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Netflixドラマ「全裸監督」感想。 [映画メモ]

梨泰院クラスの感想を書いたあと、同時並行的に観ていた全裸監督と、よく考えて見たら結構構図が似た作品だったんだなということに思い至った。


主人公がある種の起業家。
主人公に惚れていて、圧倒的に腹が据わっているミューズがいて、彼女の活躍により主人公は躍進し成功者になる。
弱小企業だが、敵対する同業の大企業から嫌がらせなどを受けつつ頑張っているが、最終的には彼らは破滅。最後に打ち勝つ。
弱小企業だからこそ、社員たちが力を貸しあったり、喧嘩したりしながら社長を支える。
ビジネスの成功に向けてメディアを巧みに使う。
腹心の1人が暴力団関係者。
実はすごい似てるところがある。
違いは実話かどうかってところと、時代。
全裸監督は1980年代?90年代?が舞台よね。
全裸監督は、実話を元にしてるから、いかようにもストーリーを作れるドラマとどこまで比較していいかわからないけど、やっぱり全裸監督の方が実話と思うから説得力があって、私は見応えがあったかな。
村西とおるが、当時いかにエポックメイキングだったのかはよくわからない。
でも、黒木香が圧倒的だということは、よくわかる。
私、哲学しておりますの。
と、言っていて、彼女には強烈な自己顕示欲や変態性があったとして、でもそれに飲まれてるのではなく、あくまで理性的に自覚的にやる、これが私、という、その人生への挑み方、腹の決まり方がすごい。
男性に媚びへつらったり服従する形ではなく、自らの求める形で、誇り高く性に開放的な姿勢を提示した、というのは彼女の功績なのではないかと思う。
その功績がその後どれだけ日本社会に爪痕を残したかはわからない。
だって、やっぱり現代だって、脇毛を生やしている女性はあまり見ない。
なんで脇毛?と思うけど、わかる気がする。そこを譲らないことが、男に押し付けられる都合のいい理想の女性像とか、女性はこうあるべかとか、そういう社会的抑圧に屈しないことの象徴なんだよな。
あるがまま自然のままを見ろ、受け入れろ、わたしはそう生きていく、といいますか。
わからないけど、今、お茶の間で第一線のマツコデラックスが、ダイレクトに深く影響を受けた存在として語るのだから、確実にフェミニズムの在り方の一つとして、日本社会の血肉の何かにはなっている。
しかし、その凄さが開花したのも、やはり相手が村西とおるだったからという点も、梨泰院クラスに似てるかも。
さてしかし、マツコはフェミニストだよな。

フェミニストでないとしても、フェミニズムに理解が深い。

マツコは、真摯に生きている女性に対して愛と理解とリスペクトがあるのを感じる。

きちんと言葉を選んでうまく伝えられる人だし、中立的視点から意見をいえるポジションにいる人でもある。

ゲイと女性はマイノリティ差別とか性差別でお互いに協力しあって戦えるポテンシャルが高いよね。

こういう人が、茶の間で第一線というのは、日本もまだまだではあるが、希望はある、以前に比べたらずっといい方向に変わっているのではないかと思う。

先日ホフディランのスマイルがラジオでかかって歌詞にゾッとしたんだ。

町山智浩さんが言ってたデートレイプ犯を擁護する社会の論理。

俺の過失をすぐに笑って許さないお前がヒステリックで子どもという。。

「深刻ぶった女はキレイじゃないから。すぐスマイルするべきだ。子どもじゃないならね。」

今ならゾッとする人は多数だろうけど、あの歌が売れた時代には、いやな歌詞と思う人はいたとは思うけど社会で問題にされることもなかったんではないかと思う。売れたわけだし。

そう思うと、少しずつ世界はいい方に変わっていってる点もあるんだと思う。

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Netflixドラマ「梨泰院クラス」感想。 [映画メモ]

かなり期待したんだけど、いまいちだったなー。

初のちゃんとみた韓国ドラマ。


スアの顔が本当にきれい。伊東美咲に似てるけど、スアのほうがもっと整っているかもしれない。

イソは顔は普通だけど、キャラクターがとても魅力的だから、どんどん可愛く見えていく・・と、オリラジのあっちゃんが熱弁してたので、期待したんだけど、うーん?だった。

古い話だが、東京ラブストーリーの赤名里香がいい、と言っている男の先輩に対して、好き好き言って積極的に来てくれる都合のいい女が好きってことじゃねーか、といちゃもんをつけた記憶があるが、そういう感じだったのかーとがっかり。

あっちゃんは、主人公になった気持ちで、主人公目線でドラマを見ていたんじゃないか、そしたら、体張って自分に全力で愛を伝え、全力でj自分の夢のためにつくしてくれる、可愛いいいーってなるのかも。でも男の都合のいい妄想と、私からは思えるというね。


スアもスアで、「彼は私のことが好きなの」とか、「私のことまだ好き?」とかばっかり言っててウザいし、見返りなしで大学まで行かせてもらう、くらいの図太さはまあいいかもしれないが、そこから長家に就職する時点で、主人公にとって宿敵の企業に就職するわけだから、自分が一番大事で、主人公のことは尊重していない。

尊重してないくせに、好きでいてくれ、迎えにきてくれ、というんだから、都合がいい。

セロイに遠回しに好意を伝え続けてるけど、「私のこと好きなんでしょ、来ていいのよ」みたいな、上からの言い方ばっかりで、きちんと正面から愛を伝えない。

まあでも、この二人はもう駄目だったと思う。腐れ縁みたいなもんだ。

お互いに憎からず思ってはいるけれど、決定的な信頼関係が損なわれてしまっているというか、きちんと向き合う時に向き合わなかった、または向き合う対象には至らなかったという時点でダメなんだな。


大体、後半のほうで、セロイがスアを久しぶりに誘って飲んでるらしいシーンがあるんだが、これが意味不明だもん。セロイ、なんで誘ったんだろう?スアが、私まだあなたを待ってる風のことを言うのに、セロイは、まだだなーって感じ。そして、そこに偶然イソがやってきて、二人をみてショックで走り去る。

それをほっておけず、スアをその場に残して、セロイは追いかける。「セロイの気持ちがスアからイソにうつった」ということを示すシーンなんだろうけど、それにしても、普通に考えると、付き合ってるわけでもないのに、走り去るイソは自己中心的だし、スアを自分で誘っといて、イソを追いかけるセロイも意味不明である。



さて私は途中でタルくなって、全部がっつり見る気が起きなかったから、結構飛ばし飛ばしみて、最後までなんとなくストーリーをつかんだ、という感じなので、まあ見てない部分もある。


長家の長男が嫌いで、あいつの顔が出てくると、だいたい飛ばしたし、会長のアップも飛ばす。

スアとイソがセロイをめぐって、挑発しあってるところは面白いから、見る、みたいな感じw


ちなみに、厨房の子、どう見てもボーイッシュな女の子だから、私は男になりたい女の子、FTMという役どころだとばっかり思ってた。

それが、実は、MTFという設定であったらしいことが、あとでわかったんだけど、わかりづらかったー。

男性をキャスティングすべきだと思う。

だけど、ここで女性をキャスティングするところが韓国なんだろう。

厨房がMTFだとわかったら、そんな料理食べたくないという人がいるに決まってるから解雇すべき、という意見をイソが言ってセロイがもし彼女にやめてほしいやつがいるならそいつにやめてもらう、と言ったり、料理番組に出演する際に、MTFだという情報をリークされて嫌がらせをされるが、にもかかわらず逃げずに出演して優勝、というエピソードがあるんだけど、韓国ってそんなに差別意識が激しい社会なんだ、とびっくり。


あとはまあ、セロイがイソに傾いていく決定的な流れみたいなところは見てないんだけど、無事に復讐をおえてハッピーエンドの頃には、恋も実ってふたりはラブラブ、という感じの描写があるのだが、改めて、セロイとイソのツーショットがチグハグで似合わないなあと思った。


最初、イソがセロイに決死の告白をした時、セロイは10歳も離れてるし、仕事上の同士だし、家族みたいに話しやすいから勘違いしてるだけでは?とか、色々言って、キッパリと断る。この先もありえない、と。

大体、その10分前に、セロイは皆の前で、俺はスアが好き、と宣言している。

なので、ここでイソに告白されたからといって、そうかーじゃあ考える、となっても、男が廃るというもんだが、10歳も上の雇用主として、真っ当な返答だったと思う。

で、実際、二人の役者の見え方もそんな感じだったから、カップル・・と思うと、なんか違和感を感じてしまった。

大体、イソがフラれたにも拘わらず、恋人かのように、セロイに甘えた感じでふるまい続け、職場で愛を告白し続けたりするのも、割とセクハラだしなー。


あとは結局のところ、復讐ものじゃん。

相手が勝手にぼろが出て自滅する、というものは見慣れてたけど、これは相手がぼろを出してる部分もあるけど、完膚なきまでに叩きのめして、終わる。


そこにも違和感があるかも。

憎しみの連鎖を生むんじゃないか、という気がする。

まあ私は、セロイがいかに痛めつけられてきたか、というところは見てないから、カタルシス!とならなかったのかも?


イソのやり方とかもそうだけど、あおって、「俺天才。お前バーカ」みたいな態度を取ればそりゃ反撃されるのは当たり前なのに、反撃されたら、「私かわいそう」みたいな態度。

だからイソが戦って勝っても、負けて傷だらけになったとしても、スタンドプレーって感じで、あまりカッコいい戦い方とは思えないし、興奮も同情もしない。

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外見と自信と受容。Mattとローランドとミシェルオバマ(2) [メディアまわり]

(前の続き)
あと男性が女装する場合も、外見はきれいごとではない。
綺麗でなくても、女性に見えればいい。
女性にみえなくても、綺麗だったらいい。
そういう生理的な感性を多くの人は持ち合わせている気がする。というか、私の場合はそうだ。
それはあまりにも似合わない服を着ている人に対する気持ちと同じか。
似合うか、似合わないか、というのは、社会的な影響も受けているし、生理的なものでもある。
とにかく、残念ながら、整形手術をしてでも外見を変えることが、社会的に受容されることとダイレクトに関係するケースがあるんだな、ということを、Mattのケースは突き付けてくる。
ちなみにTikTokを使ってみても、うわーっと思った。
10代にとっては、外見ってものすごい価値なんだった、ということを改めて痛感し、動物的、と思った。
10代利用者の多いTikTokは、ただ外見がものすごくきれいな子がウィンクするだけ、みたいな動画が人気だ。くだらん。つまらん。でも昔は紙媒体でグラビアとか写真集という形として存在してた需要が、TikTokで素人相手に満たされていると思えば、そんなもんだ人間。
もちろんVine王者のブライアンみたいに、センスや面白さが、結局は外見を凌駕するんだけど。
さてそこでローランド。
私はホストクラブに行ったことがない。想像しただけで虫唾が走るからである。
なんで?と言われると、まずホストの装束が野暮ったくてゾッとするし、仮に顔が綺麗だったとしても私が男の外見に価値を見出さないからじゃないだろうか。さらに仮にきれいな顔だと思っても、だからなんだ?である。
イケメンと話をしたいとか、イケメンの横に座りたい、みたいな需要が自分に一切ない。
さらに、一番虫唾が走るのが、ホストが接客する意図は「金づるにしてやろう」「金づるにするために惚れさせよう」というところであることである。
なんでそんなヤツの野心のために、自分の貴重な時間を、彼らに費やさなくてはいけないのか。
無料だとしても、うんざりである。
そこに、真実の会話なんて何もないじゃん。
ただ耳に優しい虚言を振りまいてくるだけでしょ?と、思うからである。
それだったらまだ、同僚とか後輩とかと飲みにいって、彼らの仕事や家庭の愚痴を聞くほうが、よほど対人間として意味があると思うし、場末の居酒屋で知らないオッサンと世間話をするほうがより温かみがある。
そう思ってしまうんだよな。
もちろんローランドくらい、成功した一流ホストだったら、きっと話も面白いし、何かインスピレーションを得るものがあるのかもしれない。
でも、ふつうにただホストクラブに行ってみました、で、出会えるのは、ただの雑魚ホストでしょ?
それに別にホストに行かなくてよくない?
一流の接客術なら、私はたまに美容室で味わえる。
美容室に行けばいいじゃん。
美容師さんのほうが、よっぽどオシャレでカッコいいし、髪の毛を綺麗にしてもらいつつ、悩みを聞いてくれて、けっこう真っ当なアドバイスをくれたり、インスピレーションを与えてくれたりするよ?
そして、そこには変な下心がない。
もちろんお客さんだから、ひどく厳しいことを言われたり、バカにされたりすることはない。
美容師さんにも色んな人がいるけど、接客が上手な人は多い印象。
さてホストは、話術と接客のカリスマだとする。
キャバクラもホストクラブも、ナンバーワンの人は、外見がいい人よりも、話が面白い人らしい。
外見も、ある程度は大事だけど、あくまである程度であって、とびぬけて綺麗である必要はないんだとか。
なのに彼はどうして整形を繰り返す?
調べてみたところ、「あと顔さえ綺麗なら、ナンバーワンをとれる」と思ったからであり、結果としてナンバーワンをとれて、「外見を変えることで、自信を持て、社交的になれ、毎日が楽しくなる。結果的に、中身を変えられる」という持論があるらしい。
ローランドに関していうと、整形前を見ても、整形後を見ても、はたしてこの外見が、世間からの受容度に影響力があったか、私にはわからない。
ホストとしての価値は変わらなかったんじゃないか、私の場合はそう思う。まあ面食いじゃないからかもしれない。まああれか、強いて言うなら、高い金を払って豪華客船に乗る、というのが、ホストクラブだとしたら、客室係が、用務員さんみたいなヨレヨレな服を着た人よりも、ビシッと小奇麗な服装をしているほうがいい、そういう感じの問題か。
ただどちらかといえば、話題性、メディア戦略なんじゃないかと思う。
振り切った、派手な外見は、ほかの凡百のホストと差別化できる。
そして成功したホストのイメージを打ち立てて、印象を残す。覚えられやすい。
そういう意味だと、彼の整形戦略は成功したんだろうな。
浮世離れした目立つ外見を手に入れる、という意味で。
でも結果論かな。目立つだけなら、金髪ロングだけで十分だったかもしれない。
さて、しかも彼の場合は、ホストだから「整形で派手な外見」という戦略がマッチした。
ちょっとギャンブル臭がする業界だったらいいのかも。エンタメ業界に振り切ってるとか、投資家とか。。
以上、長くなってしまったので終わる。

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外見と自信と受容。Mattとローランドとミシェルオバマ(1) [メディアまわり]

ミシェルオバマのドキュメンタリー「マイストーリー」をNetFlixで見た。

私はもともと彼女のファンである。

が、ぼんやりファンであって、すべてをフォローしているわけではないので、今回久しぶりに彼女の動く姿を見たのだが、改めて、なんてはっきりくっきり発音してくれるのだろうと思った。

速すぎないスピード、大きく明瞭な声、発音。私のような外国人が聞き取りやすい英語というのは、おそらくネイティブにとってもスピーチなどで伝わりやすいお手本的な英語なんではないかと思う。


そして、やっぱり素晴らしいのは、頭の回転。

何を質問されても、ウィットにとんだ、感心させる回答をする。

ちょっと笑わせ、そして、感心させたり、感動させたりした上で、きちんと質問の答えになっている。

あふれる自信。でもそんなに嫌みになっていないのは、やっぱりこの回答手腕からして鮮やかで、彼女が有能であり、魅力的に振舞えることは一目瞭然だし、実績にも自信があるからだろう。


そして美しいなあと思うんだけど、彼女は美人とか美人じゃないとか、そういう土俵に乗せられてないと思う。

いや、外見を揶揄されることもあったか。そういえば。

でも、彼女は自己表現をたくさんし、自分はどんな人間であるか開示していったから、そちらに人々が興味関心を抱き、世界中からも中身を見てもらえる人になっていったんじゃないかと思う。


さて、ふとMattとローランドの整形について対比的に思い出した。

まずMattを初めてテレビで見た時、私は気持ち悪いと思った。世間もそういう反応だったと思う。

今は気持ち悪さは私の中でもだいぶ薄らぎ、世間からもだいぶ受け入れられている。

でもこれって、都合の悪い真実だなと思う。

なぜそう変わったかは、私の中では結構はっきりした感覚があって、それはマットが整形完了して、人々が美しいと感じざるを得ない容姿になったからである。

美しいものは美しい。そりゃ認めざるを負えない。そして、なるほど、じゃあこういう在り方もありだね、という流れな気がする。彼は結局、美しさによって世間を認めさせた気がするんだよね。

キャラクターが面白いとか、話術が面白いとか、自分の姿勢を貫く姿がオリジナルで強いとか、、そういうのはもいろんあるけど、そこで認めさせたわけじゃないと思う。

テレビで始めの頃のような、化粧が異常に濃い、中途半端な整形顔は、人々に生理的な嫌悪を感じさせた。

あの顔で芸能界でやっていくならば、やはり芸人として面白さで売っていく方法か、素晴らしい本業の実績で認められる方法か、どちらかがないと、厳しかったと思う。

ただ今の美しさならば、今の話術くらいでも、タレント性がある。

哀しいけど、整形してでも外見がものをいうことがあるんだよな。

そして、それは生理的に受け入れられるかどうか、という時。

そしてその感覚が最も発動するシーンは、やはり「美人」として自分を売ろうとしている人に対してだろう。


ミシェルオバマは美人のように、好きなファッションを楽しみ、堂々と振舞う。
決して、自分の外見を卑下するような言動には出ないだろう。
別に不美人なわけではないし、美人なほうだと思うし。
だが、美人として自分を売っているわけではない。彼女は自分がやるべき仕事をバリバリこなしているだけであり、それは美人かどうかとか関係ない。
でもMattは、綺麗な自分を魅せること、に命をかけている感じがある。
命がけで化粧して、加工して、インスタにその写真をあげること、それが彼の一番の仕事である。
というような売り出し方だったのだから、それが綺麗でないか、本当に綺麗か、は仕事の価値そのものだもんな。



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評価損益272万円 [投資メモ]

1月24日に、評価損益237万円だったが、あれからまだ1か月と経っていないのに評価損益が272万円になっている。

嬉しいけど怖いねえ。やがてくるだろう時に備えて、利益確定のタイミングについて勉強しないといけないが、それがちょっとめんどくさい。


嬉しいこともある。

ずっと評価損益マイナス40%のポーラオルビスが、マイナス30%になっているし、底値買いをしたつもりだった日本水産もいつもちょいマイナスだったが、ちょいプラスになっている。

ただまあFacebookはマイナスだなあ。


あとはLINE証券でちょっと買いしてそのまま忘れていた、東レとか結構値上がりしてたんだけど、LINE証券なんて、ちょっとしか勝ってないので、値上がりが薄い。。



それにビットコインな。

あれ、2018年に買ったまま、塩漬けしてたら、今頃それなりに利益が出てたのに、恐ろしくなって全部損切したので、今、口座はもってるのに、ビットコインは100円ぶんくらいしか入ってなくて、なんだかなあ。

当時はまだ投資初心者だったので、1000円でも5000円でも失うのが恐ろしかったんだけど、今なら10万円くらい負けてもともとで投資しておいても別によかったのにな、と思う。


とはいえ、今はちょっと高騰しすぎ??と思うので、また買ったりはしてないんだけどw


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ヒロシ「働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける」感想。 [読書メモ]


働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける

働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける

  • 作者: ヒロシ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/12/05
  • メディア: Kindle版

あまり時間がなくて、流し読み。

でもヒロシはほんと、正しいことしか言ってないって感じで、ヒロシの言うことはとてもよくわかる。

とにかく好きなことに全ベットが強い、わかるよ。


得意だけど、そんなに好きじゃないこと、というのもダメだ。

下手だとしても、とにかく好きなことに情熱を注ぎ、その愛する思いを見せていくことが、自分にとって生きやすい楽しい人生だし、狭いとしても深くてオリジナリティあるコンテンツとなって、結果としてファンがつき、仕事にも結び付く。


わかります。。。

わかりますけど、そこまで俺振り切れてないなあ、今。

だって、徐々に徐々に、やっぱり金がない恐怖が押し寄せてきて、とにかく稼ぐ手段を見つけないと、と焦りはじめているから。

でもそうやって、稼ぐことを軸に考えだすと、人生見誤るというのもわかる。


うん、原点に立ち戻る必要があるかも。






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トラボルタ版の映画「ヘアスプレー」の感想 [映画メモ]


ヘアスプレー [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2011/11/25
  • メディア: Blu-ray





ヘアスプレー [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 角川映画
  • 発売日: 2009/06/19
  • メディア: DVD

アマゾンプライムで見れたので、見たんだけど、びっくりするほど完成度が高い映画!

まるでトイストーリーくらいに!大人が見ても、子どもが見ても安心だし、面白いし、テンポがよくコミカルでポジティブで、でも中身はちゃんとある!!


すごく元気をもらえた。

ポジティブなほうです!と自信を持っていえるタイプではない、どちらかといえばネガティブ万歳です!といえるペシミスト気味の私は、元気をもらえる映画です、みたいなのってあまり信用してないし、事実、映画を見終わった後に元気をもらえたーって思うことはあんまりない気がするんだけど、この映画は別。

すごく、元気をもらった。


私は中身を全く知らずに見たので、主人公の白人ぽっちゃり女子以外の印象がないまま見始めた。

ので、最初は気づかなかったんだけど、黒人差別撤廃がメインの軸。

だけど、テーマはもっと広くて、人種差別も含めて、肥ってるとか、もう年を取ったとか、そういうことも含めた差別意識への撤廃と、自己肯定を解く話。


主人公の女の子が、すごくポジティブで勇敢で、たくましくて、気持ちがいいし、ほかの何人かの登場人物もすごくいい感じなんだよね、テレビショーのホストの白人男性、そのショーの月1回の黒人デーの時のホステスの黒人女性、主人公のパパ。


主人公のポジティブさと偏見のなさが、皆を動かして世界を変えていくっていうストーリーは、子どもの頃にテレビで見た、ポリアンナを思い出す。


ポリアンナといえば「よかった探し」だけど、悲惨な現実の中で、無理やり「よかった」を探し、それしか見ない「見て見ぬふり」をポリアンナ症候群といい、いい姿勢とも言えないのだが、この映画の主人公は、ポリアンナのように周囲を巻き込んで変えていくポジティブな力がありつつも、無理やり楽観的にいようという姿勢ではなくて、ちゃんと怒ったり悲しんだりしながら、クレバーに頭を使い、勇敢に行動し、というスゴイ子なのである。



それにそんな行動的でポジティブな彼女のエネルギーに、ハンサム君は恋をして、当たり前のように二人はハッピーエンド!いい映画!


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本当はもっと悲惨な現実の「火垂るの墓」。 [気になるもの]

最近、割と見てしまうのが、リアクション動画。


もちろん、曲へのリアクションが多いんだけど、映画もあるんだな。

しかも外国人にどこまで伝わるのかっていうが興味深いのもあってみてしまう。

今回、「火垂るの墓」のリアクション動画を見ているうちに、色々と気になってしまった。


さらに「火垂るの墓」は、もうずっと昔に見たっきりで、詳細を忘れていたこともあり、全編見直してしまった。


さて、大人になってみると、見えてくるものが違うというのもなるほどだった。

まあ子どもの頃にどういう視点で見たかも今となっては思い出せないんだけど。


で、野坂昭如の原作だということは知ってたし、自伝的要素があることは知ってたけど、

この度、野坂昭如のエッセイを読んでより大人としてはかみしめた。


これは、「誰も知らない」と近い要素がある。

子どもが子どもの養育を一手に引き受けざるを得ない状況に追い込まれ、結局小さい弟や妹が死んでしまうという。

そして「誰も知らない」も、実際の事件をもとにしていて、だけど実際は子供の年齢がもっと低かったこともあって、もっと悲惨だっただろうなと思われたんだけど、野坂昭如の場合もそうだった。


火垂るの墓を見て、アニキのせいで妹が死んだ、とズバッとコメントする人はそう多くないが、中にはいた。

そして、実際に野坂昭如は「自分が妹を殺した」と、発言してたんだね。


自分は実際はそんなにやさしくなかった、せめてもっと優しくあれたらよかった、という贖罪の気持ちで小説を書いたというのは、本当にリアルだなと思う。


しかも彼はエッセイで、もっと告白をしている。

彼は14歳、妹は1歳半とかそれくらい。

いや、4歳ならまだしも、1歳半の子を14歳の少年が、食料がない中で育てる知恵があったかといえば、もう本当に仕方がないレベルだとは思うが、野坂昭如は自分の罪を告白する。


食べ盛りの彼は、飢え続ける中で、食欲を抑えられなかった。

妹にもっと食べさせてあげないと、食べさせてあげたいと思いながらも、いざ食べ物を目にすると、餓鬼に転じて自分が奪って食べてしまう。

米と重湯に粥が分離してたら、米を自分が食べて、重湯の部分を妹にあげてしまう。

食欲と生存欲に愛は勝てない、と。

でも確かに、勝てるのは、腹を痛めて産んで、苦労して育て上げた子どもに対する親の愛くらいだろう。

14歳の少年にそれを求めるのは難しい。


さらにアニメのように、夜泣きを近所のおばさんに責められるので、夜中は背負って外に出て歩いていたが、自分も眠いし、妹の頭を殴っていたと。殴ると静かになってコツンと眠るから、と。

だが、後年、それは赤ん坊は脳震盪を起こしやすく、ささいな打撃で脳震盪を起こすと知り、それは脳震盪を起こして気絶していたのだと悟って、愕然とする。


結局アニメ同様、妹は栄養失調で、終戦の1週間後に死亡する。


しかもアニメだけだとわからないけど、納得するのは、実は野坂昭如も養子であり、妹も養子。

だから年の差が大きく、間に子どもがいないのも納得。

さらに、やはり金はあったけど、金があったからといって物が買える情勢ではなく、その金をうまくつかって物を調達する能力が14歳の少年にはなかったと。

それも映画を見た人の疑問ポイントになりがちだが、納得。


というわけで、原作の小説も機会があったら読んでみたい。

が、この野坂昭如のエッセイにより、このアニメの意義が自分の中で高まった気がする。


中にはどうして、こんな、暗い救いのない話、たしかに反戦映画としては優れているけれど、と感じる人もいたかもしれないけど、これは救済の話なんだとわかるとすごく納得する。

つまり、妹を死なせてしまって、自分だけ生き残った野坂昭如の鎮魂の話だと思えば、「これくらい妹に尽くして、一緒に死ねたらよかったのに」という心残りと現実の間の話だと、そういう風に思えば、戦争当時や災害やらを生き残ったほかの人たちにとっても、すこし気持ちの慰めになることもある作品かと思う。


この作品は、ただ悲惨なだけはなくて、必死に支えあって生きようとするいじらしい兄弟の、兄弟愛を見せてくれる話でもある。


もちろん、この映画を見た戦争経験者の感想としては、「こんな子はまったく特別ではなくて、当時くさるほどたくさんいた」という風にリアルにまあこんなもんだったよ、という意見をいう人もいれば、「ファンタジーだ。現実はこんなもんじゃなかった」という意見をいう人もいるらしい。

そして、実際どちらもそうなんだろうと思う。

こんなことが現実でたくさん起きていて、でも本当はもっと綺麗ごとではなかった。

野坂昭如の身におきた現実でありつつ、少しやさしい話にしている、まさにその通りなんだろう。

だって、本当に本当のことを書いたら、万人が見られるアニメ、ジブリ作品にはならないもんね。


でもなんというか、これが野坂昭如自身がが必要としていた救済の話だとわかると、それは文学としての意義であり、本物の文学で、嘘のない、本物の話だなと思う。

嘘っぱち、ただの甘やかな都合のいい作り話、それでもフィクションに意義があるのは、それが魂を慰めることができるからだ。

やさしい兄の話を、彼自身が必要としたんだから、優しい兄の話が文学として正しい、というような。


さて、戦争孤児になった人たちの、今までずっと辛い経験すぎて口にすることもできなかったけど、ようやく口を開いた、というような思い出の話をNHKで先日見た。

確かにかわいそうだった。たしか兄弟別々のところに引き取られたが、小学生の妹は、傷口からうじが沸いていて、それを気味悪がられて学校でイジメにあって、それを苦にして列車に飛び込み自殺した、姉である私はもう少し精神的に図太かったから差別されてもいじめられても平気だったけど、、まあそういうことがあった、という話。

誰しもが余裕がない時期だからこそ、そんな中での人の優しさは身に染みるし、逆に弱い者から奪う、みたいな醜いこともたくさん起きたんだろうと思う。

そういう意味で言うと、この映画は、戦争からは多くを奪われて、理不尽を被ってるけど、ひどく人間から虐められたり強奪されてりしているわけではないだけでもまだいいかもしれない。


想像でしかないとしても、豊かな時代に運よく生まれた私個人としては、やっぱり王道の見方として、こういう風に犠牲になった子供たちがかつての日本にはたくさんいて、世界中には今もいて、その犠牲の上で生きているということを忘れてはいけない、忘れずに世界をよくしていく努力をしないとけない、ということだなと思う。



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