生きたよ。 [生活雑感]
ひりひりするよ。
でも、ちゃんと生きた証拠だよな。
ここんとこ。
世界と交わってる。
いつでもオープンマインドです、とは言わないけど。
閉じてもない。
すくなくとも、開けようとしている。
だから。
摩擦もいっぱい。
得るものも、失うものも、日々更新。
新陳代謝の激しい毎日だ。
自分にしちゃペース上げてるから、コケて擦り剥いたり、取りこぼしたり。
失敗はいっぱいあるし、思い通りにいってないことだっていっぱいある。
もちろん、出来ればダメな自分をつきつけられて、ひりひりしたくなんかない。
だけど、そういう摩擦によって学べることもある。
逆に変化に身を投じたおかげで取り戻した誇りみたいなものすらある。
ある場所では評価されなかったことが、この場所では評価されるっていうことが、けっこうあるから。
それに、何より動けるっていう自信だ。
それは希望だ。
あの山を越えたところには、素晴らしい世界が待っているかもしれない。
そして、私にはその山を越えられるだけの脚力がある。
そういう二つの希望を、また私は持てるようになった気がする。
ともすれば。
どこも一緒だよ。
そりゃその能力があれば、とっくにそうできてるよ。
という思考に陥っても、そりゃその人が見てきた世界がそうだったら、誰も批判はできない。
理想が高すぎるとか。
現実を見てないとか。
夢見る夢子だとか。
自分を客観的に見れてないとか。
もう遅いとか。
若くないとか。
希望を失うために、都合のいい正しそうな言葉も世の中にはいっぱいあるしね。
実際、世界っていうのは、そうなんだと思った。
つまり、パラレルワールドみたいに、たくさんの世界が平行で存在していて、
確かにある場所においては、世界は絶望的なんだと思う。
それを否定はできない。
だけど、違う世界に行くことも人は出来るのだと思った。
だけど、それだって、やすやすとできるわけではない。
脱出したはいいけど、もっと凶悪な世界に行ってしまう可能性だってあるし、
命がけの大脱出をしたのに、掴まってしまって脱出できないことだってあるだろう。
だけど、あきらめずに、チャンスをうかがい続け、策を練り、行動に移し続ければ、
必ずや少しはマシな世界を手に入れることができるような気がする。
今私は、手ごたえを感じている。
失敗はしてるよ。でも飲まれてない。
それはそれ以上に、わくわくすることが毎日あるから。
自分のほうが今は強い。
そんな自分を認識して安心する。
たとえば今日は、初めてボランティアに参加した。
とてもわざとらしくない会で、とても気持ちのよい人たちと出会うとともに、
私もとても気持ちよく存在することができた。
それはなんだろう?
自分の思いと行動に迷いがなかったからだと思う。
最近、そういうことが多いのだ。
前よりずっと、自分のすること為すことに、迷いがないから、十全に楽しめてる。
というようなことが。
前だったらもっと、完璧にこなそうとし、完璧に出来ない自分に疲れたり、
それをすべきかどうかものすごく煩悶して、なかなか前へ進めないことで疲れたり。
していた気がする。
でも今は、旅行でスピード感を身につけたような気がする。
完璧な旅行だったとは言わない。
もっと事前に計画を立てる時間を持てていたら、もっと効率よくたくさんを見ることができただろうし、
もっと英語がしゃべれたら、もっとたくさんのものを吸収できたに違いない。
だけど、あの時点の私にできるベストだったと思うわけ。
時はどんどん過ぎてゆく。
そして多分、次へゆける。
だから、次へゆくためのパスが開いている間に、どんどん進めるところまで進まなくちゃなの、って感じなんだろう。
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