Minding the gap 「行き止まりの世界に生まれて」感想 [映画メモ]
久しぶりに映画館で鑑賞。
水曜日の1100円で見られる日の19時過ぎの回に行ったからかもしれないが、席は8割以上は埋まっているようだった。
きっかけはいつものごとく、町山さんの映画評で興味を持ったからだ。
傑作だと思ったし、さすがドキュメンタリーは面白い。
最近の私は、すっかりドキュメンタリー好きになってしまい、ドキュメンタリー映画ばかり見ているが、一回ドキュメンタリーのすばらしさ、すごさを思い知ってしまうと、なかなかフィクションに戻れなくない?と思ってしまう。
いや、フィクションにはフィクションの良さがあるか。
フィクションだと、歌舞伎的な感じで、ひっぱってひっぱって爆発させるような魅せ所や泣き所をつくることができて、そこで私も大泣きしたりして、それはそれでよい。
良質なドキュメンタリーというのは、もっと居心地の悪さとか割り切れなさが残るもので、煽情的ではない、でも深い感情のゆさぶりの余韻が続くもの、なのではないかと思う。
こちらはまさにそんな感じの映画で、私は映画館から帰ったあとも、家のパソコンで、この映画に関連する動画や、監督のインタビュー動画などをみあさってしまった。
忘れないうちに感想を書き留めたい、見終わって10分以内に書き留めたい、と思いながらも、結局数日たってしまたか。
一言にまとめるのは難しいので、思ったことを脈絡なくメモする。
子どもが生まれたばかりのザック。
「この子には成功して、幸せな、善人になってほしいんだ。そのための機会ならなんだって与えてやりたい。」
というセリフがある。私はそこでなぜか涙がこぼれた。
そしてしみじみ思うんだ。なるほど、と。
衝動的で無計画に見える若い親。でも人の親になった時、子どもに対してそう思うのかと。
またその3要素の取り合わせに、つくづくそうかー、そうだよなーと思う。
成功して幸せな善人っていいな、と。成功した悪人とか、成功したけどいまいち幸せじゃない人はいるし、本人は幸せかもしれないけど、他人の不幸や犠牲の上に成り立つ幸せで、ほかを見て見ぬふりしてるだけの人もいる。
または、本人は幸せだと言ってるけど、清貧すぎて大丈夫かな?自己欺瞞では?と他人から心配されてしまう状態もあまり健康的ではないかもしれない。
そう思うと、親として、成功して幸せで善人になってほしいと思うのは健康的な発想だ。
そして、貧しいエリアで生まれ育ったものとしては、貧困から悪に手を染めてしまう人を多く見ているのかもしれない。だからこそ、善人でいることと、成功というのは、結び付くのかもしれない。
子どもには成功してほしいんだ、とか、子供には幸せになってもらいたいんだ、とかはよく聞く。
が、そこに善人になってほしい、というのが加わるところが、しかも若い、どちらかといえば不良的な人物から、が私にとってのちょっとした発見なのだと思う。
さてそこは、映画の超序盤である。
子どもの誕生に希望をいだき、よい父親になろうと努力する彼ザックは、その後、挫折を繰り返す。
最初は協力しあっていた育児も、「なんで俺ばっかり」となり、妻と罵りあい、暴力をふるい、別居。
仕事もうまくいかず、金にこまり、浮気相手の女のもとに転がり込み、酒を飲み、享楽的に過ごす。
この映画は、3人のスケートボーダーの若者と、その母親や父親、彼女や兄弟などが出てくるのだが、上記は白人ザックのストーリーで、3人のなかで一番救いがなかった。
しかし、後日談的には、最終的には立ち直り、浮気相手だった女性と結婚し、定職にもつき、子供の養育費も支払えるようになったと。
黒人のキアーは、映画の中で、少しずつ明るいほうへ踏み出していったし、希望がある。
また監督自身である中国出身のビンは、映画監督として成功し、明るいほうに来れてる感じが一番強い。
だが、切ないのは、おそらくビンが子供時代に受けてきた暴力が一番すさまじく、この映画を撮ることで彼は乗り越えられた部分も多分にあるだろうが、おそらく簡単にはすべてを昇華することはできず、これからも彼は映画を撮りながら、傷とつきあいながら、生きていくのだろうということ。
面白いのは顔つきの変化である。
ビンは特に変わった。今はキリッと自信をもっており、子どもの頃とはかなり違うのも、自分の手で脱出し、やりたいこと、信じることをやっているという、明るいところへ来たもののゆるぎなさが感じられる。
逆にザックは、子どもが生まれ、いい父親になろうと努力していた時にはいい顔をしていたが、浮気相手のところに転がりこんでいる頃は、いろんなものを見て見ぬふりして、いろいろなものから逃げて、自分をごまかし、現実を直視できないロクデナシの顔をしている。
酒に逃げて、自分が最底辺のクズかもしれないことに気づいており、だが認めたくなくて、現実逃避。
この状態の人間は、たしかに「終わった」というか「行き止まり」感があって、自分に重ねると見てるのがつらい。
だけどよく考えてみたら彼は実はまだ30そこそこで、その気になれば、全然どうにかなるのである。
ということを証明してほしいから、彼には頑張ってほしい。し、後日談を聞くと、どうにかなってる風なので、よかった。
キアーにしても、仕事で自信をつけていくにつれ、いい顔になっていく。
いつも微笑んでいる、というより、薄ら笑いを浮かべてるようなところがあったが、そこにこそ彼の成育歴を思わせるところがあるが、そんな彼が、父親の墓石の前で涙を流すシーンは心を打つ。
どういう涙か?は推測することしかできないし、その場に私が友人としていたとしても、かける言葉は見つからないだろう。もしかしたら彼自身も、言語化するには余りがあるかもしれない。
彼にとって良くも悪くも大きな存在である父親。
恐怖や憎しみの対象でありつつも、認められたかった、愛されたかった対象。
死んだあとも、自分のなかでその関係を納得しようと努めてきて、暴力もしつけの一環で、愛しているからだったんだ、それによって自分がいい人間になれたところもあるんだ、と考えようとする彼。
いずれにせよ、街を出る前に、けじめとして訪れた墓であり、愛も憎しみもいろいろあった彼の子供時代を、受け入れて乗り越える儀式として機能したであろう墓参り。
その際に多くを語らず、涙を流す彼の様子は、とてもリアルで、全人類共感できる気がする。
きっと世界中の多くの人にとって、親って、愛憎いりみだれたものであって、必ずしもいい関係ではないから。
あとは女たちの話。
ザックの彼女にしろ、ビンの母親にしろ、男の暴力を告発できず、容認してしまう弱さ。
暴力はイエローカードじゃなくて、一発レッドカードだよ!と教えてあげたくなるが、そんなのdepend on 環境なんだろう。彼女たちのいる場所では、生きていくために「男の庇護」というカードのほうがデカいのかもしれない。といいながら、昔の日本なんかを考えると、いや貧しくたってダメ男を排除して賢く気高く生きてきた女なんていくらでもいるさとも思う。
まあザックの彼女は逃げたのでまだいいとして、ビンの母親はひどいな。
インタビューによれば、母親が働き、ビンのまま父は仕事を辞めてしまってずっと家にいたと。
つまり紐状態である。精神的に支配されていたのだろうが、そうなってしまい、さらに忙しくてほとんど家にいない母親に、ビンがまま父の暴力を相談できるような感じは全くなかったのだろう。
だがおさない弟が、まま父からビンへの激しい暴力に気づいていたのだ。
母親が気づかないわけがあるか?
見て見ぬふりをしていたとしか思えない。
し、経済力は彼女にあったわけだから、逃げることだってできたはずである。
が、彼女は、男がいないとダメな女なんだろう。
映画のエンドロールで、彼女は50過ぎだろうが、また結婚するという。
さらにインタビューでも、彼女はビンに謝らない。
私は弱い女であり、仕方がなかった、というだけ。
ただこの映画が、彼の癒しになるなら協力する、とはいうけど。。
まま父による性暴力で傷ついた女の子のパターンとして、まま父の性暴力を母親に訴えた時の対応で傷つき方が大きく違うという。
母親が彼女を信じ、いたわり、まま父とすぐに縁をきった場合、彼女は救われる。
だが母親が彼女の言うことを信じない、または真剣に聞かず真に受けない、さらには男を奪ったライバルとみなして敵視する、などの場合は最悪である。彼女は大きく傷つき、人を信じられなくなるだろう。
そういう意味でビンは本当にかわいそうだ。
さらに、彼のまま父の暴力は、脈絡のないものであり、また壮絶なものであって、ザックやキアーのように「しつけとして解釈することもできる」といった範疇を越えていると推測される。
ただ、彼の実の父親ではない。血のつながらないまま父であるところは救いになるのかもしれない。
もちろん母親がそんな男を自分より優先したという傷は残るが。
まま父であれば、モンスターとして自分から切り離すことができる気がするが、実父となると、その血が流れる自分ということで、より受け止める時に苦労しそうだ。
さて、結論として、私はこの映画がとても好きで、もっと何度も観たい。
スケートのシーンは見ていて気持ちがいいし。
また監督が、KIDSやガンモなどに影響されていると語っていたので、そういうところも好みなのかもしれない。
すっかり忘れていたけど、それらの映画は、私にとっての映画の原体験といってもいくらいで、映画が好きかもしれないと思い、映画をよく見始めた青春期に見たものだから、私の根底にあると思う。
なによりコンテンツがリアルだし貴重な人間記録だ。
ぺらぺら喋るやつ、言いよどむやつ、でもそのときの表情、顔つきがもっと多くを語る。
何年もの間、同じ人物を追っているからこそ、余計に。
そして、勇気づけられるからだろうな。
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