映画「君の名前で僕を呼んで」感想。 [映画メモ]
2018年アカデミー賞、脚本賞、作品賞、主演男優賞を受賞している「君の名前で僕を呼んで」を見た。
17歳の少年と24歳の青年の恋を描いた作品で、まあ悪くなかった。
特に、激しい初恋からの別離、失恋に打ちのめされている主人公の少年の父親が言うこと「特別な結びつきを持てたことは恩恵だ。無理に感情を殺すのはもったいない。心を無理やり殺そうとする人が多いけど、そうやっていつの間にか心が死んでしまうんだ。得た喜びも痛みも無理に蓋をしようとするな。ちなみに私は理性で蓋をしてきた人生だったが、後悔している」みたいなことを言うわけだが、そこは良かった。
あと、恋の喜びと苦しみをみずみずしく描いている、という意味では確かに。
ある種禁じられた関係、さらに別離を前提とした関係だけに、恋の喜びと苦しみが際立つわけで。
ちなみに町山智弘さんいわく、「モーリス」も、その原作者フォースターが、誰にも読ませるつもりもなく、自分のために書いた小説だったということで、この映画の原作も多分そうなんだろうとのこと。
この映画の原作者アンドレ・アシマンは、ゲイだったことは一度もないし、結婚していて妻も子どももいる、と言っているらしいのだが、、、おそらく主人公のお父さんが言ったようなこと、、つまり実際に告白して恋を実らせることはなかったけど、激しく思いを寄せた一生忘れることはない経験を胸に秘めたまま女性と結婚したのだろう。
しかし、いつも恋愛映画を見て思うことを、この映画でも思った。
ヘテロ映画だろうと、レズビアン映画だろうと、ゲイ映画だろうと、私にはどうしても誰かと誰かが恋に落ちるメカニズムが理解できない。
一番理解できたのがチェイシング・エイミーで、だから好きだけど。
この映画も、どうして惹かれあっていくのかが、正直感覚としては全然理解できないし、なんでお互い惹かれ合ってることが分かったのかもよくわからない。
もちろん2時間で起承転結しないといけない映画なので、たいてい描写が省かれるということなのかもしれないが、いつもそこについていけないので、入りこめないことが多い。
結局のところ、本能的なもの、動物的なもの、性的にタイプだった、ということでOK!に、この作品はなっているので、まあそれである意味納得させることができたけど。
私的には、全然どちらの男の魅力も伝わってこないんだよね。
ただ両想いということが判明した後に、お互いが恋しくてたまらない感じは、感情移入できたしよかったけどな。
で、そういうさなかで突然ぷつりと切断される苦しみもね。
でも結局のところ、美しいってだけの話でもないというのがリアルかも。
これはストレートでもそうだと思うけど、結局は、イロコイのために全てを棄てない人が多いわけで、好きだけど、それとは別に人生設計を優先する人がたくさんいる。
この映画のケースもそうで、ゲイだから・・というところもなくはないけど、要するに自分の人生を優先したんだよな、24歳の男は。というか、最初から、そういうつもりだった。
敬虔なユダヤ教徒だから?という理由付けもあるけど、それなら行為に及ばなかっただろうし、1980年代と、少し昔の話ではあるけど、少年の両親はゲイカップルと交流してたりするし理解ある態度を示しているので、イタリアに引っ越してくれば、どうにでもなっただろうに。
まあ世の中、こういうことはたくさんあるだろうよ、と思う。
本気じゃなかった、ということではないんだけど、本気で恋には落ちた、ということと、自分の思い描く人生の伴侶として迎え入れる、みたいなことはまた別、、みたいに頭で考える人間はいる、私も含めて。
でも、お父さんのいう「心を殺すな」ってことにも通じるんだけど、結局、隣にいるだけで心も体も幸福感に満ちるような相手と一緒に人生を歩む以上の人生はない、かもしれなくて。
誰とどう暮らしたって、計画通りになんかいかないんだから、せめて好きな人と努力したらって話はある。
逆にどんなに計画通りに人生を進められて、その条件にあう伴侶を見繕えたつもりだって、その伴侶にたいして、湧き上がる情熱や幸福感を抱けるかは、ある種先天的に決まっているものであって、、、努力で暖かい友情や思いやりをもてたとしても、、魂の底からの幸福感みたいなものは全然違う、とかね。。。
ま、所詮イロコイは3年で醒めると考えれば、前者も後者も一緒かもしれないし。
まあ一つ言えることがあるとしたら、私の魂は、心は、お父さんのいうように、蓋をしたり抑えたり忘れようとしたりを繰り返しているうちに、ついに死んじゃったんだろうな、ということ。
でもそれは、自業自得なんだよね。
勇気を出したり、賭けたりしないで、安泰なほうを選んできたのだから。
でももちろん、ほんの多少は振り絞ったり、賭けたりしたこともあって、それは結局今でも「本音で生きた」瞬間の記憶として、いいものとして心に残ってるし、それを思い出したときだけ、まだもう一度息を吹き返すことができるかもしれない気がするのだ。
ちなみに原作がこちらで、さらに原作の続編が出ているそうで、続編では、お父さんが離婚していて、24歳の青年は結婚して息子たちが大きくなってきたので、ヨーロッパに来てみる・・的な後日談らしい。
興味があるような。ないような。
もう2021年だから、秘めた思いで中高年になって・・・みたいなマディソン郡の橋とか、日の名残りみたいな、、、なんかそういうの聞き飽きた、もう要らない、もっと抑制しないでさっさと人生を変えに走ってほしい、という気持ちがある。
けど、まあ読むかもな。どうだろう、まず書評を読んでみるか。
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