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「ブルー ジャスミン」の感想 [映画メモ]


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ブルーつながりで・・・というわけではなくたまたまなのだが、ブルージャスミンを見る。

英語の勉強がてら、最初は字幕なしで見て、次に日本語字幕付きでなるべく英語を聞き取る努力をしながら見た。
英語字幕があればいいんだけど、なかったからスクリプトを検索しようかなあ。

あった!便利な世の中だねえ。

やっぱり映画を字幕なしで理解するにはまだまだのヒアリング力だなあ。。
まあ字幕なくても、結局のところ映像があるし、会話だってある程度は聞き取れるから、そこそこ理解はできるんですよ。
それでも細かい情報が全然聞き取れておらず、理解もできてないから、日本語字幕付きで見たときに気づいた以下の最重要フレーズも全然わかってなかった。

そう、この映画を見ていると、繰り返し出て来る言葉があり、それこそがこの映画のテーマなんだろうなと思った。

それは ”look the other way” =「見て見ぬ振りをする」である。



この言い回しは初めて知ったのでとても勉強になったのだけど、この映画の主人公であるジャスミンは、見たくないものは見なかったことにする主義の人で、いろんな人から「見て見ぬ振りをしてた」と責められる。

ほかにも色々とへえ!と思う言い回しがたくさん出てきた。
さて英語に関してはさることながら、映画についての感想。

元セレブのジャスミンは、その血のつながらない妹ジンジャーの生活を、頭がよわい子の最低レベルの生活と思っている。

選ぶ男も便利屋とか配管工みたいな低レベルだし、妹自身もしがないスーパーのレジ打ちだし、家だってこじんまり雑然としたアパート。

でもさ、それはアメリカでは低レベルなブルーカラーなのかもしれないけど、東南アジアの生活レベルからしたら全然いいわけだし、薬中とか売春婦とかに比べたら真っ当な仕事で真面目に働いて子供を育ててるなんて超健康的なわけよね。
それに日本の住宅事情を考えたら、そのアパートだって一部屋に寿司づめになって暮らしているわけでもなく、何部屋かあって別に普通の家なわけよ。

そしてジンジャーにしてもその昔の夫も今の夫も、考え方はしっかりしていてまともだし、昔いろいろなことがあったにもかかわらず、心を病んだ姉を引き受けて面倒みようとしたりと、殊勝なわけです。

ちょっと服装がいかにも地方の低学歴風な安っぽかったり馬鹿っぽかったり感はあるので、セレブ風の装いのジャスミンと比較したらやっぱり悲惨な感じはするんだけど。

それでも、その元夫や現彼氏の言動には、何かしら血の通った人間らしさがある。

「友達の奥さんが浮気しているのを目撃してしまったら、それを友達に言う。それが友達ってもんだ」という元夫。
ジンジャーの働いているスーパーまで押しかけてきて、「お前を失ったらどうしていいかわからない。」とほとんど泣き出してしまう現彼氏。

一方でジャスミンのまわりの人間関係は殺伐としたもの。

女友達に「夫が浮気していたの・・」と動転して打ち明けたところ、「知らないのはあなただけ。みんな知ってたけど、首突っ込むことじゃないから言わなかったの」と。

さらに夫に詰め寄っても「愛しているのは不倫相手。落ち着いたら冷静に今後のことを話し合おう」と言われ、動転してパニックを起こしていても、懺悔どころか謝罪もなく、ケアするどころか彼女が落ち着くのを待つこともなく、パニック状態の彼女を置いて「これからはホテルに泊まる」と、さっさと出て行ってしまう。

そしてその態度に逆上してとった行動により、彼女のすべてだったセレブリティライフを喪い、それでもその虚栄にしがみついたままのため、誰からも見捨てられ、何もかも喪い、ますます心を病んでいくジャスミン。

だいたい名前も本当はジャネットなのに、特別な感じがするからと、ジャスミンに自分で改名。
そして見事、その名前の響きで夫をひっかけるという、自己演出に長けた女性なのだが、自己演出と虚栄って表裏一体だもんね。

最後だって、自己演出という名の嘘で、玉の輿に再度乗りかかるも、嘘がばれて、モラルに反するといって破談になる。
 
東南アジアには、こういう意味でのモラルってないと思う。
騙したもの勝ちみたいな汚いことを平気でして、それが恥ずべきことだという意識がないように感じる。

法でも守ってもらえないけど、人間としての清く正しく・・というモラルみたいなものも期待できない(もちろん人によるであろうが、いかにもな虚栄にまみれた人だけではなく、貧しいけど清く正しく美しく素朴に生きていそうな人もチャンスさえあれば、ズル賢く立ち回ってなんぼでしょ、と思っていそうな気配がある)。

たとえばジンジャーの元夫が、宝くじで当てた2000万円を、美味しい投資話に乗って、さらなる一攫千金を狙おうとするのではなく、それを元手に今まで身につけた技術で堅実に独立するほうを選ぼうとするのに対し、貧しい東南アジア人が同じ立場に立ったら、喜んで投資話に乗るほうを選ぶ気がする。
(あ、いやその前に家建てて車買って、親戚と友人におごって使い切っちゃうか・・) 
 
 
それに友人のパートナーの浮気話を耳にしても、それをゴシップとして楽しむことはあっても、友情から本人に教えてあげるということも少ないように思う。

というわけで、これはかなり個人的な感想だなあと思うが、アメリカには、こういう「貧しくたって人の道を外れちゃいないぜ。俺は人の金を盗まない。まっとうに生きてるぜ」的な価値観はちゃんと根付いているのかもな、と、安心しつつも、東南アジアと比較してとてもせつない気持ちになった。 
 
東南アジアに失望しすぎだろうか・・?
 
東南アジアの作品だって、等身大の幸せが一番!っていうハッピーエンドものもあるだろうなあ、東南アジア作品をもっと観てみたい気持ちになった。
 
ちなみにこれウディ・アレン作品だったのね。
これにからめて、町山智浩がたまむすびで色々とウディ・アレンの私生活について語っていて、ひゃーっと思った。
父親がウディ・アレンだと思ってたら、実はフランク・シナトラだった。
しかも噂じゃなくて、お母さん認めちゃってるし!とか、すごいね。
案外「顔が似てない、似てる」っていうのは真実を表しちゃったりするのね。 
これ、貴乃花の父親が実は輪島説とかも、またまたーと思ってけど、いや案外ありうるんではと思ってしまった。
 
 
で、ウディ・アレン作品としてどう思うかというところなんだけど、まあなんというか突き放してドライにコミカルに上から目線で人物を描く感じはまあそれっぽいよね、というところでしょうか。
 
ディテイルから話のまとまりから、精度高く描ける優秀な人だとはもちろん思うけど、私が彼のその皮肉っぽいテイストが好きかというと別に普通なので、まあそんなもんかなという感じです。 
 
でもこれまでの人生でまだ「アニーホール」を見てない気がするので、ウディ・アレンを語る資格はないわな、と思う。今度機会があったら是非見てみよう。 
 

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