文学として成立しているということ? [生活雑感]
面白い体験をしたので、それを小説にしてみたいなと思った。
ただ私は別にお話づくりをしたいとか、お話づくりに才能があるタイプではない。
だからノンフィクションとしたほうがいいのかな?
いやノンフィクションだと、もっと社会性が強い、社会に影響を与えるテーマじゃないと成立しなくない?
そんなことを思いながら、公募ガイドを読んでいたら、公募小説の多くは、まず文学として成立してないものが多いという選考者の話が載っていて、
文学として成立しているってどういうことー!!!???
と、頭を抱えてしまった。
自分が書くとなるととても無理だ。
だけど、すごい漫画を読んだ時とか、すごい歌詞とかにたいして、もはや文学だ!とかよく思ったことがある気がする。
たとえば確かに又吉の漫才とか文学的だなーとか、詩的だなーとか、昔から、芥川賞を取る前から思っていた。
まあでも花火はあんまり好きじゃないというか、これで芥川賞?と正直思ったけど。
でも彼が文学的なセンスがあるのは、むしろ漫才というかコントでは、光ってみえてた。
しかしながら、私がブンガクだ!と言ってるのは、なんなんだろうな?
それはただ私の感覚に訴えかけてくる何かがある、ということなので、基準をクリアにするのは難しい気がする。
琴線に触れるかどうか。
さて今日聴いていたのは、Indigo la Endという、ゲスの極み乙女のあいつのもう一つのバンドのほうを聴いていたのだが。
ゲスのあいつは、やはり文学のセンスがあると思う。
ゲスの極み乙女という、奇をてらったバンド名とか、もうイカニモで、出てきた時には反感を感じたし、あの声や歌い方もカンに触ったけど、それでも悔しいことに本物なんだろうなあ。
音楽も歌詞も、廃れない、あきない、オリジナルで心に刺さる。
私個人の過去の忘れてた感情をエモーショナルに活き活きと思い出させてしまう、音楽の魔法が有効なんだよな。
なんてつらつらと考えていたけど、やっぱりゲスといえばベッキーのイメージがついてしまったので、
ゲスの恋愛の歌詞を聴いていると、ゲスとベッキーはいったいどういうことだったんだろうねえ?と他人ごとながらおせっかいにふと思ってしまったりする。
別に何も知らないので、何も憶測はできないので、「どうだったんだろうねえ」以上のことは何も思いうかばない。
そして、ただふと思い至ったんだよな。
結ばれなかった恋のこと。
おそらく本物の恋だったんだろうな、という他人の絶頂期の恋のこと。
たとえば貴乃花と宮沢りえ。
たとえば浜崎あゆみとV6の長瀬。
または中谷美紀と渡部篤郎。
そこに何があったかしらないけど、他人の絶頂期を勝手に外野が決めるとしたら、そこだったんじゃないか?
そこで結婚すればよかったのに、と思った。
後日うまくいかなくて別れることになったとしても、やっぱり結婚すべきだったんじゃないかと。
と思ったのは、まだ若くて無垢なうちの大恋愛って、やっぱり尊いな、と私は今年を取って思うのだ。
誰もわからない、それが正しい選択かどうか。
その時には。
わからないけど、信じて飛び込んでいけるパワーが若い時にはあって、その無謀さが無敵が尊い。
さてそんなものが私の人生にはあっただろうか、とつらつら考えていたら、まさにあそこだったな、というタイミングがあったことを久々に思いだした。
後ろ向きだから思い出すのを忘れてたけど、それを自覚してた時期もあったことを思い出した。
やはりとてもまだ私が無垢でかわいらしかったころだ。
ただ、その幸福を、私はなぜか、ここだと思えなかった。
ここで甘んじではいけない、このぬくぬくした幸福から抜け出して、どこでも生きていける人間にならなければいけないと思った。
この人と一緒にいる限り、幸福でいられることがわかっていたのに、その得難い奇跡を逃してはいけないという風にはならなかった。
でも彼が結婚した時には、ショックで1週間で4キロ痩せたんだよな。
軽微なストレスだとストレス食いで肥るけど、心底ショックだと食べられないのだということを、私は生まれて初めて知ったんだった。
その後の人生でも恋はしたし、ボーイフレンドもいたけど、あの時だったんだと思う。
その後こじらせたけど、あの時に素直になっていたら、違かったなと思う。
いやほかにも素直になるタイミングはあっただろう。
結局、素直じゃないから、こじらせたんだなあ。
やっぱり素直さが大事だな。
今からでも、勇気をもって素直に向き合っていくことが、鍵だなと思うわ。
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