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帰国 [旅行メモ]

ザグレブで友人に会って、あわただしく帰国の途につく。

モスクワで乗換えだが、モスクワで成田行きの搭乗口につくと、
そのあたりでは日本語が響いており、ああ日本に帰りついた、
ここまでくれば大丈夫だ、と感じた。

昨日から風邪を引き始め、体調は最悪、そこらへんの
日本人のツアー客のおばさまたちに、よほどバファリンか
なにかお持ちじゃありませんか?と聞こうかと思ったけど、
海外で変な病原菌を持ち帰ってきたやつと同じ飛行機なんて!
なんて、怖がられてもいやだということに気づいたので、もらわなかった。

ザグレブから成田までの飛行機は、「いつのやつ?」という年代物で、
座席のクッションがやぶれて中の綿が見えていたとしてもおかしくないだろう、
というプラスチック感あふれるやつ。

もちろん小さな飛行機だし、ついに死ぬかな?と思ったけど、
まさかの?案の定?
モスクワに着陸したときに、みんな拍手してたよ!

エアロフロート拍手伝説は聞いてはいたものの、行きの飛行機ではもちろんなかったし、
「マジでやってるよ」とちょっとびっくりした。

だが、モスクワから日本への便は立派で、なんと映画が見れた。
しかも日本語アナウンスもある。

エアロの帰りってこうだっけ?とちょっとびっくり。
行きの便では映画は見れなかったし。

というわけで、帰りはすしづめだったせいもあり、トイレに一度もたたなかったが、
ブラックスワン、バーレスク、ソルトと、新しい映画を3本立てで見ることができて満足!

でも日本語字幕はないので、ぜんぶ英語。
内容はたぶん、半分もわかっていないかもしれないのだった。。。

そうやって帰り着いた成田は、あちこちに日本語が書いてあって、
日本語が通じる場所だった。

でも、8カ国、11都市への移動を繰り返した私。
新しい都市につき、cityへのアクセスを探すのは、もうお決まりになっていた。
成田から東京への道のりを探すときの感覚は、「いつもの」感じだった。

京成で帰れるのはわかっていつつも、楽をしてエアポートバスで帰ろうかな、と
思ったりもして、いくらか聞こうかと思ったとき、英語で聞きそうになった。

結局高かったので、京成で帰ったのだが、電車内で見る日本人たちは、
日本人というより、なぞの東洋人に見えた。

今度の国は、日本語を話す謎の東洋人の国なんだな・・・という感じ。
みんな頭が大きくて髪が黒いのな・・という感じ。

湿度がたかくて暖かいから、呼吸がしやすいのが助かった。

自分の家の扉を空けると、「なかなかいいアパートメントじゃないか」と思った。

自分の家の状態について、記憶が戻ってきたのは、後々のことだ。
徐々に徐々に、「ああ、こうしてこうだったから、こうなってたんだっけね」と
記憶が戻ってくるかんじ。

それまでは、たしかに記憶にはあるのだが、どこか他人の家という感じ。
ちょうど、なんどかお邪魔したことがある兄か姉の家の鍵を受け取って入った感じだ。

今もどこか、家具やモノが全部そろっていて便利なアパルトマンという感じ。

うっかりテレビつけっぱなしで眠り込んでしまったときには、
「なんで日本語が聞こえるんだろう」と思いながら目が覚めた。

昨日も、英語で一生懸命質問している夢を見た。

テレビでたまに外国人がうつって、英語をしゃべっていると、
字幕ではなく、音の響きそれ自体にすごく反応してしまう。

なつかしさをそちらに感じるのだ。

でもこの3週間で、あきらかに前より英語を聞き取れるようになった。

今でもまだまだだけど、最初、成田から立ったときは、海外旅行が久々すぎて&
会話集なども持ってこなかったしもちろん予習もしてこなかったために、
いっさい英語が出てこなかった。

外国人にぶつかっても、「すみません」としか口をついて出てこなかった。

だが、どこの国へ行っても英語が生命線だった。
英語表記すらない国で、英語が書いてあったら、ものすごい喜びを感じた。

ふだんだったら全然わからないし、読む気すらしない博物館での英語の説明文も、
ほかに意味がわかる手がかりすらない言語ばかりのところに囲まれていると、
意味がわかるはずの存在であることだけで、ものすごい喜びの対象だし、
そうであればこそ、意味がぐんぐんわかってくるのだ。

というわけで、とにかく英語が話せなければ話にならないことを実感した今回。
話にもならない・・というか、とにかく、話せないことはとてもハンディキャップで、
話せればどんどん世界が広がると感じた今回。

大嫌いで、ぜんぜん興味がもてない教科だった英語に
とても興味をもち、心のそこからしゃべれるようになりたいと思ったのは、
生きてきて今回が初めてだ。

英語に興味がある今がチャンス!
外国人の友達を作るなりして、英語の勉強をしようと思う。

でないと、今これだけ、英語にたいして無駄に開かれている私の神経がもったいない。

3週間続ければ習慣になるというような本が家にあるが。
まさに、そうなのかもしれないと思った。

3週間はなかなか長い。

学生のときはともかく、社会人になって3週間の外出は初めてだったと思う。

何か決定的なことがあったわけではないが、
実物の部屋で、クローンの私がまた暮らし始めた感じで、
どこか何かが良くも悪くも変わったような気がする。

自分の部屋なのに、自分くささに嫌気がささず、客観的に見られるのはいい。

そういう時にしか見れないもの、変えられないものがあるから。
今がチャンスかもしれないね。

いろいろと。

日常に埋没する前に。
感覚が元に戻って行く前に。


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