「あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室」感想 [読書メモ]
あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室
- 作者: 寮 美千子
- 出版社/メーカー: 西日本出版社
- 発売日: 2018/12/03
- メディア: 新書
これは素晴らしい本!
やっぱりノンフィクションは面白い。
最近は映画もドキュメンタリーが大好きなのだが、本もノンフィクションだな。
ここ最近、ノンフィクションで賞を受賞した作品を中心に読んでいるのだが、さすがめちゃくちゃ濃厚な経験談であり、ぜひ多くの人にシェアされる価値がある経験であると思う。
しかし、タイトルで損してる。
タイトルが残念過ぎる。
タイトルでうへえっとなって、読む気が失せたが、、だって凡庸でつまらんお仕着せがましいタイトルじゃない。
だけど、それを乗り越えて、受賞してるくらいだし面白いはずだと思って読んだら、最初から最後まで切りしてる箇所がまったくないほど素晴らしく、私は何度も嗚咽号泣した。
一応あらすじを書いておくと、熱心な刑務教官?らに頼まれて、絵本作家の著者がボランティアで奈良少年刑務所という20歳前後の若い囚人がいる刑務所の中で、精神障害も知的障害もないが、対人コミュニケーションがうまくとれず、集団での刑務作業の間にいつも問題を起こしてしまうような子たちを集めて、「言葉で表現する」訓練になるような情操教育ができないか、という新しい試みを行っていく話。
それが奇跡のように功を制していく様は鳥肌ものである。
クララが立った!というような奇跡が何度も起きることを通じて、どれだけ人間にとって、自己表現が大切か、そして自己表現にいたるには、どれだけ「自分を表現しても大丈夫」と思える安心安全な相手がいることが大切か、勇気をだして己を表現したときに、否定せずに受け止めてもらうことが大切なのか。
すごく大切なことが書いてある。
さらに、その教室に来ている子たちというのは、ほぼ例外なく、安心安全な大人に庇護してもらうことなく育ってきており。
だから心に鎧を着せて武装するように、心を閉じて生きてきたのが、いったん心を開くことを覚えると、本当は表現したい切実な想いをたくさん胸に秘めていることがわかって、それがまた泣けるのだ。
自分は余計な子ども。
きっとどこかに余ってるお母さんもいるんじゃないか。
太って怒りんぼうでポンコツなお母さんでもいいから、僕にください。
という詩とかね、泣けるね。
こういう幼児の頃の欲求をどこにも吐き出すことができないまま、心の奥に強烈に抱いたまま、彼は大人になったのだろう。
あとは、自分が逮捕された時に、親が呼び出されて、警察にあなたにとってのお子さんは何ですか?
漢字一文字で表してみてくださいと言われて母親が「子」と書いた、と。
まあどうせそんな感じだろうなと思ってたら、父親が「宝」と書いた。
ほとんど会話もない父親がそんな風に思っているなんて思いもしなくて涙がこぼれ出たという話。
などなど、彼らの作品もまた、濃厚。
あと不幸というのはどこも似ているのかね。
まるで米国底辺社会で育って成り上がったラッパーを彷彿させるような、家庭環境を書いた人も。
片親で、母親を助けようと、中学生の時から懸命に働いて家計を助けたが、家計に入れた金で
母親は男と旅行、1週間戻らなかった。世の中金だと思って、手段を選ばず金を稼いで金持ちになって
家庭もできたけど、いざ捕まったら、あっさり逃げられて、母親も自殺した。
金はまだある。でもそれで幸せにするはずの家族はもういない。世の中金じゃないなんて今更言わせない。
というような。
とにかく、とても充実した本でした。
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