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「大豆田とわ子と三人の元夫」最終回とビッグバンセオリーと2021東京オリンピックの感想。 [映画メモ]

最後まで見終わって思うこと。


まず、松田龍平の色気がすごいっていうこと。

なんだろう?別にそんなに顔が整っているとかいうわけでもないし、もともとGOHATTOだっけ?で、15歳くらいでデビューした時も、色気がすごいみたいな取り上げ方をされていた気がするから、そもそもなのかもしれないけど。


ただの横顔ショットとかなのに、色気が感じられるのはすごいなー。

役柄もものすごくモテる人の役なのだが、きっと現実でもそんな感じなんだろう。

色気といえばの斎藤工が出てるのに、斎藤工よりすごいのがすごい。

斎藤工には、甘さがあるぶん、どっか胡散臭い感じとか、安っぽい感じもあるんだよなあ。


さて、あと思うのは、最後の風吹ジュンの語ることによって、結局、どういう生き方も選択の結果で、人間にはいろんな面があって、全部本当であり、その当時、そのひとにとって一番選ぶに値する選択として選んだ結果の人生だったんだから、あってたんだよ、みたいなメッセージが結論になっててよかった。


なので結婚して離婚したことも、それでチャラになって何も残らないわけではなくて、全然あとに残る豊かなものがある。

さらに一度も結婚せず、恋愛もせず、ひとりで死んでいったかごめちゃんの人生も肯定されている。

もてもて松田龍平の思い人がかごめちゃん、というのが、最大の肯定。


かごめちゃんのセリフもなかなかよくて、恋愛のすばらしさもわかるし、人のぬくもりのすばらしさもわかるし、、恋愛がいらないというのがさみしい考えというのもわかる、でも恋愛はめんどくさい、それが私なんだよ、というかごめちゃん。


社長なんて向いてない、つらい、というとわ子に、それでもできてるんだから、それはすばらしいこと、そういうのを見て小さい女の子が自分も将来社長になれるとイメージできるのが素晴らしいこと、だからやるべきなんだと、とわ子にいうところ。


そしてとわ子が、社長なんだけど、それなりに色んな辛い目にあったり、日々しょうもない目にあったりするコメディ要素がいい。

ビッグバン・セオリーとか、東京オリンピックと重ねるところがある。


東京オリンピックは閉会したけど、開幕するまでの一連の退任劇は、まるで三谷幸喜の喜劇だといわれていたが、本当にもはやシニカルなコメディだった。

でもそんな散々な感じで始まって、開会式もなんだかなーなクオリティで、、それでも競技には、いろんなアスリートの人生をかけた勝負が詰まっているわけで、、そこにはいろんな感動があって、私としてはこのコロナ禍に良質な、感動も与えてくれるエンターテイメントコンテンツが増えて、結果としてよかったと思ってる。

しかも、このコメディと感動とエンターテインメントを世界中の人とシェアできるというのがなんだか大きい気がする。


あ、話はずれたが、ビッグバン・セオリーにしても東京オリンピックにしても、私がなんか勇気づけられたのは、結構ズタボロになっても世界はまだ立て直せるというような希望だろうか。


オリンピックの前だけど、フランスのサッカー選手たちの日本人への差別発言とか、本当に嫌な気持ちになるし、ほかのいろいろなのをふくめた差別発言がらみでは、人種や性別に関する差別意識の根深さみたいなものを痛感して暗澹たる気持ちになる。

世界は残酷だ。

でも残酷な一方で、美しさもあるし、最後まであきらめない姿勢から生み出さされる奇跡的な勝利もある。

日本のメダル獲得数が想像以上に多かったことは、単純だけど、私は日本を卑下しすぎていたように思った。

東アジア人は頭はいいけど、身体能力は若干劣るような感じを持っていたけど、そうやって平均値とか一般論的なことでリミッターを設けてしまうのがよくないと改めて思った。

混血が進んだりもあり、もはや体格的な不利は少なくなったし、もともとバランス能力、俊敏性、正確性、努力できる力などもあるのだろう。


ビッグバン・セオリーだって、主人公たちは、けっこう酷いことを言われたり、酷い目にあったりするのだが、それでも死なないから、一瞬ダメージ食らっても、諦めないから、最終的にはハッピーエンドにたどり着けるのだ。



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