1984 ジョージ・オーウェル [読書メモ]
ジョージ・オーウェルの一九八四年を読了。
これはすごい本だと思う。
志が高いというか、どういう背景で書かれた本なのか気になる。
先日、カズオイシグロが、短編は作家のビジョンの深さが試されると言っていたけど、ビジョンの深い小説とはこういうものをいうのだろう。
だけど、隅々まで読みつくしたかというと、けっこう飛ばし読み。
言わんとすることの凄さみたいなことはわかるけど、そこにすごく興味があるのかといったらそうでもないから、というところだろうか。
でもいろいろと、どういう社会が人間にとって一番幸福なのか、戦争のない平和はどうやったら築けるのか、人間とはどういう生き物なのか、究極的に考えていったらこういう作品になるのだろう。
ちょっとSF傑作的な側面もある。
しかしすごく痛い指摘がいくつかあった。
自分に究極的な苦痛を与える人間、つまり苦痛を与えるか止めるかその権限を持っている人間を、庇護者のように愛するようになる人間の心のしくみ。
そしてまた、究極の苦痛を避けたいと思うがために、身代わりを差し出して救われるなら救われたいと願ってしまう人間の心のしくみ。
自分の愛する相手でさえも、耐えられない苦痛から逃れるためなら、差し出してしまう人間。
そして一度そうしてしまうと、二度と以前のようにはその相手を愛することはできない人間。
からっぽの抜け殻になってしまう人間。
私はまだそこまで究極的な状況にあったことがないから、それを真実だとは言い切れないけど、そうかもしれないと思う。
よく美談や性善説のようなもので、自分を犠牲にしても誰かを守って死んでいった人の話はきくけど、それとはまた違う。
肉体的な拷問につぐ拷問、精神的な拷問や脅しををうけて、現実的に、苦痛を思い知ったあと、もうこれ以上の痛みと恐怖に耐えられない、というような状況に陥ったあとで、さらにさらなる苦痛を提示されたら?
そしてSEXは強いということだ。
SEXによる快楽と幸福で何もかもどうでもよくなる、政治なんて社会なんてどうでもいい、そういうものが絶対統治の邪魔になる、という発想。
そしてだからこそ、自然で素朴な感情や本能こそに、真実と力があるのだと希望を見出そうとする主人公。
でも、そこにはアンチテーゼもあり。
確かに、いつの世にも、本能至上主義、あるがままに自然に、が一番正しいのでは? みたいな考えはありそうだ。
でも結局それじゃただのアニマルなわけで。
かといって人間も実際アニマルなので、アニマルな部分を無視したらうまくまわらないし、元も子もなかったりするわけで。
そこの折り合いをどこでつけていったら、人は社会はもっとも幸せになれるのか。
それをいつの世も模索し続けた結果が、いまこの世のなかの標準的な道徳的価値観であったり社会秩序であったりしつつも、まだまだ完璧じゃないというところなのかなー。。
でもこの一九八四年で書かれているように、そう思い込んでいるものも、ただの統治者の権力維持の都合で築かれた規範なのかもしれない。
しかしこんなとき、フランスでISのテロが起きましたね。
あまり情報収集がしやすい環境にいないので、それについて情報もあまりないし、語れることは何もないのだけど、言論の自由や思想信条の自由ということについては、ふと思うところがあった。
もし戦争などということになったら、そういったものは制限される。
実際、アメリカでは911のあと、愛国ブームのようなものがあり、言論の自由が制限される雰囲気がしばらく続いたそうだ。
おかしいと感じることをおかしいと思っていい、感覚に正直でいていい、そういられないような事態が、いつ訪れないとも限らないのだ。
むしろ、いま比較的、そういった無理をせずに暮らせる環境にいることは、たまたま恵まれた国の恵まれた季節に生まれたからであって、政権の不安定な国だったりしたら、政権が変わるたびに剥奪されないとも限らない権利なのだということだ。
何が人生なのか、人生の意味とは、人生で為すべきこととは、、そんなことは置いておいても、自分の感覚を殺すことなく生活していることが、生きている、ということなのだろうな、と思った。
そして感覚に忠実であればあるほど、一体何が欲しいのかが明確になり、そのための行動が明確になり、日々を生きている充実感がより強くなるのだろう。
だからこそ犬の人生はたぶん、より完全に”生きて”いるんじゃないかとふと思った。
欲しいものに忠実で、何が欲しいかという選択も、より正直だからだ。
生き生きしている、という言葉があるけど、そのとおりで。
人はやりたいことをやりたいようにやっているときに、より生きているのだろう。
どんなに立派なことをしていても、やりたくないことを、やりたくないようにしていたら、生き生きはできないのだろう。
そしてその生き生きする、ということと、生きるということは、本当に実は近しいのかもしれないと思った。
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