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映画「ボヘミアン・ラプソディー」の感想 [映画メモ]

映画「ボヘミアン・ラプソディー」の感想



これはほかに色んな映画を最近見てしまって、ずいぶんと記憶が薄まってしまったのだが、

かろうじて記憶があるうちに感想を書いておこう。


私はクイーンの特別なファンではないが、ロック好きだったこともあり

ロック界に残している爪痕というか、確かな存在感は知っていた。


しかしながらフレディがなくなったのは1991年ということなので、私はまだ

ロックを聴き始めてないと思う。


よって、あれだけロッキング・オンを愛読していたにも関わらず、彼の追悼特集みたいなのは

まったく記憶なし。


カート・コバーン死去が1994年。

この頃からだったもんな、私がロックを聴くようになったのは。


というわけで、私の中でクイーンは特にかっこいい存在でもダサい存在でも衝撃的な存在でもなく

特別に興味がある存在でもなく、、ただ「We Will Rock You」というかの有名な曲がクイーンの曲であると

知った時に、クイーンってこんなかっこいい曲も作ってるんだな!と思ったくらいである。


そしてフレディ・マーキュリーについても、別にかっこいいとかかっこ悪いとかも思ったこともなく、

でも「ロックスターっていう感じ」と思っていたので、かっこいいのかと思っていた。


だから出っ歯で、「なんでそれ直さないの?」ってインタビューで訊かれちゃったり、

メンバーに最初「お前は出っ歯だからボーカルは無理だろう」って言われたりしてる扱いにびっくり。


欧米人が歯並びを日本人よりずっと気にするというのは知っていたけど、感覚的にけっこう違うんだなと思った。

日本人は出っ歯の人を見ても明石家さんまを例にとってもそうだけど、別にそれをすごく美的にマイナスにはとらえない。



だからフレディを見てもそう。むしろどちらかといえば美形に見える。


とはいえ、もう少し上、10個ほど私より上の世代のロックファンからすると、クイーンが出てきた時は、フレディ・マーキュリーといえば、「キョーレツ」「ゲテモノ」という印象だったらしい。


最後の方、レーザラモンHDのモデルか?っていうくらい、めっちゃハードゲイな出で立ちになった時も、

あれも割と斬新というか、キョーレツだったらしい。


さてこの映画で個人的に一番印象に残ったのは「フレディは本当に元ガールフレンドが大好きだったんだな」

ということ。



How beautiful you are


彼らがまだ蜜月におり、仕事に行こうとする彼女に行ってほしくなくてダダをこねるようなフレディが

支度をする彼女をみながらつぶやくセリフ。


このシーンはとてもロマンチックだったな。


その後も、フレディは本当に彼女が大好きなんだな、と感じさせるシーンはたびたび挿入されていく。


で、ふと実際の彼女とフレディの写ってる写真を見てみたんだけど、本当にいい雰囲気。

フレディは本当に最後まで彼女が好きだったんだな、という気持ちが写真に写っていると感じた。


その部分が、私はなんか一番心に残ったな。


もちろん一時代、一世風靡したロックバンド、その当時全世界の人に伝わったものというは、やっぱり今の人々にも通用するというのはあるよね。


彼は歌唱力も、そしてパフォーマーとしても優れていたし、もちろんクイーンの曲が結局は腐らない、オリジナルな、本当に優れたものだったから、いま聴いても響くというのもあるんだろうな。


だけど、結局、魂がこもってた、全身全霊を表現にぶつけてた、だから伝わる、というところも大きいよね。





このボヘミアンラプソディーのビデオなんかを改めて見ると、本当に、美しいピアノの音色と共に

美しく歌い上げてるところから、急にドスをきかせる部分なんて、本当にぞくっとする。




歌詞の意味は不明。どうとも解釈できるが、真相をフレディが話したこともなく、メンバーも知らないとのこと。


Mama, just killed a man
ママ たった今、人を殺してきた
Put a gun against his head
あいつの頭に銃口を突きつけて
Pulled my trigger, now he's dead
引き金を引いたらやつは死んだよ
Mama, life had just begun
ママ 人生は始まったばかりなのに
But now I've gone and thrown it all away
僕はもう駄目にしてしまった
Mama, ooo
ママ ああ ママ
Didn't mean to make you cry
ママを泣かせるつもりじゃなかったんだけど
If I'm not back again this time tomorrow
明日の今頃になって 僕が戻らなくても
Carry on, carry on, as if nothing really matters
今のままで生きていって、まるで何事も無かったかのように




というようなドラマティックな物語が語られる歌。

そして、「もう行かなくちゃ。死にたくないよ。むしろ生まれて来なきゃよかった。でもさようなら。」

という感情が語られ、地獄巡り的なものがあって、、、

最終的に「まあ知ってる、大した話じゃないよ。どっちにしろ風はふく」というところで終わる。


フレディが異性愛者のふりをして生きてきた自分を一回殺して、自分自身に向き合って再生しよう

という歌だという解釈もあるらしいけど、どうでしょうかね?


私的には、、、もっと第三者的な架空の少年Aの物語(フィクション)を歌ってる気がする。


貧しい生まれで誰にもたいして愛されずに育ち、そんな中で誰かを殺してしまって、自分の人生は一体なんだったんだろうか、と思いながら、、、天国にいけるのか、やっぱり地獄に落ちるのか、と思いながら死んでいく。

だけど彼がそうやって死のうが、世間は誰も気にもかけない。


そういうような人生を送る少年が、たぶん世界にはたくさんいる。

自分も一歩間違えば、そういう末路を辿っていたかもしれない。

そういう「もう1人の私」「あり得た自分」みたいな歌なんじゃないかって気がした。


先日みた映画「ムーンライト」は、まさにそういう話だったので、ふとそういう見方もできるなと思った。


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小説であって、私小説ではない、みたいな。
でもいずれにせよ、その物語に託す作者の想いというのは絶対にあると思う。
「もう後戻りできない。ごめんねママ。さよなら、今までよくしてくれたみなさん。
僕のことは忘れて平穏に生きていってください。」
という気持ちとか、「死にたくない。でも目を開けて真実をみろ」みたいな気持ちとか、
そういうものは、やはりセクシャリティのカミングアウトと関わっていると思っても、おかしくはないよなあ。



さてもう一つ笑えるビデオ発見。

亡くなったのが1991年で、このビデオが2004年のものという事なので、なんか編集はいつなのか

よくわからないけど、下のビデオなんかはもう、ギャグか?って感じ。

1:44くらいのところの、フレディの顔が増えてくとことか。

やたら脱ぎたがる、なんで脱いでく?という謎の演出とか、ゲイゲイしいといえばゲイゲイしい。





あとクイーンといえば、「we are the champions」は解りやすい名曲よね。

歌詞も解りやすいし、メロディも解りやすい。

クイーンっぽく、仰々しい、ドラマティック、そして美しい。


特に、 [we'll keep on fighting 'til the end.]の声音の使い分けのパターンのおおさ、そういうところは

本当にやっぱりフレディの真骨頂なんだろうなと思う。


が、改めてこのように動画をみると、やっぱりフレディの変態性が際立っている。

後ろの三人が、今みても理解可能な普通の格好をしているのに対し、フロントマンだからといって

なぜこの意味不明なピチピチ新体操ルック、乳首出しを衣装として彼は選んだのか、さっぱり意味がわからない。


だけど、クイーンの魅力は、やっぱり「実力派バンドとしての全うさ」と「天才というか変態というか、超オリジナルな鬼才」が絡んでの安定的な魅力を発してるんだな、とこれをみて実感したわ。


まあ別にフレディ1人で突っ走っても、プリンスみたいな感じで、それはそれで面白いものができるのかも

しれないけど、クイーンの魅力は、全うで王道なバンドとしての良さもあるのが、より魅力になってる気がするな、

と改めてこれをみて思いました。



さてなぜ今、クイーンなんだろう。

彼の表現は、当時ももちろん大人気だったわけだが、今日であればより一層受け入れられる感じがあると考えた火付け役がいるのかな。


しかし、やっぱりエイズで亡くなった有名人といえば、何をおいてもフレディなわけで、

もはやエイズが死の病では亡くなったことを考えると、感慨深いものがある。


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