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Netflixドラマ「全裸監督」感想。 [映画メモ]

梨泰院クラスの感想を書いたあと、同時並行的に観ていた全裸監督と、よく考えて見たら結構構図が似た作品だったんだなということに思い至った。


主人公がある種の起業家。
主人公に惚れていて、圧倒的に腹が据わっているミューズがいて、彼女の活躍により主人公は躍進し成功者になる。
弱小企業だが、敵対する同業の大企業から嫌がらせなどを受けつつ頑張っているが、最終的には彼らは破滅。最後に打ち勝つ。
弱小企業だからこそ、社員たちが力を貸しあったり、喧嘩したりしながら社長を支える。
ビジネスの成功に向けてメディアを巧みに使う。
腹心の1人が暴力団関係者。
実はすごい似てるところがある。
違いは実話かどうかってところと、時代。
全裸監督は1980年代?90年代?が舞台よね。
全裸監督は、実話を元にしてるから、いかようにもストーリーを作れるドラマとどこまで比較していいかわからないけど、やっぱり全裸監督の方が実話と思うから説得力があって、私は見応えがあったかな。
村西とおるが、当時いかにエポックメイキングだったのかはよくわからない。
でも、黒木香が圧倒的だということは、よくわかる。
私、哲学しておりますの。
と、言っていて、彼女には強烈な自己顕示欲や変態性があったとして、でもそれに飲まれてるのではなく、あくまで理性的に自覚的にやる、これが私、という、その人生への挑み方、腹の決まり方がすごい。
男性に媚びへつらったり服従する形ではなく、自らの求める形で、誇り高く性に開放的な姿勢を提示した、というのは彼女の功績なのではないかと思う。
その功績がその後どれだけ日本社会に爪痕を残したかはわからない。
だって、やっぱり現代だって、脇毛を生やしている女性はあまり見ない。
なんで脇毛?と思うけど、わかる気がする。そこを譲らないことが、男に押し付けられる都合のいい理想の女性像とか、女性はこうあるべかとか、そういう社会的抑圧に屈しないことの象徴なんだよな。
あるがまま自然のままを見ろ、受け入れろ、わたしはそう生きていく、といいますか。
わからないけど、今、お茶の間で第一線のマツコデラックスが、ダイレクトに深く影響を受けた存在として語るのだから、確実にフェミニズムの在り方の一つとして、日本社会の血肉の何かにはなっている。
しかし、その凄さが開花したのも、やはり相手が村西とおるだったからという点も、梨泰院クラスに似てるかも。
さてしかし、マツコはフェミニストだよな。

フェミニストでないとしても、フェミニズムに理解が深い。

マツコは、真摯に生きている女性に対して愛と理解とリスペクトがあるのを感じる。

きちんと言葉を選んでうまく伝えられる人だし、中立的視点から意見をいえるポジションにいる人でもある。

ゲイと女性はマイノリティ差別とか性差別でお互いに協力しあって戦えるポテンシャルが高いよね。

こういう人が、茶の間で第一線というのは、日本もまだまだではあるが、希望はある、以前に比べたらずっといい方向に変わっているのではないかと思う。

先日ホフディランのスマイルがラジオでかかって歌詞にゾッとしたんだ。

町山智浩さんが言ってたデートレイプ犯を擁護する社会の論理。

俺の過失をすぐに笑って許さないお前がヒステリックで子どもという。。

「深刻ぶった女はキレイじゃないから。すぐスマイルするべきだ。子どもじゃないならね。」

今ならゾッとする人は多数だろうけど、あの歌が売れた時代には、いやな歌詞と思う人はいたとは思うけど社会で問題にされることもなかったんではないかと思う。売れたわけだし。

そう思うと、少しずつ世界はいい方に変わっていってる点もあるんだと思う。

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