フランス、ニースでのトラック突っ込みテロに思う。 [ニュース雑感]
朝起きて、ワールドBBCニュースをテレビでつけたら、なにやら物々しい。
時々、何十年前の今日はこんな事件がありました〜みたいなコーナーもやっているので、現在のことなのかまず確認。
フランスでまたもやテロ。
今度はニースで。
なんというか、「忘れるなよ。お前らはまだまだ全然安全じゃないぜ。」というような意図を感じる。
「連続」とは言い難い、ちょっと忘れてきた頃。
とはいえ、間髪おかずともいえるこの間隔に、戦慄をおぼえる。
戦慄といったらもちろん、911の飛行機突っ込み以上の戦慄はなかったし、首切り処刑動画だってもちろんなのだが、、世界に与えたビジュアル的なインパクト、というのとは別のやり方。
この妙な間隔があおるフランス市民生活への恐怖感といったらないと思う。
いつどこに来るかわからない感は半端じゃないだろう。
しかし、テレビというのはやはり偉大である。
百聞は一見にしかずというが、ネットニュースで字面だけ追っているのでは伝わってこないものがある。
紙の新聞の場合は、字のデカさで、ニュースのデカさを表現するというわかりやすさがあるが、ネットニュースの場合、フォントも変わらないし。
ただ内容でそれぞれが事の重大さを理解するにとどまる。ある意味。
そして百聞は一見にしかず、というのの「一見」は、視覚のほうが聴覚より優位だと言ってるわけではなくて、(まあそういう意味も含まれるだろうけど)、現場を体感する、ということなのだなと改めて思う。
つまり今回のニュースはビジュアルインパクトはそんなにない。
もはや人々が走って逃げる姿なんて、ワールドニュースを見ていれば、しょっちゅう目の当たりにする。
私が感じたのは、報道する人たちの緊迫感にあふれた表情と口調である。
そして繰り返しずっとそのニュースが流れていること。
先日久しぶりに日本のテレビをつけたら、選挙の日だったこともあり、どこのチャンネルも永遠と選挙速報や選挙特番だった。
日本にいて、テレビをつける習慣を持っている、多くの人にとっての世界と、私のように異国にいて日本のテレビを見る習慣を失っている人にとっての世界はかくも違うものかと、その乖離が蓄積によってどんどん激しくなっていっているだろうことに、なんだか変な気がした。
テレビで繰り返し報道されることは、それをよく見ている人たちによってはもはや常識なのだが、そうじゃない人にとってはもちろん違う。
情報を遮断して何も知らずに生きて行くことは容易にできてしまう。
よく、昨今の情報過多時代をもって、情報の断捨離を奨める記事を読んだりするけど、本当にそうだろうか?
情報に追われて、人間らしい生活を見失うのはよくないというのはわかるけど、そんなのは仕事の合間、1時間に10分はPCから離れて席を立ちましょう、というのと同じ。
やはり情報は本当に大事で、それによって私たちはより賢くなれるというのは基本だ。
知識より知恵や経験、とかいうけど、知恵も知識に基づいたものだし、経験も知識があってこそ正しく解釈されたりする。
というわけで、現在かなりのシンプルライフを送る私だけど、シンプルなだけじゃダメだ、社会にもっとコミットしていきたい、そしてコミットしていくには、知ることによって正しい関与を選びとることが第一なのだと改めて思いました。
まあ結局全部の情報を処理しきることはできないので、情報の取捨選択が大事になってくるのだろうけど、とはいえ、自分に都合のよい、耳に優しい情報だけを取り入れるのではないバランス間隔がのぞまれるなー。
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