作品、物語であってノンフィクションではないのだけれど、
わたしは人ごととは思えず、ノンフィクションかのように読みました。
ちなみに私的に感情移入したもっと詳しくて感情的な感想はこっちにも書いとります…
↓
2012-02-25 12:00
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