月に行きたいならロケットに乗る方法を考えろ。 [気になるもの]
最近、グサッと来た言葉。
それは、「月に行きたいならロケットに乗る方法を考えろ。」という言葉。
月と地球の距離は38万キロ。
月に行きたい!まずは月への距離分、歩いてみよう!といって、地球をぐるぐる何周かしてみようと歩き始める人がいる。
しかしそれには夢を叶えることに一歩も近づいてない。
夢を叶えるには、まずロケットに乗らなくてはいけない。
だからロケットにどうしたら乗れるかを考えなくてはいけない。
多くの人が、
「でもその過程でいろいろな出会いや発見があった。
だから夢は叶わなかったけど後悔していない。歩いている過程でちがう夢も見つかったし。」
みたいなことを言う。
しかしそれはただの自己欺瞞というか、自分を納得させるための言い訳にすぎない。
脳科学者の中野信子が言ってたんだけどね。
耳が痛い。
まあそのとおりだなと思ったし、これまた痛いところを突かれたと思った。
私は物事を「とりあえず」で、それが本当の第一希望の夢に近づいているわけでもなく、何もしないわけにもいかないからとりあえず手をうごかす、的な感じで歩き出すことがよくあるから。
そうだよなー、ほんとうにじっくりと
「何がやりたいのか」「そのために何ができるか」を
また一度棚卸をしないとと思った。
そんなことはもちろん今まで何度も考えたことがあるけど、最近また「とりあえず」とか
「現実的な策として」みたいなことを重ねてるうちに、方向を見失いつつある気がするので、
今一度ね。
そして啓蒙された気になっていたが、しばらくして、風呂に入っているときに
ぼーっとしていたら、この言葉のせいで、自分が落ち込んでいることに気付いた。
そして風呂の中で反発心が生まれた。
果たしてそうなのだろうか?と。
夢を叶えるためのダイレクトな方法論があればそりゃあいいが、それが皆目見つからないことなんて人生においてよくあるじゃないか。
いわゆるスランプというような。
成果を出したいから、たくさん練習したり、考えてフォームを変えてみたりしたが、皆目結果につながらない。
果たして自分のやっていることがあっているのだろうか?
そうやって悩む時期。
または仕事においてやりたい仕事ではない、つまらない仕事に耐えなくてはいけない時。
やりたくないなら辞めればいい、という考え方もあるが、そうもばかり言ってられない時もある。
さてだからこそ、
「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」
という高橋尚子で有名なこの言葉が人々に刺さるのではないだろうか。
今やってる雑事が夢を叶えることにダイレクトにつながらないとしても、生活をやめないことはとても大切。
生活をやめても、何もうまれない。
でも、オープンマインドで今やってる生活を続ける中で、チャンスやヒントに出会い、または基礎体力や筋力がついたり、ナレッジの蓄積なんやかやで、今までうんともすんともいわなかった扉がある日突然、開くということもある。
他力本願になるわけじゃないけど、人生は正直、ただのラッキーというか、他力で動くことがけっこうある。
環境なんて特にそうだ。
自分でつかみ取ったいい環境、自分で築きあげたいい環境、、なんていう要素はもちろんあるにしたって、そんなのはずっと保障されるものではない。
すごく素敵な伴侶がある日、突然死してしまうこともあるし、自然災害で何もかも失うこともある。
その半面、自分なんか大したことないのに、たまたまラッキーなことに、すごくいいひとたちばかりの職場に恵まれることもあれば、性格が悪くてストレスの源だったパワハラ上司が向こうから勝手に退職していくこともある。
だから、意外と月に行きたいのにまず歩き始めちゃうのも、歩き始めないよりもマシだと思うんだ。
でもその時に「月に行きたい」っていう目的を忘れないこと。
何なら「月に行きたいんです」って言いまくりながら歩くこと。
そうすれば、セレンディピティが発動すると思う。
月に行きたいっていう思いをかかえて、それをまわりに言い続けてれば、まず色んな情報が手に入るだろう。
もちろん誰かがすぐ「それならロケットに乗る方法を考えないとね」を気付かせてくれる可能性も高い。
今だったら何なら、こんなバカな取り組みをしている人がいるよってSNSで拡散されて、有名になって、取材を受けて、本当に夢を叶える手伝いをしてあげようっていう人が現れる可能性だってある。
一番よくないのは、その気持ちを外に向かって表現しないことと、表現したとしても無駄を恐れて何もしないこと。
無駄だとしてもし始めてみるのはとても大事だと思う。
でもあとは、やっぱりPDCAを高速にまわすことだろう。
この時代は変化のスピードが速いからね、それに成果が出ないことを続けて間違った方向にいかないようにもしないといけないから、常に行動とともに頭も使って考えをひねらないといけない。
と思った。
しかしなんだかんだいって、ダイレクトに自分という人間に響いてくるのは、一日をどのように過ごしたか、であるので、、、結局は日々の生活を大事にする、ということに還ってもくる。
PDCAをまわして作戦会議する時間とか、実際作戦に取り組む時間ももちろん大事なんだけど、それ以外の「何を食うか」「どんな情報ソースに接するか」「どうやってストレスを解消し人生を楽しむか」とかね。
夢を叶えることに100パーセントの人生をつぎ込むのもいいと思うし、人生のあるフェーズではそれが正解だ。
特に「この方向に全力投球で間違いない」というフェーズの時とか。
だけど、そうじゃなくてもいいと思う。
特に、その努力が努力と感じてしまうような、本当に方向性があっているかわからないけどとりあえずやってみてるようなフェーズの時は、とにかく人生を楽しみながら余裕をもって夢をかなえるほうが視野が狭まらずにいいんじゃないかしらね。
というわけで今の私は、そんな感じ。
生活の一つひとつも大切にしたいと思うのでした。
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